モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第60話 阪神ジュベナイルフィリーズ・弾丸vs将軍

 ゲートが開いた。18人のウマ娘が、ターフに飛び出す。

 

『揃ったスタートになりました、さあハナを切るのは、行った行った、やはり行きます7番ジャラジャラです! 好スタートからあっという間に先頭!』

 

 やはり、出遅れるようなミスは犯さない。先陣を切るのはジャラジャラだ。抜群のスタートダッシュで先頭に躍り出る。弾丸、の異名に恥じないロケットスタート。

 

『それを追うのは内から1番ユイイツムニ、そして3番エレガンジェネラルが3番手』

 

 最内枠のユイイツムニも好スタートを決めて、前を塞がれないうちに先頭争いに加わる。そしてそれにぴったりくっつくように追走するのがエレガンジェネラル。あとはその後ろに先行集団が固まった。

 ジャラジャラがサウジRCのようなハイペース大逃げを仕掛けるなら、同じペースで競りかけるのは自滅覚悟になる。それよりは、もうちょっと常識的なペースで走るだろうエレガンジェネラルの背後を取ってマークしよう、というのが他のウマ娘たちの思惑のようだ。3番手につけたエレガンジェネラルの背後の位置取り争いが激しくなる。

 強いウマ娘のすぐ後ろを取るというのはレース運びの定石だ。マークした相手のペースに合わせられるし、相手が強いので壁になることもなく進路を取りやすくなる。エレガンジェネラルの後ろを取ろうというのは、判断としては正しいはずだ。

 だが――。

 

『さあ隊列はやや縦長の展開、先頭はジャラジャラ、2バ身離れてユイイツムニ、外からエレガンジェネラル。人気の3人がレースを引っぱります』

「……あれ? ねえトレーナーさん、なんだかみんな速くない?」

 

 ヒクマが小首を傾げた。私も気付く。阪神の芝1600はスタートから3コーナーまでの直線が長いので、あまり先頭争いにこだわる必要がなく、隊列が固まった時点でペースは多少緩むのが普通だ。阪神JFはジュニア級のレースだけにみんな経験が浅いので、先頭争いの勢いのまま速めのペースで流れることも多いが――。

 

『最後方に12番エブリワンラクスといった体勢で3コーナー、先頭ジャラジャラ、それを見るようにユイイツムニとエレガンジェネラル、800の通過は――45秒、切ったかもしれません! これはかなり速いペースです!』

「なっ――」

 

 実況が驚いた声をあげ、私も思わず息を飲んだ。阪神JFで、半マイル通過が44秒台? 無茶苦茶だ。普通は47秒台である。44秒台なんて、スプリンターズステークス並のペースじゃないか!

 並のウマ娘なら、間違いなく直線で失速して沈没する破滅的なハイペースである。だが、もしジャラジャラが、このペースで逃げ切るような力の持ち主だとしたら――。

 ぞくり、と私は背筋が寒くなるのを感じた。

 ――ひょっとして、私はヒクマとエチュードを、とんでもないバケモノと同じ世代にデビューさせてしまったのではないか?

 

 

       * * *

 

 

 おかしい、とエブリワンライクスは最後方で感じていた。

 みんな、やけにペースが速い。アタシは良バ場のレースは初めてだ、最初は良バ場ならみんなこのぐらい飛ばすのかと思ったけれど――。

 

『いい? ライクス。あなたは2戦とも道悪でかなりスローペースのレースだったから、今回は今までとは全く違うペースのレースになると思うわ』

 

 レース前、トレーナーに言われたことを思い出す。

 

『でも、周りにつられちゃダメ。最後方でもいいから、自分が一番走りやすいペースで走りなさい。どんなに強い逃げウマ娘でも、仁川の坂ではどうしたって脚が鈍る。あなたは坂道は得意でしょう? じっくり脚を貯めて、坂で勝負。いいわね?』

 

 ――うん、わがってっけどさあ。

 先頭を走る1番人気のあいつが、もうどれだけ前にいるのかもよくわからない。こんな距離、追いつけるのか? アタシももっと前に出て、追っていった方が――。

 いや、抑えろ。トレーナーを信じて、末脚勝負に持ち込むんだ。

 ――ああもう、走りやすすぎて落ち着がね!

 良バ場の芝は脚が軽すぎる。戸惑うライクスは、ペースを抑えようとしてコーナーで内に寄っていった。

 バ場の荒れた最内に脚がかかり、――ああ、と心が落ち着くのを感じる。

 ここだ。この荒れた内側。やっぱりアタシには、このぐらいの方がちょうどいい。

 他のウマ娘たちは荒れた内を避けて、最内を開けながらコーナーを曲がっていく。

 ――よし、ここだ。ここを通って、坂で差し切る!

 4コーナーへ向かう。ライクスは最後方で、荒れた芝をぐっと蹴り上げた。

 

 

       * * *

 

 

 ――どうします、ジャラジャラさん。もっと飛ばしますか?

