モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
暦は1月から2月。それぞれの戦いは続いていく。
* * *
1月14日、小倉レース場。クラシック級未勝利戦、芝1200メートル。
ソーラーレイ、後方から内を突いて追い込むも半バ身差届かず2着。
「おかえりなさい、レイさん! 惜しかったですね!」
「あー、委員長、ただいまぁ。思ったより小倉寒かったよぉ」
「冬ですからね! 仕方ありません! さあどうぞ!」
「あー、委員長あったかいわー」
「バイタル湯たんぽです!」
寮の部屋でバイタルダイナモを抱き枕にしながら、レイは悔しさを噛み殺すようにダイナモの首元に顔を埋めた。
――焦らず、5月の葵ステークスを目指そう。トレーナーはそう言った。
チョコチョコの奴が出てくるのは、3月のファルコンステークスなのに。
またユイチョコから引き離される。――あのふたりの背中に、追いつけるのだろうか?
* * *
1月27日、京都レース場。クラシック級未勝利戦、芝2000メートル。
マルシュアス、3番手の先行策から直線抜け出しを図るも、垂れてヨレてきた逃げウマ娘にぶつけられる不利を受け、ゴール前で差し切られ2着。
「ううううううっ、う~~~~~っ!」
「うん、悔しいよね。……残念だけど、こういうこともあるのがレースなんだよ」
やり場のない感情に震えるマルシュアスの肩を、ネレイドランデブーがそっと抱く。
会心のレースだった。逃げることしか考えず、スタミナが尽きて撃沈を繰り返していたこれまでと違って、番手に構えてしっかり折り合えた。直線でいくらでも前に行けそうな気がした。闇雲に逃げていたときよりも、ずっと目の前が広くて、もうゴールしか見えなかった。絶対に勝てた。勝てたと――思ったのに。
抜き去ろうとした相手が、へろへろになってヨレてぶつかってきて――最後の100メートルで歯車が狂った。思うように脚が前に行かなくなって、最後の最後でかわされた。――どうして。どうして、間違いなく勝ってたのに!
「いいレースじゃったが、負けは負けじゃな。――これで、正攻法で皐月賞に出るのは厳しくなったのう」
トレーナーの言葉に、マルシュアスは顔を上げる。そう、皐月賞まではあと二ヵ月半しかないのだ。出走するには今日ここで勝って、3月のトライアルに挑むしかなかった。今日負けたということは、事実上皐月賞への道のりは絶たれたということ――。
……正攻法?
「トレーナー。……正攻法で、って?」
何か裏技でもあるというのか。マルシュアスの問いに、トレーナーはシワの奧の瞳を光らせて、白い髭を揺らして不敵な笑みを浮かべた。
「マルシュアスよ。皐月賞、諦めるかね?」
反射的に、マルシュアスは首を横に振っていた。諦めたくはない。まだチャンスがあるなら、クラシックに出たい。――ランデブーさんが引退する前に、あたしはランデブーさんのおかげで強くなれましたって――胸を張りたい。
「よろしい。――マルシュアスよ。次走、弥生賞じゃ」
「……へ? え、ええええええっ!? と、トレーナー、何言ってるんですか!?」
意味がわからない。弥生賞はGⅡ、重賞レースだ。未勝利の自分が出られるはず――。
「あ、そっか。トライアルだから」
「へ? え、ランデブーさん、それ、え? あたし、出られるんですか?」
「うん。――クラシック級GⅠのトライアルは、未勝利でも出られるんだよ。もちろんフルゲートになれば真っ先に除外対象になっちゃうけど」
ランデブーの言葉に、マルシュアスは目をしばたたかせる。――出られる? 皐月賞トライアルに? あたしが?
