モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ- 作:浅木原忍
5月19日、日曜日。
桜花賞とはうって変わって、オークス当日の東京は、雲ひとつない快晴になった。
* * *
「わぁ~……これが、わたしの勝負服……」
控え室。袖を通した勝負服を鏡に映して、エンコーダーは鏡の中の見慣れない自分に目をしばたたかせた。
まさかクラシックで、自分がこれを着ることができるとは思わなかった。この場に立てるのは、同期デビューのティアラ路線の選ばれた18人だけ。その中に自分が入れているということが、未だに信じられない。
「トレーナーさん、あのっ、撮ってますか?」
「ああ、ちゃんと撮ってるよ」
スマホを構えるトレーナーの前で、エンコーダーは勝負服をひらひらさせながらその場でくるくると回る。そして「彩Phantasia」を口ずさみながらステップを踏んで、最後にセンターの決めポーズ。――やり終えてから急に気恥ずかしくなった。
トレーナーからスマホを返してもらって、今トレーナーが撮影した動画を消すかどうか数秒悩んで――やっぱり保存しておくことにする。
本番のウイニングライブのステージに立つなんて高望みはしていない。だけど、この勝負服でそれを夢見る権利ぐらいは自分にだってあるし、せめて控え室でひとりで踊る姿だけでも、応援してくれる人には見せてあげたかった。
「レースもしっかり撮影しておくからな」
「あ、はい! よろしくお願いしますっ」
「でも、動画のことより、まずは今日のレースで動画にしても恥ずかしくない走りをしないとな」
「――はいっ」
エンコーダーの趣味は動画制作である。暇さえあればスマホで動画を撮って、それを編集してSNSやウマチューブに上げている。自分を撮影するのはちょっと自意識過剰な気がして気恥ずかしいけれど、応援してくれる人が喜んでくれるのは嬉しい。
「そして、今日のオークス動画の〆は、もちろん本番のウイニングライブだ」
「――――」
「楽しみにしてるから、がんばってこい!」
「…………はいっ、がんばりますっ!」
――そう。誰よりもトレーナーが、自分の動画を楽しみにしてくれるから。
今日のレースが終わったあと、胸を張って編集できる動画を作りたい。
そして――高望みだということはわかっているけれど。
同期の華やかなあの子たちに、勝つことができたら――。
ぐっと拳を握りしめて、エンコーダーは顔を上げる。
15番人気、6枠11番、エンコーダー。
* * *
「――ス、ライクス?」
トレーナーの声に、エブリワンライクスは我に返って顔を上げた。
「あっ、と、トレーナー、なに?」
「大丈夫? ちゃんと集中してる?」
「ああ、うん、問題ね!」
ぱんぱんと顔をはたき、ライクスはぐっと拳を握りしめてみせる。
心配そうに覗きこむトレーナーの顔に、作り笑いを返して――。
――何を考えてんだ。桜花賞のリベンジ、ここで晴らさねでどごで返すんだっきゃ。
そう、自分に言い聞かせる。繰り返し、呪文のように。
そうだ。阪神JFとも桜花賞とも違う。府中2400。未知の距離。
あのジャラジャラだって、――エレガンジェネラルだって、未体験の距離。
長い距離、タフなレースになれば、青森の田舎で鍛えた自分が、都会っ子に負けるはずがねえ――。
そう、そのはずだ。そのはずなのに。
桜花賞。
あの、あとほんの少しの差は、絶対的な、絶望的な距離だと。
心のどこかで、わかっている。
心配そうなトレーナーの視線を振り切って、ライクスは控え室を出た。
――その途端、廊下でばったりと、エレガンジェネラルに出くわした。
「あっ――」
「どうも。――今日はよろしくお願いします」
立ち止まって固まったライクスに、ジェネラルは慇懃に一礼して立ち去っていく。
エブリワンライクスなど、眼中にないと言わんばかりに、素っ気なく。
通り過ぎて行く横顔は、自信に溢れた、女王の顔。
その背中を睨むように見つめて、ライクスは胸元に手を当てた。
