モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
2月11日、日曜日。
大雪で東京レース場の開催が中止になる中、ミニキャクタスは商店街のアーケードに足を運んでいた。雪で外出を控えている人が多いのか、人通りは少ない。濡れた傘を畳んで、マフラーで口元を隠すようにしながら、ミニキャクタスは歩いて行く。
街は3日後に控えたバレンタインムード。それと一緒に、来週に控えたGⅠフェブラリーステークスの宣伝をあちこちで見かける。――どちらも、自分には関係がないもの。そう思っていた、はずなのだけれど――。
ふと気付くと、バレンタインチョコの広告の前で、足を止めている自分がいる。
《「好き」は恋だけじゃない。大切な友だちへ》
――友チョコ。そんな概念が存在すること自体、初めて意識したかもしれない。
いや、トレセン学園に来る前だって、小学校のクラスメートはバレンタインに大騒ぎしていた。友チョコだってたくさん飛び交っていたはずだ。けれど、そんなのは全て、ミニキャクタスにとっては遠いどこかの話でしかなかった。
だけど、今は――贈りたいと思える、相手がいる。
目を伏せると思い浮かぶ、いくつかの顔。担当の小坂トレーナー。そして、いつも一緒にトレーニングに付き合ってくれる、3人のウマ娘。――その中でも、いちばん自分の近くにいてくれる、大きな瞳をした芦毛のあの子。
私がチョコを贈ったら、彼女は喜んでくれるだろうか?
広告の中の、鮮やかにラッピングされたチョコをぼんやりと眺めていると――。
「あっ、キャクタスちゃん!」
大声で名前を呼ばれ、ミニキャクタスはびくりと身を竦めた。街中で誰かから名前を大声で呼ばれるなんて、それこそ人生で初めてのことである。おそるおそる振り返ると、見慣れた大きな瞳がこちらを見つめていた。
「……ヒクマ、ちゃん」
もこもこのコートに身を包んだバイトアルヒクマと、その隣にはブリッジコンプとリボンエチュードもいる。ヒクマがミトンの手袋をはめた手を振ってこちらに駆け寄ってきた。
「街中で会うなんて珍しいね! あ、ひょっとしてキャクタスちゃんもバレンタインの買い出し?」
「…………ヒクマちゃん、チョコ……贈るの?」
「うん! エチュードちゃんとコンプちゃんと、3人でトレーナーさんに手作りするの!」
じゃーん! とヒクマは手に提げていた袋を掲げる。材料が入っているらしい。
「キャクタスちゃんも贈るよね? 担当のトレーナーさんに」
「え……あ……う、うん」
そう、ミニキャクタスもそのつもりで街中に出てきたのだった。せめてお世話になっている小坂トレーナーと、それから……ヒクマたちの担当トレーナーにも。そして……ヒクマたちへの、友チョコと……。と言っても、手作りする自信なんて無かったから、出来あいのものを買ってラッピングすればいいと思っていたのだけれど……。
「じゃあ、キャクタスちゃんも一緒に作ろうよ! これからね、わたしの家でみんなでチョコ作ろうって言ってたんだ!」
「……ヒクマちゃんの、家?」
「寮のキッチンとか学園の家庭科室はとっくに埋まってるからね。エーちゃんちだとなんか話が大げさになりそうだし、あたしんちよりはクマっちの家の方が近いし、料理屋さんだから道具も揃ってるだろうし」
歩み寄ってきたコンプがそう言い、エチュードが困ったように首をすくめる。
ミニキャクタスは、困ったように3人の顔を見渡した。
「……い、いいの? 私……そんな、一緒でも……」
「当たり前だよ! 一緒にチョコ作ろ、キャクタスちゃん!」
ヒクマに手袋越しに手を握られ、ぐいっと顔を近づけられて――ミニキャクタスは、顔が熱くなって目を伏せる。そんなキャクタスの様子に、コンプとエチュードが顔を見合わせてそれぞれに笑みを漏らしていた。
* * *
あれよあれよという間に、ヒクマの実家に連れて行かれて、一緒にバレンタインチョコを作ることになってしまった。
案内されたヒクマの実家で、娘同様にテンションの高い母親に「ああ、貴女がキャクタスちゃん! ヒクマがいつもお世話になってます!」と距離を詰められて目を白黒させ。
料理に不慣れなキャクタスとコンプが、手慣れたヒクマとエチュードの指示を受けながら、悪戦苦闘すること数時間。
「できたー!」
焼き上がったカップケーキをオーブンから取り出すと、漂ってくるいい匂いに歓声が弾けた。プレートの上でこんがりと焼けたケーキを、ミニキャクタスは不思議な気分で見下ろす。……どうしてこうなったのだろう、とは思うものの、出来上がったケーキを見るのは、決して悪い気分ではなかった。
