モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第81話 そこに立つ資格

 3月3日、日曜日。中山レース場。

 第11レース、皐月賞トライアル、GⅡ弥生賞。

 

「ああああ~~~~……」

 

 レース前の控え室。マルシュアスはスマホを片手に頭を抱えていた。

 

「大丈夫? マルシュちゃん」

「ランデブーさぁん……ううっ、あたしホントに出走して良かったんですかあ……?」

 

 顔が青い後輩を覗きこんだネレイドランデブーは、スマホの画面に映し出されているページに目をやる。ウマ娘関連の巨大掲示板のまとめブログだった。

 ――『弥生賞に未勝利ウマ娘wwwwwwwwwww』

 

「あー……」

 

 ランデブーは頬を掻いた。ウマ娘にとって、レース前のエゴサーチは諸刃の剣である。ファンの温かい声援を聞きたくて、あるいは自分の評価を知りたくて、自分の名前でSNSを検索し、首尾良く応援の声を見かけてやる気を出せればいいのだが――心無い声が目に入るリスクも大きい。ショックを受けるのを避けるために、レース前には担当ウマ娘のスマホを取り上げるトレーナーもいる。

 今日の弥生賞はフルゲート割れの14人立て。そのおかげで未勝利のマルシュアスも出走できたわけだが……。ルール上可能とはいえ、未勝利のウマ娘がクラシックのトライアルに出てくることは稀だ。面白がられるのは、まあ、仕方ないとは言える。

 

「いやいやマルシュちゃん、ほらー、『前走の内容良かったから応援する』って言ってる人もいるよー? がんばろ?」

「ううっ……でも、これで負けたらホントにただの笑いものですよぉ……。13番人気だし……」

「だからこそ、勝ったら格好いいじゃない。トゥインクルシリーズの長い歴史の中でも、未勝利で重賞を勝ったウマ娘はいままでひとりもいないんだよ? 歴史的快挙だよ?」

「うっ――か、格好いい、ですか?」

「うん、勝ったらめちゃくちゃ格好いいよ! 格好よくなろう、マルシュちゃん」

「――はっ、はい! 見ててください、ランデブーさん! あたし、勝って皐月賞に出ます! そうしてランデブーさんみたいに、クラシックを勝ってみせますから!」

「うん。今までやってきたことを信じて、行っておいで」

「はいっ!」

 

 あっという間に立ち直ったマルシュアスを、ランデブーは背中を叩いて見送った。控え室を出てパドックへ駆けていくマルシュアスの姿に、ランデブーは目を細める。

 思い出すのは3年前。桜花賞を目指して、クイーンカップに挑んだときのこと。初めての重賞。何もかも無我夢中のうちに終わっていた。自分が勝ったことすらゴールしてから気付くぐらいに、頭が真っ白だった。

 あれから3年。重賞を走ることはもうただの当たり前で、気付けばGⅠを3つも勝っていた。どのレースも、ひとつとしてないがしろにしたことはないけれど――初めての重賞。クラシックという夢の前で、自分にそこに挑む力があるのか、自信と不安の狭間で押しつぶされそうだったあの頃の気持ちは、もう随分遠くになってしまった。

 だから、羨ましい。ひとつの言葉を支えに、未来だけを見ていられる後輩が。

 ――ランデブーは自分の脚をさする。デビューから4年、頑張ってくれた自分の脚。

 ヴィクトリアマイルまでは、保ってほしい。先輩として、あの子に――最後に、格好いいところを見せられるように。

 たぶん、ランデブーに出来ることは、あとはもう、それだけだったから。

 

 

       * * *

 

 

『皐月の舞台を目指し、次代を担う若駒たちが集いました、皐月賞トライアル、GⅡ弥生賞! 圧倒的1番人気は東スポ杯3着、ホープフルステークス3着。今日も逃げ宣言の14番デュオスヴェルです。現在、ファンPt順では皐月賞出走は当落線上。ここはなんとしても優先出走権を獲りたいところです。大外枠ですが、どうでしょう、楠藤さん』

『彼女はスタートがあまり上手くないので、大外の方がかえってやりやすいのではないでしょうか。内枠で出遅れると包まれて抜け出せなくなりますが、大外ならその心配はありませんからね。強引に前に出ても粘れるスタミナがあることは実証済みですから、今日もスタートの善し悪しにかかわらず押してハナを切りに行くでしょう。あとは彼女がどんなペースで逃げるか、それに後続がどう対応するかでしょうね』

 

 本バ場入場が終わり、スターティングゲートの前で思い思いにレースへ向けた気持ちを入れ直すウマ娘たち。ランデブーが関係者席の端に立つと、近くの一般客たちの声が聞こえてきた。

