モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
そんなつもりではなかった。
決して、そんなつもりはなかったのに。
『――馬鹿にしないで!』
頬を張られた痛みとともに、その声が今も、記憶の奥底にこだましている。
* * *
エレガンジェネラルの一日は、ぐうたらなルームメイトを叩き起こすところから始まる。
「ジャラジャラさん、朝ですよ、いい加減起きてください!」
「ううん、あと5ヶ月……」
「冬眠でもする気ですか! ああもう、本当は起きてるんでしょう!」
思い切り毛布を引っぱって剥ぎ取ると、その勢いのままに毛布の主が、ごろごろと回転してベッドから転げ落ちた。
「ふげっ。うぐぐ、ジェネってば起こし方がだんだん乱暴になってきてない? 優雅な将軍の名前が泣くよ」
「ジャラジャラさんが早起きして優雅な朝を過ごしてくれる方だったら私も苦労しません。あと将軍って呼ばないでください」
鼻の頭をさすりながら、床から起き上がったルームメイトのジャラジャラを、エレガンジェネラルは腰に手を当てて見下ろす。「おーこわ」とジャラジャラは首をすくめた。
「ほら、早く顔を洗って、制服に着替えてください。ジャラジャラさんの分までアイロンかけておきましたから。課題とかはちゃんと鞄に入ってますか? もう遅刻ギリギリは嫌ですからね」
きびきびとジャラジャラの支度を手伝うジェネラルの姿に、ジャラジャラはパリッとアイロン掛けされた制服を受け取りながら、呆れたように息を吐く。
「なんつーかさあ」
「なんですか?」
「まるであたしのオカンだよな、ジェネ」
「ジャラジャラさんが手の掛かる子供なのが悪いんです! 嫌ならせめて自分のことは自分でしっかりやってください! ああもう、寝癖立ってますよ!」
「これはあたしのトレードマークだっての!」
アホ毛を撫でつけようとするジェネラルから逃げ回るジャラジャラ。
トレセン学園栗東寮の一室では、そんなドタバタが毎朝の恒例行事になっていた。
トレセン学園は教育機関でもあるので、午前中は中学・高校相当の授業が行われる。昼休みを挟み、午後はトレーニングの時間。専属トレーナーのついているウマ娘はトレーナーからの個人指導、そうでないウマ娘は合同トレーニングに向かう。
問題は、トレーナーからスカウトを受けているにもかかわらず、専属トレーナーを決めていないウマ娘だ。そもそもトレーナーをえり好みできるウマ娘などそういないわけだが、数少ないそういったウマ娘は、基本的にはトレーナーが決まるまで自主トレーニングということになる。
既に専属トレーナーが決まっているジェネラルは、廊下をきびきびと待ち合わせ場所に向かう。その背後に、ついてくる褐色の影がひとつ。
「……ジャラジャラさん」
「おん?」
「どうしてついてくるんですか」
振り向いて軽く睨むと、ジャラジャラは後頭部で手を組んで、にっ、と笑った。
「いーじゃんか、トレーニングするのは同じだろ? 自主トレするにしても、ひとりでやってっと張り合いなくってさあ。別に邪魔はしてないつもりだぜ?」
「だったら早くトレーナーを決めればいいじゃないですか。いつまで引き延ばすつもりですか? そろそろ実はデビューする気ないんじゃないかと疑われていますよ」
腰に手を当てて、ジェネラルは嘆息する。――あの選抜レースで、記録的なタイムで1着を争ったふたりには、トレーナーのスカウトが殺到した。ジェネラルは一週間かけてじっくり吟味しトレーナーを決めたが、ジャラジャラはあれからしばらく経つのに、未だにトレーナーたちのスカウトから逃げ回っている。
まあ、ジェネラル自身もあのスカウトの大群を整理して捌くのは一苦労だったから、ズボラなジャラジャラが逃げたくなるのはわからなくもない。しかしそれにしたって、スカウトされるための選抜レースで、自分に勝ったジャラジャラがいつまでも態度を保留しているというのは、内心少々苛立たしい。
あと100メートルあれば追い抜けた自信はあったが、結果は結果だ。ゴールを先に駆け抜けたという事実がレースでは絶対である。だからこそ、ジェネラルとしてはジャラジャラにもさっさとトレーナーを決めてもらって、トゥインクル・シリーズできちんと決着をつけたいのだ。せっかく同じティアラ路線志望だというのに、これでジャラジャラのデビューが1年遅れにでもなったら目も当てられない。
「お前こそ、よくあれだけのトレーナーの中から1週間で決めたよな」
「1週間でも時間を掛けすぎたぐらいです。1日も無駄にしたくはありませんから」
「はいはい、なんでもスケジュール通りでないと気が済まない優等生さんはそーでしょーとも。でも、ウマ娘の方から自分のトレーニング方針について具体的な計画書の提出を求められたのは初めてだって、トレーナーたちも呆れてたぜ」
