モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第67話 〝不可視の棘〟

 関係者席に戻ると、最前列をキープしていたコンプとエチュードが手を振る。

 

「トレーナー、おかえり」

「ヒクマちゃん、どうでした?」

「大丈夫、いつも通りだよ」

 

 ふたりに笑い返し、それから私はスタンドを振り仰ぐ。このどこかに、ヒクマの母親も見に来ているはずだが……。身内なのだから最前列の関係者席に案内しますよ、とヒクマを通じて伝えてはいたのだが、遠慮されてしまったのだ。ヒクマに似ず控えめな人なのかもしれない。

 ビジョンにはゲート前に集まった出走ウマ娘たちが映し出されている。ヒクマがミニキャクタスの背中に声を掛けようとしているのが見えた。しかしミニキャクタスはよほど集中しているのか、それを拒絶するようにゲートへと歩いて行く。

 困ったようにそれを見送ったヒクマは、けれどすぐに別の、背の高い鹿毛のウマ娘を見つけて楽しそうに何か話しかけていた。あれは……6番人気のドリーミネスデイズか。メイクデビューでヒクマと一緒に走った、2番人気で逃げていたウマ娘だ。デビュー戦は直線で失速して惨敗していたが、その後未勝利戦と一勝クラスの百日草特別を逃げ切り勝ちしてここまで来たのだから立派なものである。

 楽しそうに尻尾を振るヒクマの後ろ姿に、ドリーミネスデイズがその長身を丸めるようにして、タレ目を恥ずかしそうに伏せている。

 逃げるのはおそらく、デュオスヴェルとこのドリーミネスデイズのふたりになる。今までのコンプとの走りを見る限り、デュオスヴェルも競りかけてくるウマ娘がいると折り合いを欠いて掛かってしまうタイプだ。ただ、前走を考えればそう簡単に潰れてはくれないだろう。

 何にせよ、デュオスヴェルが無事にゲートさえ出れば、おそらくはハイペースの展開になる。そうするとこれまで先行策で勝ってきたヒクマよりも、前走を後方待機から捲って勝っているオータムマウンテンが有利。彼女が僅差ながらヒクマを上回って一番人気なのも、展開をそう読んでいるファンが多いのだろう。

 でも、ヒクマならそんな常識だって打ち破ってくれるはずだ。

 私はそう信じながら、ぎゅっと柵を握りしめた。

 

 ウマ娘たちがゲート入りしていく。出走ウマ娘はフルゲート18人。

 オータムマウンテン。デュオスヴェル。プチフォークロア。ドリーミネスデイズ。

 ――そして、ミニキャクタスと、バイトアルヒクマ。

 

『体勢完了。輝きを放つ希望の星へ――ホープフルステークス、スタートです!』

 

 

       * * *

 

 

 ガコン、とゲートが開いた瞬間、プチフォークロアの両隣のふたり――10番のデュオスヴェルと、12番のドリーミネスデイズがダッシュをつけてハナを奪いに行く。

 それ自体はロア自身、予想していた展開だ。だが――。

 

「どけどけどけえ――っ!」

「――――っ」

 

 ふたりに挟まれて進路を塞がれるような格好になって、ロアはダッシュがつかないまま出負けして最後尾に追いやられた。ごちゃっと前方に集団が固まる。

 ――しまった、参りましたね、これは。

 既にデュオスヴェルとドリーミネスデイズの背中はバ群の向こうに隠れた。バイトアルヒクマの姿も見えない。元よりそのつもりはなかったが、これではマークのしようもない。

 ちらりと横を見る。同じく最後方の内ラチ沿いを、オータムマウンテンが走っている。

 ――まあ、いいでしょう。なら、こちらをマークしてペースメーカーに使わせていただきます。デュオスヴェルさんが最初から飛ばしていくのなら、私は後方待機で末脚勝負と参りましょう。

