モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第9話 クラゲと白毛

 金曜日の夜。ヒクマとのトレーニングは夕方で切り上げ、トレーナー室で事務作業を片付けていると、部屋のドアがノックされた。

 

「あ、いたいた。トレーナーさん!」

「ヒクマ? どうしたの、そろそろ寮の門限じゃ」

 

 現れたのはヒクマである。ぱたぱたと尻尾を揺らしてこちらに駆け寄ってきたヒクマは、私の机に身を乗り出してきた。大きな瞳にじっと見つめられ、私は思わずたじろぐ。

 

「な、なに?」

「トレーナーさん、あしたトレーニングお休みだよね?」

「う、うん、さっき伝えたよね?」

 

 明日は一日オフだとヒクマに伝えてあった。ちなみに日曜は午前中トレーニングして、午後は中山レース場にGⅡを見に行く予定である。

 

「それでね、コンプちゃんとエチュードちゃんと、明日一緒に遊びにいこうってお話してたの! ね、トレーナーさんも一緒にいこ!」

「え、私も?」

 

 思わず目をしばたたかせる。何も休みに友達と遊ぶときまでトレーナーが付き添うこともないと思うのだが……。

 

「トレーナーがいたらお邪魔じゃない? 友達同士で楽しんでおいでよ」

「ううん、そんなことないよ! それにコンプちゃんが、トレーナーさんも誘おうって」

「ブリッジコンプが?」

 

 意外だ。大人しいリボンエチュードが言い出すならともかく、ブリッジコンプは休日ぐらい大人の目から逃れて思い切りはしゃぎたがるタイプだと思ったが。

 私はちらりと時計を見やる。……まあ、急いで今ある仕事を片付ければ、明日一日ぐらいなら身体を空けられるか。

 

「わかった。じゃあそこまで言うならお供しようかな。待ちあわせは何時?」

「やったあ! えっと、9時に校門前!」

「了解。じゃ、それまでに仕事片付けておくね」

「うん! それじゃあね、トレーナーさん!」

 

 と、バイトアルヒクマはくるりと踵を返す。――え、ちょっと待って、それだけ?

 

「ひ、ヒクマ、用件それだけ?」

「え? うん、そうだけど」

「……それぐらいなら、わざわざここに来なくてもスマホにメッセージ入れてくれれば」

「あ、そっか! そうすればよかったんだ」

 

 ぽんと手を叩いて、ヒクマは感心したような顔をする。……なるほど、ブリッジコンプから「トレーナー誘おう」と言われてその場で寮を飛び出してここまで走ってきたらしい。今頃ブリッジコンプがいつも通り呆れているだろう。

 

「えへへ、まあいっか、走って気持ち良かったし! それじゃトレーナーさん、また明日ね! おやすみ!」

「あ、ああ、おやすみ」

 

 やれやれ、いつもながら嵐のようだ。嘆息しつつも、私は目の前の仕事に向けて気合いを入れ直す。――さて、寝坊や寝不足にならないように、日付が変わる前に仕事を終わらせてしまうとしよう。

 

 

       * * *

 

 

 そんなわけで、翌日。

 

「ごめんごめん、お待たせ」

「あ、トレーナーさん! おはよー!」

「……お、おはようございます」

「遅いー! もう置いてこうかと思った」

 

 待ちあわせの時間に2分遅れで校門前にたどり着くと、ヒクマがぶんぶんと笑顔で大きく手を振り、リボンエチュードはいつも通り控えめに会釈し、ブリッジコンプは腕を組んで口を尖らせた。3人とも休日なので私服姿である。普段は制服とジャージ姿しか見る機会がないから、なんとも新鮮だ。

 中学生の女の子3人の休日に、大人の私が付き合うのはやっぱり場違いな気がするが、まあ保護者として監督責任を果たすことにしよう。

 

「それで、今日はどこ行くの?」

「エーちゃんの希望で、池袋のサンシャイン水族館!」

 

