モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第61話 阪神ジュベナイルフィリーズ・勝者と敗者

 ゴール板を駆け抜けて、ジャラジャラはゆっくりと足取りを緩めた。

 勝った、という感覚があった。逃げ切った。おそらくアタマ差――数十センチ、自分が先にゴールした。その確信を確かめるように、ジャラジャラは掲示板を振り返った。

 ――『7』の数字が、着順の一番上に点灯していた。

 自分の左隣で、エレガンジェネラルが同じように足取りを緩めながら、掲示板を振り返りもせずに唇を噛む。ジャラジャラは足を止め、頭上に広がる蒼天を振り仰いだ。

 そこへ――スタンドの、大歓声が降りそそぐ。

 

『すごい、すごいレースでした! ジャラジャラとエレガンジェネラル、死力を尽くした追い比べ! 勝ったのはジャラジャラ! 7番ジャラジャラです! 僅かにアタマ差、3番エレガンジェネラルを最後振り切りました! 3着エブリワンライクス、そしてタイムは――なんと1:32.0! これはレコードの赤い文字!』

 

 スタンドから祝福の紙吹雪が舞うのを、半ば呆けたようにジャラジャラは見上げる。

 その大歓声の中、観客席からターフに飛び降りてこちらに駆け寄ってくる影ひとつ。

 

「ジャラジャラ!」

「ちょっ、トレーナー?」

 

 担当の棚村トレーナーだった。大柄で筋肉質な棚村は、その太い腕でジャラジャラの身体を、子供を扱うように高く高く持ち上げる。

 

「やった! やったな! 最高だ! すごいぞ君は!」

「おっ、おいおい、やめろって、ガキじゃねーんだから!」

 

 トレーナーに幼子のように高い高いされて、ジャラジャラは慌ててもがく。棚村は構わず、ジャラジャラを抱えたままでスタンドに振り返った。

 

「ほら、見ろ!」

 

 ――ジャラジャラ! ジャラジャラ! ジャラジャラ!

 スタンドから、万雷の拍手とジャラジャラコールが湧き上がっていた。

 

「お、おいおい、なんだこれ、盛り上がりすぎじゃね? クラシックでもグランプリでもねーぞ、これジュニア級GⅠだぜ?」

「それだけ今の君の走りが凄かったってことだ! ほら、皆に応えてやれ!」

 

 走り終えたばかりの自分よりも興奮しきっているトレーナーの声に苦笑しつつ、ジャラジャラはスタンドを見上げる。何万人という人々の顔、顔、顔。

 その視線が、声援が今、自分だけに降りそそいでいる。

 ――はは、なるほどこりゃ、悪くねーや。

 ジャラジャラは右手を銃の形に構えて、片目をつむり、スタンドに向ける。

 

「BANG!」

 

 放たれた弾丸は、大歓声に変わって阪神レース場に響き渡った。

 

 

       * * *

 

 

 スタンドの歓声を遠くに聞きながら、エレガンジェネラルはゆっくりと地下バ道を歩いていた。シューズの蹄鉄がバ道を叩く硬い音が、ひどく耳につく。

 目の前に、スーツ姿の王寺トレーナーが、いつもの無表情な瞳を眼鏡の奥で細めて佇んでいた。足を止め、ジェネラルはトレーナーの顔を見上げる。

 

「まず、君の考える敗因を聞こう」

「……ここまでのハイペースは想定外でした。ジャラジャラさんにプレッシャーをかけているつもりで、彼女のペースに巻き込まれて最後に残すべき脚を使わされてしまいました。……着差はアタマ差でも、内容は完敗です」

「私も同意見だ。――お互い、ジャラジャラのレース勘に対する見積もりが甘かった。彼女はこちらの考えているより、ずっと切れ者のようだな」

「はい。――悔しいです」

 

 勝つために策を巡らせた時点で、既にジャラジャラの術中だった。冷静に、自分本来の走りをすれば良かったのだ。勝利のために万全を期すということ自体――ジャラジャラに勝つことに対する執着心それ自体を突かれた。完敗、という他ない。

 だが――しかし、だとすれば。

 ジャラジャラがハイペース逃げで自分の脚をすり潰しに来たということは。自分が最初からペースを守った走りをして、末脚勝負に持ち込まれることを、ジャラジャラが恐れていた、ということも意味する。

 だとすれば、この敗戦にも意味がある。いや、これが意味のない敗戦ならば、次の舞台に立つ資格など、最初からないのだ。

 

