モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
「よーし、ヒクマ! 坂路もう一本行こうか!」
「はーい! いってきまーす!」
バイトアルヒクマとトレーナー契約を結んで1ヶ月。メイクデビューへ向けたトレーニングはまずまず順調に進んでいた。練習態度は真面目だし、こちらの指導の吸収も早い。集中力がありすぎてときどきこちらの声が聞こえなくなるのが玉に瑕だが、思っていたよりも手の掛からない子である。タイムも少しずつ伸びており、自分の指導でウマ娘がちゃんと成長していると実感できて、トレーナーとしても毎日が楽しい。
「ふいー……。よーし、坂路おしまい! トレーナーさん、次はなにするの?」
「そうだなあ……」
思案していると、「おーい! クマっちー!」と背後から聞き覚えのある声。
「あ、コンプちゃん、エチュードちゃん! やっほー!」
ヒクマが笑顔で手を振る。振り返ると、彼女の友達であるブリッジコンプとリボンエチュードの姿があった。ふたりとも体操服姿。どうやら合同トレーニングが終わった足で、そのままヒクマの様子を見に来たらしい。
ふたりとも、先日の選抜レースに参加していたが、ブリッジコンプは派手な逸走もあって最下位、リボンエチュードもあまり見所なく6着に終わっており、どちらもまだ専属トレーナーは見つかっておらず、次回の選抜レースを目指して同じ立場のウマ娘たちと合同トレーニングに励んでいる。
「ちょうどいいタイミングだし、休憩しようか」
「はーい!」
ヒクマが笑顔でふたりのところへ駆けていく。友人同士の休憩時間を邪魔しない方がいいだろう、と私がひとりで一息入れていると、「トレーナーさーん!」とヒクマがとって返してきた。
「どうしたの?」
「エチュードちゃんが、トレーナーさんになにか相談したいんだって」
「リボンエチュードが?」
思わぬ言葉に、私は首を傾げた。
リボン家といえば、数多くの名ウマ娘を輩出してきた名門である。
ヒクマのトレーナーになってから知ったのだが、リボンエチュードはその名前が示す通り、リボン家のお嬢様らしい。
「お、お嬢様なんてそんなことないのに……私なんか、リボン家の落ちこぼれだし……。スレノディさんに比べたら全然……」
「あーもう、まーたエーちゃん後ろ向きモード入っちゃってるし」
視線を俯けて消え入りそうな声で言うエチュードに、ブリッジコンプが口を尖らせる。
スレノディ、というのは、去年デビューして今年はトリプルティアラに挑む、リボンスレノディのことだろう。小柄ながら既にジュニア級の重賞を勝利している。昨年末の阪神JFでは2着に敗れたものの、強烈な追い込みを見せて勝者のテイクオフプレーンとクビ差の接戦を演じ、今年のティアラ路線でも主役のひとりと見なされている。
しかし、そんな名門の出なら選抜レースでももっと注目されていそうなものだが、周囲のトレーナーの間でもリボンエチュードの名前はほとんど挙がっていなかった。単に本人の自己評価が低いだけ、というわけでもなさそうだ。
「とゆーわけで、エーちゃんのこの後ろ向きな気性をなんとかしたいの!」
「こ、コンプちゃん、そんなこと言われても、ヒクマちゃんのトレーナーさんだって困ってるよ……」
おどおどと、小柄なブリッジコンプの背後に隠れるように身を縮こまらせるエチュード。
「次の選抜レースで結果出さなきゃなんだから、頼れるものはなんでも頼るの! 大丈夫、クマっちの相手できるトレーナーならきっとなんとかしてくれるから!」
「コンプちゃん……うう……」
ブリッジコンプの陰から、上目遣いに私を見やるエチュード。やれやれ、何やら頼られてしまった。それにしても、ブリッジコンプはヒクマをどんな問題児だと思っているのか。いや、彼女はヒクマのルームメイトなので、ヒクマの天真爛漫ぶりに普段から主に振り回されているのだろうけども。
