モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
〝ティアラ四強〟。
ミニキャクタスが制した年末のホープフルステークスのあとから、SNSやメディアには自然発生的にそんな文字が踊るようになっていた。
もちろん、ジュニア級GⅠの成績がそのままクラシックでも通用するわけではない。ジュニア級GⅠ組が伸び悩み、春の前哨戦やトライアルで台頭してきたウマ娘がそのままの勢いでクラシックを獲る――というパターンの方がむしろ多いぐらいである。
だが、年明けの段階で既にそう言われてもおかしくない程に、その4人がジュニア級で見せたパフォーマンスは飛び抜けている。
阪神JFで他を圧倒しレコードの死闘を演じた、ジャラジャラとエレガンジェネラル。
ホープフルステークスで並み居る三冠路線の注目株を撫で切った、ミニキャクタス。
それから、ホープフルSでは僅差の4着に敗れこそしたが負けてなお強しのパフォーマンスを見せた、バイトアルヒクマ。
全員が、クラシックは桜花賞に向かうことを宣言している。この4人が春に向けてさらに伸びてくるならば、トリプルティアラ史上最高レベルの四強対決になるだろう。この四強に割り込む新たなウマ娘の台頭はあるのか。4月の桜花賞では、いったいどんな戦いが繰り広げられるのか。ファンからもメディアからも、注目はますます高くなっている――。
「……だってさ、クマっち。四強だってよ、四強」
「ほへー。キャクタスちゃん見て見て、キャクタスちゃんも名前出てるよ」
「…………う、うん」
1月4日、木曜日。トレーニングの休憩時間に、コンプがスマホで見つけたネットの記事を見せて回っている。私もその記事は見ていたが、なんというか、ヒクマの担当としては光栄と受け取るべきか、明らかに4番手扱いなのを悔しがるべきか――。まあ、事実としてホープフルステークスで負けている以上、現状の評価がミニキャクタスより下になるのは仕方ないけれども。
「…………正直なところ、だいぶ、プレッシャーです…………」
小坂トレーナーが、私の横で俯きながらボソボソと言う。
「キャクタスちゃんが、勝てたのは……私の力なんかではないですから……。私は、キャクタスちゃんという才能をたまたまスカウトする幸運に恵まれただけで…………」
いやいや――と返そうとして、自分も周囲からなんやかんや言われるたびに同じようなこと言ってたな、と気付いて私は頭を掻いた。まあ実際、私もヒクマ、コンプ、エチュードという3人もの才能と巡り会えたのは幸運以外の何物でもないと思っているけれども。
そして実際、担当が持ち上げられるのがプレッシャーだというのは、私自身ひしひしと感じているところだ。勝てばウマ娘の才能、負ければトレーナーの責任――というのはトレーナーの立場というか役割を端的に示した言葉である。レースに負けた責をトレーナーが背負うのは、繊細な10代の少女であるウマ娘に対して大人として世間の雑音からの盾になるということ。トレーナーはウマ娘の才能を伸ばすだけでなく、その才能を守るためにいる――というのは、養成校で耳にタコができるほど聞かされた言葉だ。
そして、だからこそ、今は上手くいっていても、この先もそうとは限らない。一度きりの彼女たちの競走人生を背負うということ……。考えるほどに胃が痛くなるのは、私が新人だからだろうか。だけど、まだ10代の少女たちの青春を預かっているのだからこそ、無責任にはなりたくないと思う。小坂トレーナーも、同じ気持ちなのだろう。
「……胃が痛いですね、お互い」
「…………胃薬、要りますか…………?」
苦笑して、そして小坂トレーナーと一緒に小さく溜息をつく。――ジャラジャラとエレガンジェネラルの担当の棚村トレーナーと王寺トレーナーは、どちらも既に実績のある中堅トレーナーだ。先輩トレーナーのふたりは、このプレッシャーとどう付き合っているのだろう。あるいは、同期の桐生院トレーナーは……。
そんなことを思いながら、私たちのプレッシャーなど知らぬ顔ではしゃぐヒクマたちに目を細めていると――。
「あっ! やーっと見つけたぞ、そこのお前、えーと、ミニキャラメル!」
「失礼じゃないですか。ミニキャクタスさんですよ、ジャラジャラさん」