「もちろん、普通に出るより条件は厳しいぞい。優先出走権は3着までじゃが、未勝利のおぬしが皐月賞に出るには、ファンPtが加算される2着以内が最低条件。おまけに相手には、ホープフルステークス3着のデュオスヴェルが出てくる予定じゃ」
「――――」
「それでも、挑戦してみるかね?」
再び反射的に――マルシュアスは頷いていた。チャンスがあるなら――諦めない。
「やります! 弥生賞、勝ってみせます!」
「よろしい。――ふぉっふぉっ、儂も長いことトレーナーやってきたが、未勝利でトライアルに送り出したくなったのはおぬしが初めてじゃ。未勝利からトライアルを突破してクラシックに出たウマ娘は過去にひとりもおらん。……この歳で初めてに挑戦するとはのう。昂ぶるぞい」
杖を打ち鳴らすトレーナーの眼光に、思わずマルシュアスは背筋を伸ばした。
――あれ、今までただの好々爺だと思ってたこのトレーナー……ひょっとして、なんか、実はなんか凄いトレーナーだったり……?
「どうしたのー? マルシュちゃん」
冷や汗を流すマルシュアスを、ネレイドランデブーが不思議そうに見上げていた。
* * *
2月3日、小倉レース場。かささぎ賞(1勝クラス)、芝1200メートル。
バイタルダイナモ、後方待機からバ群に埋没したまま13着。
「レイさんを見習って後ろから行く作戦を立てたんですが、全然ダメでしたね! 失敗、完敗、疲労困憊です!」
「委員長、なんで未勝利のあたしなんか見習うのさー」
「委員長ですから! 皆の模範として様々な戦法にも通じておかなくては! でも、内枠で後ろに構えると前で集団が壁になってしまうということがよくわかりました! これがかの有名な故事『前方の壁、後方の差しウマ』というやつですね!」
「なんかそれちがくね?」
惨敗してもいつも通りに胸を張ってはっはっはと笑うダイナモに、ソーラーレイは肩を竦めた。――このメンタルの源、なんなんだろーなー、と思いながら。
* * *
2月10日。東京は夕刻から吹雪に見舞われた。
「ええっ、明日の東京、開催中止ですか?」
「無念ッ! この雪は火曜日まで止まないとの予報! バ場状態の悪化に加え、交通機関の混乱も予想されるッ! 誠に遺憾ながら、11日、日曜日の東京開催は中止ッ! 来週月曜の19日、フェブラリーSの翌日に順延するッ!」
秋川理事長の発表に、トレーナーたちがざわめく。
桐生院葵も、その中にいた。
「慚愧ッ! 明日のレースを目標に仕上げてきたウマ娘とトレーナー諸君には甚だ申し訳ないッ! だがウマ娘と観客の安全が第一ッ! どうか了解願いたいッ!」
理事長に頭を下げられてしまっては、誰も返せる言葉はない。
――2月11日の東京開催、GⅢ共同通信杯を含む全レースは、19日月曜日に順延。正式にURAからその発表が為されたとき、葵はトレーナー室で担当のハッピーミークと向き合っていた。
「そういうわけです、ミーク。残念ですが、来週に向けて改めてしっかり調整していきましょう」
「…………わかりました」
どう思っているのか、いつも通りのぼんやりした顔で頷くミーク。このところミークは絶好調だったので、明日の開催中止は葵としても痛恨だった。問題は、この調子を来週までどう落とさずに維持できるか……。
「気を落とさないでくださいね、ミーク。今のミークなら1週間延びたぐらいなんてことないはずです! 来週、重賞初勝利といきましょう!」
「…………おー」
――そう切り替えて、意気込んでいたのだが。
なんと、翌週も東京に大雪が降った。
17日土曜日の東京開催は20日火曜日に順延。18日日曜日はメインレースがダートGⅠのフェブラリーステークスということで、さすがにGⅠを順延にはできず、同日の芝レースを全てダート変更で開催となった。
――そして、19日月曜日も、引き続き雪予報だった。
「理事長、いかがなさいますか? おそらく明日までに芝コースは開催できる状態に戻らないとの見込みですが、さすがに重賞を2週連続の順延は……」