 ロアはひとつ息を吐き、オータムマウンテンに身体を合わせるようにして併走する。オータムが一瞬こちらをちらりと見て、また涼しい顔で前を向く。

 ――どうせならこのまま、オータムさんを内のバ群に押し込んで、私は外から差し切らせてもらう格好になれば最高ですが。

 高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に。ロアは眼鏡を光らせ、前を見つめる。

 

 

『まずまず揃ったスタートになりました。さあ注目の先行争いですがやはり行った行った、10番デュオスヴェル、今日はダッシュをつけてハナを主張します! それに並んでいくのが12番ドリーミネスデイズ、少し離れて6番バイトアルヒクマは3、4番手』

 

 

 ――はっはっはー! どんなもんだ! ボクが本気出せばこんなもんだ!

 先頭に飛び出して、デュオスヴェルはスタート直後の坂を気分よく駆け上がる。

 この前の東スポ杯は失敗したけど、今日は完璧だ。やっぱりレースはこうでなきゃいけない。先頭で風を切れなきゃレースじゃない。ボクの前を走っていい奴なんていない!

 あとはこのまま逃げ切るだけだ。誰にも抜かせない。オータムもクマも関係ない。ボクが最強だ。このデュオスヴェル様が最強なのだ!

 1コーナーに差し掛かる。気分よく内を回ったスヴェルは――けれど、外から自分に覆い被さるみたいに並びかけてくる、背の高い影に気付いた。

 12番のドリーミネスデイズ。大柄な鹿毛の長い髪が、コーナーをカーブするスヴェルの視界をちらちらと覆う。

 ――なんだこいつ、鬱陶しい!

 そいつの姿を視界から消そうと、スヴェルは少しペースを上げる。しかしドリーミネスデイズは離れずぴたりと併走してくる。

 ――うがー! ボクに競りかけようなんて、ブリッコみたいな奴だな!

 貼り付いてくるドリーミネスデイズを振り切ろうと、スヴェルは無意識にペースを上げていく。

 隊列が、縦長になっていく。

 

 

『向こう正面、先頭から見ていきます。先頭デュオスヴェル、外から並んでドリーミネスデイズ、3バ身ほど離れてそれを追走するのが――』

 

 

       * * *

 

 

 手元のストップウォッチを見る。800メートル通過は――どうやら、47秒台。

 やはり、ホープフルステークスとしてはかなりのハイペースだ。デュオスヴェルがドリーミネスデイズに競りかけられてペースが上がっている。ヒクマはそれを追走する先行集団の一角にいるのだがだが――。

 

「ちょっとちょっと、なんかクマっち囲まれてない?」

 

 コンプが柵から身を乗り出す。逃げるデュオスヴェルとドリーミネスデイズを見るように前目につけた先行集団は、ヒクマを含めて5人ほど。その中で、ヒクマは集団に押し込められるようにしてがっちりマークされていた。

 マークがきつくなるのは予想していたが、思った以上にヒクマに貼り付いてくるウマ娘が多い。なんとか前方のスペースは確保しているが、すぐ手前の外を走っているウマ娘が前に出て内に寄せてくれば塞がれてしまう。

 ヒクマも、本能的にそれがわかっているのだろう、手前のウマ娘が前に出ようとすると視線を向けて牽制している。いや、単に相手の動きが気になっているだけか――。

 

「いや、大丈夫。――このハイペースなら、相手の方が保たない」

 

 1000メートル通過。59秒台。

 このペースなら、並のウマ娘なら直線で脱落する。今ヒクマをマークしている面々は、このデュオスヴェルとドリーミネスデイズが作ったハイペースについていくだけでいっぱいっぱいのはずだ。ヒクマは進路を確保しているから、このままなら前が壁になる心配も薄い。そうなると怖いのは、最後方に控えているオータムマウンテンとプチフォークロア、それから――。

 ミニキャクタスはどこだ? 私は双眼鏡で隊列を見渡す。

 ――いた。中団の内ラチ沿い、ヒクマたち先行集団を見るような目立たない位置で息を潜めている。あの子はどこで仕掛けてくる?

