モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
ルームメイトが2勝目を挙げたことを、マルシュアスはSNSで知った。
今日の中山9レースに出ていたリボンエチュードが、後方から上がり最速で差し切り勝ち。すぐに祝福のメッセージは送ったけれど――送信と同時に溜息が漏れて、マルシュアスは部屋のベッドに倒れこんだ。
「あ~~~~~~……」
やり場の無い感情が渦巻いて、ぼふぼふと枕を叩く。オトナのウマ娘はオンとオフを切り替えるものだよ――尊敬する先輩の言葉を実践できない自分に溜息しか漏れない。
……すごいなあ、エチュードちゃん。
万事に控えめでおしとやかで、なんであんなに髪短くしてるんだろうといつも不思議に思うぐらいに女の子らしいお嬢様なのに、レースではもう重賞にも出て、今日の勝利でオープン入り。たぶんクラシック、桜花賞を目指すのだろう。
――3年前、ランデブーさんが勝ったレース。あたしが、このトレセン学園に入るきっかけになったレース。
そこに手が届きかけているルームメイトが――どうしようもなく、羨ましい。
何しろ、こちとらデビューから3連敗。しかも3戦とも着外。2連敗で尊敬する先輩にあっさり見限られ、トレーナーに無理を言って出させてもらった年末の未勝利戦もダメだった。もう、どうしたらいいのか全然わからない。
――あたし、やっぱり才能なんて無かったのかなあ……。
考えてみれば当たり前かもしれない。それまでレースに背を向けてきた自分が、いきなり思い立って中央のトレセン学園を受験して一発合格して、トレーナーからスカウトも受けてデビューできる立場になって――ここまでが上手く行きすぎなのだ。現実はそう甘くない。エチュードちゃんみたいな、小さい頃から周りを名だたるエリートウマ娘に囲まれて英才教育を受けてきたお嬢様とは、最初から住む世界が違うのだ。
……そう、割り切ってしまえれば楽なのに。自分の才能に見切りをつけて、せいぜい未勝利戦の終わる8月までルームメイトを応援して、それから普通の学校に入り直して普通の夢を追えばいい。中央のトレセン学園に在籍していて、トゥインクル・シリーズに出たことがあるっていうだけで、一般社会では充分なハクになるわけなんだから。
――そう思えたら、こんなにモヤモヤしていない。
「うう~~~~~っ、うがーっ!」
苛立ちのままにマルシュアスは叫んで、寮の部屋を飛び出した。――正直、リボンエチュードが戻ってきたとき、笑顔で祝福できる気がしなかったから。
* * *
くさくさした気分のままに駅前をあてどなくぶらついているうちに、陽が暮れていた。1月の半ば、寒さが身に染みる。白い息を吐きながら、マルシュアスは重い足取りで学園へと戻った。
中山のレースだったエチュードちゃんは、もう戻ってきているだろう。せめて「おめでとう」ぐらいは笑顔で言いたいけれど、笑顔ってどうやって作るんだっけ。
こんなとき、ランデブーさんみたいなオトナのウマ娘だったら、どんな風に――。
『マルシュちゃんは、どんなに頑張ったって、私にはなれないんだよ』
――あのとき。2戦目の未勝利戦のあとで、ネレイドランデブーからかけられた言葉が頭の中でリフレインする。あれからもう1ヶ月近く。ランデブーは本当に自主トレに徹しているみたいで、マルシュアスがトレーナーとトレーニングしている場には一度も顔を見せていなかった。
やっぱり、見捨てられたんだと思う。才能もない後輩にまとわりつかれて迷惑だったのだろう。お前みたいなのとはレベルが違うんだからさっさと諦めて実家に帰れと、遠回しにそう言われたとしか思えない。
ランデブーさんみたいに、なりたいのに。
あんな風にキラキラして、華麗に逃げ切るオトナのウマ娘になりたいのに。
――本人から「無理だ」と言われてしまったら。それを否定したくて出走した未勝利戦も惨敗では、もう本当に、無理なのかもしれない。
……学園、辞めようかなあ……。
際限なく思考はデフレスパイラルに陥っていく。ああ、部屋に帰りたくない。かと言って、寮の部屋以外に行き場所もないし、どうしよう……。
とぼとぼとグラウンドの方に歩いて行く。既に陽は落ちて、照明が照らすウッドチップコースが目に入る。
そこにひとり、走り込んでいるウマ娘の姿があった。
――ランデブーさん?
