モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第64話 クリスマスのレディ

 阪神JFと朝日杯FSが終わり、暦も12月下旬。

 12月22日、金曜日。夕刻の府中駅前、カフェでコーヒーを飲んでいたリボンスレノディは、近付いてくる気配に顔を上げた。トレイにカップを載せてこちらを見下ろす影がひとつ。

 

「や、お待たせ」

「待った気がしませんわね。街中貴方の顔だらけですもの」

 

 嘆息して、スレノディは窓から街並みを見やる。クリスマスムード真っ盛りの駅前、そのあちこちに、今週末の有馬記念の宣伝ポスターが飾られ、街頭モニターにはURA謹製の有馬記念CMが流れている。それらに一番大きく映っているのが、今スレノディの目の前にいる、ファン投票1位のウマ娘だ。

 

「大人気ですわね、プレーンさん」

「いやー、さすがに街中これだけ自分の顔だらけだと小っ恥ずかしいよ。まともに顔も出して歩けやしないもん」

 

 スレノディの言葉に、サングラスの位置を直しながらテイクオフプレーンが苦笑して答えた。トレードマークの長い芦毛を、アップにして帽子の下に隠した変装モード。スレノディも、今日は伊達眼鏡を掛けて変装している。お互いすっかり顔が売れてしまったので、町歩きも大変なのだ。特にグランプリを控えた今の時期は。

 スレノディの向かいに腰を下ろしたプレーンは、「はちち」と言いながらコーヒーを啜る。それを見ながら、スレノディはひとつ息を吐く。

 

「それで、明後日には有馬記念のこんな時期に、トレーニング後にこんなところに呼び出して、何の御用ですの?」

 

 お互い有馬記念に向けた最後の追い切りも終わり、あとは軽めのメニューで日曜日に向けて調整するだけ。それが終わったところで、プレーンから「時間あったら私服で駅前来てよー」とメッセージが入った。

 それでのこのこ出かけていく自分も自分ですわね、とスレノディは内心だけで嘆息。そんなスレノディの内心を知ってか知らずか、プレーンはいたずらっぽく笑った。

 

「何の御用って、つれないなあノディ。この季節、クリスマス前の金曜の夜、お誘いの意味なんてひとつしかないじゃん? イブはどーせそれどころじゃないんだしさ」

「……プレーンさんからデートに誘われる覚えはないのですけれど」

「うわー、傷ついたー。あたしはこんなにノディを愛してるのに」

「馬鹿なことを仰ってないで、本当の用件を早く仰ってくださいませ」

 

 大げさにテーブルに突っ伏すプレーンに、スレノディは肩を竦める。と、顔を上げたプレーンは、ずれたサングラスの位置を直しつつ「いやいや」と首を振った。

 

「冗談とかじゃなくてさ。普通にデートのお誘いなんですけど?」

 

 スレノディは目をしばたたかせた。まさか本気とは。

 

「……それは、有馬記念2日前にすることなんです? 25日でいいじゃないですか」

「有馬の前だからじゃん。次の日じゃ、勝ったあたしが負けたノディを慰めデートになっちゃうよ?」

「逆でしょう。着外に撃沈したプレーンさんを慰めて差し上げるためのデートでしたら、私もやぶさかでありませんわ。府中2400で力尽きるプレーンさんに、中山の2500で負ける気はいたしませんもの」

「言ってくれるなあ、ファン投票9位さん」

「ファン投票1位で当日投票1番人気でなかったら恥ずかしいですわね」

 

 いつもの言い合い。むう、とお互い睨み合って、そしてどちらからともなく、吹き出して笑い合う。

 

「やめやめ、デートのときまで場外乱闘するもんじゃないや」

「デートのお誘いを受けると答えた覚えはありませんけれど」

「え、まさか本気で受けてくんないの?」

 

 愕然とした顔で目を見開くプレーン。本気で断られるとは露ほども思っていない顔だ。スレノディは何度目かの溜息をつき、苦笑する。

 

「冗談ですわ。どうせプレーンさんのことですから、イブはレースでそれどころじゃないから前倒しでクリスマスパーティしてしまおうとか、そういうお誘いだろうと思いましたし。それすら嫌でしたらここまで来ません」

「ああん、やっぱ以心伝心だねえあたしたち。結婚する?」

「しません。それで、どちらに行かれますの? 門限もありますから、あまり遠くは拒否させていただきますけれど。羽田空港とかは無しですわよ」

 