 ブリッジコンプが答える。池袋なら、電車で1時間ぐらいか。でも、サンシャイン水族館って確か都内の水族館の中でも入館料が高い方だったような……。中学生でも1000円以上したと思うんだけど。

 ブリッジコンプが上目遣いにねだるように私を見上げる。――ああ、なるほど、そういうことですか。それでブリッジコンプの方から私を誘えと言ってきたわけだ。やれやれ、まあ中学生を水族館に連れて行くぐらいの給料は貰っているけども。

 

「了解。じゃあ、電車賃と入館料は私が持つよ」

「え、そ、そんな、いいんですか?」

「いいのいいの。今日は私が3人の保護者だから」

「やったー! さすがクマっちのトレーナー、器がデカい! バケツぐらいある!」

「わーい、トレーナーさんありがと!」

 

 気まずそうなエチュードと、無邪気に両手を挙げて喜ぶコンプとヒクマ。その笑顔を見ていると、まあ多少のわがままは許せてしまうのだった。

 

 

 

 そんなわけで、やってきたるは池袋、サンシャイン水族館。

 

「わー、おさかないっぱーい!」

「見て見てヒクマちゃんコンプちゃん、マンボウかわいい」

「かわいいかなあ? あたしはイルカとかペンギンの方がいいなあ」

「コンプちゃーん、ほらイカさんかわいいよー」

「えー? エーちゃんもクマっちもセンス変!」

 

 女3人寄ればかしましいとは言うものの、きゃいきゃいとはしゃぐ中学生のテンションにはあっという間についていけなくなる。普段は引っ込み思案なリボンエチュードまでやけにはしゃいでいて、私ももうトシか……とちょっと絶望的な気分になった。

 まあしかし、担当ウマ娘が友達と青春を満喫している姿は悪くない。水槽を泳ぐ魚たちの姿に熱心に見入るヒクマの楽しそうな横顔を見ていると、多少無理をしてでも仕事を片付けてきて良かったな、と思う。まあ、この子はいつもだいたい楽しそうだけども。

 エチュードも人見知りなだけで、3人できゃいきゃいはしゃいでいる、あの笑顔の方が素なのだろう。これから厳しいレースの世界に身を投じる彼女たちだけれど、こうやって子供らしい楽しみを満喫する心の余裕は常に持たせてあげたいものだ。

 ――でも、それはそれとしてあのテンションにはついていけそうにない。

 3人から少し離れて周囲を見回すと、クラゲの展示エリアが目についた。そちらに足を向け、ふわふわと水槽を漂うクラゲを眺める。ああ、いいなあ。私も何も考えずにぷかぷか浮いてるだけのクラゲになりたい……。

 そんな年寄りじみたことを考えていると――ふと、私と同じようにクラゲの水槽をぼんやりと眺める、ひとりのウマ娘の姿が目に留まった。

 真っ白な髪の毛と尻尾。芦毛……いや、あの白さはウマ娘でも非常に珍しい白毛だ。その横顔に見覚えがある気がして、私は目を細める。白毛のウマ娘――。

 ああ、そうか、あの子だ。同僚たちの間でも、先日の選抜レースで珍しい白毛のウマ娘が話題になっていた。ただ、ウマ娘レースの世界では白毛のウマ娘が活躍した前例がほとんど無いので、その子は才能はあると言われながらも、どのトレーナーもスカウトに二の足を踏んでいるような空気があった。

 そんな白毛の子をスカウトしたのが――同期の、桐生院トレーナーである。間違いない。あの子は桐生院トレーナーがスカウトした子だ。確か名前は……。

 と、私の視線に気付いたのか、白毛のウマ娘がこちらを振り向いた。小さくぺこりと会釈する。――あれ、私のことを認識している?

