モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
1月14日、日曜日。URA本部ビル最上階、レセプションホール控え室。
「もうっ、会長、タイが曲がってます!」
「ああ、すまないドカドカ。ありがとう」
胸元のタイを直してくれるドカドカに、リードサスペンスは目を細めた。
URA賞の授賞式とパーティへの出席は、トレセン学園生徒会の義務である。会長のリードサスペンスにはスピーチの出番もあった。原稿はドカドカが作ってくれているし、こうして人前で会長として振る舞うのもとうに慣れたことではあるが――。
「しかし、ドカドカ。少しぐらいこう、隙があった方がもっと親しみやすさを――」
「こういう公的な場所で変な格好をするのは単にだらしなく見えるだけです! 親しみやすさはもっとこう、ファン感謝祭とかそっちで追及してください」
はい、できました、とドカドカが手を離し、リードサスペンスは自分の姿を鏡に映してひとつ息をつく。完璧に整えられた正装姿の自分。トレセン学園の生徒会長、ウマ娘会のスポークスマンとしての〝リードサスペンス〟の姿。
今の立場に文句があるわけではないが、ときどき、ひどく遠くに来てしまった――という思いに囚われることがある。トゥインクル・シリーズで走っていたあの頃。他のことになど目もくれず、ただコンマ一秒でも速く、数センチでもライバルより先を目指して、ただ走るためだけに走っていられたあの頃――。
たった3年と少しの現役生活は、今振り返ると、ほんの刹那の夢でしかなかったようにも思える。あまりにも――幸せな夢。
……そんな風に思えるのは、自分が〝絶対王者〟だったからなのだろうか?
「どうしました? もう時間ですよ」
鏡の中で、隣のドカドカが自分を見上げているのに気付いて、リードサスペンスは詮無い回想を振り払った。今の自分は後進のためにウマ娘界を支える立場。納得してここにいるのだ。あの頃の自分と同じ刹那の夢の中にいるウマ娘たちのために――。
「行こうか、ドカドカ」
「はい、お供します」
黒いドレスの裾を揺らしてついてくるドカドカ。その小さな姿に目を細めながら、リードサスペンスはレセプションホールへ通じるドアを開けた。
煌びやかなパーティ会場のざわめきが一瞬鎮まり、人々の視線が集まる。その視線を受け流しつつ、リードサスペンスはドカドカを従えてステージへと向かった。
――さて、今日もせいぜい、〝生徒会長〟を始めるとしようか。
* * *
――あー、やっぱ適当言ってサボるんだった……。
似合わないにも程がある水色のドレスに無理矢理着替えさせられた瞬間から、ジャラジャラはこの場に来たことを盛大に後悔していた。笑いを堪えながら「新鮮だな」と言ったトレーナーのことは張っ倒してやろうかと思った。くそ、こっちはてめーのために猫被ってやろーってのに、笑うこたーねーだろ笑うこたー!
ステージ脇の壁際で、先に表彰されている最優秀ダートウマ娘や最優秀短距離ウマ娘のことを横目に見ながら、ジャラジャラは溜息をつく。スーツ姿の大人とマスコミの群れ。こういう場所に来たくて走ってるわけじゃねーのになあ、と言っても、この場にいる者のほとんどは理解してはくれないのだろう。
「機嫌悪そうだねー、ジャラジャラちゃん」
「あ、ランデブー先輩」
ステージから下りてきたネレイドランデブーが、不機嫌そうなジャラジャラを目に留めて話しかけてきた。ランデブーは前年の最優秀短距離ウマ娘として、今年の同部門の受賞者への花束贈呈に呼ばれていたのである。
「正直、もう帰っていいっすかね」
「あはは、URA賞の授賞式ブッチしたら歴史的気性難として伝説になるだろうけどねー」
ランデブーは楽しそうに笑い、それからふっと目を細めた。
「そうそう、昨日はありがとうね」
「昨日?」
「ほら、マルシュちゃん。ジャラジャラちゃんのおかげで、いろいろ吹っ切れたみたい」
「……ああ、あいつのことっすか。いや別に、なんかした覚えもねーっつーか、あたしの方から併走頼んだだけっすけど。つーか、あいつまだ未勝利戦勝ってねーってマジすか?」
「うん。本人の才能じゃなく精神的な部分で、ちょっとね。ちょっともたついたけど、三冠には出られると思うよ。それだけの才能はある子だから」
「ほーん」
