モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第96話 オークスへ向けて・勝つために

 トゥインクル・シリーズの1年は、日本ダービーを中心として回っている。

 歴史、伝統、格式。古くから現在に至るまで、日本ダービーというレースは、日本のウマ娘界の中心に存在する。それはもう、何がどうなろうと変わらないであろう事実だ。

 故に、三冠路線こそ最も格が高く、トリプルティアラはそれに比べて格が落ちる。そう言われているのは事実であるし、ウマ娘界の中でもそういう意識が厳然として存在するのもまた事実である。こればかりは、いくらティアラ路線から強いウマ娘が出てきて三冠路線のウマ娘を薙ぎ倒しても変わらないのだ。

 

 だから、トリプルティアラ第2戦たるオークスも、どうしても翌週の日本ダービーの前座と見なされがちだ。少なくとも、例年はそうだった。

 ――それがどうも、今年はいつもと雰囲気が違うのである。

 日本ダービーは、皐月賞2着でNHKマイルカップを制したメイデンチャームが予定通り回避したこともあり、皐月賞の強い勝ち方に、距離延長、直線の長い府中も好材料と見られ、オータムマウンテンが絶対的本命という見方が濃厚だった。

 それに対し、オークスはというと――。

 

 

《四強激突 5.19 オークス》

 

 その文字とともに、4つの顔が大きく印刷されたポスターが、街中に飾られている。

 ジャラジャラ、エレガンジェネラル、バイトアルヒクマ、エブリワンライクス。

 大雨の桜花賞での、この上位4人の死闘は、この世代のトリプルティアラは〝四強〟だということを満天下に知らしめた。その4人が府中2400で再び激突するオークスは、この四強の誰が真に一番強いのかを明らかにする決戦――そう見なされたのである。

 

「ジャラジャラのあのハイペース逃げは府中2400じゃ厳しいだろ。あの不良バ場のタフなレースを制したエレガンジェネラルのダブルティアラは堅い」

「いや、あの超不良バ場で逃げて僅差の2着に残したジャラジャラだぞ? 2400逃げ切るスタミナはあるはずだ。エレガンジェネラルこそ道悪専のマイラーじゃないのか?」

「エブリワンライクスも含めて1600までしか走ってないからなあ。それより皐月賞を勝ったオータムマウンテンにホープフルSで僅差だったバイトアルヒクマ、距離延長は明確にプラスだろ。あのローテからすればオークスが本命だろうし、メイチで来るぞ」

「いーやここはエブリワンライクスの千載一遇の勝機だね。ジャラジャラのハイペースにエレガンジェネラルとバイトアルヒクマが付き合って、直線で共倒れになったところを後ろから脚を溜めたエブリワンライクスが一気に差し切る、これだよこれ」

「そう簡単に共倒れになるなら桜花賞でライクスが勝ってるだろ」

「4人ともあの桜花賞で激走した疲れが残ってないか心配だよ。案外後ろから大穴がひょっこり来るんじゃないか?」

「いやエレガンジェネラルだって、実力は抜けてる。ジャラジャラは1600が限度」

「いーやジャラジャラが逃げ切るから見とけよ。良バ場ならジャラジャラだ」

「オークスは府中の東スポ杯でデュオスヴェルとプチフォークロアに勝ってるバイトアルヒクマが勝つに決まってんだろ。勝たなかったら大欅の根元に埋めてくれて構わないよ」

「ホープフル勝ったミニキャクタスも見たかったなあ」

 

 ――概ねそんな議論が、ネット、リアルを問わず各地で繰り広げられていた。

 

 

       * * *

 

 

「トレーナー?」

「……ん、ああ、コンプか。どうしたの、こんな時間に」

 

 トレーナー室。不意に呼びかけられ、私は資料から顔を上げた。時計を見れば、もうすぐ寮の門限である。ドアからこちらを覗きこんだブリッジコンプは、やれやれと肩を竦めながらトレーナー室に入って来ると、「はい」と机に缶を置く。甘い缶コーヒーだった。

 

「まだトレーナー室の明かりついてるの見えたから。お疲れトレーナーに、コンプちゃんの奢り。ありがたく受け取りなさいよ」

「……あ、ありがとう」

 

 冷えた缶を受け取ってプルタブを開け、コーヒーに口をつける。糖分が疲れた頭に染み渡る。思わず大きく息を吐くと、コンプが机の上の資料に眼をやっていた。

 

「こんな時間まで何してるのかと思ったら、オークスの作戦でも立ててたの?」

「……ああ、うん」

 

 私は曖昧に頷いた。――正確には、呻吟していた、というべきだが。

 オークスはもうすぐだ。幸い、ヒクマは超不良バ場だった桜花賞の疲れも見せず元気いっぱいだし、脚元にも異常はなく、状態はいい。桜花賞でジャラジャラやエレガンジェネラルと差のないところまで来たこともわかっているし、距離延長も直線の長い府中も、長く伸びる脚を使えるヒクマにはプラスのはず。

 だから、自信をもって送り出せる――そう思っていたのだ。

 けれど。――このオークスを本命として目指してきたからこそ、考えれば考えるほど、不安になってくるのだ。これで本当に充分なのか? これで本当に、ジャラジャラとエレガンジェネラルに勝てるのか?

