モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
12月28日、木曜日、中山レース場。
GⅠ、ホープフルステークス。
『さあ、今年最後のトゥインクル・シリーズ、今年最後のGⅠレース! ジュニア級中距離王者決定戦、ホープフルステークスです! 実況はわたくし白坂、解説はおなじみ楠藤克也さんと太田澄乃さんでお送りします。今年のホープフルは魅力的なメンバーが揃いましたね、楠藤さん』
『はい、楽しみですねえ』
『楠藤さんの注目は?』
『やはり、バイトアルヒクマですね。ティアラ路線からの参戦という異例のローテーションですが、デビューから3戦3勝、いずれも非常に強い勝ち方でした。長くいい脚を使えますから、2000メートルの距離延長も問題ないと思います』
『なるほど。太田さんはどうでしょう』
『岬トレーナーが自信満々で送り出してきたふたり、オータムマウンテンとデュオスヴェルを推します。特にオータムマウンテンの前走、あのスローペースを最後方から涼しい顔をして捲った京都ジュニアステークスを見て、来年のクラシックの本命はこの娘だと確信しましたね! ただ、今日のレースの鍵を握るのはデュオスヴェルでしょう』
『前走の東スポ杯ではゲートで入れ込んで出遅れ、向こう正面で一気に先頭まで上がる大暴走をしながら粘りに粘っての3着でした』
『はい、前にウマ娘がいると先頭に出たがって折り合いを欠くウマ娘というのはよく見ますが、彼女はその後の粘りがすごい! あれだけ折り合いを欠いて3着に粘るなんて普通はあり得ませんから、潜在能力は計り知れません。気性面の問題はありますが、上手くゲートを出てハナを切れれば、スタミナと勝負根性でそのまま逃げ切ってしまうことは充分あり得ます。彼女がどんなペースで逃げるのかが、このレースの鍵だと思います!』
『なるほど。東スポ杯でそのデュオスヴェルをかわして、バイトアルヒクマの2着に突っ込んだプチフォークロアはどうでしょうか、楠藤さん』
『東スポ杯ではバイトアルヒクマをマークしましたが、仕掛けが遅れて届きませんでしたね。まあ東スポ杯の展開は特殊でしたし、こちらも長くいい脚を使えるタイプですので、周りに踊らされず自分のレースに徹すれば、充分に勝機はあると思います』
『ありがとうございます。他、萩ステークス2着のオントロジスト、百日草特別を逃げ切り勝ちしたドリーミネスデイズなど、楽しみなメンバーが揃いました今年のホープフルステークス。来年のクラシック戦線へ向けて、輝く一等星となるのはどのウマ娘か! まもなくパドックの様子をお届けします!』
* * *
5番人気、6枠11番、プチフォークロア。
「今回も5番人気ですか。まあ、今の私の知名度でこの評価なら上々でしょうね」
控え室で当日投票の結果をスマホで確認し、ロアはひとつ息を吐いた。「前走の東スポ杯の内容が評価されたということだろう」とトレーナーは言う。
その言葉に頷きつつ、着差以上の完敗でしたけどね、とロアは内心だけで呟いた。それでもあの2着が評価されたとすれば、むしろあのメチャクチャな走りで3着に粘ったデュオスヴェルのおかげなのだろう。その事実は、デュオスヴェルが3番人気という評価に表れている。まともに走れば実力はデュオスヴェルの方が上。それが今の自分の評価だ。
いいでしょう、とロアは眼鏡を光らせる。でしたらその評価は、この大舞台で覆してみせましょう。この名の通りの伝説は、ここからスタートさせてみせます。
「それで、どうする? 今回もバイトアルヒクマをマークするか?」
「いえ、前回で彼女と同じ土俵では勝てないことがわかりましたし、彼女は他のウマ娘がマークしてくれるでしょう。――それに、デュオスヴェルさんという不確定要素が今回もありますので、作戦の決め打ちは危険。レースが始まってから誰がどう動くかを見て、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変な対応が最善と判断します」
「要するに行き当たりばったりってことだな」
「良い意味でということでしたらその通りです」