――三冠、か。ジャラジャラは頭を掻く。
だいたい、なんで三冠路線とティアラ路線とで分かれてるんだろうな。全部一緒くたに競った方が誰が一番強いかわかりやすいじゃねーか――とジャラジャラは思う。それがトゥインクル・シリーズの慣習だと言われても、だからなんだ、としか思えない。
今のトレーナーにスカウトされる前に声を掛けてきたトレーナーの中にも、「君ならティアラ路線じゃなくても、三冠だって獲れる!」と言ってきた奴がいた。どうやら世間的にはトリプルティアラより三冠の方が格が上ということらしいが、どうでもいい。
――ジェネとあのミニキャン……じゃなかった、ミニキャクタスより強い奴がそっちにいるってんなら、桜花賞であいつらを倒してから喜んで行くんだけどな。
「おっ、ランデブーさん、どもー。花束贈呈おつかれさまです」
と、そこへもうひとり別の声が掛かった。大量の料理を載せたトレーを抱えている長い芦毛のウマ娘は、ジャラジャラもさすがに知っていた。テイクオブ……いや、テイクオフプレーンだ。
「あ、プレーンちゃん。そっちこそ、パーティ満喫してるねー。そんなに食べてこのあと表彰なのに大丈夫?」
「いやー、庶民としちゃーこんな立派な会場の立派な料理食べられる機会なんて一生に一度あるかどーかですからね! ノディの居ぬ間にレッツ食いだめ!」
「太っても知らないよー?」
「太ってもドバイ行くまでには戻すので大丈夫です! っと、そこのキミは、後輩の弾丸ちゃんか。やーやー、噂は聞いてるよ」
「……ども、ジャラジャラっす」
テイクオフプレーン。現在のところ、現役のティアラ路線のウマ娘で最強に最も近いのが彼女だろう。同じ逃げウマ娘だが、スタイルは違う。だからこそ、一度手合わせ願いたい相手だったが……。
「いやー、見たよサウジRCと阪神JF。めちゃくちゃ強いね! あたしもうかうかしてらんないなーと思いましたとも。今年たぶん戦えないのが残念! 同じ逃げウマ娘としてお手合わせ願いたかったけどね」
「プレーンちゃん、今年は海外一本なんだっけ?」
「夏場は札幌記念あたり走りに戻ってくるかもですけどね。国内はノディに任せますよ。ジャラジャラちゃんも、来年は海外おいでよ。相手になるよ? ヒクマちゃんも海外目指すって言ってるし」
「ヒクマ? ……ああ、あいつっすか」
あの芦毛のバイトなんとかクマか。そういやあいつともまだ戦ってなかったな――とジャラジャラは思い出す。
ふうん、あいつ海外目指してんのか――。
海外か。アメリカ、イギリス、フランス、香港、ドバイ、サウジアラビア――。めちゃくちゃ強いウマ娘がゴロゴロしているのだろう、というのは想像がつく。想像はつくが。
「…………」
今ひとつピンと来ない。たぶん、相手の顔が思い浮かばないからだ。
――どーも、顔の見える相手じゃねーと燃えねーんだよな。
現地に行ってその場のウマ娘の走りを見れば、きっと燃える相手はいくらでもいるのだろうとは思うが。――今はそれより、叩き潰しておきたい相手がいる。
「そっすね。年度代表ウマ娘獲ったら行きますよ」
「お、大言壮語、夢があっていいねえ! 気に入った、今度併走付き合ってよ」
プレーンが楽しそうに笑って肩を叩き、ジャラジャラは望むところ、と笑みを浮かべた。と、
『続いては最優秀ジュニア級ウマ娘――』
「あ、ジャラジャラちゃん、出番だよー」
「うえ、マジすか。はぁー、しゃーねー、行ってきます」
ランデブーにつつかれ、ジャラジャラは溜息をついてステージに向かった。
* * *
『最優秀ジュニア級ウマ娘! デビューから3戦3勝、サウジアラビアロイヤルカップでは25年ぶりの平地重賞大差勝ち。阪神ジュベナイルフィリーズも圧巻のレコード勝利、ジャラジャラさんです!』
「あー、ども」
拍手とカメラのフラッシュの中、やる気なさげに片手を挙げるジャラジャラに、隣に棚村トレーナーが困ったような表情を向けている。その姿を、リードサスペンスはドカドカと並んで会場の後方から腕組みをして眺めていた。
「……なんというか、外見を取り繕う気がない会長って感じの子ですね」
「なかなか辛辣なことを言ってくれるね、ドカドカ」
「外見を取り繕う気があるだけ会長は立派だと思います。まあ、会長があの子に目を掛けるのはなんとなくわかりますけど。似たもの同士な気配がしますよ。ルームメイトのエレガンジェネラルさんは大変でしょうね、同情します」