そんなことを言われても困る。トレーナーは担当ウマ娘が結果を出せなければ次の子に移ればいいだけだが、こっちは一度きりの競争人生をトレーナーに託すのだ。その相手を決めるのに、どれだけ万全の準備をしても充分ということはない。
だからジェネラルは、自分をスカウトしてきたトレーナー全員に、自分のトレーナーになるにあたってどのような育成プランを考えているか、書面での提出を求めた。少なくとも、選抜レースを一度見ただけで碌なプランも持たずに声を掛けてきたようなトレーナーはこれで篩にかけられる。事実、実際に書類を提出してきたのは、レースの後に自分を取り囲んだ数十人のトレーナーのうち、10人ほどだった。
その10人の提出してきたプランを数日かけてじっくり読み込み、最も具体的で納得のいくプランを出してきたトレーナーを、ジェネラルは選んだ。そうして実際に指導を受けてみて、自分は間違いなく正しい選択をしたと思っている。
ジュニア級は6月のうちにメイクデビュー。順調にそこを勝ったら、オープン特別か重賞をひとつふたつ挟んで年末の阪神JF。クラシック級はそのまま桜花賞に直行、トリプルティアラに挑む。タイトルを獲れれば年末には有馬記念に挑戦。シニア級は大阪杯から始動し、大目標はヴィクトリアマイルとエリザベス女王杯のシニアティアラ二冠。もし自分にそこまでの才能がなく、どこかで躓いた場合のプランも、トレーナーはそれぞれ用意してくれている。やるべきことが明確であるのは良いことだと、ジェネラルは思う。
――だが、このルームメイトは。
ジェネラルが読んでいたトレーナーからの育成プランを勝手に覗き見した挙げ句、あろうことか。
『こんな、最初から自分のウマ娘人生ガチガチに決めちまって、面白いかあ?』
そんなことを、言い放ったのだ。
「ジャラジャラさんは」
「ん?」
足を止め、ジェネラルは背後のジャラジャラを振り返った。
「どうしてトレーナーのスカウトから逃げ続けるんですか」
「――逃げてるわけじゃないよ。まだあたしが納得できるスカウトがないってだけ」
ジャラジャラも立ち止まり、ひとつ嘆息した。
「碌にトレーナーの話を聞いてるようにも思えませんけど」
「聞かなくたってわかんだって。どいつもこいつも、トリプルティアラだ、ヴィクトリアマイルだ、エリザベス女王杯だ、いや天皇賞だ、宝塚だ、有馬だってさあ。――あいつらが語ってんのは、全部自分の夢なんだよ。あたしのじゃない」
「――――」
「別に、トレーナーがあたしにトリプルティアラなりエリ女なり天皇賞なり獲らせて、GⅠウマ娘を育てた名トレーナーって呼ばれたいってのは構いやしない。それであたしが速く走れるならWIN-WINの関係ってやつだよ。――でも、トレーナーの夢を勝手にあたしの夢みたいに語られても困るんだよな」
ジャラジャラの言葉に、ジェネラルは眉を寄せる。――ウマ娘としてトレセン学園に入学し、トゥインクル・シリーズに出る以上は、そういったGⅠレースで勝つことを大目標にするのは、当たり前ではないのか。
「……じゃあ、ジャラジャラさんの夢って、なんなんですか」
「おっと、そいつは乙女の秘密ってやつ」
「ふざけないでください」
「別にふざけちゃいないんだけどな。――ま、あれだ」
と、ジャラジャラは不意に走り出し、ジェネラルを追い越してグラウンドの方へ向かう。
「あたしは別に、三冠路線でもティアラ路線でもどっちでも良かったんだよ。どっかの誰かさんと出会うまではね。――そーゆーこと」
そして、ジェネラルの返事も聞かずに、ジャラジャラは勝手に走り出してしまう。その背中を呆然と見送り――ジェネラルは、胸の前でぎゅっと拳を握りしめた。
瞼を閉じると、あの選抜レースの光景が蘇る。あとほんの数十センチ。されどその数十センチの差が、レースでは厳然と勝者と敗者とを分かつ。
届かなかったあの距離を、トゥインクル・シリーズで埋めて、追い越したい。
逃げ続けるあの背中を、自分の背後に追いやるためには――万全の準備をして、万全のトレーニングを積んでいかねばならないと、解っている。
彼女が同じティアラ路線を走るのであれば、絶対に。
どんなレースでも、自分は完璧な走りをしなければならないのだから。
そうして、勝ち続けなければ、自分は、
「――――ッ」
脳裏に浮かびかけた過去の幻影を振り払って、ジェネラルは急ぎ足にトレーナーの元に向かった。今はただ、デビューへ向けて研鑽を積むだけだ。
更衣室で着替えを済ませ、グラウンドで待っていたトレーナーへ駆け寄る。眼鏡を掛けた無表情な担当トレーナーは、時間ピッタリに現れたジェネラルの姿に頷いた。
「今日のメニューは見ているね。始めようか」
「はい。よろしくお願いします」
無駄口を叩かない、無駄に感情を露わにしないこのトレーナーのことを、ジェネラルは気に入っている。この人となら、何にも煩わされることなく、ただ勝つため、完璧に勝つために走ることができると、そう思う。
誰にも文句は言わせない。ティアラ路線で、勝つのは自分だ――。