 以前、プレーンに調布飛行場と羽田と成田を1日で回る空港ツアーに連れ回されたことがある。飛行機に興味がないスレノディにとっては何が面白いのかさっぱりであった。

 

「いやー、実は特に決めてないんだよね」

「……相変わらずいい加減ですこと」

「どこか行きたかったわけじゃなくて、ノディとゆっくり話したかっただけだからさあ。来年になったらたぶん、こうやって馬鹿話する機会もほとんどなくなるから」

「――え?」

 

 プレーンの言葉の意味が掴めず、スレノディは顔を上げる。そんなスレノディの反応に構わず、プレーンはコーヒーを飲み干して立ち上がった。

 

「ま、ちょっと外歩こっか。寒いけど」

「あっ、ちょっと、待ってくださいまし、プレーンさん!」

 

 慌ててスレノディはプレーンを追いかける。レースでも日常でも、いつもこうですわね私たちは、と内心で思いながら。

 

 

       * * *

 

 

 電飾に煌めく金曜夜の駅前の通りには、家族連れやカップル、友達連れの姿が数多い。それぞれに楽しく幸せな週末の夜を過ごそうという人々の中で、スレノディはマフラーに口元まで埋めながら、コートのポケットに手を突っ込んで歩く隣のプレーンを見やる。プレーンはその視線に気付いて振り向き、にっと笑った。

 

「いやー、しかしノディも少しは世間慣れしたもんだね。カフェでひとりで注文して待ちあわせができるようになったんだから」

「……あまり恥ずかしいことを思い出させないでくださいまし」

 

 スレノディは口を尖らせる。――トレセン学園に入るまで、チェーンの喫茶店なんて利用したことがなかったのだ。スレノディにとって、お茶やコーヒーはリボン家の屋敷の庭やテラスで使用人が淹れてくれたものを飲むものだった。

 店に入っても席への案内は来ないし、席で待っていても注文を取りにくるウェイターもいない。カウンターに自分で赴いてそこで注文しなければならないということに気付くだけでも相当な時間がかかった自分に、プレーンが「ふえー、ノディってガチお嬢様なんだねえ……」と呆れ顔をしていたのを思い出す。

 今ではもう、プレーンにいろいろ庶民的な店に連れ回されたおかげで、まごつくこともない。ひとりでバスにだって乗れるし、牛丼屋にだって入ることができるようになったのだ。最初に券売機で食券を買うというシステムだってちゃんと理解した。いろいろと貴重な体験をさせてもらったという意味では、感謝していなくもない。

 

「リボン家ももうちょい、世間の風に当たった方がいいんじゃないの? あーでも、単にノディがリボン家の中でも特別浮世離れしてるだけかなあ。ノディの従姉妹のあの子はもうちょっと常識的っぽいし」

「世間知らずで申し訳ございませんわ」

 

 ふん、とそっぽを向くと、プレーンは「拗ねない拗ねない」と苦笑する。

 

「そんなガチお嬢様がさ、あたしみたいなガチ庶民風情に付き合ってくださいますことに、テイクオフプレーンさんは感謝いたしてございますことよ?」

「慣れない言葉遣いはするものではありませんわ、変ですわよ」

「うーん、やっぱお嬢様の世界は奥が深い」

 

 肩を竦めるプレーンに、スレノディは白く息を吐き出す。

 と、プレーンが軽くたっと駆けだして、スレノディの前に出て振り返った。小柄なスレノディを、プレーンが正面から見下ろす。

 

「最初はさ、なんだこの苦労知らずのお嬢様、こんな奴に負けてたまるかーって、庶民代表のプレーンさんはそう思ったのですよ」

「……勝手にルサンチマンを向けられても困りますわ」

「ま、そいつは仰る通り。――そんなあたしも今じゃこうしてさ、名残を惜しんでノディをクリスマスデートに誘うまでになっちゃったわけですよ」

「――――」

 

 名残を惜しんで。

 それはまるで、別れの挨拶みたいではないか。

 

「プレーンさん? ――まさか、有馬記念で引退するとか仰るわけじゃないですわよね?」

 

 眉を寄せたスレノディに、プレーンは目を見開き、「いやいや」と首を振った。

 

「さすがにそんな、もったいないこといたしませんって。あと2年は走るよ」

「だったら――」

「でも、ノディと直接対決するのは、ひょっとしたら明後日が最後かもしんないからさ」

「――――――」

 

