モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第3章 クラシック戦線・春!
第69話 アラビア料理店の看板娘


 1月1日。

 枕元のスマホの着信音で目が覚めた。誰だ、正月早々朝っぱらから……。私はのそのそとベッドから手を伸ばし、スマホを手に取り、相手もろくに確かめず通話に出る。

 

「はい、もしもし……」

『あっ、トレーナーさん! おはよー! あけましておめでとー!』

「ヒクマ? あ、ああ……おはよう。あけましておめでとう」

 

 元気いっぱいの声に目が覚めた。私は身体を起こし、部屋の寒さにぶるりと身震いしながらベッドを出る。時計を見ると朝の8時。電話の向こうのヒクマに聞こえないように欠伸を噛み殺す。

 さすがに年末年始ということで、担当の3人は全員、昨日の段階でそれぞれの自宅に帰していた。と言っても、ゆっくり三が日いっぱいお休みにしているのはレース明けのヒクマだけで、年明けすぐにレースが控えているコンプとエチュードは今日の昼過ぎには学園に戻って来て、3時からトレーニングというスケジュールである。

 

『あれ、トレーナーさん、ひょっとして起こしちゃった? ごめんね』

「いや、大丈夫。ヒクマこそ実家はどう? ご家族とゆっくりできてる?」

『うん! えへへ、お母さんにもお父さんにもいっぱい褒められた!』

 

 電話の向こうでヒクマが尻尾を振っているのが目に見えるようだ。そりゃあ、ご両親にしてみれば自慢の娘だろう。ヒクマの素直で甘えん坊で人なつっこい性格は、ご両親に愛されて育ったたまものなんだろうなあ、とぼんやり思う。

 

『あ、それでね、トレーナーさん!』

「うん?」

『お母さんがね、一度トレーナーさんに挨拶したいんだって! 良かったら今日これからお店に来てもらって、せめてお昼でも食べてってもらおうって言ってるんだけど』

「今から?」

 

 もう一度時計を見て、ヒクマの実家の住所を思い出す。お店、というのはヒクマの母親が経営しているというアラビア料理店のことだろう。今からなら――うん、支度して車を出して向かって、お昼を御馳走になっても、3時までには充分に学園に戻れるか。

 大切なひとり娘の競走生活を預かっている身であるし、一度ヒクマのご両親にはきちんと挨拶したいところでもあった。ちょうどいい機会だろう。

 

「うん、わかった。私は大丈夫だよ。今から朝ご飯食べて支度して……そうだね、10時ぐらいにはそっちに着けるかな?」

『ほんと? やった! じゃあお母さんにそう伝えるね!』

「うん、よろしく。じゃあ、またあとで」

『うん、待ってるね!』

 

 通話を切り、私はひとつ息を吐く。やれやれ、予定外の展開だけれど、まあいいか。

 ひとつ伸びをして、とりあえず眠気覚ましにシャワーでも浴びることにした。

 

 

       * * *

 

 

 そんなわけで、ナビを頼りにやってきた先は――。

 

「……ここか」

 

 近くの駐車場に車を止め、アラビア文字と英語が並んだ看板を見上げる。マンションの一階が店舗になっているようだった。《準備中》の札が下がったドアに手を掛けようとすると、中からいきなりドアが開いて私はのけぞる。

 

「あっ、トレーナーさん! あけましておめでとう!」

 

 ドアを開けたのはヒクマだった。「もう3回目だよ、新年の挨拶」と私は苦笑しながら、ヒクマに促されて店の中に足を踏み入れる。――と。

 

「あらあらあらあらあら、どうもどうもどうもどうも!」

 

 すごい勢いでまくし立てるように、こちらへずんずんと歩み寄ってくる、エプロン姿の芦毛のウマ娘。ヒクマと違って芦毛は短くしているけれど、はっきり面影がある。

 

「あけましておめでとうございます! はじめましてヒクマの母です!」

「あ、ど、どうも、あけましておめでとうございます、はじめまして――」

 