「不覚ッ! さすがに東京で2週続けての大雪は想定外ッ!」
心配げな駿川たづなに、秋川やよいは腕組みして唸る。
「無念ッ! 本日のダート変更でもウマ娘とトレーナー諸君に多大な迷惑をかけてしまったッ! 全て我々のレーススケジュール管理の見通しの甘さが原因ッ!」
地方トレセンとの関係で、水曜日から金曜日の開催は不可能。月曜も芝コースが使えないとなると、共同通信杯はもう1週順延するか、あるいは……。
「だが、これ以上の順延もいかんッ!」
「では、理事長……!」
「うむッ! ――明日の共同通信杯は、ダート1600メートルに変更するッ!」
* * *
2月19日、月曜日。東京レース場。
重賞、共同通信杯。ダート1600メートル。
『雪の東京レース場からお送りしておりますトゥインクル・シリーズ、昨日に続き本日も雪の影響で芝コースが使えず、全レースダート変更となっております。本日のメインレースはGⅢ共同通信杯、クラシック級限定、芝1800メートルのレースでしたが、今年はなんとダート1600メートル、格付けなしの重賞としての開催となりました。楠藤さん、いや、芝重賞のダート変更というのは何年ぶりですか』
『二十何年ぶりですかね。記録上の最後のダート変更もこの共同通信杯でした。昔から雪の影響で何度かダート変更になった歴史のあるレースですが、いやあ、まさか現代でダート変更が起こるとは思いませんでしたねえ』
『URAは現在、芝レースのダート変更はよほどの理由がない限り行わないことを原則としておりますが、今日の共同通信杯は前週の開催中止による順延開催。しかも土曜日のダイヤモンドステークスが火曜日に順延になっているため、これ以上の繰り延べはできないということのようです。しかしこうなりますと予想が難しいですね』
『芝とダートでは全く違いますからね。クラシックを目指す有力ウマ娘が揃う出世レースだけに、皆戸惑っているかと思います』
『異例づくめの共同通信杯、それではパドックを見ていきましょう――』
「まさかダート変更になるとは思いませんでしたが……でも、これはチャンスかもしれません! ミークはダートも走り慣れていますからね! いつも通り走れば大丈夫です!」
「…………がんばります。……ぶい」
ピースサインを作るミークに頷いて、葵はミークをダートコースへと送り出す。
――実際、これはチャンスだった。デビュー前の模擬レースや併走で、ミークはダートでも充分に通用するタイムを出している。他の出走ウマ娘はほぼみんなクラシックを目指す芝専門の面々。ダートの経験ならミークに一日の長がある。
頑張ってください、ミーク。
祈るような気持ちで、関係者席の最前列に陣取った葵は、雪の舞う府中の砂上に白く輝く、ミークの真っ白な白毛を見つめた。
数分後、桐生院葵は、自分がハッピーミークというウマ娘の特異な才能を見誤っていたことを、思い知らされることになる。
『直線に入って残り400、ハッピーミークが堂々と先頭! 3バ身、4バ身、5バ身と突き放す! 抜けた抜けた、7バ身、8バ身、これは圧勝、セーフティリード!』
ぽかん、と、葵は観客席で口を開けていた。いや、観客席のほとんど誰もが。
中団から3コーナーでもう外から進出し始めたハッピーミークは、4コーナーで先頭を捕らえ、直線入口で抜け出すとあとは突き放す一方。
『圧勝ですハッピーミーク、今ゴールイン! 後ろは10バ身近く突き放しました! 朝日杯フューチュリティステークス3着の白毛ウマ娘ハッピーミーク、重賞初制覇は雪の共同通信杯、ダートの砂上に衝撃の白い軌跡を描きました!』
東京レース場のどよめきの中、雪の降りしきる砂上で、いつも通りのぼんやりとした表情でハッピーミークは観客席を振り返る。
その無表情が何を思っているのかは、当人以外誰も知り得ない。
――そして、このレースが、万能ウマ娘ハッピーミーク伝説の始まりであることも、まだ誰も知らなかった。