モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
4月9日、火曜日。
「よーっし、トレーナーさん、わたしオークスに向けてがんばるよ!」
桜花賞から2日。昨日1日の休みを挟んで、ヒクマはすっかり元気を取り戻していた。
「また負けちゃったのは悔しいけど、くよくよしてる暇なんてないもんね! それに、今度は半バ身差まで詰めたもん! 次のオークスで逆転だー!」
「ああ、その通りだ! オークス、獲るぞ!」
「おー!」
元気よく拳を掲げるヒクマ。私も拳を握りしめて、それに応える。
桜花賞は残念な結果だったが、敗因は明確な実力差ではない。ヒクマは間違いなくそう言い切れるところまで来た。ここまでくれば、あとは少しの差で逆転できる。
オークスの府中2400という距離は、ヒクマにとっては追い風になるはずだ。エレガンジェネラルも、ジャラジャラも、エブリワンライクスも、2000メートル以上は走ったことがない。東スポ杯とホープフルステークスで、府中のコースと2000メートルとを経験しているヒクマには、その点で一日の長がある。
そして、何より――。
「なんといったって、府中2400は、ドバイシーマクラシックに直結する距離だ」
私の言葉に、ヒクマがその目を大きく見開いた。
「過去の例を見ても、ドバイシーマクラシックで結果を出したのは、ジャパンカップで好走したウマ娘が多い。同条件のオークスでの勝利は、ドバイに繋がるよ!」
「うんっ! う~~~~~~~~~~っ、がんばるぞ~~~~~~っ!」
両手を広げたヒクマの笑顔に、もう桜花賞前後の翳りはない。
ヒクマがきちんと気持ちを切り替えてくれたなら、私はそれを支えるだけだ。
「ヒクマちゃん、強いなあ……」
「ま、変に考えこむより、クマっちは能天気な顔してた方がいいもんね」
エチュードが目を細め、コンプが呆れたように腕を組む。
「コンプものんびりしてる暇はないよ? 葵ステークスはオークスの次の週なんだから」
「わかってるって! あの三つ編み眼鏡、今度こそ倒してやるってば!」
コンプが拳を打ち鳴らす。――フィリーズレビューを快勝しながら桜花賞を回避したユイイツムニは、葵ステークスへの出走を表明していた。既に1400の重賞を2勝しているウマ娘が桜花賞もNHKマイルカップも蹴って葵ステークスに出てくるというのは異例だが、コンプにとっては今のところいい刺激になったようだ。
「まあでも、3人とも今日のメニューは軽めにね。エチュードもまだ爪が治りきってないし、くれぐれも無理はしないように。どんなに些細でも気になることがあったら報告すること!」
はーい、と3人の声が唱和する。さてと、とトレーニングを始めようとすると、
「はーっはっはっはー! 見つけたぞブリッコ!」
「げっ、アホスヴェル!」
「アホ言うなー!」
「すみません、お邪魔いたします~」
高らかな笑い声とともに現れたのは、いつものデュオスヴェルとオータムマウンテンだ。スヴェルは何やら新聞を手にしている。今日の《日刊ウマ娘》らしい。
「あんたたち今週末皐月賞でしょーが。こんなところで油売ってる暇あんの?」
「ふっふっふー。見ろこれを!」
ドヤ顔でスヴェルが広げたのは《日刊ウマ娘》の一面だ。
『皐月賞 ◎デュオスヴェル 爆逃げ一冠宣言!』
そんな大活字の見出しと一緒に、弥生賞でゴールした瞬間のスヴェルの姿がカラー写真で掲載されている。そう、今週末はいよいよクラシック三冠の第1戦、皐月賞だ。私たちとは無関係とはいえ、長年のウマ娘ファンとしては、やはりワクワクするものだ。まして、ここに今年の本命ふたりがいるわけで。
「『今年のクラシック戦線はやはり岬トレーナーのふたりが軸。本紙の本命は弥生賞を圧勝したデュオスヴェルだ』……だって。わ、スヴェルちゃんすごいね!」
「ふっふーん、どーだ見たかブリッコ! 事前調査もボクが1番人気だぞ!」
「ええ、正気ぃ? ……あ、『ゲート嫌いでスタート下手、バ群嫌いで前にウマ娘がひとりでもいるとエキサイトして掛かりっぱなし、そして先頭に立つとソラを使いがち――と気性面で多大な難点を抱えているのは確かだ』……なんだ、ちゃんと見てるじゃん」
コンプが呆れ顔で記事を読み上げ、スヴェルが「なんだとー!」と吼える。
私もその記事は朝のうちに読んでいた。『だが、弥生賞ではその気性面でも成長が見られた。掛かりに掛かっても粘りきる無尽蔵のスタミナがあるのは東スポ杯で証明済み。弥生賞に比べてマークはきつくなるだろうが、消耗戦はむしろ望むところだろう』――と記事は冷静な分析をしている。私もほぼ同感だが――何しろあの東スポ杯を間近で見た身として、そんな冷静な分析通りのレースに果たしてなるものかとも思う。
「ふん! そーやってデカい態度してられるのも今のうちだからなブリッコ! 最強の三冠ウマ娘になったボクに、ひれ伏させてやる!」
「やれるもんならやってみなさいよ、いいじゃない、もしあんたが三冠獲ったら土下座でもなんでもしてあげる」