 

「まあ、普通に考えればデュオスヴェルだよな、このレースは。東スポ杯もホープフルも負けて強しの内容だったし、このメンバーならよほど出遅れない限り負けないだろ」

「いや、わからんぞ。意外な伏兵が隠れてるかもしれない」

「お、誰に注目してるんだ?」

「弥生賞はGⅡ。重賞は通常、未勝利では出られないが、クラシックのトライアル競走は例外的に未勝利ウマ娘も出走が可能だ。実際に過去にも何度か未勝利でトライアルに挑んだ例がある。それで優先出走権を確保できた例はまだないが」

「どうした急に」

「13番人気のマルシュアス……ここまで4戦0勝、5戦目でこの弥生賞だ。これで担当が新人トレーナーならただの記念出走だろうが、ネレイドランデブーも担当している大ベテランの島岡トレーナーだぞ。彼が何の目算もなく未勝利ウマ娘をトライアルに送りこんでくるとは思えない」

「つまり、よほど自信があるということか」

「ああ。実際、前走を見ると最後の直線の不利がなければ勝っていた内容だ。最初の3戦は掛かりっぱなしで撃沈しているのが気になるが、デュオスヴェルのペースに惑わされずに折り合えば一発もあるんじゃないかと俺は見る」

「ほほう。ええと――あの6番の栗毛の子か。よし、注目して見てみるとしよう」

 

 男性客ふたりのそんな会話に聞き耳を立てていたランデブーは、うんうんと頷く。

 ――大丈夫、マルシュちゃん。ちゃんと応援してくれる人がいるよ。

 だから、今を後悔しないように、全力で走ってきて。

 祈るように手を組んで、ランデブーはゲート入りしていくマルシュアスの背中を見送る。

 

『最後に14番デュオスヴェルがゲートインして、体勢完了。――皐月賞トライアル、GⅡ弥生賞、スタートしました!』

 

 

       * * *

 

 

「どけどけどけええっ! デュオスヴェル様のお通りだああぁっ!」

 

 スタートした途端、大外からそんな声とともに、三つ編みの鹿毛がブッ飛ばしていくのがマルシュアスにも見えた。1番人気のデュオスヴェルだ。

 我ながら絶好のスタートを決めて好位集団につけたマルシュアスの横を、あっという間に抜き去って先頭に立つと、そのままペースを緩めるどころかどんどん突き放す大逃げ体勢に入るデュオスヴェル。マルシュアスの周囲のウマ娘たちが顔を見合わせる。

 どうする? ついていく? 一番人気を楽に逃げさせていいの? だけど、あんなバカみたいなペースについていくなんて自殺行為だし――。

 前目につけた数人は、マルシュアス以外は3番人気から6番人気までの上位人気組だった。彼女たちは結局、デュオスヴェルを放置することに決めて牽制し合う。デュオスヴェルがあれで逃げ切るならどうせついていっても無理、潰れてくれれば好都合、それより優先出走権の3着以内を確実に確保するために無理はしない――。合理的な判断だった。

 マルシュアスは迷った。どうする? あたしもこのまま先行集団にくっついていく? 前にはふたり。横にふたり。デュオスヴェルの背中は遠くなる一方。

 

『さあデュオスヴェル先頭でその差はもう3バ身、4バ身、今日も逃げますデュオスヴェル! 2番手集団は固まって――』

 

 ――ああ、なんか前が邪魔くさい!

 マルシュアスは、意識的に前のふたりの間を割って、向こう正面で前に出た。

 

『さあバックストレッチに入って先頭デュオスヴェル、リードはもう5バ身から6バ身、弥生賞では珍しい大逃げになりました。2番手集団からは6番マルシュアスが抜け出して来て2番手につけます。その後ろ1バ身――』

 

 前に出たところで、デュオスヴェルの後ろ姿が先に見える。遠い――けど、思ったほどじゃない。大丈夫、脚も軽い。このペースで――行ける!

 

『前半1000メートル通過、59秒2、思ったほど速いペースではありません。さあ3コーナーに入って逃げる逃げるデュオスヴェル、2番手マルシュアス、その差はまだ6バ身か7バ身――』

 

 4コーナー。デュオスヴェルが、初めてちらりと後ろを見た。

 視線が合った。そして――ちょっと退屈そうに眉を寄せるのが、はっきりと見えた。

 後ろの集団が差を詰めてくる。――けれど、デュオスヴェルの背中は近付いてこない。

 後ろがスパートをかけ始めているのに――あっちも、同じペースで逃げ続けている。

 強い。あれが――GⅠでウイニングライブを獲れるウマ娘の走り。

 