 いきなり手を握られてものすごい勢いで距離を詰められてしまった。ヒクマに似た大きな瞳でこちらを覗きこんでくるヒクマの母。ヒクマの距離感の近さ、というかパーソナルスペースの狭さはどうやらこの母親譲りらしい。

 

「いやあもううちのヒクマがいつもご迷惑をお掛けしてすみません! 大変でしょうこの子の面倒見るのは! 昔っから落ち着きのない子で! ちょっと目を離すとすぐぱーっと駆けだしてどこか行っちゃうような子なもので!」

「い、いえいえそんな、こちらこそお嬢さんを担当させていただきながら今まで御挨拶もせず失礼を――」

「いいんですよそんな! ウマ娘のトレーナーさんが忙しいことなんて百も承知ですから、私たちも落ち着きのないこの子の面倒見てくれるトレーナーさんがいるかどうか心配してたぐらいですから、もううちの子に目をかけてくださっただけで感謝感激、その上あんな立派な姿まで見せていただいて、ありがとうございますありがとうございます!」

 

 ぶんぶんぶんとものすごい勢いで腕を振られてちぎれそうである。いやはや、この娘にしてこの母ありというか――いかにもヒクマの母親という感じの女性だ。

 

「もう、お母さん、トレーナーさん困ってるよ」

「ああ、ごめんなさいごめんなさい! ついテンション上がっちゃって、私も娘のこと言えませんね! ほらヒクマ、トレーナーさんにお茶お出しして! ささ、どうぞどうぞ、うちの店の自慢のメニュー用意しますから!」

 

 厨房の前のカウンターの席に案内される。椅子に腰を下ろすと、ヒクマがエプロンをつけてトレーに載せたティーカップを運んできた。

 

「はい、トレーナーさん、お茶」

「ああ、ありがとう。……ハーブティーか何か?」

「うん、カルダモンティー。食事の前に飲むと消化がよくなるんだよ」

「へえ。……ヒクマ、そうやってお店の手伝いもしてたんだ?」

「えへへ、うん。学園に入るまではいつもお手伝いしてたの。似合う?」

「うん、似合うよ」

「えへへ~」

 

 エプロンをひらひらさせて、くるりとその場で回ったヒクマは、嬉しそうに顔をほころばせる。それから私の耳元に口を寄せて、

 

「……お母ちゃん、うるさくてごめんね?」

 

 そう囁いた。私はハーブティーを啜りながら小さく苦笑する。

 

「大丈夫、ヒクマで慣れてるから。そっくりだね、お母さん」

「ええ~? わたし、あんなにうるさいかなあ?」

 

 口を尖らせてヒクマは首を傾げる。テンションが上がったときの様子はそっくりだと思うが、私は笑うだけにしてヒクマの頭をぽんぽんと撫でた。

 それから、ぐるりと店内を見回す。中東をイメージしたのであろう装飾や小物で彩られた店内の壁には、何枚もの写真が額に入れられて飾られている。砂漠の写真、高層ビルの並ぶ都市の写真、民族衣装を着た人々の写真。――それから、私もテレビで見たことがある、あの砂漠の都市にあるレース場の写真。

 立ち上がって、私はその写真を見上げた。ドバイ、メイダンレース場。そのターフで、勝負服姿の芦毛のウマ娘が、トレーナーらしき男性と並んで写真に収まっている。今よりも長いその銀色の芦毛は――。

 

「それ、お母さんがドバイシーマクラシックに出たときの写真」

 

 ヒクマが隣で同じ写真を見上げて言った。――なるほど、これがヒクマの夢の原点か。

 写真の中で、若かりし頃のヒクマの母は、少し緊張した面持ちで胸に拳を当てている。

 

「あらやだ、お恥ずかしい。いつまでも若い頃の栄光にすがってるみたいで恥ずかしいんですけどねえ、その写真。こっちじゃ昔のドバイのウマ娘のことなんて知ってる人もまずいないですし。でも外そうとするとヒクマが『ダメー!』って言うもので」

 

 厨房の中で手を動かしながらヒクマの母が言う。

 

