モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第95話 ヴィクトリアマイル・夢の終わるとき

 2年前。X2年5月、ヴィクトリアマイル(GⅠ)。

 

『ネレイドランデブーだ! ネレイドランデブー逃げ切った! 桜の女王が帰還した! これが桜花賞ウマ娘の意地だ、ネレイドランデブー、1年ぶりの勝利でGⅠ2勝目!』

 

 トゥインクル・シリーズで、長く語られたジンクスがある。

 ――桜花賞ウマ娘は大成しない。正確に言えば、トリプルティアラのうち桜花賞しか勝てなかったウマ娘は、その後は伸び悩み、桜花賞を勝っただけで終わることが多い。

 もちろん、偉大な例外は何人かいるけれど、それは本当の怪物、天才たちのこと。

 ネレイドランデブーは、8番人気のノーマーク逃げ切りで穴を開けただけ。桜花賞だけの一発屋だろう――そう言われていたことを、知っていた。

 実際、その次のオークスで12着に撃沈したのだから、言い返せる言葉もなかったし、ネレイドランデブー自身、自分がそんな本物の天才たちと肩を並べる存在だなんて思ってはいなかった。それでも――それでも、あのとき。桜花賞を逃げ切って、1着でゴールに飛び込んで、そして見上げたスタンドの大歓声を忘れられなくて、もう一度、もう一度でいいから、あの輝きを手に入れたいと、それだけを考えて走り続けた。

 秋華賞は逃げ切れず3着。シニア級のウマ娘に初めて挑んだマイルCSは7着。年末の阪神カップは4着。シニア級になって初戦の阪神ウマ娘ステークスも4着。

 自分が怪物や天才でないことはわかっていても、それでも勝てないことが苦しくて、控えるレースを試したり、あれこれ試行錯誤して――結局戻って来たのが、桜花賞のときのような他を気にしないマイペースの逃げ。

 それが完璧に嵌まったのが、あのシニア級1年目のヴィクトリアマイルだった。

 

 ウマ娘として一番充実していたのは、毎日王冠とマイルCSを勝った、その年の秋。あのときは誰と走っても負ける気がしなかった。分不相応なぐらい自信に満ちあふれていた。レースではそれがいい方に作用したけれど、同時に慢心にもなっていたのだろう。

 だから、その後の怪我は、そのしっぺ返しだったのだと思う。怪物でも天才でもないくせに、初心を忘れた自分への。

 あの怪我でネレイドランデブーは終わってしまった――そう言われていることも知っている。肉体的にそれが事実であることもわかっている。あのヴィクトリアマイルからマイルCSまでの半年間は、うたかたの夢のような、自分の短い全盛期だった。

 怪我から戻ってからは、一度も勝てていない。

 今年に入ってからの2戦は、どっちも掲示板にも入れなかった。

 もうこの脚は、あの全盛期の走りはできない。

 だったらさっさと身を引いて後輩に道を譲るのも、ひとつの選択肢だ。

 

 ――でも、もう少し。あと少しだけ。

 せめてあの子が輝くまでの間は、背中を見せてあげたい、後輩ができたから。

 

「ランデブーさん!」

 

 府中の地下バ道。後ろから駆け寄ってくる足音に、ランデブーは振り返った。

 マルシュアスが、思い詰めたような顔で、ランデブーを見つめている。

 

「……本当に、これで」

 

 ぎゅっと目を瞑って、震える声で言う後輩に、ランデブーはそっと歩み寄り、その口元に指を当てた。驚いたように目を見開くマルシュアスに、ランデブーは微笑む。

 これが引退レースだということは、トレーナーとマルシュアスに伝えただけで、一般には公表していなかった。どうしてかと聞かれれば、自分でもはっきりした答えは出ない。ただ――。

 

「見ててね、マルシュちゃん」

「――っ、はいっ!」

 

 ぎゅっと唇を引き結んで頷いた後輩の頭に手を伸ばし、自分より背の高いマルシュアスの栗毛をぽんぽんと撫でて、ランデブーは目を細めた。

 

 かわいい後輩は、未勝利のまま、青葉賞2着で日本ダービーの切符を手にした。

 それに対して、「ダービーの権威が下がる」なんて声があることも知っている。

 彼女には、そんな雑音に惑わされずに、胸を張って夢の舞台に挑んでほしい。

 

 ねえ、マルシュちゃん。

 たとえ負けても、負けても、負け続けても。

 胸を張って走り続けるからこそ――勝ったときが、誇らしいんだよ。

 

 

       * * *

 

 

『やはり逃げますネレイドランデブー、押して押して先頭!』

 

 先頭で受ける風が好きだった。

 周りを気にせず、誰にも邪魔されず、まっさらな芝を踏みしめるのが好きだった。

 

『さあ4コーナーを抜けて直線に入った、ネレイドランデブーまだ粘る、内から連覇を狙うパワフルトルク、外からリボンスレノディもきた!』

 

 直線に入って、ゴールまで自分の前に誰もいない光景が好きだった。

 後ろから迫る足音にヒリヒリしながら、ただ自分だけを信じて走り続けてきた。

 

『坂を上る! ネレイドランデブー逃げる! ランデブー逃げる!』

 

 キラキラと輝く、府中のターフ。

 ウマ娘に生まれたら、この舞台で勝負服を着て走る自分を、誰もが一度は夢に見る。

 ――だからこれも、きっと夢だったのかもしれない。

 それはたぶん、世界で一番幸せな夢だ。

 

『パワフルトルク! パワフルトルクが並んでかわした、パワフルトルク先頭!』

 

 だけど、夢はいつか終わるから。

 せめて、終わるときまで、そのときまで――。

 