「むぐむぐ、はちち……うん、上出来じゃない?」
「コンプちゃん、火傷するよー?」
粗熱も取りきれないうちからコンプがつまみ食いし、ヒクマが口を尖らせる。
「でもエーちゃん、いいの? あたしたちと共同チョコで」
「い、いいの……。こうするのが自然だし、手作りなのは変わらないし、うん」
「あのトレーナーにはもーちょっと押してった方がいいと思うけど」
「コンプちゃん! もう……」
顔を赤くするエチュードに、ニヤニヤと笑うコンプ。ミニキャクタスがそんな様子をぼんやりと眺めていると、不意にその眼前にできたてのカップケーキが差し出された。振り向くと、ヒクマが笑顔でケーキを差し出している。
「はい、キャクタスちゃんも味見、味見」
「え……あ、うん」
「あーん」
「えっ、あ、えと……」
「はい、あーん!」
「……あ、あーん」
目を瞑って口を開けると、一口サイズのあたたかいケーキが口の中に転がり込む。甘くて熱くて、ほんの少しほろ苦い味が口の中に広がった。
「どうかな?」
「……うん……美味しい、と、思う」
「えへへ、良かった! じゃあ、粗熱取れたら袋詰めするね。常温だと14日までは不安だから、寮の冷凍庫で保存しておいて!」
笑ってそう言いながら、追加のぶんをオーブンに入れるヒクマ。キャクタスは口の中に残るカップケーキの味を思い返しながら目を細める。
そんなキャクタスを目に留めて、コンプが歩み寄ってきた。
「キャクちゃん、クマっちから食べさせてもらったケーキ、そんなに美味しかったの?」
「え……? わ、私……変な顔……してた?」
「いや、なんか今まで見たことないぐらい幸せそうな顔してたから」
「――――」
虚を突かれて、キャクタスは目をしばたたかせる。――幸せそうな顔、って、自分はいったい、どんな顔をしていたのだろう……。
「そうそう、キャクちゃんはもっと今みたいに笑えばいいの。今の顔、可愛かったし」
「え――――」
にっ、と笑うコンプに、どんな言葉を返したらいいのかわからず、キャクタスは俯く。
と、そこへまた、今度はラッピングされた袋詰めのカップケーキが差し出された。
「はい、キャクタスちゃんのぶん!」
「あ……ありがとう」
2袋あるのは、小坂トレーナー用と、ヒクマたちのトレーナーにも贈る用ということか。おっかなびっくりそれを受け取ると、オーブンで追加ぶんが焼き上がった音がする。
「おっ、できたできた。じゃ、トレーナーにあげるぶんは準備できたから、残りは3日早いけどレッツ友チョコパーティ!」
「だ、大丈夫かな……? トレーナーさんに言わずに間食しちゃって……」
「いーのいーの、バレンタインは別腹! ほら、キャクちゃんもこっちこっち」
心配げなエチュードにコンプが笑って答え、キャクタスに手招きする。
キャクタスは目をしばたたかせながら、そちらに歩み寄った。
「とゆーわけで、残りのぶんはこの4人で交換する友チョコってことで、はいエーちゃん」
「あ、ありがとう、コンプちゃん」
大皿の十数個のカップケーキからひとつをコンプがつまみあげ、エチュードに手渡す。
「えへへ、じゃあわたしも! はい、キャクタスちゃん!」
「――――あ、ありがとう……。じゃ、じゃあ……私も、はい、ヒクマちゃん……」
ヒクマから差し出されたカップケーキを受け取ったキャクタスは、自分も大皿に手を伸ばし、手に取ったケーキをヒクマに差し出した。
「うん、ありがとう、キャクタスちゃん!」
ぱっと花開くヒクマの笑顔。その眩しさに、キャクタスは目をしばたたかせて――。
そして、なんだか不意に、ひどく泣きたくなってしまった。
「あ、あれ、キャクタスちゃん? どうしたの?」
「う、ううん……なんでもない、なんでもないの……なん、だか、うれし、くて」
「え、泣くほど喜ぶようなことだった? キャクちゃん、感情のツボがときどきよくわかんないよね」
肩を振るわせてしゃくりあげるキャクタスを、ヒクマが心配そうに覗き込み、コンプが目をしばたたかせて肩を竦め、エチュードは黙ってジュースを差し出した。
ジュースに口をつけながら、キャクタスは自分を取り囲む3人の姿を視線だけで見回して、テーブルの上のカップケーキを見下ろす。
友達と一緒に作った友チョコが、当たり前に、テーブルの上で区別なく並んでいる。
そのことが――なんだか、どうしようもなく、幸せだった。
* * *
2月14日、水曜日。
「トレーナーさん、はい、ハッピーバレンタイン!」
「……あ、あの、これ、どうぞ! みんなで、作ったので……」