 思わず、その子のところへ歩み寄る。彼女はもうこちらを振り向くことなく、ぼんやりした顔でまたクラゲの群れに見入っていた。

 そばに寄ってはみたものの、なんと声を掛けていいかわからず、私も隣に立ってクラゲを見上げる。青い光の中で、ふよふよと形を変えながら漂うクラゲたち。……沈黙。ううん、はしゃぐ中学生のテンションも疲れるけれど、完全な沈黙もそれはそれでなんというか……。

 

「……クラゲ」

「え?」

「クラゲ、好きです……」

「……あ、うん。私も」

「…………ぶい」

 

 無表情にピースサイン。……ええと、同意を得られて嬉しいという意思表示だろうか?

 

「えと……君、桐生院トレーナーのところの子だよね?」

 

 私が確認すると、彼女はクラゲの水槽を見つめたまま、こくりと頷いた。

 

「……ハッピーミークです」

 

 ああ、そうだ、そんな名前だった。確か選抜レースでは、芝の2000メートルでマルシュアスというウマ娘と競り合って2着だったはず。三冠路線かティアラ路線か、どちらを志望しているのかはまだ聞いていないが、どっちにしても特に問題がなければヒクマと同期デビューということになるから、どこかで対戦する機会もあるかもしれない。

 

「ひとり? 桐生院トレーナーは一緒じゃないの?」

「…………」

 

 私の問いに、ハッピーミークは小さく首を横に振る。ひとりで休日をのんびり水族館で過ごしているらしい。お邪魔しちゃ悪いかな、と思っていると、ハッピーミークは不意に私を見上げた。

 

「…………」

「な、なに?」

「…………なんでもないです」

 

 またミークは視線を水槽に戻す。……何を考えているのか全くわからない子だ。桐生院トレーナーは、この子とちゃんとコミュニケーションを取れているのだろうか?

 

「トレーナーさーん? あ、いたいた!」

 

 と、そこでヒクマが私を探しにやってきた。ハッピーミークと並んでいる私の姿に、ヒクマは足を止めてまん丸の目を見開く。

 

「あれ? ミークちゃん?」

「…………」

 

 ぺこり。ミークもヒクマの姿を認めて小さく会釈した。

 

「知り合い?」

「うん、おんなじクラスだよ! ミークちゃん、このひと、わたしのトレーナーさん!」

「…………」こくり。

「トレーナーさん、ミークちゃんってすごいんだよ! 芝でもダートでも、どこ走ってもとっても速いの!」

「へえ」

 

 芝とダート、両方で一線級の走りができるウマ娘というのは滅多にいない。口さがない者にはダートを芝の敗者復活戦みたいに言う者もいるが、適性の問題であって優劣の問題ではないのだ。その両方を走れるというのは希有な才能である。

 

「おーいクマっち、トレーナー、なにしてるの、置いてくよー!」

 

 と、そこへブリッジコンプの声が掛かる。「あ、うん、今いくー!」とヒクマが答え、「いこ、トレーナーさん」と私の手を引いた。

 

「あ、うん。……じゃあね、ミーク」

 

 ハッピーミークに片手を挙げて挨拶すると、

 

「……ぶい」

 

 ミークはまたピースサインを返してきた。彼女なりの親愛の表現らしい。

 

「ぶい」

 

 私もピースサインを返す。すると、無表情なミークの顔に、ほんの微かだけれど、笑顔が浮かんだ――ように見えた。

 そしてまたミークは私から視線を外し、クラゲの水槽に無言で見入る。

 その横顔をぼんやり見ていると――。

 

「……むー、トレーナーさん! ほら、ペンギンさん見にいこ、ペンギンさん!」

 

 バイトアルヒクマが、軽く口を尖らせて私の手を引いた。

 ……ん? ひょっとして、私が他のウマ娘と一緒にいたから拗ねてる?

 いやいや、それはいささか自意識過剰か。まあでも、確かに私はヒクマのトレーナーなのだから、クラゲより白毛よりも、担当ウマ娘の方を見ていないと。

 

「わかったわかった。ペンギンね」

「うん! ここのペンギンさん、空飛ぶんだって! 楽しみ!」

 

 はしゃぐバイトアルヒクマに笑い返して、私はその手に引かれるままに歩き出した。

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