 

 

『最後方オータムマウンテン、ここで徐々に前との差を詰めていきます、外並んでプチフォークロアもそれに続く、さあ残り800を切って3コーナー、依然として先頭はデュオスヴェルとドリーミネスデイズが並んでカーブしていく――』

 

 

       * * *

 

 

 すうっ、と。

 何が起こったのかわからないうちに、いつの間にかオータムマウンテンが前にいた。

 ロアは思わず瞬きする。――えっ、どうして? いつの間に?

 同じペースで走っていたはずだ。オータムマウンテンを横に見ながら、足並みを揃えて、身体を合わせて走っていたはずなのに――内ラチに押し込めようとしていたはずのオータムマウンテンが、すっと外に持ち出すように、ロアの前に出てきている。

 スパートをかけたような気配はなかった。しかし既に3コーナー、残り600を切っている。ここからロングスパートですか――なら、私も!

 ロアも脚に力を込めて、オータムマウンテンの後を追う。

 

 

『オータムマウンテン外から上がって来た、4コーナーにかかってデュオスヴェル先頭譲らない、ドリーミネスデイズは少し苦しくなったか! そしてバイトアルヒクマ! バイトアルヒクマが先頭との差を詰めてきた!』

 

 

 ――さてさて、そろそろ上がっていかないとですね~。

 先頭でコーナーを曲がっていくスヴェルの姿を遠目に見ながら、オータムマウンテンは少しずつ脚を速めた。おおよそ予想通りのペース。スヴェルのスタミナがどの程度保つかも見当がつく。ここから上がっていけば、坂の頂上で差し切れる。

 隣のプチフォークロアが慌てたように追ってくるのを感じながら、オータムは外を回って中団後方の集団に取り付き、のんびりと捲っていく。――もちろん、のんびりと、というのはオータム自身の感覚に過ぎない。追い抜かれたウマ娘たちが目を見開いて、オータムの背後に下がっていく。

 大外を回ると、先を行く集団もよく見える。スヴェルを追っていた先行集団が、ペースについていけなくなったのだろう、崩れてばらけた。その中で――ひとり、長い芦毛の姿だけが、逃げるスヴェルに食らいついてスパートをかける。

 先行集団から抜け出したのは、バイトアルヒクマ。

 ――さすがですね~、ヒクマさん。でも、勝つのは私です。

 少しずつ、少しずつペースを上げる。焦る必要はない。中山の直線は短くとも、最後にあの急坂がある。スヴェルもヒクマも、そこで差し切れる。

 ――そういえば、あの子はどこでしょうか~?

 中団のウマ娘たちを追い抜きながら、ちらりとオータムは内ラチの方を見た。

 あのウマ娘。模擬レースで、全員を追い抜いたと思った瞬間、すさまじい加速で突き放された、あの小柄な鹿毛のウマ娘。彼女もこの集団のどこかにいるはずだが――。

 ――見えませんねえ。まさか沈んだとも思えませんけど~。

 どこにいるのかわからない。仕方なく、オータムは視線を前に戻した。沈んだかもしれない相手を気にしても仕方ない。まずは、スヴェルとヒクマを差し切ることに集中しよう。

 ――さあ、スヴェルちゃん、どこまでがんばれますか~?

 

 

『残り400を切った! 先頭デュオスヴェル逃げる逃げる、ドリーミネスデイズを振り切って先頭、2バ身リード! 中山の直線は短いぞ! ドリーミネスデイズ後退、それをかわしてバイトアルヒクマ2番手、そして外からオータムマウンテン! 外からオータムマウンテンが来た!』

 

 

       * * *

 

 

 デュオスヴェルとの競り合いに負けて、ドリーミネスデイズが力尽きて下がっていく。ヒクマに貼り付いていたウマ娘たちも既に4コーナーで力尽きて後退した。先頭に残ったのは、逃げるデュオスヴェルと追うヒクマ。

 中山の短い直線に入る。大歓声。必死の形相で逃げるデュオスヴェルの後ろから、バイトアルヒクマがやってくる。

 

「ヒクマ!」

「ヒクマちゃん!」

「いけーっ、クマっち! アホスヴェルなんかブッ差しちゃえー!」

 

 いける。先行策で逃げるスヴェルを捕らえた。このままかわして押し切り、ヒクマの勝ちパターンだ。このハイペースでも、ヒクマのスタミナならまだ余力があるはず。いける。勝てる!