『さあ直線に入った、デュオスヴェル先頭、まだ5バ身とちぎっている、これはセーフティリードか、後ろも追い込んでくるが――』

 

 マルシュアスに、後続の集団が並びかけてくる。デュオスヴェルはもう中山の急坂を駆け上がっている。その背中は遠い。遠いけれど――。

 

「あたしだって――」

 

 ランデブーさんの背中に、追いつきたい。

 胸を張れる、ウマ娘になりたい。

 

「あたしだって――かっこいいウマ娘に、なるんだあああああっ!」

『デュオスヴェルこれはもう間違いない、あとは2番手争いですが、マルシュアス粘る、マルシュアスがまだ粘っている、外から、外から――』

 

 ゴール板が見える。あと少し、皐月賞の舞台まで、あとほんの少し――。

 全身の力を振り絞って、マルシュアスは芝生を蹴立てて――ゴール板を駆け抜けた。

 

 どよめきと歓声が、中山のターフに降りそそぐ。

 

 

       * * *

 

 

「もう、マルシュちゃん。いい加減泣き止まないと、このあとウイニングライブだよ?」

「だっ、だって、だって――っ、あとっ、あとちょっと、あと10センチ……っ」

 

 控え室で泣きじゃくるマルシュアスの背中を、ランデブーは優しくさすった。

 レースはデュオスヴェルが前評判通り、4バ身差で逃げ切り圧勝。そして先行して粘りに粘ったマルシュアスは――最後にハナ差かわされて3着だった。

 本来なら優先出走権を獲得できる着順。――だが、未勝利のマルシュアスは3着ではダメだったのだ。2着でファンPtを獲れなければ、皐月賞には出られない。

 僅か10センチ差。ほとんど首の上げ下げの差で、掴みかけたクラシックの舞台は、するりとその手から逃げていった。

 

「マルシュアスよ」

 

 トレーナーが杖を鳴らして声をあげる。しゃくりあげながら顔を伏せるマルシュアスに、――ガン、と床を壊さんばかりの勢いでトレーナーが杖を突き、びくりとマルシュアスは顔を上げた。

 

「泣いとる暇なんぞ、ありゃせんぞ。皐月賞は残念じゃったが――次は、青葉賞じゃ」

「――へ?」

 

 泣き腫らした目をしばたたかせて、マルシュアスはトレーナーを見つめる。

 

「今日の走りを見たら、未勝利戦に戻る暇なんぞないわい。このままダービートライアルの青葉賞、乗りこむぞい」

「えっ、ええええええっ!? トレーナー、本気ですか!?」

「出たくないのかね? 日本ダービー」

「――――」

 

 マルシュアスは茫然と、ランデブーを振り返り、またトレーナーを見やる。

 

「日本、ダービー……」

「そうじゃ。世代の頂点。一生に一度の栄光。選ばれた18人だけが立てる舞台。――儂も長いことトレーナーをしてきたが、ダービーは一度も獲ったことがない。……お主がその夢を託せる最後のウマ娘になるやもしれん」

「…………」

「もう心が折れたというなら無理は言わん。じゃが、儂はお主に夢を見たい。儂のような老骨から夢を託されても迷惑じゃろうが――マルシュアスよ、お主の夢はなんじゃ?」

「……かっこいい、オトナなウマ娘に、なること、です」

「その夢――ダービーで叶えてみないかね」

「――――」

 

 呆けたように目をしばたたかせるマルシュアスに――ランデブーは、手元のスマホでSNSを検索して、その画面を差し出した。

 

「ほら見て、マルシュちゃん」

「え――」

 

 それは、マルシュアスのウマッターの投稿。これから弥生賞に出ます、という呟きについた、レース後のリプライ。

 

《おつかれさまでした! 3着本当に惜しかった!》

《未勝利でトライアルに挑んで3着! すごかった!》

《どうせならこのまま青葉賞行って日本ダービー目指しちゃえ!》

《最後の直線の粘り、かっこよかったです!》

 

「あ――」

 

 震える手で、マルシュアスはスマホの画面を抱きしめて――ぎゅっと目を瞑り。

 そして、顔を上げて、決然とトレーナーを見つめ返す。

 

「――やります! 青葉賞で勝って、日本ダービー、行きます!」

「よう言った!」

 

 トレーナーがその顔のシワを深くして笑う。ランデブーはその肩を叩いて――「かっこいいよ、マルシュちゃん」と言いかけて、その言葉を飲みこんだ。

 

「ランデブーさん、見ててください!」

「――うん」

 

 今はまだ、その言葉をかけるときじゃない。

 それは最高の舞台で、彼女が輝いたときまでとっておこう――と、ランデブーは思った。

 

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