おそらく自分は、スタミナではデュオスヴェルに、末脚の伸びではバイトアルヒクマに敵わない。オータムマウンテンは模擬レースでの様子や前走の映像を見た限り、最後方からいつの間にか上がってきている得体の知れない相手だ。
そんな面々に自分が対抗できるとすれば――おそらく、自分はそう強くマークされないという立場を活かして、上位人気組の隙を突くしかない。
「全員をマークはできませんから、最後は他力本願。信じる者は儲かります」
「それは漢字の覚え方だ」
「私は儲けものの勝利でも構いませんよ。勝った者が勝者ですから」
眼鏡を光らせるプチフォークロアに、トレーナーは「お前は頭がいいんだか悪いんだか、物事を深く考えてるんだか考えてないんだかわからん」と肩を竦めていた。
* * *
1番人気、1枠2番、オータムマウンテン。
3番人気、5枠10番、デュオスヴェル。
「ぬがー! また人気であいつに負けたー!」
「あらあら、前走負けたんですから仕方ないですよ、スヴェルちゃん」
「はっはっは! 担当がGⅠで1番人気と3番人気とは誇らしいよ!」
吼えるデュオスヴェルをなだめつつ、高笑いする岬トレーナーに、オータムマウンテンは頬に手を当てて小首を傾げた。
「というか、私が1番人気とは思いませんでしたが~。てっきりヒクマさんかと~」
「オータム君の実力をきちんとわかっている、ファンは見る目があるということだね!」
「ちがーう! ボクが最強だぞー! みんな見る目がないんだー!」
「はっはっは! そう思うならこのレースで証明するのだね、スヴェル君! 逃げウマ娘最強説を唱えるトレーナーは少なくないよ! キミがそれを実証するといい!」
ぶんぶん両手を振り回すスヴェルに、岬トレーナーはびしっと謎の決めポーズで指を突きつける。
「あったりまえだー! スタートだって練習してきたんだ、今日は最初っから逃げる!」
「じゃあ、私は一番後ろから、バテたスヴェルちゃんを坂で追い抜き予約しますね~」
「バテるもんか! ここはもう1回走ったんだぞー!」
「ふふふ、そうだねスヴェル君! 今回の出走メンバーで中山芝2000の経験があるのは君だけだ! そのアドバンテージを無駄にしてはいけないよ! そしてオータム君! 君に私から言うことは特にない! 君は君の走りをする、それだけで強いと私は確信しているからね!」
「あらあら、過分なお言葉ありがとうございます~。ご期待に応えてみせますね」
「トレーナー、ボクとオータムとどっち応援してるんだよー!」
「どっちにも勝ってほしいし、どっちにも負けてほしくない! 当たり前だろう!」
口を尖らせたスヴェルに、岬トレーナーは不意に真剣な顔でそう答え。
オータムとスヴェル、ふたりを肩を抱くように腕を回した。
「担当同士を同じレースで戦わせるというのは辛く苦しい! どうあっても勝てるのはどちらか片方なのだからね! だが、それがトゥインクル・シリーズというものだ! だから私から言えるのはひとつ! ふたりとも、悔いのないレースをしてくることだよ!」
その言葉に、オータムとスヴェルは顔を見合わせ――。
「――おー! 絶対勝ーつ!」
「はい、私かスヴェルちゃんがちゃんと勝ってきますから、安心して待っててください~」
それぞれに、そう応えた。
* * *
10番人気、2枠3番、ミニキャクタス。
ミニキャクタスが待つ控え室に脚を踏み入れた瞬間、その場に満ちた気配に、小坂御琴は思わず息を飲んで足を止めた。
こちらに背を向け、静かに呼吸を整えている、ミニキャクタスの細い背中。
そこに――青い闘志の炎が燃えているのが、見える。
「…………キャクタスちゃん」
おそるおそる声を掛けると、ミニキャクタスはその闘志の気配を消すことなく、ゆっくりと振り返った。普段はあどけなさを残す顔を厳しく引き締めたその表情には、この3ヶ月、鍛え抜いて研ぎ澄まされた、針のような鋭さがある。
まだ成長途上、レース慣れしていないジュニア級のウマ娘がする顔ではない。歴戦のシニア級ウマ娘のように、ミニキャクタスは深く呼吸して、拳を握り直す。
――また成長途中のこの子を、ここまで追い込んで鍛える必要があったのだろうか?