「エレガンジェネラル」

「はい」

「スケジュールに変更はない。ここまで4戦、実戦経験は充分。前哨戦は必要ないだろう。次走は桜花賞、直行だ」

「――わかりました。次は必ず、勝ちます」

「よし。ライブが終わったら、今日のレースを徹底的に検討し直すぞ」

「はい」

 

 眼鏡を光らせてそう言ったトレーナーに、ジェネラルは力強く頷いた。

 

 

       * * *

 

 

「お姉ちゃん!」「ねーちゃん!」

 

 スタンドの歓声の中に、聞き慣れた妹たちの声を聞き分けて、エブリワンライクスは膝に手を突いて芝生を見下ろしていた顔を上げた。

 スタンドの最前列、トレセン学園関係者席の柵から身を乗り出すように、家族がこちらに手を振っている。その隣にはトレーナーの姿。どうやらトレーナーが関係者席に家族を連れて来てくれたらしい。ライクスは荒れた呼吸を整えながら、ゆっくりとそちらに歩み寄った。

 

「……みんな、ごめんなあ。お姉ちゃん、負けちまった」

「ううん、お姉ちゃんかっこよかった!」

「最後のごぼう抜き、すごかったべや!」

「んだんだ。GⅠで3着だ、うぢのライちゃんがなあ、こったに立派さなってなあ……」

「お母ちゃん、なんも泣ぐごどねーべさ!」

 

 ハンカチを目元に当てる母親に、ライクスは苦笑して、柵越しに家族の手を握る。

 ――こんなに近くで家族が見守って、自分の走りを喜んでくれている。そのことはただただ、嬉しかった。

 

「そうだライちゃん、3着だはんでこのあどライブ出るんだべ?」

「ええ? あ、んだ、ライブ出るよ」

「わい、すげえなあ! みんな、お姉ちゃんこれからライブ出るんだあ! はえぐいい席取らねばまいねべさ!」

「わ、ライブだライブだ!」

「最前列取るべ取るべ!」

「へばの、ライちゃん! わんど先にライブ会場の方行って待ってらはんで!」

「あ、ちょっと、わい、わの投票権持ってればそったに焦らなぐでも席取れるべ――」

 

 ライクスの制止も聞こえていないようで、家族はあっという間にその場を移動し始めてしまう。わい、せっかちだの――とライクスは息を吐いた。

 

「ライクス」

「……トレーナー」

 

 と、そこでトレーナーに名前を呼ばれ、ライクスは振り返る。トレーナーは優しく微笑んで、ぽんぽんと柵越しにライクスの肩を叩いた。

 

「まずはお疲れ様。――タイムは1:33.0。従来のレコードと遜色無いタイム、こんなレースでなければ圧勝しててもおかしくなかった内容だわ。よく周りに惑わされずに、自分の走りを貫けたわね。胸を張るべき結果よ」

 

 そのねぎらいの言葉に――ライクスは、素直に頷きかけて、失敗したように顔を歪めた。

 胸を張るべき結果。そうだろうか。そうなのだろう。GⅠで3着。ウイニングライブの舞台に上がる権利を得た。そう、充分だ。ウマ娘として一生誇りに出来る栄誉だ。

 そのはずなのに――全然、胸を張るなんて、気分にはなれない。

 

「……6バ身も離されて負けて、胸なんか張れねーべさ」

「ライクス」

「負けだ! ボロ負けだ! レースはタイムトライアルでねえ! なんぼいいタイムだって、勝だねばまいねべさ! あんな、あんな遠ぐでゴールされて、喜べるわげねべさ!」

 

 感情の昂ぶるままに、ライクスは地元の訛り丸出しでそう叫んでいた。

 その言葉に、トレーナーはすっと目を眇め――くしゃくしゃと、ライクスの短くした栃栗毛をかき乱した。

 

「その気持ち、忘れちゃダメよ」

「……トレーナー」

「もっと強くなりましょう。そして、あのふたりに追いつき、追い越しましょう。今度は胸を張って、家族に『お姉ちゃん勝ったよ』って笑って伝えるために」

「――――ッ」

 

 ぶわっ、と感情がこみ上げてきて、ライクスはそれを堪えるように柵を強く握りしめた。トレーナーは柵越しに、そんなライクスの方を抱いて、背中をさすってくれていた。

 

 

       * * *

 

 

 5着。

 残り200で力尽きたユイイツムニは、後方から追い込んできたウマ娘ふたりにかわされて、なんとか掲示板に残るのが精一杯だった。

 俯いて地下バ道に戻って来たムニを出迎えたのは、トレーナーひとりだけ。

 