 ああ、そうか。やっぱり、そうなるのか。

 プレーンがエリザベス女王杯を勝った頃から、薄々感じていた予感が確証に変わって、スレノディは目を伏せた。

 関西遠征に、わざわざ羽田から伊丹へ飛行機で行くほどの。引退したら世界中の空港を回りたいと言うほどの飛行機好き。そんなプレーンが、クラシック級であれだけの実績を積んだ以上、シニア級になって選ぶローテーションなど、想像は容易い。

 

「海外遠征、ですか。ドバイ、香港――秋は凱旋門、それともアメリカのBCですかしら?」

「ははっ、さすがノディ、あたしのことを一番よくわかってる」

 

 ぱちぱちと手を叩いて、プレーンは笑う。

 まるでいつもと変わりのない、明るく能天気な笑顔。

 

「来年のローテはもう決まってるんだ。3月のドバイシーマクラシック、4月の香港クイーンエリザベス2世カップ。夏は一旦日本に帰るかもだけど、秋はBCフィリー・メアターフと、年末の香港カップ。いやー、飛行機めっちゃたくさん乗れそうで楽しみ」

「レースより、長時間飛行機に乗る方が目当てなんでしょう、プレーンさんは」

「もち!」

 

 当たり前のようにいい笑顔で頷かないでほしい。本末転倒もいいところである。

 

「だからまあ、ノディと戦えるのは明後日がたぶん最後。ノディはどうせ国内でヴィクトリアマイルとエリザベス女王杯のシニアティアラ2冠目指すんでしょ?」

「…………ええ、そうなりますでしょうね」

「だから、その前にノディと、こうやってデートしときたかったわけ。トレセン学園入って何が良かったって、何をさておいたって、ノディと出会えたことが一番だから」

「――――」

「あ、照れた? はっはっはー、ノディってばかわいいなーもう!」

「ふざけないでくださいまし!」

「いやあ、本気も本気なんだけどね」

 

 口を尖らせて唸ったスレノディを、不意にプレーンは真剣な顔で見つめ返す。

 

「正直さ、トレーナーから海外遠征しない? って言われたとき、わりと迷ったんだよね。ノディと国内で戦い続ける、追いかけてくるノディから逃げ続ける競走生活も、あたしにとっちゃ充分すぎるぐらい魅力的だったし。秋華賞の頃には本気でそう思ってたし――エリ女でさ、ノディがいなくて、張り合いがなかったのも事実だったしさ」

「…………」

「でも、やっぱり海外行けるってなったら、行きたくなっちゃってさあ」

「……飛行機で?」

「飛行機で!」

「つまり、なんだかんだ言って、私より飛行機なんですわね」

「あはははは、拗ねない拗ねない」

「拗ねてません!」

 

 首を振ったスレノディの頬に――不意に、プレーンの手が伸ばされる。

 両手で頬を挟まれて、スレノディは目をしばたたかせた。冷たいプレーンの手。吐き出される白い息が、電飾に煌めく夜気の中に溶けていく。

 

「だから明後日、あたしはノディに勝つよ。もうノディには負ける気がしないって確信を得てから、思いっきり海外で暴れてくる」

「――――それはつまり、明後日私に負けたら、海外遠征を止めると?」

「いやあ、負けてもたぶん普通に行くけどね。トレーナーが超乗り気でさあ、これで行かないって言ったらたぶんトレーナーから契約切られちゃう」

「台無しですわ!」

「あっはっは、まあそういうわけだからさ――」

 

 呵々と笑って、そして――プレーンは、サングラスを外して、こつん、とスレノディの額に、自分の額を合わせた。視界がプレーンの顔で埋まって、スレノディは息を飲む。

 

「先頭で、ノディが追ってくるのを待ってるから」

「――――」

「楽しませてよ、最後まで。あたしの最大のライバルさん」

 

 そう囁いて、ぱっとプレーンは身体を離し、そしてくるりと踵を返す。

 

「よーっし、んじゃあ景気づけに、とりあえずラーメンでも食べに行こっか! 寒いしお腹すいたし!」

「なんでそこでラーメンですの!? クリスマスデートですのよ!」

「だーってレストランの予約なんかしてないもーん。ほーらノディ、庶民的なクリスマスを楽しもうじゃん」

「クリスマスにラーメンは庶民的感覚としても変ではありませんの!?」

 

 勝手に駆けだしてしまうプレーンを、スレノディは慌てて追いかける。

 クリスマスイブ2日前の夜空に、ふたりの白い息が溶けて消えていく。

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