モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第58話 阪神JF・それぞれの前日

 12月9日、土曜日、朝。トレセン学園栗東寮。

 

「ジャラジャラさん、まだ支度しないんですか?」

「んあー、あたしは午後の新幹線だからもうちょい寝てるわー……」

 

 ベッドの中から返ってきた気怠げな答えに、エレガンジェネラルはひとつ嘆息した。

 

「私は先に行きますから、ホテルも違いますし面倒見られませんからね。遅刻しないでくださいよ。GⅠで1番人気が遅刻で競走除外なんてことになったら前代未聞ですからね?」

「おかんみたいなこと言うなよジェネ」

 

 言わせているのはどっちだ。呆れながらジェネラルは荷物の再確認を始める。昨晩のうちに全て荷物は支度してあったが、改めてスーツケースの中身を昨日作ったチェックリストと照らし合わせていく。

 よし、問題なし。万一に備えて少し荷物が多くなったが、まあ問題ないだろう。パンパンのスーツケースを詰め直していると、いつの間にかジャラジャラが起き上がってベッドの上にあぐらを掻き、呆れ顔でこちらを見ていた。行儀が悪い。

 

「昨日から何回目だよ、荷物確認してんの」

「万全を期しているだけです」

「神経質すぎるっての。だいたい1泊2日の関西遠征でなんでそんなに荷物パンパンになるんだよ。旅行はもっと身軽にするもんだって」

「ジャラジャラさんがいい加減すぎるだけでしょう。手ぶらで行く気ですか?」

「勝負服はトレーナーに預けてっから、手ぶらでも平気だぜ」

「勝負服ぐらい自分で運んだらどうなんですか、全く」

 

 せっかくの勝負服だというのにこれである。このルームメイトはレースに対する敬意というものが欠けているとジェネラルは常々思う。

 勝負服。トレセン学園に入学する全てのウマ娘が、自分だけのそれを着てGⅠを勝つ姿を夢見るものだ。ジェネラルだって例外ではない。これを着て、ウイナーズサークルに立ち、ウイニングライブのセンターを務める。そのためにこの学園に来たのだ。自分で念入りにアイロンをかけた勝負服を、形を崩さないよう気を付けながらスーツケースにしまう。

 

「……なんですか、ジャラジャラさん」

 

 視線を感じて振り向くと、ジャラジャラが頬杖をついて目を眇めている。

 

「将軍って呼ばれると怒るくせに、なんで勝負服は軍服風なんだよ、ジェネ」

「ジャラジャラさんがふざけてそう呼ぶからです。私は自分の名前自体には誇りを持っていますから」

 

 ジェネラルの勝負服は、緑を基調にした軍服風のデザインである。細かい部分はデザイナーに一任したが、あまりゴテゴテした飾りはつけず、優雅さと気品を感じさせるスマートな仕上がりで、ジェネラル自身も満足している。

 それに対して――以前、CM撮影のときに見たジャラジャラの勝負服ときたら、水色のインナーに黒のレザージャケット、黒のソフト帽という基本スタイルはともかくとして、ジャケットに名前の通りにジャラジャラと鎖飾りをぶら下げて、なんとも邪魔くさそうにしか思えなかった。

 

「まあ、ジャラジャラさんの勝負服は重くてかさばりそうですからね。トレーナーさんに同情します」

「なんだよ、かっこいいだろ?」

 

 ばーん、とジャラジャラは右手を銃の形にして、片目を瞑ってこちらに射撃のポーズを取ってみせる。〝褐色の弾丸〟という、〈日刊ウマ娘〉がジャラジャラにつけた異名は、本人もわりと気に入っているらしい。勝負服のデザインも、ジェネラルはよく知らないが、アニメのガンマンが元ネタだとかなんとか。

 

「レースは格好で走るものじゃありませんから」

「見た目は大事だよ。ボロを着てれば心もボロ、錦を着てりゃ心も錦。GⅠでしか勝負服着られないってのも、つまりはそういうことだろ?」

 

 そうなのだろうか。そうなのかもしれない。ウマ娘の勝負服はどんなデザインでも、たとえ一見してレースには不利そうなものであっても、着ると不思議な力が湧いてくるのだという。中には大きな招き猫を背負ってGⅠを勝ったウマ娘もいたとかなんとか。それは冗談かもしれないが――まあ確かに、届いた勝負服に初めて袖を通したときに、気分が高揚しなかったと言えばジェネラル自身も嘘になる。

 ただ、それは同時に重圧でもある。立派な、満足のいく勝負服。袖を通す以上は、それに恥じないレースをしなければならない。

 ジェネラルはジャラジャラを見やった。――今の段階で発表されている投票順位では、ジャラジャラが圧倒的な1番人気。ジェネラルは少し離された2番人気だった。悔しいが、『お前の新潟のレコードなんか過去にしてやる』という宣言通り、あのサウジアラビアロイヤルカップの記録的な圧勝、12バ身差ジュニア級レコードという衝撃は、ジェネラルの世代一番手という評判を過去のものにしてしまった。