一瞬そう思って、だけどすぐに見間違いだと気付く。ランデブーの綺麗な芦毛のサイドテールではない。栃栗毛の短いポニーテールを揺らして走る、あの姿は。
「……ジャラジャラ先輩?」
「おん? ああ、お前か」
そちらに歩み寄って声を掛けると、向こうもこちらに気付いて足を緩めた。――以前、併走してもらったことのあるジャラジャラだった。デビュー前からランデブーさんに挑みかかったというこのウマ娘は――年末の阪神JFをレコード勝ちしてURA賞を受賞した、今年のトリプルティアラの大本命だ。同期デビューとはいえ、未勝利戦の掲示板にも載れないマルシュアスにとっては、もはや雲の上の存在である。
「えーと、マルチュロス」
「……マルシュアスです」
「わりーわりー、人の名前覚えんの苦手なんだわ。ていうか同学年の同期だろ? 先輩はやめろって」
悪びれない様子で頭を掻くジャラジャラ。まあ、自分のことなんて名前も覚えられていなくて当然だけれども。
タオルで汗を拭いながら、ジャラジャラは白く息を吐く。その凛とした姿に――ああ、オトナなウマ娘って、やっぱり強いウマ娘のことだなあ――とマルシュアスは思う。
あたしなんかとは違う。全然別の世界にいる――。
「……っていうか、こんな時間まで何してるんですか?」
「見りゃわかんだろ、トレーニングしてる以外のなんだってんだよ」
「――――」
一瞬でマルシュアスの脳裏を、色々な思いが駆けめぐって、そしてただただ、違いを思い知らされた。――なにやってんだろ、あたし。
世代のトップが、桜花賞まで3ヶ月もあるこの時期に、週末も陽が暮れるまでトレーニングしているというのに。――未勝利戦を勝ち抜けられない自分が、ふてくされて駅前をぶらついていただけなんて。
ランデブーさんに見捨てられて当然だ。やっぱりあたしは――この世界には向いてない。
「ああ、ちょうどいいや。おい、マル。ちょっと併走付き合ってくれよ」
「……へ? あたしが?」
「ああ。着替えとウォーミングアップぐらいは待ってやっからさ」
「いや、そんないきなり言われても――」
「じゃあ、あたしはちょっくら学園の周り一周してくっから、その間に準備しといてくれ」
マルシュアスの返事も聞かず、ジャラジャラは勝手に走り出してしまう。
ぽかん、とそれを見送って、マルシュアスは――どうしよう、と空を見上げた。
夜空には、冬の星座が能天気に瞬いている。
* * *
どうしてジャージに着替えてウォーミングアップしてるんだろ、あたし。
そう思いながらも、結局マルシュアスは着替えてウッドチップコースでウォーミングアップを念入りにしていた。この寒い中だ、走るならしっかり身体を温めておかないと怪我をする。ランデブーさんから「怪我は怖いよ」と口を酸っぱくして言われたことだ。
軽くウッドチップコースを流して一周したところで、ジャラジャラが息を弾ませながら戻ってくる。
「お、準備できたか? じゃ、ちょっくら付き合ってくれよ」
「……いいですけど。右回り1600ですか?」
「んにゃ、左回り2400で頼む」
軽く言ったジャラジャラに、マルシュアスは目を見開く。――2400?