 ヒクマがぐっと強く踏み込んで加速。デュオスヴェルの背中を捕らえる。

 行け、行け、行け!

 祈るように私は拳を握る。ヒクマがデュオスヴェルに並びかける。

 ――そのとき、ヒクマの表情が見えた。

 

 ヒクマの顔は、いつものあの、楽しそうな顔ではなく。

 歯を食いしばって、最後の力を振り絞ろうとする――隣のデュオスヴェルと同じぐらいに、限界いっぱいの表情。

 私は息を飲む。――ヒクマ。思ったよりずっと消耗している。デュオスヴェルのハイペースに先行策でついていったことが。そしてあるいは、がっちりと他のウマ娘に囲まれてマークされたことが――ヒクマのスタミナを、予想以上に削っている。

 それでも、それでもヒクマはデュオスヴェルに食らいつく。並ぶ。デュオスヴェルも叫びながら粘る。必死の追い比べ。

 残り200。中山のあの急坂に差し掛かる。

 ――そこへ、大外から、悠然と迫ってくるあの姿。

 

『デュオスヴェル、デュオスヴェル粘る、バイトアルヒクマかわすか、デュオスヴェル凌ぐか、外からオータムマウンテン! 外からオータムマウンテン! プチフォークロアは伸びない! 上位人気3人の争いだ!』

 

 坂を上る。大外から捲ってきたオータムマウンテンが並びかける。

 3人がほぼ横一線。食らいついてきている何人かの集団は3バ身後ろ。

 粘るデュオスヴェル。食らいつくヒクマ。差し切ろうとするオータムマウンテン。

 私もコンプもエチュードも、もう声を失ってそれを見守るしかない。

 

 オータムマウンテンが、僅かに前に出た。

 デュオスヴェルが雄叫びをあげた。

 ヒクマが、最後の力を振り絞るように坂を駆け上がった。

 残り100。

 先頭――オータムマウンテン。

 

『先頭オータムマウンテンだ、オータムマウンテン、いや、しかし、しかし!』

 

 次の瞬間。

 実況アナウンサーが、何が起きたのかわからないといった様子で、叫んでいた。

 

『――内からもうひとり! 内からもうひとり誰か来た!』

 

 

       * * *

 

 

 その瞬間。

 何が起こったのか、中山レース場に詰めかけた数万の観衆の誰ひとりとして、おそらくは理解できていなかった。

 デュオスヴェル、バイトアルヒクマ、オータムマウンテン。上位人気3人の熾烈な追い比べ。後ろの集団は2、3バ身離されて残り100、もう追いつく見込みはない。

 そのはずだった。

 

 閃光のように。

 疾風のように。

 ――坂の終わりで、その不可視の棘は、集団の最内から、突然現れた。

 

 別次元の加速。

 スヴェルも、ヒクマも、オータムも。誰もが止まって見えるほどの、一瞬の。

 全てを置き去りにする、電撃のような急加速で。

 そのウマ娘の姿は、一瞬集団から抜け出たと思った刹那、横並びで走るヒクマたちの陰に隠れて、再び見えなくなった。

 

 だから、それが誰だったのかを知っていたのは。

 おそらく――数少ない機会で、彼女のあの末脚を、見たことがある者たちだけ。

 そして、彼女のその末脚を信じて送り出した、担当のトレーナーだけだった。

 

 

 このときまで、誰も彼女の名を知らなかった。

 このときはまだ、彼女が後に伝説を創ることを、誰も知るよしもなかった。

 

 X4年クラシック世代の、最強は誰か。

 後の尽きせぬ議論は、彼女の存在なくしてあり得ない。

 伝説は、このX3年ホープフルステークスから始まる。

 

 そのウマ娘の名は――ミニキャクタス。

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