それはともかく、リボンエチュードである。一度選抜レースに出たことがあり、まだ専属トレーナーがついていないウマ娘であれば、トレーナーが個人的にアドバイスを送ることは禁止されていない。技術的なことであればこちらも指導するにやぶさかでないが、しかし、本人の気性の問題となると……。
実際、そもそもの気性がレース向きでないウマ娘というのは確かにいる。バ群に囲まれるのが極端に苦手だったり、掛かり癖がありすぎたり、やたらと他のウマ娘に対して攻撃的だったり……。気性難で知られながら活躍した有名ウマ娘はたくさんいるが、それは「気性難なのに活躍した」からこそ知られているのだ。
気性は生来のものだから、一朝一夕に変えられるものではない。持って生まれた性格ばかりはどうしようもないのだ。しかし――。
「とりあえず、併走してみようか。ヒクマ、大丈夫?」
「うん、いいよー!」
「え、あ、ええと……い、いいんですか……?」
「ヒクマのトレーニングにもなるしね。よろしく」
私が頷くと、リボンエチュードは「……はい」と俯いたまま頷いた。
というわけで、ウッドチップコースを借りてヒクマと併走させてみることにした。何しろ私はリボンエチュードの走りをちゃんと見たことがないのである。それではアドバイスも何もあったものではない。
「よーい、スタート!」
ブリッジコンプの合図で、ふたりが同時に走り出す。前に出たのはヒクマだ。エチュードのことは気にせず好きに走って良い、とは伝えてあるが、そもそも走り出すと周りの声が聞こえなくなるヒクマである。指示するまでもなかったかもしれない。
リボンエチュードは、その2バ身ほど後ろを追走していく。先行型のヒクマはスタートから結構速めのペースで飛ばしているが、置いていかれることもない。コーナリングも綺麗だ。だが――。
ウッドチップコースにいた他のウマ娘たちが、ふたりの併走に注意を向け始める。コーナーを曲がりきったあたりで、ゴール付近にギャラリーが集まり始めた。
エチュードの様子が変わったのは、そのあたりからである。直線に入ってヒクマがスパートをかけるのとは対照的に、エチュードは急に視線を彷徨わせ、脚色が鈍った。みるみる差が開いていく。
――結局、ゴールしたときには7バ身ほどの差がついていた。
「ゴーッル!」
「はあっ、はぁ、はぁ……うう、やっぱりヒクマちゃん速いなあ……」
ゴール後も余力を残しているヒクマとは対照的に、エチュードは完全に息が切れていた。スタミナが無いのか、あるいはヒクマのペースについていくだけで脚を使い切ってしまったのか。……直線に入った途端に落ち着きをなくした彼女の様子が気に掛かった。
ギャラリーは既に、またそれぞれの練習に戻っている。……ひょっとすると、彼女はヒクマとは逆に、他のウマ娘のことが気になりすぎるタイプなのかもしれない。集中力がない、と言ってしまえばそれまでだが、序盤にヒクマのペースについていったのも、ヒクマの背中を追おうとして掛かってしまったのだとすれば、あの脚色の鈍り方も理解できる。
「どお? トレーナー」
スタート地点からこちらに走ってきたブリッジコンプが、私を見上げる。私は顎に手を当ててひとつ唸った。さて、どうしたものか。
「……リボンエチュードって、ひょっとしてかなり人見知りであがり症?」
「わっ、さすがトレーナー。大正解!」
ブリッジコンプが目を見開く。まあ、初対面のときからの様子で、そうではないかと思っていた。ウマ娘としては、あまりレース向きとは言えない気性には違いない。
しかし、序盤のヒクマのペースについていける脚はあるわけで、しっかり直線まで脚を残してレースに集中できれば、どんな走りを見せるのかを見てみたい、と思える。となるとやはり、問題は本人の精神的な部分になってくるわけだ。
さて、そうすると……。
「ねえ、ブリッジコンプ。君、全力で逃げるタイプだよね?」
「え、あたし? とーぜん! 最初から最後までずーっと先頭走って勝つのが最強のウマ娘に決まってるじゃない!」
ブリッジコンプはドヤ顔で胸を張る。それで選抜レースではデュオスヴェルと張り合って派手に逸走したわけだが、そのことは言うてやるまい。