 ジャラジャラの1バ身半後ろにぴったりつけて、エレガンジェネラルは眼前で揺れるポニーテールをじっと見つめた。

 ジャラジャラが好スタートでハイペース逃げを仕掛けた場合。2着でいいなら中団待機。勝ちにいくなら自分が潰れるリスクを覚悟して、ジャラジャラについていく。それがレース前、トレーナーと様々なレース展開をシミュレーションした結果の結論だった。

 

『全てのレースで無理に勝ちに行くのは合理的とは言えない。GⅠとはいっても、本番は来年のトリプルティアラ。阪神JFはその前哨戦に過ぎない』

『解っています。――その上で、だからこそ、勝ちに行くことが合理的だと思います』

『その理由は?』

『ジャラジャラさんのペースに私がついていけるか。競りかけられたときにジャラジャラさんがどう対応するか。それを実地に確かめる機会は、おそらくここだけです。それに、どんなにハイペースで逃げても私がついてくる、という意識を彼女に植え付けるのは、今後の戦いでもメンタル面で有効に作用すると考えます。以上の点から、長期的に見て、このレースは積極的に勝ちに行くべきと判断します』

『――いいだろう。合理的なレース運びが常に勝利に対して合理的とは限らない。ジャラジャラを一番良く知っているのは君だ。君自身の熟慮の結果としてそれが答えなら、このレースはエレガンジェネラル、君自身の試金石になる。――もし振り落とされて惨敗するようなら、クラシック以降のレーススケジュールは白紙に戻す。いいか?』

『構いません』

 

 いつも無表情な王寺トレーナーの、冷徹とも取れる言葉。けれど、ジェネラルには解っている。それがトレーナーなりの優しさだということぐらいは。

 ――だから私は、それに応えます。トレーナーさんが信じてくれた自分に恥じない走りで、ジャラジャラさんを必ず、直線で捉えて差し切ってみせます。

 ――そう、この位置。1バ身半差。この位置がベスト。近付きすぎず、離れすぎず、彼女からは自分がぴったりついてきていることがわかる距離。このハイペース逃げなら、可能な限り直線までに差を開いておきたいのがあなたの本音のはず。私がここにいるというだけで、ジャラジャラさん、貴方にとっては最大のプレッシャーのはず。そうでしょう?

 それからジェネラルは、自分の半バ身前でジャラジャラに食らいついている、芦毛の三つ編みの後ろ姿を見た。4番人気、1枠1番のユイイツムニ。

 ――よく食らいついていますね。これが1200のスプリント戦なら、彼女はもっと積極的に前に出てそのまま逃げ切るのでしょう。けれど、これは1600のマイル戦。スプリント並みのペースで飛ばすジャラジャラさんに、どこまでついていくべきか迷っているのがわかります。そして――そんな迷いを抱えていては、彼女には勝てない。

 ユイイツムニは潰れる。食らいつけるのはどんなに長くても1400まで。

 後ろをちらりと見やる。ジェネラルの背後を取ろうとしていたウマ娘たちは、皆もう顎が上がっている。完全に、このジャラジャラのハイペースについていけていない。中団の前目につけた面々は、おそらく残り400で全員沈没。

 ――結局、貴方と一騎打ちですね、ジャラジャラさん。

 残り400のハロン棒が見えた。もうすぐ直線。エレガンジェネラルは一瞬息を入れ、そして最内の荒れたバ場を避けながら、最もバ場が綺麗な内側の経済コースを回っていく。

 

 ――さあ、勝負です、ジャラジャラさん。

 貴方の背中、仁川の坂で、捕まえて見せます――。

 

 

       * * *

 

 

『さあジャラジャラ逃げる逃げる、ユイイツムニとエレガンジェネラルが食らいついて残り400、直線に入りますが、後続との差が開き始めた! 4番手以降はもうこのペースについていけない!』

 

 ジャラジャラの常識外のハイペースと、それに果敢についていったエレガンジェネラルとユイイツムニ。上位人気の3人が超ハイペースで先行したのに引きずられ、後続のほとんど全てのウマ娘が掛かってしまった。

 このレースの展開を端的にまとめれば、そういうことになる。何しろ最後方のエブリワンライクスの半マイル通過タイムですら、本来の阪神JFなら先頭が通過するタイムなのだ。そんなハイペースに巻き込まれた先行勢は当然のこと、後方待機組すら普通なら先行したウマ娘のペースで走っていたのだから、もはや総崩れである。

 サウジアラビアロイヤルカップの再現だ。道中はスローペースで流して直線で末脚勝負、なんて常識にドロップキックを入れるようなレース展開。もう4番手以降は誰も脚が残っていない。サウジRCとの違いは――このジャラジャラの殺人的ハイペースについていっているウマ娘が、ふたりいるということだけ。

 

『さあジャラジャラ先頭、2番手はエレガンジェネラル、最内ユイイツムニは脚色厳しいか! その後ろはもう誰も来ない――いや、内からひとりエブリワンライクス、追い込んでくるがまだ10バ身以上ある!』

 

 あああああっ、とコンプが悲鳴をあげた。

 エチュードが息を詰めて画面を見つめた。

 ヒクマが、目をまん丸に見開いて身を乗り出した。

 そして私と――阪神レース場で、そして中継で、このレースを見ていた全ての人々は。

 ただただ、あまりにも、あまりにも圧倒的なふたりの争いに、声もあげられなかった。

 

 

       * * *

 

 

 前を行っていたウマ娘たちが、へろへろになって下がっていく。

 それを横目に見ながら、ライクスはコーナーの最内を通って一気に前へと抜け出した。

 直線に入る。あとは先頭の連中を差し切るだけ――。

 どうだ、我慢して脚を貯めたアタシの勝ちだべ!