「……チョコは?」

「先に東京に帰るとさ。『今はあたしの顔なんて見たくないでしょ』だと」

「…………」

 

 返す言葉もなく、ムニは俯いたまま目を閉じて拳を握りしめる。

 負けたこと自体よりも――チョコチョコを失望させたということが、重たかった。

 

「強かったな、あのふたり。――あのペースで1600は、キツかっただろう」

「…………」

 

 トレーナーの言葉に、ムニは答える言葉を持たない。

 距離適性を言い訳にはしたくなかった。ただ、自分の力が足りなかった。それだけだ。

 ただ、それを自分から口にするのは、何か違うと思った。――普段から小説という言葉の世界に溺れているのに、こういうとき、言葉は無力だと思う。

 名探偵のように、全てを論理的に説明できればいいのに。

 

「どうだ。――1200でも、勝てなかったと思うか?」

「――――」

 

 ムニは顔を上げた。トレーナーが、そのいかつい顔で、真っ直ぐ自分を見下ろしていた。

 

「…………思わない」

「勝てたか?」

「1200なら」

 

 思い返す。今日のレースが1600でなければ、ハナは切れずとも1200で先頭をかわして抜け出せる。――そのイメージは、確実に持てた。

 

「1400ならどうだ?」

「……勝てた、と思う」

 

 少し、言葉が揺れた。……イメージしても、そこまでの確証は持てなかった。

 

「よし。――ムニ、次はフィリーズレビュー、行くぞ」

「――――桜花賞トライアル?」

 

 ムニは目をしばたたかせる。GⅡフィリーズレビュー。阪神、芝1400。3着までに桜花賞の優先出走権が与えられる、トライアル競走。

 

「桜花賞はどうでもいいんだ。まずはその『思う』を、確信に変えに行くぞ」

「――――」

「その後どうするかは、それからだ。桜花賞であいつらにリベンジするか、それともスプリンターズステークスで1200の最強を目指すか。――お前次第だ」

 

 トレーナーの言葉に、ムニは胸元に手を当てて、目を伏せる。

 レースには絶対の答えがある。だけど、そのレースの選択には、絶対の正解はない。

 

「……わかりました」

 

 どちらにしても、自分の競走人生は、唯一無二。

 今、ユイイツムニが名探偵のように解き明かすべきは――自分の進むべき道だった。

 

 

       * * *

 

 

 ――同時刻、トレセン学園、トレーナー室。

 

「……あたし、走ってくる」

 

 レースの決着を見届けてすぐ、コンプは席を立ってトレーナー室を出て行った。自分が二度挑んで敵わなかった相手が、距離延長もあったとはいえ力尽きて5着――そんな結果を見せられたコンプの気持ちは、私には想像することしかできない。

 エチュードは心配そうにそれを見送って、それから私の方を困ったように見やった。私は首を振って、今はそっとしておいた方がいい、と伝える。エチュードは俯いて、膝の上でぎゅっと拳を握りしめた。

 ただの観客として見るならば、阪神JFの歴史に残る、今年のGⅠ戦線でも屈指の名勝負だった。だが――私たちはもう、それを純粋に楽しめる立場ではない。

 憧れるには近すぎる。目標にするには――遠すぎる。

 それほどのレースだった。ジャラジャラと、エレガンジェネラル。このふたりは、本当の怪物だ。間違いなく、トゥインクル・シリーズの歴史に名を残すウマ娘になる。どちらかのデビューが1年ズレていれば、今日のこの阪神JFで、間違いなくトリプルティアラは確定だと言われただろう。それほど、このふたりの強さが頭抜けていることばかりを見せつけられた。

 3着のエブリワンライクスとは6バ身差。4着5着はその3バ身後ろ。6着以下はさらに5バ身後ろ。――GⅠでつく着差ではない。その昔、桜花賞で大差勝ちを記録したウマ娘もいるが……そのレベルのウマ娘が同世代にふたりいる。無茶苦茶だ。

 

「ヒクマ」

 

 私は、画面に釘付けになっているヒクマの後ろ姿に声を掛ける。このレースを見せられて、ヒクマは――。

 

「…………~~~~~~っ、すごいすごいすごい!」

 

 突然立ち上がって、振り返ったヒクマは――そのまん丸の瞳をキラキラと輝かせて、心底楽しそうに、ぶるりと身体を震わせた。

 

