モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
12月17日、日曜日、阪神レース場。
GⅠ、朝日杯フューチュリティステークス。
失望しなかったと言えば嘘になる。
1週間前の阪神JF。残り200メートルで先頭争いから振り落とされ、突き放され、さらにふたりにかわされて5着に沈んだライバルの姿なんて――見たくはなかった。
最強の敵でいてほしかった。
自分が最大のライバルと見定めた相手には、無敵の、無敗の、絶対王者でいて欲しかった。――なんていうのは、子供じみたわがままなのだと、内心では解っていた。
距離適性という壁を、言い訳になどしなくても。
トゥインクル・シリーズには、いくらでもバケモノたちがいるのだ。
誰だって負ける。絶対王者と呼ばれたあのリードサスペンス会長だって、生涯に4敗しているのだ。
でも、それでも、わがままだとしても。
ライバルを、ユイイツムニを最初に倒すのは、自分でありたかった。
そして、だからこそ、自分が負けるわけにはいかなかった。
直接対決の京王杯ジュニアステークスでは届かなかったけれど。この朝日杯FSを自分が勝って、まずは実績でムニっちの背中を追い越してやる。
そうでもしなければ、沽券に関わる。
だって――これで負けたら、めちゃくちゃ格好悪いじゃないか。
ライバルが自分のいないところで負けたことに拗ねて、ふて腐れて。
それで自分も同じ条件のレースで負けたなんて、笑い話にすらなりはしない。
ただの恥さらしである。そんな恥さらしになるわけにはいかなかった。
いかなかったのに――。
『チョコチョコをかわして抜けた抜けた、メイデンチャームだ!』
負けた。劇的でも大敗でもなく、どうしようもないほど普通に負けた。
道中3番手で先行し、直線で2番手に上がって、いざ仕掛けようとしたところで、すぐ後ろを走っていた長いツインテールの鹿毛のウマ娘にあっさり抜き去られた。残り200メートルで一気に脚が重たくなって、その背中をそれ以上追い込めずに、もうひとり、内から飛んできた白毛のウマ娘にかわされた。
先頭から2バ身半差離された4着。――ウイニングライブにも立てない、撃沈というほどの惨敗でもない、あまりにも中途半端な敗北だった。
レース後、選手控え室。
トレーナーに出迎えられて、チョコチョコはただただ大きく溜息をついた。
「おつかれさん。――よくやった、とは言われたくなさそーな顔だな」
「…………はぁぁぁぁ、ごめんトレーナー、ちょっとしばらく放っておいてくんない? あたし今めちゃくちゃ自己嫌悪中だからさぁ」
「ジュニア級のGⅠ4着でそこまで落ちこむ奴は初めて見たぞ。ま、先週のムニも大概だったがな」
「だってさー、今のあたしめちゃくちゃ格好悪いじゃん……あー、これがあれかあ、穴があったら埋まりたいってやつかぁ。穴の底で不貞寝したいわぁ……」
「ま、確かにそうだな。格好悪いな」
む、とチョコチョコは眉間に皺を寄せて顔を上げた。慰めてほしいとは思わないが、自分で思っていることでもトレーナーに言われるとカチンとくる。
見た目の怖いトレーナーは、呆れ顔でチョコチョコを見下ろした。
「誰だって負けた姿は格好悪いもんだ。――だけど、負けた自分を格好悪いと思えなくなったら終わりだぞ、チョコ。負けて仕方ない、まあまあよくやった、自分はどうせこんなもんだ――なんて思った瞬間から、魂が腐り出すんだ。そう考えた方が楽だからな」
「…………」
「格好悪い自分を直視するのはしんどいだろう? だけど、まずはそいつを認めなきゃ、それ以上先には進めないんだ。――格好良くなりたきゃ、もっと強くなれ、チョコ」
「軽く言ってくれるなあ。ふぁぁぁ……」
「お前な、トレーナーがいいこと言ってるときに欠伸するやつがあるか」
「ごめんトレーナー、いいこと言ったのは理解してるから、あたし不貞寝するぅ」
「こらこらここで寝るな! 次の選手が使うんだから、さっさとシャワー浴びて目ぇ覚ましてこい!」
トレーナーに追い立てられて控え室を出る。レースが終わると眠くなるのはいつものことだ。欠伸を噛み殺しながらシャワールームに向かおうと歩き出すと――。
「……チョコ」
「げっ……ムニっち」
ユイイツムニが、本も読まずに廊下の壁にもたれてこちらを見つめていた。
今一番会いたくない相手である。先週は自分が空気を読んで新幹線すら別にして先に帰って、部屋で先に寝て翌朝まで顔を合わせないようにしてやったというのに、なんでこっちが負けたときはわざわざ待ち構えているのだ。
「……やー、参ったね。今のチョコチョコさんは世界で一番格好悪い醜態晒してるからさあ、どんな罵詈雑言もウェルカムよぉ。はいどーぞムニっち、あたしを存分に罵るがいいさぁ」
「…………チョコってマゾ? 谷崎潤一郎でも読む……?」
「読書家でしょぉ! 発言の文脈ってもんを読みなさいってのぉ!」
「チョコを罵る理由がないから、文脈の意図が掴めない。だから言葉通りの意味に取った」
「……あ、左様で」
がくっとチョコチョコは肩を落とす。なんというかもう、このルームメイトの頭の中は未だによくわからない。ふたり揃って負けた現実をどう受け止めているのやら――。
いや、それを言ったらトレーナーにああ言われたそばから、冗談にすり替えようとしている自分の方がどうかしているか。ああ、本当に情けない。
「あー……埋まりたいわぁ……」
「どこに?」
「なんでもいいよぉ、今のチョコチョコさんは人生最悪の自己嫌悪モードなんで放っといてぇ……」
「わかった。……じゃあ帰る」
「本当に発言の文脈読まないやっちゃなぁ!」
「……じゃあ、どうしてほしいの、チョコは」
眼鏡の奥から睨まれて、チョコチョコは、う、と言葉に詰まった。
――あたしは、ムニっちにどうしてほしいんだろう?