「だってお母さんが一番かっこいい写真だもん! 外しちゃダメだよ!」

「そんなこと言われてもねえ。お母さんはそこにヒクマの写真飾りたいの。ほら、メイクデビューのライブとか、東スポ杯勝ったときの写真とか」

「そっちの方が恥ずかしいよぉ~。昨日帰ってきたとき近所の人たちに聞いたよ? わたしがレース勝ったあと、毎回店中わたしのレースの新聞記事とか写真とかで埋め尽くしてるんでしょ?」

「だってその方がお客さんも喜んでくれるもの! みんなヒクマのことが大好きなんだから! ヒクマのレースのときはみんなそこのテレビにかじりついて大騒ぎなんだから」

 

 頬を膨らませるヒクマに、母親が笑って答える。

 

「ヒクマは学園に来る前から人気者なんですね」

「そりゃもう、うちの看板娘ですから! お客さんたちは、俺たちのヒクマちゃんが日本中のみんなのヒクマちゃんになっちゃうってさみしがってるけどね~。お母さんは鼻が高い!」

 

 呵々と笑う母親に、ヒクマが照れくさそうに身を縮こまらせた。あのヒクマも、この母親相手ではたじたじか。微笑ましい母子のやりとりに、顔がほころぶ。

 ――と、カランカラン、とドアベルが鳴った。

 

「おう、あけましておめでとう! ヒクマちゃん帰ってきてるって?」

「おー、ヒクマちゃん! でっかくなったなあ! お? そこにいるのは――」

 

 どやどやと店の中に入ってきたのは、どう見ても近所の住人の皆さんである。

 

「こらこら、まだ準備中だし、今はヒクマのトレーナーさん来てるの!」

「なに、ヒクマちゃんのトレーナー!?」

 

 店に入って来た集団がざわめき、そしてあっという間に私は取り囲まれていた。

 

「あんたがトレーナーさんか! 養成校出たばかりの新人だって? 若いなあ!」

「おうおう、ヒクマちゃんに怪我でもさせてみろ、タダじゃおかねえぞ!」

「ヒクマちゃんだけじゃなくて友達も担当してるんだって? 大丈夫なのかい?」

「あ、あの、ええと――」

 

 ご近所の皆さんに詰め寄られ、私はホールドアップしてたじろぐしかない。

 

「もー、みんなストップ! トレーナーさん困ってるでしょ!」

 

 ヒクマがエプロンを翻して割って入ると、ご近所の皆さんはぴたっと静止し、瞬く間にその表情が孫でも見るかのように緩んだ。

 

「おー、ヒクマちゃん、ホープフルステークス惜しかったなあ!」

「お母さんが店休みにするから、みんな中山まで行ってスタンドで応援してたんだぞ!」

「ヒクマちゃんの勝負服かわいかったねえ」

「トレセン学園はどうだい? 積もる話聞かせておくれよ!」

 

 あっという間に向こうの興味は私からヒクマに移る。

 

「もー、みんな座って、注文取るからー! お母さん、もう営業中ってことにしちゃう?」

「やれやれ、しょーがない! みんな正月から暇持て余しすぎだよ! トレーナーさん、そういうわけだからうるさくてごめんなさいね!」

 

 ヒクマがご近所さん軍団をテーブル席に促し、ヒクマの母が腕まくりする。私は苦笑して、伝票を手に注文を取りに走るヒクマの後ろ姿を見つめた。

 ――たくさんの人の愛情をいっぱいに受けて育ったから、ヒクマはあんなにも、周りを元気にしてくれるような子に育ったのだな。そんなことを思う。

 

「……トレーナーさん」

 

 と、そのざわめきの中で、厨房からカウンター越しに、ヒクマの母の声がした。

 

「あの子……ヒクマは、ドバイに行けると思います?」

「――――」

 

 その問いに、私は――迷うことなく、頷いた。

 

「行けますよ。必ずヒクマを、ドバイにつれて行きます。――GⅠウマ娘として」

 

 その答えに、ヒクマの母は――その顔を隠すみたいに伏せて。

 

「……うちの娘を、どうか、よろしくお願いします」

 

 そう、深々と頭を下げた。

 私はただ――「はい、確かに」と頷くだけで、それに答えた。

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