小坂の脳裏を、ふっとそんな危惧がよぎる。
見る限り、ベストコンディションでこのレースを迎えられたと思う。トレーナーとして、今の自分にできることは全てした。最高の仕上がりだ。――だが、それは裏を返せば。
これで勝てなければ、根本的に実力か適性が足りていないという、残酷な現実を突きつけるだけ。――そうなったとき、この子の負けん気は、闘志は、折れずにいられるのだろうか。
ミニキャクタスの小柄で華奢な身体は、張り詰めて、いつ折れてしまってもおかしくないような――そんな不安を、小坂に抱かせる。
「……さっき、ヒクマちゃんを見ました」
「…………」
不意にキャクタスが口を開き、小坂は息を飲む。
「…………何か、お話しましたか?」
「いえ。――たぶんもう、あの子と友達ではいられないので。勝っても、負けても」
「…………そんな、こと」
「ヒクマちゃんには、感謝しています。私を見つけてくれた。私の名前を覚えていてくれた。名前を呼んでくれた。……友達だって言ってくれた。嬉しかったです。でも」
一度、目を伏せて、そしてキャクタスは。
「だからこそ――たとえ嫌われたとしても、私はあの子に勝ちたい。ヒクマちゃんの夢を叩き潰してでも、私は――勝ちたいと思っていますから。だから」
――友達では、いられないと。
そう口にするミニキャクタスに、小坂は何と答えたらいいのかわからない。
きっとバイトアルヒクマは、このレースがどんな結果でも、キャクタスを嫌いになったりはしないだろう――そう思うけれど、それは今言っても詮無いことだ。
「……10番人気の私がこんなことを言っても、滑稽なだけかもしれませんけれど」
ふっと呟くミニキャクタス。小坂は咄嗟に強く首を横に振った。
10番人気。ここまで2戦2勝という戦績だけを考えれば不当な低評価に見える。だが、前走のアスター賞から3ヶ月ぶり、前走は同じ中山とはいえ400も短い1600。メイクデビューも2戦目も、勝ち方もタイムも、倒した相手も目立ったところはない。ティアラ路線からの参戦という話題性は、バイトアルヒクマが全部持っていってしまった。
勝ってはいるが、強さを示す要素がない、未知数の伏兵。それが今のミニキャクタスの客観的な評価だということは、小坂も解っている。解っているからこそ――。
「…………誰が笑っても、私はキャクタスちゃんを笑いません。誰も気付かなくても、私はキャクタスちゃんを見続けます。――誰も信じなくても、私は…………キャクタスちゃんが勝つと、信じています」
その言葉に、ミニキャクタスは顔を上げ。
――そして、不意にその顔を、泣き出しそうに歪めて。
「ありがとう……ございます。――勝ってきます」
そしてまた、その背中に近寄りがたいほどの闘志を滲ませて、歩き出す。
小坂はただ、祈るようにその背中を見送った。
祈ることしか、もうトレーナーにできることはないのだった。
* * *
2番人気、3枠6番、バイトアルヒクマ。
「どうしたの、ヒクマ」
「ん~~~」
レース前の控え室。いつもはうきうきと楽しそうな顔をしているヒクマが、今日は何やら難しい顔をしていた。さすがにGⅠともなれば、ヒクマでも緊張するのだろうか。
「あ、トレーナーさん! んとね、さっきキャクタスちゃん見かけたの」
「ミニキャクタス?」
「うん。今日はがんばろーね、って声かけようと思ったんだけど……キャクタスちゃん、すごい怖い顔して、わたしに気付かないで行っちゃった。大丈夫かなあ? 怪我したりしてないかな?」
――やれやれ、GⅠ前に、同じレースに出る友達の心配か。
私は苦笑して、ヒクマの頭をぽんぽんと撫でる。
「ミニキャクタスの心配をするのは、ヒクマじゃなく小坂トレーナーの役目だよ」
「んに……」
「今は自分のことだけ考えて。なんたってこれからGⅠなんだから。お母さんも見に来てるんでしょ?」
「あ、うん! そうだね! えへへ、GⅠだ! キャクタスちゃんもスヴェルちゃんも、オータムちゃんもロアちゃんもいるし、楽しみ!」
ぱっとその顔がいつもの笑顔に戻って、私はほっと息を吐く。少なくとも、GⅠだろうとヒクマはいつも通り、緊張とは無縁のようだ。
「よし、ヒクマ、目標は?」
「ドバイシーマクラシック!」
「そのためには?」
「プレーンさんと同じ、クラシック級でGⅠ4勝!」
「まずは今日」
「勝つぞー!」
笑顔で拳を高々と掲げるヒクマ。そのキラキラした瞳に、私は頷いて、ヒクマの右手に自分の右拳を合わせて打ち鳴らす。
夢に向かうために、勝ちたいという気持ちは、誰にも負けていない。
大丈夫。ヒクマなら勝てる。この子はいつだって、私の想像を超えてくるから。
「ヒクマ。今日もコンプとエチュードと、ゴールで待ってるよ」
「うん! 一番先頭で行くから、待っててね、トレーナーさん!」
そして、ヒクマは夢の舞台へ向かって走り出す。
私はその後ろ姿を、眩しさに目を細めながら見送った。
* * *
15時25分。
ホープフルステークスが、始まる。