『ネレイドランデブー後退、ランデブーは完全に沈んだ! ……――』

 

 幸せなまま、終わりたかった。

 

 

       * * *

 

 

 右脚の屈腱炎。

 レース後、トレセン学園に隣接する病院で。

 ランデブーの脚を診た医師の、それが診断だった。

 

 それを聞いた瞬間に、ランデブーの心をよぎったのは。

 ――ああ、ホントに終わっちゃったんだな。

 諦念なのか、解放なのか。自分でもよくわからない、すとんと何かが落ちたような気分だった。思っていたより、自分は現役に未練が残っていたのかもしれない。けれど、もう引退するしかないという事実を突きつけられて、憑き物が落ちた――そんな感じ。

 そんな風に思うのは、あるいは。

 レースが終わってからずっと、かわいい後輩が、自分の分まで泣いてくれたからかもしれなかった。

 

「……もう、泣き止んでよ、マルシュちゃん。死んだわけじゃないんだから」

「っ、だっ、て、だって――っ」

 

 ベッドの傍らに膝を突いて、両目を泣きはらして震え続けるマルシュアスの頭を、ランデブーは苦笑しながら撫でる。

 ぐしゃぐしゃの顔をシーツに擦りつける後輩を見下ろして、ランデブーは自分の右脚を軽く手でさする。

 ――おつかれさま。今までありがとう。

 思ったよりもすんなりと、壊れかけた自分の脚に、そう思うことができた。

 GⅠを3つも勝って。かわいい後輩もできて。全盛期も終わったところで、最後はすっぱり、どうしようもない怪我で引退。我ながら、そう悪くもない幕引きだろうと思う。勝って引退という花道に憧れる気持ちはあったけれど、自分はそういう特別なスターではなかった。それだけのことだ。

 結局のところ、去年の怪我の時点で、自分の気持ちがもう折れていたのかもしれない。もうウマ娘としてやるべきことはやった。あとはどう終わるかだけだ、と――。

 

「マルシュちゃん」

 

 呼びかける。涙と鼻水まみれの顔を上げた後輩に、ランデブーは微笑んだ。

 

「私の番は、これでおしまい。次は、マルシュちゃんの番だよ」

「――――」

「今度はマルシュちゃんが、オトナのウマ娘になる番。――私は、泣いてるマルシュちゃんじゃなく、勝って笑ってるマルシュちゃんが見たいよ」

「――――ラン、デブー……さん……」

 

 泣きはらした目で自分を見上げたマルシュアスは、ぐしゃぐしゃの顔を拭って、鼻をかんで、ぎゅっと目を瞑って――そして、目を開けて、立ち上がった。

 

「日本ダービー……絶対、勝ちます……っ!」

「うん」

「勝って、ランデブーさんより、かっこいい……オトナのウマ娘に、なります……っ!」

「うん。――楽しみにしてるよ、マルシュちゃん」

 

 ランデブーはマルシュアスの手を握り、ただ、静かに微笑んだ。

 

 

 ――ねえ、マルシュちゃん。

 私は、貴方が憧れるに値する、オトナなウマ娘でいられたかな……?

 

 

「……ランデブーや」

「トレーナー」

 

 マルシュアスが病室を出て行ったあと、入れ替わりに入ってきたはトレーナーだった。

 老年のトレーナーは、しわくちゃの顔を伏せて、杖に身を預けるように息を吐いて。

 

「……すまなんだ」

 

 ただぽつりと、そう呟いた。

 ――その瞬間。

 ランデブーの中で、何かが、ぱつんと音を立てて、弾けた。

 

「……どう、して」

 

 声が、震える。

 

「どうして、謝る、んですか。……トレーナー」

 

 身体が。全身が。――どうしようもなく、震える。

 

「これが引退レースだったんだから……怪我してもしなくても、一緒じゃ、ないですか。もう、私は、私は――っ」

 

 失ったわけではなかった。折れてしまったのでもなかった。

 ただ、そう思うことで、自分を無理矢理納得させていただけだったと。

 そう気付いたときには、溢れ出してしまったものは、もう止められなかった。

 

 

「私は――――もっと、もっと、走り……たかった、です……っ」

 

 

 ベッドから身を乗り出して、トレーナーの枯れ木のような腕にすがりついて。

 押し殺したランデブーの慟哭は、病院を出て、夕暮れの道を学園へ向けて顔を拭って走るマルシュアスの耳に、届くことはなかった。

 

 

       * * *

 

 

 ネレイドランデブー。

 X0年11月、京都でデビュー(3着)。12月の未勝利戦を勝ち抜ける。

 X1年2月、GⅢクイーンカップを先行策で勝利し重賞制覇。

 4月、GⅠ桜花賞を八番人気で逃げ切り勝ち。一冠を手にする。

 続くオークスは直線で沈み12着。

 秋は秋華賞を逃げて3着に粘り、マイルCSに挑んだが7着。年末の阪神カップも4着。

 X2年、初戦の阪神ウマ娘ステークスも4着に敗れたが、続くヴィクトリアマイルを鮮やかに逃げ切り勝ちして復活を遂げる。

 秋は毎日王冠を勝利してマイルCSに乗り込み、3バ身差で完勝。この年の最優秀短距離ウマ娘を受賞。

 しかしX3年1月、トレーニング中に右脚を剥離骨折。春は全休となる。

 秋、富士ステークスで復帰し3着。連覇を目指したマイルCSは4着。

 X4年、初戦の中山記念は7着。阪神ウマ娘ステークスも6着。

 そしてヴィクトリアマイルの最終直線で屈腱炎を発症。ゴールはしたものの最下位18着に沈み、このレースを最後に現役引退。

 

 通算17戦6勝。重賞5勝、うちGI3勝。

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