「ブリッジコンプちゃんの手作りよ、ありがたく受け取りなさい!」
トレーニングを始めようと集まったところで、3人から袋詰めのカップケーキを貰ってしまった。――そうか、そういえば今日はバレンタインか。すっかり忘れていた。
「ああ、ありがとう3人とも。え、手作り?」
「うん! キャクタスちゃんと4人で作ったの!」
ヒクマが笑顔で答える。「ミニキャクタスも?」と私が振り返ると、小坂トレーナーとミニキャクタスもそれぞれに私にチョコを差し出してくれていた。小坂トレーナーはラッピングされたおそらく既製品。ミニキャクタスはヒクマたちと同じカップケーキだった。
「…………お世話になっていますから、そのお礼です…………」
「あ、小坂トレーナーにミニキャクタスまで、すみません。今日がバレンタインなんてすっかり忘れてました……。ホワイトデーには必ずお返ししますので」
「いえいえ、お構いなく…………」
小坂トレーナーは首を振るが、そうはいくまい。ホワイトデーは忘れないようにしないとなあ、と私は頭を掻きながら心の中にメモしておく。ミニキャクタスは恥ずかしそうに無言でカップケーキを渡すと、ヒクマたちの方に駆け寄っていった。
やれやれ、お茶請けには困らないな。そう思いながら貰ったチョコを鞄に仕舞うと、私は手を鳴らして合図した。
「はいはい、じゃあバレンタインも済んだところで、トレーニング始めるよ!」
「トレーナー、担当ウマ娘が手作りチョコあげたんだから、もうちょっと感激してくれたってバチ当たらないんじゃない?」
「いやいや、充分感激してるよ。ヒクマもコンプもエチュードも、ありがとう。大事にいただくから――チョコ作りで摂取したカロリーは、しっかりトレーニングで消化しようね」
口を尖らせるコンプにそう答えると、コンプは「ぐっ」と唸り、ヒクマとエチュードが後ろで笑う。そしてミニキャクタスも――目を細めて微笑んでいた。
「ミニキャクタス、表情が柔らかくなりましたね」
「…………わかりますか…………」
そうして4人のトレーニングを見守りながら、私は小坂トレーナーにそう声を掛ける。振り向いた小坂トレーナーは、こくりと頷いた。
「ホープフルステークスの前は…………かなり、思い詰めて、張り詰めた様子でしたけど…………今のキャクタスちゃんは、リラックスできていると思います…………。集中したときのキャクタスちゃんはすごい力を発揮しますけれど…………年中その状態でいたら、壊れてしまいますから…………。ヒクマちゃんたちの、おかげですね…………」
私も小坂トレーナーの言葉に頷く。桜花賞まで2ヵ月。ミニキャクタスは結局トライアルは挟まず、そのまま直行の予定だった。2週間後のチューリップ賞に出るヒクマや、3週間後のアネモネステークスに出るエチュードはこれからレースへ向けて仕上げていくところだが、まだ余裕のあるミニキャクタスは、今の時点ではリラックスしているぐらいの方がいいだろう。
そう考えたところで、――でもミニキャクタスはあくまでライバルなんだよな、と私は頭を掻いた。どうも一緒にトレーニングを見ているせいで、ミニキャクタスのことまで担当のように見てしまっている。いや、もちろんライバルだからといって、その脚を引っぱるような真似をする気は毛頭ないけれども……。
並んで走りながら、視線を交わして微笑み合うヒクマとキャクタス。その姿に目を細めて、――まあいいか、と私は頷いた。
トレーニングでは仲間、レースではライバル。そういう関係であることを一番よくわかっているのは当人たちだ。その上でふたりがああして笑い合っていることが、悪いことだとは思わない。それに、アネモネステークスを突破できれば、エチュードだって同じ土俵で戦うライバルになるのだから――。
私が、そんなことを思っていた、そのときだった。
「――――キャクタスちゃん?」
隣の小坂トレーナーが、不意に、緊迫した声をあげた。
その視線の先――ウッドチップコースを軽く併走していたヒクマとミニキャクタス。ペースを合わせて走っていたはずのふたりの、距離がいつの間にか離れていた。
ミニキャクタスのペースが落ちている。ヒクマがそれに気付いて脚を緩めた。
そのまま、ミニキャクタスが立ち止まる。小坂トレーナーが駆け寄っていく。
「キャクタスちゃん!?」
その声は、ヒクマか、小坂トレーナーの悲鳴だったのか。
別の場所で体幹トレーニングをしていたコンプとエチュードも、その声に振り向いた。
皆の視線が集まった、その先で。
――ミニキャクタスが、右脚を押さえて蹲っていた。