 だから明日、GⅠという舞台で、それを取り戻すことが、自分に課せられた使命。

 将に、敗北は許されない。

 

「それでは、行ってきます」

「おう、明日阪神でな。2着の振り付け、ちゃんと練習しとけよ」

「――その言葉、そっくりそのままお返ししますから」

 

 立ち上がり、スーツケースを引いてジェネラルは歩き出す。

 向かう先は、阪神のターフという戦場。

 一発の弾丸ごときに、将軍の歩みは止められないということを、証明するために。

 

 

       * * *

 

 

 同日夜、宝塚市内ホテル。

 

「――ああ、お母ちゃん? うん、今ホテルの部屋さあ」

 

 エブリワンライクスは、ハンガーに吊した勝負服を見上げながら、故郷の母親へと電話を掛けていた。

 

「うん、いやあ、ホントにGⅠ出るんだなあって。アダシみでった田舎っぺがさあ。うん、あの写真コ送った勝負服着て走るんだあ。嘘みてだべ?」

 

 東京にいる間は標準語で喋るのに慣れたけれど、実家の家族と話していると、自然と故郷の訛りとイントネーションに戻ってしまう。そのことが今は心地よかった。

 

「テレビでも地上波で中継あるはんで、みんな見ででけろ――あ? は? なに、こっちさ来てる? みんなして明日レース場さ来るって? わいは、どんだんだっきゃ! なんもわざわざ関西まで来ねくても――ああ、いや、うん、わい、めやぐだの……」

 

 ライクスは思わず頭を掻いた。これはますますもって、情けないところは見せられない。

 明日の阪神ジュベナイルフィリーズは、世間的には二強とその他大勢という風潮だ。サウジRCでとんでもない圧勝をかましたという片方はよく知らないが、もう片方はライクスもよく知っている。

 ――確かにあいつは、エレガンジェネラルはとんでもなく強い。2ヵ月前のアルテミスステークスで、そのことは痛いほどよく知っている。走り慣れた雨の泥んこバ場で、こっちが全力を出したのに全く追いつけず、そしてレース後も涼しい顔をしていたあの背中。

 あいつが今のところ離された2番人気というのだから、ぶっちぎりの1番人気というのはいったいどんなバケモノだというのか。正直、想像もつかない。

 トレーナーからも、阪神JFは回避する? という相談があったのは事実だ。登録数がフルゲートを超えたレースに出走できるかは、その時点でのファンptによって決まる。そしてファンptは、たとえGⅠでも2着以内でないと加算されない。ライクスはメイクデビュー勝利とアルテミスS2着で現在1000pt。今のままでも桜花賞に出られる可能性は充分あるが、確実な出走を目指すなら2着以上は厳しそうな阪神JFは回避して、年明けのフェアリーステークスあたりで2着以内を狙うというのは、理屈としては理解できる。実際それを狙って阪神JFを回避したウマ娘も何人かいるようだ。

 でも、アルテミスSであんな負け方をして、阪神JF回避じゃ完全にあいつから逃げたみたいじゃないか。どうせ桜花賞に出るならぶつかる相手だ。向こうからすれば自分など眼中にないかもしれないが――逃げるよりも、立ち向かいたい。

 ライクスのその希望が通り、結果、ライクスは今、宝塚市にいる。

 

「……うん、どーもめちゃくちゃ強えのがふたりいるんだ。そう、片方は前のレースで負けたあいつ。……うん、でもあれから2ヵ月、アタシだって鍛えたんだ。けっぱるべ。けっぱって勝つべ。見てでけろ」

 

 拳を握り、自分に言い聞かせるようにライクスはそう口にする。

 そう、勝つ。エレガンジェネラルに勝つ。もうひとり――ジャラジャラとかいう一番人気にだって勝つ。都会っ子なんかに負けてたまるか。田舎者の意地、見せてやる。

 

「ん、妹だぢに替わる? うん――ああ、うん、お姉ちゃんだど。うん、お姉ちゃんのかっこいいどこ、見せでやっからな!」

 

 電話の向こうから、母に替わって妹たちの騒がしい声。懐かしいその声に目を細めて、ライクスはそれからしばらく、ホテルの窓から見える夜景の先の故郷に思いを馳せていた。

 

 

       * * *

 

 

 同ホテルの別フロア。

 

「はいダーメ、ムニっち、この本は没収」

「…………あ」

 

 分厚い文庫本を取りだして読み始めようとしたユイイツムニの手から、チョコチョコはその本を取り上げた。ユイイツムニが眼鏡の奥で目を見開いて、それから口を尖らせてチョコチョコを見上げる。チョコチョコは腰に手を当ててひとつ嘆息。