「トレーナーさん、あのふたり、ほんとにすごかったね!」

「あ、ああ」

「う~~~~っ、負けないぞ! わたしも走ってくる!」

「あっ、ヒクマ!」

 

 私が止める間もなく、「わたしもがんばるぞー!」と声をあげながら、ヒクマはトレーナー室を飛び出していく。エチュードとふたり、私はぽかんとその背中を見送って――それから、エチュードと顔を見合わせて、思わずふたりで笑っていた。

 ――ああ、まったく。そうだ、ヒクマはそういう子なのだった。

 相手が強ければ強いほど、その目を輝かせて、目標に変えることができる。

 その底抜けの前向きさに、今までも何度も、私の方が励まされてきたじゃないか。

 

「……トレーナーさん。私も、走ってきていいですか」

 

 エチュードが、顔を上げて私を見上げて言った。

 その顔に、もう畏れや怯えの影はない。私も頷いて立ち上がった。

 

「よし、一緒に行こうか」

「は、はいっ!」

 

 エチュードを連れて、私もトレーナー室を出て歩き出す。

 壁は高い。どうやら想像以上に高い。しかもこの壁は、だんだん高くなっていく。

 だけど、誰よりもまず、私がそれを登り切れると信じなくて、どうするのだ。

 ヒクマとエチュード。ティアラ路線に挑むふたりが、その壁を越えられると。

 ――あの高い壁を乗り越えたら、その先に見える景色はきっと、ヒクマの瞳よりもずっと輝いているはずだと、そう信じて。

 

 

       * * *

 

 

 同日夕刻、阪神レース場、ウイニングライブ控え室。

 

「……ジャラジャラさん、なんで短パンの方の衣裳着てるんですか。それ、三冠路線のウマ娘用でしょう?」

「あのスカート苦手なんだよ、ヒラヒラしててさあ」

 

 ウイニングライブ用の衣裳は、下半身が短パンのものとスカートのものと2種類ある。ティアラ路線のウマ娘は基本、ライブではスカートの方を着用するものなのだが、ジャラジャラはなぜか短パンの方に着替えていた。

 まあ確かに、絶対にスカートを穿かなければいけないというルールはないが。ルームメイトの相変わらずの自分勝手ぶりに、ジェネラルは溜息をつく。控え室内ではもうひとり、3着のエブリワンライクスがそのジャラジャラとジェネラルのやりとりを見ながら、自分の衣裳のスカートの裾をつまんで、自身の姿を鏡に映して唸っていた。

 

「……アダシも、似合わねーがなあこれ……」

 

 何やら訛りのある口調でそんなことを呟くライクス。ジャラジャラはそんな3着のことは気にも留めない様子で、パイプ椅子に足を組んで頬杖をつく。行儀が悪い。

 

「だいたいさあ、阪神JFはマイル戦なのになんでライブ曲がENDLESS DREAM!なんだよ。本能スピード歌わせろよ、マイルなんだから」

「何言ってるんですか。最初から解ってたことじゃないですか」

「あーゆー曲はあたしのキャラじゃねーって」

「キャラとかそういう問題じゃないでしょう。来年、トリプルティアラで3着に入ったら、彩Phantasiaを踊るんですよ?」

「……そーだった。あー、やっぱあたし三冠路線行くかなあ。winning the soul歌いてえ。それともUNLIMITED IMPACT歌いにダート行くかなあ」

「ライブ曲で路線を決めないでください。カラオケで好きに歌えばいいでしょう、もう」

「いーよなジェネは。なに踊ったってそれなりにサマになんだから」

「……褒めてるんですか? それ」

 

 ジェネラルの問いにジャラジャラは答えず、脚でリズムを取りながら鼻歌でENDLESS DREAM!を口ずさむ。なんだかんだ言って、ジャラジャラもしっかり歌と一着の振り付けの練習はしてあるのだ。要は気恥ずかしいというだけのことなのだろう。

 ウイニングライブはトゥインクル・シリーズに出るウマ娘の義務であり栄誉。センターを取れなかった悔しさはジェネラルも否定しないが、その舞台に立てること自体は誇りに思いこそすれ、恥ずかしがることではないだろうと思うのだが。

 

「時間でーす!」

 

 レース場スタッフの声がかかり、ジャラジャラとジェネラルは同時に立ち上がる。

 

「……うーん、アタシ、スカート似合わねーがなあ……」

 

 ライクスはまだ、鏡の前でスカートをつまんで悩んでいた。

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