「ああそうだそうだ、なーんか頭の中でごっちゃになるんだよな、ミニキャク……キャクタス? あーもう言いにくいんだよ!」
そんな声がいきなり割り込んできて、私は目を見開いた。ヒクマもその目を大きく見開き、名前を呼ばれたミニキャクタスがびくりと身を竦める。
現れたのは、四強の残りふたり。――ジャラジャラとエレガンジェネラルである。
「すみません、ジャラジャラさんが失礼します」
エレガンジェネラルがこちらに礼儀正しく頭を下げ、ジャラジャラはそれに構わず、のしのしと大股でヒクマとミニキャクタスに歩み寄った。そして、じっとジト目でミニキャクタスの顔を覗きこむ。ミニキャクタスが気圧されたようにのけぞった。
「よーし、今度こそ覚えた! もー忘れねーぞ、ミニキャクタス!」
「いい加減にしたらどうですか。不審者以外の何物でもありませんよ」
「いててて、こらジェネ、耳引っぱんなって! いてーって!」
エレガンジェネラルに耳を引っぱられ、ジャラジャラが悲鳴をあげる。エレガンジェネラルは溜息をついてジャラジャラの前に出ると、優雅に一礼した。
「大変失礼いたしました。ミニキャクタスさんとバイトアルヒクマさんですね。選抜レースの際はお世話になりました。エレガンジェネラルと申します。改めまして、以後お見知りおきを。あちらの無礼者はまあ紹介せずともご存じかと思いますので、何か無茶苦茶なことを言い出したら適当にスルーしておいてください」
「ひでー言い草だなあジェネ」
「言われたくなかったらもう少し常識を身につけてください」
口を尖らせるジャラジャラに、腕を組んで溜息をつくエレガンジェネラル。そんな様子に、ヒクマとミニキャクタスは顔を見合わせる。
「どうも申し訳ありません。以前、模擬レースをされていたでしょう。オータムマウンテンさんやデュオスヴェルさんも交えて。ジャラジャラさんがあれを見ていて、ミニキャクタスさんのことが気になっていたのだそうですけれど、先日のホープフルステークスまで顔も名前も思い出せなかったそうで――記憶力までいい加減な人で本当にすみません」
「もう覚えたんだからいいだろ。あんな走り見せられちゃ、忘れようにも忘れらんねえ」
ぱん、とジャラジャラは拳を打ち鳴らして、その右拳をミニキャクタスへ突き出す。
「お前、桜花賞来るんだろ?」
「………………はい」
ミニキャクタスは目をしばたたかせ、それからぐっと唇を引き結んで顔を上げ、短くそう答えた。――その表情には、普段の木訥とした影の薄い彼女のものとは思えない、静かな闘志がみなぎっている。まるで、ホープフルステークスの前のときのように。
「よっしゃ。ジェネと、そこのクマと、全員まとめてあたしがねじ伏せてやる。今日のところは、その宣戦布告だ。つまんねー怪我とかすんじゃねーぞ!」
「わたしクマじゃないよー! バイトアルヒクマ!」
「あー、うん、覚えてるっての。バイトツキノワグマ」
「バイトアルヒクマだってばー!」
ヒクマがむー、と口を尖らせて両手をぶんぶん振りながら抗議する。「あーわかったわかった」とジャラジャラが頭を掻いていると、不意にミニキャクタスが、その胸元に拳を突き出した。ジャラジャラが目を見開く。
「…………桜花賞。勝つのは、私ですから」
静かな、けれども決然としたその声音に、ジャラジャラの顔に――獰猛な笑みが浮かぶ。
「――いいねえ、そのツラ。ゾクゾクくるぜ。そうこなくっちゃな!」
もう一度拳を突き返すジャラジャラ。――蚊帳の外に置かれたヒクマが唸る。
「むーっ、わたしだって負けないもん! 桜花賞、絶対勝つよ!」
「すみません、バイトアルヒクマさん。ジャラジャラさん、今は彼女のことしか目に入っていないようですので。――負けた者同士、今は静かに牙を研いでおきましょう」
エレガンジェネラルが溜息交じりに横から声をかけ、ヒクマはきょとんと振り返る。
「あ、えと、エレガンちゃん? ジェネラルちゃん?」
「どちらでも、お好きなように」
「じゃあ、ジェネラルちゃんって呼ぶね! わたしのことも、ヒクマでいいよ!」
「わかりました、ヒクマさん。知恵の館、良いお名前ですね」
「えへへ~。ジェネラルちゃんも名前かっこいいね!」
「恐縮です。――今はああですが、ジャラジャラさん、ちゃんとヒクマさんにも一目置いてますから。以前に併走をお願いされませんでした?」