 

「今からこんな分厚いの読み出して、夜ふかしして調整失敗で明日の阪神JF負けたってなったらシャレにならんでしょーが」

「……トレーナーは、平常心でいろと言った。それには読書が一番……」

「だったらせめて1時間ぐらいで読める薄いやつにしなっての! なーんでわざわざこんな分厚いのにするのさ。ていうか新幹線で読んでたのはどーした」

「……あれはもう読み終わった」

「だったら今日はその1冊で終わり! これは明日のレースが終わってから!」

「………………チョコのいじわる」

「拗ねてもダメだかんね。ムニっちがベッドの中で本読んで夜ふかしの常習犯なのも、今まで何度もトレーニング中それで眠そうにしてたのもトレーナーにちゃーんとバレてんだから、あたしはそのお目付役でここに来てんの」

「…………裏切り者」

 

 頬を膨れさせても睨んでもダメである。ムニはチョコの手から文庫本を取り返そうとするが、そうはさせない。ひらひらとチョコはムニの手から逃れ、文庫本を手にしたままベッドの中に潜り込む。

 

「ふあああ……。んじゃ、この本の身柄は朝まであたしが預かったから、おやすみムニっち。ちゃんと寝るんだよぉ」

 

 チョコは部屋の電気を消してムニに背を向ける。……寝入ったふりをしていると、背後でムニがごそごそと荷物を漁る音。そして枕元の明かりがつく音。……ページをめくる音。

 

「3冊目あるんかい!」

 

 チョコは飛び起きて、ムニの手から本を取り上げようとした。しかし今度はムニが本を抱きかかえるようにしてベッドに潜り込んでしまう。こいつ何がなんでも今日中にもう一冊読む気だな? こうなってしまうとムニが依怙地なのはチョコが一番よく知っている。

 

「……100ページ、いや、50ページだけ」

「それ絶対止まらなくなるやつでしょーが!」

 

 前科が大ありである。むー、と唸るムニに、チョコは大げさに溜息をついた。まったく、このルームメイト、本のことになると完全に子供である。これでレースの才能に恵まれまくっているんだから、ウマ娘の神様は何を考えているんだか。

 

「じゃあ、しょーがないなあ」

 

 チョコはそう言って、もそもそとムニのベッドに潜り込んだ。ツインの部屋なのでベッドは当然ふたりで寝るサイズではない。狭い。ムニが怪訝そうにチョコを見やる。

 

「あたしが読み聞かせてあげよーか。それならムニっちも途中で寝るでしょ」

「……子供じゃない」

「だったら素直に本を閉じて寝る! 明日はGⅠだっての! それとも遠足前日の小学生みたいに興奮して眠れないとか言い出すわけぇ?」

「……わかった、寝る」

 

 しぶしぶとムニは眼鏡を外してベッドサイドに置いた。よしよし、とチョコは頷いて、ふあああ、ともうひとつ欠伸。やれやれ、早く寝たいのはこっちの方だというのに。

 

「…………チョコ、自分のベッドに戻っていい」

「いや、これで電気消したら絶対あたしのが先に寝るでしょ。そしたらムニっちはきっとこそこそと暗い中で本を読み始めて寝不足に加えて視力を落とす、間違いないから」

「…………」

 

 こら、図星を突かれたみたいな不満げな顔をするんじゃない。

 

「だからこーやって」

 

 と、チョコはムニの身体を抱き枕にするようにしがみついた。

 

「よし、これで安心。もー寝るしかないよ、ムニっち。観念しなー」

「…………」

 

 溜息をついて、ムニはチョコの胸元に顔を寄せて目を閉じた。よしよし、とチョコはその芦毛の髪を撫でて、……なにやってんだあたし、と思いながら欠伸を漏らす。

 まあ、なんだ。――ライバルにこんなところで負けられちゃつまんないから。

 ユイイツムニというウマ娘は、自分にとって最強のライバルでいてほしいのだ。

 短距離だろうが、マイルだろうが。――どんな距離だって。

 ムニっちが強くなきゃ、あたしだって張り合いがないんだから――。

 

「ふぁぁぁぁぁぁ……んじゃ、おやすみ、ムニっち」

「ん……おやすみ、チョコ」

 

 チョコチョコはユイイツムニの身体をホールドしたまま目を閉じる。

 睡魔はあっという間にチョコチョコの意識を刈り取っていって、抱き枕にされたユイイツムニが自分の胸元でどんな顔をしていたのが、チョコが知ることはなかった。

 

 

       * * *

 

 

 12月10日、GⅠ、阪神ジュベナイルフィリーズ、当日人気。

 1番人気、4枠7番、ジャラジャラ。

 2番人気、2枠3番、エレガンジェネラル。

 4番人気、1枠1番、ユイイツムニ。

 7番人気、6枠12番、エブリワンライクス。

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