「え、なんで2400……?」
「オークスの距離に決まってんだろ。桜花賞の阪神1600はもう全力で走ったかんな、次もおんなじように走るだけだ。それより府中2400を全力で走る感覚、今のうちから身体に叩き込んでおきてーからな」
火照った身体をほぐすように軽くストレッチしながら、ジャラジャラは答える。
……すごい。3ヶ月先の桜花賞だけじゃなく、もうその先を見据えている。
これが……世代トップのウマ娘。やっぱり、住んでいる世界が、見ているものが、あたしとは全然違う――。
……でも、そんなトップのウマ娘の併走相手が、あたしなんて――。
「お前だって目指すんだろ?」
「え?」
「ダービーだよ。たしか三冠路線だろ?」
「――――」
日本ダービー。日本で一番有名なトゥインクル・シリーズのレースであり、三冠路線のウマ娘にとっての最大の夢。チャンスは一生に一度、その舞台に出走したことがあるというだけで誇りにできると言われる最高の舞台。
……でも、正直なところマルシュアスは、他のウマ娘と違ってダービーへの憧れは薄い。ランデブーさんみたいになれれば何でもいい。ダービーでも何でも――。
だいいち、デビューから3戦連続着外のウマ娘がダービーに出られるわけがないし……。
ああ、ダメだ、また思考が再現なく落ちこんでいく。振り払うようにマルシュアスは首を振り、目の前のジャラジャラに詰め寄った。
「あのっ、ジャラジャラ先輩!」
「だーから先輩じゃねーっての。なんだ?」
「逃げのコツ、教えてください! あたし、強い逃げウマ娘になりたいんですっ!」
その言葉に、ジャラジャラは目をしばたたかせ、それから「んー」と頭を掻きながら首を捻った。
「コツって言われてもなあ。あたしは逃げるのが性に合ってるだけだからな。脚を溜めて直線勝負とか、かったりーのは御免被るってだけだぜ。それに――最初から最後まで先頭で走ってりゃ、運も展開も関係なく、そいつが一番強いってことだからな」
ぱん、と拳を打ち鳴らして、ジャラジャラは獰猛な笑みを浮かべる。
「コツなんざねーよ。逃げんのは本能だ、本能」
――本能。
それはつまり、才能ということではないのか。
だとすれば――過去3戦、逃げようとして撃沈した自分には、やっぱり才能なんて。
「あたしのペースについてきてみろよ。それが出来りゃ、逃げるなんて簡単だ」
「――わかりました」
芝コースに移動する。東京レース場を模したトレセン学園の芝コース。模擬レースや選抜レース用のゲート設置目印のところに立ち、ジャラジャラが屈伸しながら手招きする。
「こいつが落ちたらスタートだ。いくぜ」
ピン、とジャラジャラがコインを指で弾き上げた。回転するコインが山なりの軌道を描いて芝生へ落ちていく。ふたりはスタートの構えをとり、
コインが落ちる。芝生を蹴って走り出す。全力のスタート。だが――。
「――――ッ」
速い。一瞬で、あっという間に、ジャラジャラの背中がマルシュアスの前に出て、遠ざかっていく。なんて――なんてロケットスタート。これがGⅠを勝つ逃げウマ娘の、最優秀ジュニア級ウマ娘を受賞する者のスタート。次元が違う。違いすぎる。
追いつける気がしない。併走にもなりはしない。どんどん遠くなるジャラジャラの背中を見ながら、マルシュアスはその現実に小さく苦笑した。
ああ、うん。やっぱりあたしには無理だったんだ。ランデブーさんみたいな、キラキラしたオトナのウマ娘なんて。レースの世界はそんなに甘くない。あたしみたいな才能のないウマ娘だけれど、世代のトップクラスに引導を渡して貰ったのなら、まあ将来、きっと話のタネぐらいにはなるだろう。あたしは所詮、その程度の――。
――――嫌だ。
ざわり、と背筋がざわめく。不意に浮かんだその思考に、マルシュアスは自分で狼狽する。今、何を思ったの? あたし――だって、現実は、ジャラジャラ先輩の背中はあんなに遠いのに、この距離があたしの実力のはずなのに、
――――こんなところで終わるなんて、嫌だ。
憧れの人に見限られたまま。卑屈になったままで終わるなんて、嫌だ。
そんなの、全然オトナじゃない。キラキラしてない。
あたしは――あたしは、あたしだって、せめて、胸を張って。
たとえ、実力がなくて終わるんだとしても――あの日、ランデブーさんに憧れて、この学園に来たことが、無意味だったなんてことには、したくない。
『嬉しかったよ。私のレース見てトゥインクル・シリーズに出たいって思ってくれたこと』
ランデブーさんは、そう言ってくれたんだ。
あたしは――せめて、ランデブーさんにとって、誇れる後輩でありたい。
マルシュアスというウマ娘として――胸を張って、走りたい!
ぐっと脚に力を込めて、マルシュアスは顔を上げる。背中は遠い。今から追いかけたって追いつけそうもない距離。でも――諦めて、手を抜いて、ほらやっぱりダメだった、なんて言い訳にはしたくない。せめて、せめて、今できる全力で――。
ひとつ息を吐く。2400メートル。まだ距離はある。逃げで勝負できないなら、後ろから差し切る。差し切ってみせる!