 わからない。考えても考えてもわからないのだ。――何しろ、情報がない。ジャラジャラもエレガンジェネラルも、桜花賞でヒクマに競り勝ったエブリワンライクスも、3人ともここまで1600までしか走っていない。もちろんヒクマだって2400は初めてだけれど――情報がないから予想がつけられず、予想がつかないので対策が決められない。

 ジャラジャラは府中2400でもハイペースで逃げるのか? 逃げて保つのか?

 エレガンジェネラルはどうする? 前に行くのか? 脚を溜めて控えるのか?

 ふたりとも、本質はマイラーなのか、それともクラシックディスタンスが本命なのか?

 ヒクマの武器は長く伸びる脚。府中の長い直線はロングスパートをかけるにはもってこいだ。だが――それでも届かないほど前にジャラジャラがいたら。エレガンジェネラルの切れ味鋭い末脚を、前で繰り出されたら……。

 ヒクマを信じて、好きなように走れ、と送り出せたらどんなに楽だろう。でも、一生に一度のクラシック。本命のオークスで、それはあまりに無責任すぎないか……。

 空き缶を握りしめて、思わずまた頭を掻きむしる。どうすればいいのだろう。オークスはなんとしてもヒクマを勝たせてやりたい。ホープフルSも桜花賞も悔しい思いをしてきた。今度こそGⅠのウイニングライブで、ヒクマの弾ける笑顔を見たい。そのために、私はヒクマに、いったい何をしてあげられるんだろう――。

 

「えい、ちょーっぷ」

「痛っ、な、なにするの、コンプ」

 

 いきなりコンプに脳天チョップされて、私は顔を上げる。コンプはジト目で私を睨んだ。

 

「だいたいトレーナーがなに考えてるのかは想像つくけど。――クマっちのオークスの次の週には、あたしの葵ステークスもあるんですけど?」

「あ、いや、別にコンプを蔑ろにしてるわけじゃ、コンプのこともちゃんと考えて」

「わかってるってば。――あのね、どんだけトレーナーが机で唸ったって、結局レースで走るのはあたしたちなんだから。そういうことは本人と相談しなさいよ、本人と」

「え?」

「クマっち」

 

 コンプが振り返って呼びかけると――ひょっこりと廊下から、ヒクマが顔を出した。

 

「あれ、わたし入っていいの?」

「トレーナーがオークスの相談したいって」

「あ、うん、わかった!」

 

 ぱたぱたとヒクマがこちらに駆け寄ってくる。その大きな瞳を見つめて、私は思わず大きく息を吐いた。

 

「……いたんだ、ヒクマ」

「うん、コンプちゃんと一緒にトレーナーさんの様子見にきたんだけど……トレーナーさん、だいじょぶ? 疲れた顔してるよ」

 

 心配そうに私を覗きこむヒクマ。私は苦笑して立ち上がり、ヒクマとコンプ、ふたりの頭を両手でぽんぽんと撫でた。

 

「心配させてごめんね。ありがとう」

「えへへ~」

「撫でるなーっ」

 

 目を細めるヒクマと、口を尖らせるコンプ。いつもの反応に思わず笑みを漏らし――それから私は、改めてヒクマに向き直った。

 

「ヒクマ。――オークスで勝つには、どうすればいいと思う?」

「ほえ?」

 

 私に問われて、ヒクマはきょとんと首を傾げ――「う~~~ん」と難しい顔をして唸る。そして、ぽんと手を叩いて、ぐっと両手を握りしめて答えた。

 

「ジャラジャラちゃんより、ジェネラルちゃんより、先にゴールする!」

 

 ――ああ、そうだ。全くもってその通りだよ、ヒクマ。

 呆れ顔のコンプの傍らで、私は肩の力が抜けるのを感じた。

 そう、そうだ。ヒクマの言う通り。ジャラジャラとエレガンジェネラルより先にゴールすれば、おそらくはまず勝てる。じゃあ、そのためにどうすればいいか?

 ――その瞬間、ひとつ、ぱっと浮かんだ作戦があった。

 

「うん、正解だよ、ヒクマ」

「え、ちょっとトレーナー?」

 

 コンプが眉を寄せる。私は微笑して、「コンプもちょっと手伝ってほしい」と言った。

 

「え、あたしも?」

「うん。ジャラジャラとエレガンジェネラルに勝つために、どうすればいいのか――ひとつ、思いついたことがあるんだ」

 

 私はひとつ息を吐いて、目をしばたたかせるヒクマとコンプを交互に見やる。

 

 

「――ヒクマ。オークス、逃げてみない?」

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