「今はちょっと疲れてそうだから……そうだなあ、明日の夜、寮の門限の後に、今度は君とエチュードで併走させたいんだけど、いいかな? 寮長には私から話を通しておくから」
私の言葉に、ブリッジコンプはきょとんと目をしばたたかせた。
* * *
そんなわけで、翌日の夜。寮の門限を過ぎているので、既にウッドチップコースに他のウマ娘たちの姿はない。
そんな中で、ブリッジコンプとリボンエチュードが軽くアップをしている。私はバイトアルヒクマと、その様子を見守っていた。
「あ、あの、トレーナーさん……。ご迷惑お掛けしてすみません……。でも、あの、どうしてこんな時間に……?」
不思議そうな顔をするエチュードに、私は曖昧に微笑み返す。
「まあ、とりあえず走ってみて。ただし――ブリッジコンプ。今回は君の方が先にスタートするから。思いっきり全力で飛ばして。エチュードは2回目の笛でスタート」
「オッケー! 了解!」
「は、はい……」
ふたりがスタートラインにつく。今回は私がスタートを指示した。1回目の笛でブリッジコンプが勢い良く飛び出す。0.5秒ほど間を空けて2回目の笛。慌てたようにリボンエチュードがスタートした。
レースだったら致命的とも言える出遅れ。逃げるブリッジコンプはどんどん飛ばして前へ前へと進む。追いかけようにもその背中は既にあまりにも遠い。エチュードは困ったように遠ざかるブリッジコンプの背中を見送り、一度首を振ってから顔を上げて走って行く。昨日ヒクマと併走したときより、ずいぶんゆったりしたペースだ。だが、表情からすると投げやりになっているようには見えない。むしろ、雑念が消えたように見える。
一方、どんどんカッ飛ばしてコーナーに入ったブリッジコンプは、コーナーの終わりあたりから明らかに脚色が鈍り始めた。既に息が上がっている。――なるほど、彼女はスプリンターだな、ということをついでに確かめつつ、エチュードに視線を戻すと、絶望的に見えていた差がぐんぐん詰まっていくのがはっきりと解った。
コーナーを抜けて直線に入った瞬間、ブリッジコンプの背中が見えることに、エチュードが驚いたように目を見開くのが見えた。そして――。
その表情が引き締まり、ぐっとスパートがかかる。一気に加速。自分のペースで充分に脚を残して走ったエチュードは、そのまま一気にブリッジコンプを抜き去った。「えええっ、嘘ぉ!」とブリッジコンプの悲鳴。
「ゴールッ!」
バイトアルヒクマが待つゴールへ、リボンエチュードは一気に駆け込む。ブリッジコンプは5バ身ほど離されて、へろへろになりながらゴールした。
ぐえー、と呻いてばったりウッドチップに倒れこむブリッジコンプ。その先で、リボンエチュードは何か信じられないものを見たような顔で、呆然と夜空を見上げている。
「エチュードちゃん、すごいすごい!」
ヒクマがキラキラと目を輝かせて、そこへ駆け寄る。エチュードはきょとんと目をしばたたかせた。ヒクマがエチュードの手を握り、エチュードはその手をおずおずと握り返す。
「……あ、あれ? 私……勝った、の?」
「そうだよ! エチュードちゃんの勝ち!」
「うーっ、なんでよー! あんなに離してたのにー!」
じたばたと悔しそうにもがくブリッジコンプ。エチュードは私の方を振り向いた。私はただ、小さく笑って頷く。
リボンエチュード。彼女の本来の脚質は、おそらくリボンスレノディと同じ追込だ。最後方でマイペースに走って脚を残し、直線一気の勝負に賭ける。他のウマ娘を気にせず、目立たない後方から一気に抜け出すレース。
とはいえ、そこまで私が教えるのはやり過ぎというものだろう。あとは彼女が自分の走り方を見つけ、それを伸ばせるトレーナーに出会えるかどうかだ。
「勝った……私、勝ったんだ……!」
ヒクマの手を握りしめたまま、勝利を噛みしめるように身を震わせるエチュード。
その喜びを、力に変えてくれればいい。トレーナーとして私が願うのは、ただそれだけだった。