向こう正面の直線を越えて、3コーナー。まだ遠い。遠いけれど――遠ざかってはいない。ジャラジャラの背中は見える。まだ見えている。
追いつく。追いついてみせる! なにがGⅠウマ娘だ、世代トップだ、あたしだって、あたしだって――トレセン学園の、ウマ娘だ!
「うああああああっ! あたしはっ、オトナのウマ娘に、なるんだあああああっ!」
残り800。マルシュアスは雄叫びをあげてスパートをかけた。風を切る感触とともに、ジャラジャラの背中が――あれだけ遠かった背中が、近付いてくる。
直線に入ったところで、ジャラジャラが振り向いた。そのときにはもう、あれだけあった差は数バ身まで詰まっている。ジャラジャラが軽く目を見開いて、そして――楽しそうに、猛々しい笑みを浮かべる。
「はっ、はっ、そうこなくっちゃな――抜かせねえ、よっ!」
ジャラジャラが荒い息を吐きながら、力を振り絞るように加速する。マルシュアスも、全身の力を振り絞って食らいつく。あと少し、あとちょっと、届け、届け、届け――っ!
――ゴールの位置を通過したとき。
ジャラジャラの背中は、既にマルシュアスの視界にはなく。
けれど――あと半バ身、ジャラジャラの頭が先にあった。
「はぁっ、はぁ――くぁーっ、2400、キッツぅ……やっべーな、これ……」
大の字になって、ジャラジャラがターフに倒れこむ。その横でよろよろと膝に手を突いて、マルシュアスはひどくうるさい心臓の音を聞いていた。
届かなかった。届かなかったけれど……あとちょっと。あと少しだった。
あと100メートルあれば……届いていたと、思う。
あたしが? GⅠを勝ったウマ娘に――あと一歩まで、届いた?
「あー……おい、マル」
「……はい」
「やるじゃん。また併走付き合ってくれよ」
「――――は、はいっ!」
仰向けになったまま拳を突き出してきたジャラジャラに。マルシュアスは自分の拳を合わせた。破れそうな心臓の音が、けれど今は、どうしようもなく心地よかった。
「うっし、今日はこのへんにしとっか! 明日寝坊したらまたジェネにどやされっからな。じゃあな、マル! 楽しかったぜ!」
「あ――」
がばっと起きあがり、ジャラジャラはこちらの返事も待たずに走り去っていく。呆然としたままそれを見送って、――うん、あたしも部屋に帰ろう、と踵を返したとき。
「何か、掴んだようじゃな」
「とっ、トレーナー!?」
いつの間にか、トレーナーがそこにいた。シワだらけの顔に埋もれそうな目を細めて、トレーナーは「ふぉっふぉっ」と笑う。そして、その後ろから――。
「おつかれさま。かっこよかったよ、マルシュちゃん」
ぱちぱちと拍手しながら、ネレイドランデブーが姿を現した。
「ら――ランデブー、さん……。み、見てたんですか? どこから?」
「んー、まあそれはいいじゃない。いやー、1ヶ月も雲隠れするのは大変だったよ」
「……あの、ええと……あたし、ランデブーさんに、見限られたんじゃ……」
「む、ひどいなあ。私がそんな薄情な先輩に見える?」
「あ、いや、そういうわけじゃ――」
頬を膨らませて見上げるランデブーに、マルシュアスは慌てて首を振る。
そして、ぎゅっと胸の前で手を握りしめた。
「……ランデブーさん、あたし」
「うん」
「あたし……ランデブーさんみたいな……ううん、違う。ランデブーさんよりももっと、キラキラした、オトナのウマ娘になりたいです! あのネレイドランデブーさんより強くて、格好良くて、キラキラしてる、オトナなウマ娘に――なりたい、です!」
「うん、よくできました」
背伸びしたランデブーにぽんぽんと頭を撫でられて、マルシュアスは泣き出しそうになりながら、ぎゅっと目を瞑る。
――その幸せな時間を切り裂くように、かつん、とトレーナーが杖を鳴らした。
「よろしい。マルシュアスよ、皐月賞、出たいかね?」
「――はいっ!」
「ならば、今月末の未勝利戦、勝つぞい。そして3月、弥生賞で優先出走権、取るんじゃ」
「――――わかりましたっ! よろしくお願いしますっ、トレーナー!」
マルシュアスは深々と頭を下げ、「ふぉっふぉっ、良い返事じゃ」とトレーナーは笑う。そしてランデブーは、そんな後輩の姿を、優しく目を細めて見つめていた。