 そう思って、視界が開けた瞬間。

 

 ライクスの目の前にあったのは。

 あまりにも、絶望的に遠い、ジャラジャラとエレガンジェネラルの背中。

 もうひとり、食らいついていた芦毛の三つ編み眼鏡のウマ娘が力尽きて下がってくる。

 それを坂、残り100で追い越しても――差し切るはずだった、あのふたりの背中は、あまりにも、あまりにも遠すぎた。

 

 強くなったと思っていた。

 2ヵ月前のアルテミスSより、自分は確実に強くなったと思っていた。

 それなのに――それなのに。エレガンジェネラルの背中は、もっと遠くなっていて。

 もうひとり、それと同じぐらい遠い背中が、あいつと競い合っている。

 

 絶望すら追いつかない。悔しさすら届かない。

 あまりにも絶対的なその距離は、遠く、遠く。

 

 ライクスの叫びは声にすらならず。

 ゴール前の一騎打ちに釘付けの観衆の、大歓声に呑まれて消える。

 

 

       * * *

 

 

 残り200。

 仁川の坂で、ユイイツムニの顎が上がった。脚が止まった。歯を食いしばって三つ編みを揺らすその顔が、愕然とした表情のままエレガンジェネラルの背後に流れ去っていった。

 だが、完全に振り落とされた芦毛のウマ娘のことも。残り100でその芦毛をかわして背後で3番手に上がって来た栃栗毛のウマ娘のことも。もう、エレガンジェネラルの視界には存在しない。

 ジェネラルの視界にあるのは、ただジャラジャラの背中だけ。

 捉えた。捕まえた。あと少し。勝利を掴むまで、あとほんの数メートル。

 ぐっと力強く坂を踏みしめて、ジェネラルはその横に並びかける。

 ――このまま差し切らせてもらいます!

 勝利を確信して、ちらりと横目に、ジャラジャラの横顔を見た。

 視線が合った。

 ジャラジャラは――どこまでも楽しそうに、獰猛な笑みを浮かべていた。

 

『残り200、ユイイツムニ後退! ジャラジャラとエレガンジェネラル、抜けた抜けた、やっぱりこのふたりの一騎打ちだ! 後続との差はもう6バ身、7バ身!』

 

 ――待ってたぜ、ジェネ! そうじゃなくっちゃな!

 坂を駆け上がりながら、すっと外から横に迫ってくる気配を感じて、ジャラジャラはその昂ぶりに身を震わせた。

 抜群のスタミナ。正確に刻むラップ。末脚の切れ味。そして勝負根性。その全てをこいつが兼ね備えていることを、誰よりも自分が一番よく知っている。

 エレガンジェネラル。こいつに勝つには、こいつに自分のレースをさせないこと。そしてあたし自身が、自分のレースに徹することだ。

 だから逃げた。全力で逃げた。ペース配分なんざ一切考えずに、1600を走りきれるギリギリ限界、全力のペースで逃げた。そう、これがあたしの走りだ。

 お前はついてくる。あたしを楽に逃げさせないためにプレッシャーをかけにくる。

 それがあたしにそう仕向けられたと、内心わかってるんだろう?

 ――お前はあたしを潰しに来たんだろうけど、潰されたのはお前の方だよ、ジェネ!

 このハイペースで、お前の末脚は封じた。あとはスタミナと勝負根性だけの勝負だ。

 そして、それだったら、お前には絶対、負けはしない!

 視線を感じた。並んできたジェネラルが、こちらを見ていた。

 その視線に、ジャラジャラは昂ぶりのままに、唇の端を吊り上げる。

 ――さあ、抜けるもんなら抜いてみなよ!

 坂を上る。脚は止まらない。逃げ切る。このまま逃げ切る――。

 

『ジャラジャラか、ジェネラルか、後ろからエブリワンライクスも来ているが、ジャラジャラか、ジャラジャラ逃げ切るか、ジェネラル差すか、内か外か――ッ!』

 

 残り50。

 ジャラジャラと、エレガンジェネラルが、ぴったり横一線に並んだ。

 ジャラジャラが高く、雄叫びをあげ。

 エレガンジェネラルが、硬く歯を食いしばって。

 大歓声の中を、他の全てを置き去りにして、ふたりのウマ娘が駆け抜けていく。

 全てを貫く、褐色の弾丸と。

 全てをねじ伏せる、姫将軍。

 もつれるように、ふたりの身体が、ゴール板を駆け抜けていく――。

 

『内か外か、内か外か、僅かに内かっ――――ゴールッ!』

 

 紙吹雪が、阪神の蒼天に舞いあがった。

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