「言ったなー! その言葉忘れるなよー!」
「あ、もう忘れた。どーせ月曜には覚えておく必要もなくなるし」
「なんだとー!」
いつも通りの口喧嘩を始めるコンプとスヴェル。オータムマウンテンは頬に手を当てて笑顔でそれを見守っている。相変わらずというか、大一番を前にしているとは思えない平常心というか……。
「ねーねー、オータムちゃん」
と、そのオータムマウンテンに、ヒクマが歩み寄って声を掛ける。
「はい、ヒクマさん~」
「スヴェルちゃんはコンプちゃんと一緒で、いっつも『最強になる!』って言ってるけど。オータムちゃんは、何のためにレースで走ってるの?」
「何のために、ですか~? それはまた哲学的な問いですね」
小首を傾げたオータムは、頬に手を当てたままひとつ唸った。
「そうですね~、もちろんウマ娘としてレースに出る以上は勝つためですし、三冠や天皇賞やグランプリのような具体的な目標もありますけど~。もっと根源的な部分について答えるとすれば~……ゴルフですね~」
「ゴルフ? あ、オータムちゃんのお父さんって」
「はい、プロゴルファーです。小さい頃はいつもゴルフ場で父の打ったボールを追いかけ回してました。レースとゴルフって、同じようなものだと思うんです。つまりは、そういうことですね~」
「……ほへー」
煙に巻くようなオータムの言葉に、ヒクマはぽかんと目をしばたたかせる。オータムはそんなヒクマに微笑み返して、「スヴェルちゃ~ん、そろそろ戻らないとトレーナーさんがまた騒ぎますよ~」とスヴェルの手を掴む。
「う。いいかブリッコ、ボクの大勝利する皐月賞、目ん玉かっぽじって見とけよー!」
オータムに引きずられながら、スヴェルはコンプを指さして叫ぶ。
そんなふたりを見送りながら、私はヒクマと顔を見合わせた。
* * *
4月14日、日曜日。中山レース場。
クラシック三冠第1戦、皐月賞(GⅠ)。
『全国1億人のウマ娘ファンの皆さん、今年もこの日がやって参りました、クラシック第1戦、最も「速い」ウマ娘が勝つという皐月賞! 本バ場入場です!』
快晴の中山レース場に歓声が轟く。私もヒクマたちを連れ、現地に観戦に来ていた。
華やかなトリプルティアラとはどこか違う、ビリビリとした独特の緊張感。どうしても長年のウマ娘ファンとしての血が騒ぐ。ヒクマたちのことを考えている間は意識から締め出しているけれど、やっぱり三冠は特別だ。
『秋の三冠の頂きへ、まずは春の頂上目指す、父と駆けめぐった芝の上、目指すゴールはホールインワン! 1番オータムマウンテン!』
女子ゴルファー風の勝負服のオータムが、いつも通りの微笑で観客席に手を振る。
『暴走爆走超特急、前を行く奴は許さない! 今日も全力逃げ宣言、先頭は絶対に譲らない! 5番デュオスヴェル!』
自信に溢れたドヤ顔で、大股で歩くスヴェル。ふたりの担当の岬トレーナーがカメラに抜かれ、謎の芝居がかったポーズを取って観客から苦笑と歓声が響いた。
『ダート変更の共同通信杯を10バ身差の大圧勝! 白毛ウマ娘初の三冠タイトルへ、純白の翼を広げて今羽ばたく! 8番ハッピーミーク!』
「あっ、ミークちゃーん! がんばれー!」
ヒクマが手を振り、ハッピーミークはそれに振り向くでもなく、ぼんやりとコースを眺めている。桐生院トレーナーが遠くで祈るように手を組んでいるのを見つけて、私はただ頷くしかなかった。どこまでも祈るしかないのだ、トレーナーは。
『若葉ステークスを快勝し、いざジュニア級の雪辱へ! 大きな伝説を創りあげろ、12番プチフォークロア!』
こちらも自信満々の顔で眼鏡を光らせるプチフォークロア。敢えてスプリングステークスや弥生賞でなく、若葉ステークスを選択したのは、おそらく本番前に勝ちの味を覚えさせようとしたのだろう。それに応えて勝ってきた彼女も強い。
――それからもうひとり、思わぬ大物が出てきていた。
『ジュニア王者が予定変更でクラシックに殴り込み! 朝日杯FS覇者、15番メイデンチャーム!』
NHKマイルカップ直行と言われていた朝日杯覇者メイデンチャームが、土壇場になって皐月賞に殴り込みをかけてきたのである。
他に前哨戦で飛び抜けたパフォーマンスを見せたウマ娘はいなかったので、今日の人気はデュオスヴェルとオータムマウンテンが二強、少し遅れてメイデンチャームというところである。ハッピーミークは共同通信杯がダート変更だったことで未知数と見られて6番人気、プチフォークロアも伏兵扱いの8番人気。
――ああ、楽しみだな。
いち観客として見られるクラシック。今はそれを、トレーナーという立場を離れて楽しめることを感謝しよう。そう思う。
鳴り響くファンファーレ。歓声の中、ウマ娘たちが続々とゲート入りしていく。
『さあ全員ゲートイン、体勢完了。皐月賞――スタートしました!』
ガコン、という音とともに、ゲートが開く。
次の瞬間、中山レース場に集まった数万人の観客から――悲鳴があがった。