慰めてほしいのか? いや、それはあまりに情けなさすぎる。罵倒して欲しいのか、別にマゾじゃない。――じゃあ、失望されたかったのか?
ああ、本当にあたしってば身勝手だな。自分がどうしたいのかも、相手にどうしてほしいのかも全然わからないままに、ただ無体なことばかり言って――。
最強のユイイツムニと、それを最初に倒す自分という、描いていた競走生活の理想像があっさり崩れた、それだけでこんなに動揺してるんだから、本当に――格好悪い。
「あああああ……ムニっちぃ」
「……うん」
「あたし、格好悪いねえ……」
「……うん、私も格好悪い。ふたりとも格好悪い。言い訳のしようもなく負けたから」
「負けたねえ……1600、キッツいねぇ……。強い相手、いっぱいいるねぇ……」
「……うん。だから、来年からもう一回、強くなり直そう」
「ムニっち……」
「9月のスプリンターズステークス。私とチョコで、1番人気と2番人気で勝負」
その言葉に、チョコチョコは顔を上げた。真っ直ぐに自分を見つめる、ユイイツムニの視線があった。
――ああ、まったく、本当に。
このルームメイトは――やっぱり、あたしが倒してやらないといけないんだ。
「それ、1番人気は譲らないって宣言?」
「……当然」
「言うねえ。次、フィリーズレビューだっけ? じゃ、あたしはファルコンステークスだ。ちゃちゃっと勝って、そうだなぁ、サマースプリントと合わせて、スプリンターズステークスまでに重賞3つ獲って、1番人気は貰うよぉ」
「……私も、譲らない」
拳を握りしめて、チョコチョコはユイイツムニとそれを打ち合わせる。
自己嫌悪、終わり。ここからやり直し、まき直しだ。このルームメイトに、なんとしても倒したいと思われる存在であるために。今の格好悪い自分を、胸を張れる自分にするために。――俯いている時間なんて、ないのだから。
* * *
同じ頃、別の控え室。
「お疲れ様でした、ミーク。デビュー2戦目のGⅠ挑戦で3着なんて、大健闘ですよ!」
「…………ぶい」
桐生院葵は、いつも通り無表情なハッピーミークをねぎらっていた。
先行策から抜け出して押し切ったメイデンチャームは1バ身半捉えきれなかったが、中段後方から上がり最速の末脚で、内の狭いところを上手く抜け出して3着。ミークのレース勘と鋭い末脚という武器が、GⅠレベルでも充分通用すると確かめられた。
中2週のローテでこれなのだから、重賞制覇は遠くない。葵はスケジュール帳を捲って、改めて今後のローテを考える。目標はやはり皐月賞か。
「どうしましょうかミーク、やっぱり目指すならクラシック、皐月賞ですよね! 中山の2000を経験するならやっぱりトライアルの弥生賞……いや、来月の京成杯って手もありますね。ああでも、このまま流れに乗って1600のシンザン記念の方がいいでしょうか。それとも共同通信杯か、きさらぎ賞か……。重賞にこだわらず、ジュニアカップとか若駒ステークスできっちり1着を獲りに行くのも……ううん」
そこまでまくし立てて、それから葵は我に返る。――ああ、しまった、またやってしまった。自分ひとりで頭でっかちに……。
同期のあの人から言われたばかりではないか。ミークと話し合うべきだと。
「ミーク! ミークはどのレースを走りたいですか?」
「……いっぱい走って、いっぱい勝てれば、なんでも……」
「そうですよね! たくさん走りたいですよね! でも、あんまり間隔を詰めるのも怪我の元ですし……そうですね、まずは2月の共同通信杯を目指しましょう!」
「……ぶい」
無表情にピースするミークに、葵はうんうんと頷く。
純白の白毛、純白の勝負服。白毛のウマ娘は、ティアラ路線では過去に例があるが、三冠路線でクラシックを制した例は未だない。
ハッピーミークのその白が、クラシックの冠に輝く姿を、葵は瞼の裏で思い描いた。