「おやおや、それじゃあまるで私も君に迷惑をかけ通しみたいじゃないか」
「自覚がないなら自覚してください、自覚があるなら直す努力をしてください。とりあえず仕事中にふらっといなくなったり、書類を期限ギリギリまで貯め込んだりせずに」
「ちゃんと仕事は期限内に仕上げているつもりだけどね」
「いい加減なのにちゃんと辻褄を合わせてしまうから余計にスケジュールがいい加減になるんじゃないですか、会長は……」
はあ、と溜息をつくドカドカに、リードサスペンスは肩を竦める。
『さてジャラジャラさん、今年はクラシック級での戦いになりますが、ズバリ今年の目標はトリプルティアラでしょうか』
司会のその言葉に、マイクを手にしたジャラジャラは「あー」と空いた手で頭を掻く。
「猫被ろーかとも思ってたけど、やっぱ心にもねえこと言っても仕方ねーんでぶっちゃけます。あたしは、そーゆー勲章に興味はねーっす。トリプルティアラだの何だのが欲しくて走ってるわけじゃねーんで」
参加者がざわめく。ジャラジャラの隣で棚村トレーナーが「あちゃー」という顔で頭を抱え、司会者も次の言葉をなんと発していいのか困ったように口ごもった。
そんなどよめきの中で――リードサスペンスは、腕組みをしたまま、壇上のジャラジャラを見つめる。
「あたしが次、桜花賞目指すのは、エレガンジェネラルとミニキャクタスを倒すためっす。今んとこ、あたしの知る限りそのふたりが同期で一番強いと思うんで。ジェネには阪神で勝ったけど、ま、あいつもあれで格付けが済むよーなタマじゃねーっすから」
『……で、では、桜花賞でそのおふたりを倒されたら?』
「んな先のことはまだわかんねーっすよ。ま、オークスでもダービーでも、次に倒したい相手がいるところに出るだけっすから」
呆気にとられた観衆に、ジャラジャラはひとつ息を吐いて。
「つーわけで、あたしが欲しいのは、あたしを滾らせてくれるライバルっす。ライバルは何人いてもいいっすから、あたしより強いって自信のある奴ならいつでも誰でも大歓迎。喜んで倒しに行くんで――よろしく」
その、獰猛な笑みに。
ぞくり、とリードサスペンスの背筋が泡だった。
そのときの、ジャラジャラの視線が――自分を射貫いていたように感じたのは、傲慢な自意識過剰だろうか。
だが……なんだろう、身体の奥からふつふつと湧いてくる、この熱は。
一線を退いて、会長の椅子に納まってから――久しく忘れていた、この感覚は。
「……会長?」
ドカドカが、訝しむようにこちらを見上げていた。
いつの間にか拳をきつく握りしめていたことに気付いて、リードサスペンスは我に返る。強ばったその拳を無理矢理ほどいて、深く大きく息を吐いた。
――ジャラジャラ。運命的な何かを、彼女に対しては感じていた。
それは――ひょっとしたら、あの頃の闘争本能が疼いていたのか。
九冠ウマ娘として。絶対王者として。――ウマ娘、リードサスペンスとしての。
「……ドカドカ」
「はい」
「これが終わったら、一緒に走らないか」
「え?」
「今、無性に走りたくなった。できれば今すぐにでも、ここを飛び出したいぐらいだ」
「――――会長にそんなことをされたら困ります」
ぶるりと身を震わせたリードサスペンスに、ドカドカは呆れたように息を吐く。
「けど……」
そして、不意に目を細めて、リードサスペンスの顔を見上げた。
「会長の――いえ、リサさんのその顔、久しぶりに見ました。レース前の貴方の顔。どんなに〝絶対王者〟と讃えられても、驕りも慢心もなく、ただゴールだけを見つめている、ただひとりのウマ娘の顔。――私が憧れた、リサさんの顔です」
「……ドカドカ」
「いいですよ、いくらでもお付き合いします。――私も、リサさんと久しぶりに、全力で走りたいです」
「ドカドカ!」
思わず、リードサスペンスはドカドカの手を強く握りしめていた。
「よし、手に手を取って、こんな会場からは逃避行と行こうか!」
「――このパーティが終わってからです!」
走り出そうとしたリードサスペンスを、ドカドカがその場に踏ん張って引き留める。
ジャラジャラの常識外れのスピーチにどよめいていた観衆は、後ろで繰り広げられていたそんな一幕には、誰も気が付いていなかった。