「あ、うん。一緒に走ったよ!」
「ジャラジャラさんが自分から行ったということは、貴方も彼女のターゲットに入っているということですから。――もちろん、私も貴方のことは前々から注目していました。桜花賞で一緒に走れるのを楽しみにしています」
「うん、わたしも楽しみ! ジャラジャラちゃんもジェネラルちゃんもすっごく強いもんね! でも、わたしだってこれからもっと強くなるもん!」
ぐっと拳を握って言うヒクマに、エレガンジェネラルは微笑んで頷き、それからジャラジャラに視線を向ける。
「で、ジャラジャラさん。用が済んだのでしたらトレーニングのお邪魔ですよ。そろそろ戻らないと私もトレーナーに叱られてしまいますが」
「あー? いいだろもう少しぐらい」
「いえ、それにですね――」
と、エレガンジェネラルがぐるりと周囲を見回す。
――そこにはいつの間にやら、結構な人数のギャラリーが集まっていた。取材に来ていたらしい記者の姿も見える。明らかにティアラ四強勢揃いの写真を撮りたくてウズウズしている様子だ。
「うげ、なんだこのギャラリー」
「今年のティアラ路線の四強が集まってるんですよ? 当然の反応です」
「ったく、勘弁してくれよ。悪ぃ、邪魔したな! じゃ、あたしは逃げっからジェネ、後は任せた!」
「あっ、ジャラジャラさん! また貴方はいつもそう毎回毎回――それでは、私も失礼させていただきます。お邪魔してしまい申し訳ありませんでした」
脱兎のごとく逃げ出すジャラジャラと、律儀に挨拶を欠かさずそれを追いかけていくエレガンジェネラル。――やれやれ、なんというか、嵐のようだ。
「ぐむむ」
と、完全に蚊帳の外だったコンプが何やら唸っている。
「コンプ?」
「あーもう、言えた立場じゃないのは解ってるけど、なんていうか立場の違いを思い知らされたってゆーか……うーがー、あたしだってそのうち自分の力でこれだけギャラリー集められるようになってやるんだから!」
吼えるコンプに私は目を細めて、「そうだね」とぽんぽんと頭を撫でた。「撫でるなー!」とコンプがぶんぶん手を振り、私は笑って手を離す。
「せっかく人が集まってるんだ。今のうちに最終追い切りでコンプの走りを見せておこうか。エチュード、併走お願いするね」
「あっ、はい!」
同じく蚊帳の外だったエチュードに声を掛ける。――エレガンジェネラルはエチュードにもちらりと視線をやって目礼していたので、無視されていたわけではない。エチュードがそれをどう受け取ったかは私にはわからないが――少なくともエチュードの表情に曇りはないように見える。
追い切りの準備を始めるコンプとエチュードの様子を見ていると、隣にヒクマが歩み寄ってきた。ミニキャクタスは――何か、小坂トレーナーと話をしているようだ。
「トレーナーさん」
「どうしたの、ヒクマ」
振り返ると、ヒクマはぐっと拳を握りしめ、ぎゅっと唇を引き結んで私を見上げた。
「わたし、もっと強くなりたい! ――四強じゃなくて、一番になりたい!」
その言葉に――私は、思わず目を見開いた。
ホープフルでの敗戦。あの記事での4番手扱い。――そして、ジャラジャラが明らかに、ヒクマよりもミニキャクタスをターゲットにしていたこと。それらをヒクマがどう受け止めているのか――その答えが、今のヒクマの表情の中にあった。
レースではいつも、誰よりも楽しそうに走るヒクマだけれど。
ウイニングライブの観客席でのあの涙。それから、今のこの表情。――負けて悔しいという気持ちも、傷つくだけのプライドも、この子の中にはちゃんとある。
改めて目の前にしたその事実に――私は、顔を引き締めて頷いた。
――そうだ。走るのはヒクマ。勝つのも負けるのも、ヒクマ自身なのだ。
支える私が、戦う前から胃が痛いなんて弱音を吐いているようでは――この子の夢を、未来を、一緒に走って行けるはずがないではないか。
「――よし、ヒクマ! 明日から、今までよりもっとハードに行くよ!」
「うん! どんとこーい!」
ヒクマは笑顔で拳を掲げる。私も頷き、拳を合わせた。
そうだ。四強じゃない。その中の一番になるために。
ジャラジャラも、エレガンジェネラルも、ミニキャクタスも倒して。
トリプルティアラの、世代の頂点に立つために。
――桜花賞まで、あと3カ月しかないのだから。