「~~~~~っ」
握りしめた拳が震えるのを、止められないまま。
ライクスはしばらく、その場に立ち尽くしているしかなかった。
4番人気、4枠8番、エブリワンライクス。
* * *
二冠。ダブルティアラ。
この世代でたったひとり、その頂きに挑む権利を手にした。
だけど、自分にとってそれは義務であり、通過点に過ぎない。
トリプルティアラへ。そしてエリザベス女王杯と有馬記念、クラシック五冠制覇へ。
最強を証明するために。トレーナーの語った夢を現実にするために。
負けられない。負けることは許されない。
今日も、そのためにトレーナーと、あらゆる展開を想定してきた。
問題はない。勝てる。自分のレースにさえ徹すれば、負けることはない。
地下バ道の途中で一度立ち止まり、ターフの光を見つめながら、エレガンジェネラルはひとつ息を吐く。呼吸を落ち着け、顔を上げる。
――そのとき、背後から足音がした。聞き慣れた蹄鉄の音と金属音。
振り返ると、ジャラジャラが歩いてくるところだった。
その表情に、ジェネラルは小さく息を飲む。
それは、普段のやる気なさげな飄々とした顔でもなければ。
阪神JFや桜花賞のときの、臨戦態勢という獰猛な笑みでもない。
――表情が消えたような、引き結ばれた口元に。
瞳だけが爛々と、闇の中で獲物を狙う肉食獣のように輝いている。
そして、普段の軽口もなければ、エレガンジェネラルを一瞥すらもせず。
ジャラジャラはジェネラルを追い越して、ターフの光へと消えていく。
その背中を見送って――不意に、エレガンジェネラルはぶるりと身を震わせた。
――私とトレーナーの想定は、本当に、完全だったのだろうか?
不意に頭をよぎったその疑念は、ジェネラルの脳裏にこびりついて、離れない。
2番人気、1枠1番、ジャラジャラ。
1番人気、7枠14番、エレガンジェネラル。
* * *
パドックからターフへと向かう地下バ道。
私はその途中で、コンプとエチュードを伴って、ヒクマを待っていた。
「あっ、トレーナーさん! コンプちゃん、エチュードちゃんも!」
ほどなく、小走りにぱたぱたと駆けてくる勝負服のヒクマ。私は、隣のふたりを促す。
「ヒクマちゃん。……っ、がんばってね!」
「クマっち、あたしとの特訓、無駄にしたら怒るからね!」
「うんっ!」
右手を挙げるエチュードと、左手を挙げるコンプに、ヒクマは笑顔で両手でハイタッチ。そして、ふたりの間を抜けて、私の前で脚を止める。
「う~~~っ、トレーナーさん! 今日はわたし、勝てる気がする!」
「ああ! ジャラジャラもエレガンジェネラルも、他のウマ娘も観客も、みんなをあっと言わせてやろう!」
やるべきことはやった。
私の中ではまだ、これで本当に良かったのか、という迷いはあるけれど。
ヒクマの笑顔に、惑いはない。曇りはない。
ならば、もう私にできることは何もない。
あとは信じて、ヒクマを送り出すことだけだ。
私がすべきことは、先頭でゴールするヒクマの笑顔を、一番近いところで待つこと。
それだけだ。
「ヒクマ。府中2400は?」
「ドバイへの特急券!」
「よし、行ってこい!」
「うんっ、行ってきます!」
ぱん、と両手でヒクマとハイタッチ。そしてヒクマは、私の横を駆けていく。
夢の舞台へと続いているはずの、府中のターフへと。
揺れる芦毛を見送って、私は拳を握りしめて、ただ祈った。
――がんばれ、ヒクマ。がんばれ。
3番人気、1枠2番、バイトアルヒクマ。
* * *
『快晴に恵まれました東京レース場、樫の女王の戴冠を目指す18人のウマ娘が集いました! 四強が再び死闘を繰り広げるか、それとも新たな女王が現れるのか。4番人気は桜花賞3着、リベンジに燃える青森の星、8番エブリワンライクス!』
エブリワンライクスは何度も自分の頬を叩きながら、ゲートをじっと見つめている。
『3番人気、桜花賞は悔しい4着! 芦毛の夢が府中から世界に羽ばたく第一歩となるか、2番バイトアルヒクマ!』
笑顔で観客席に手を振り、バイトアルヒクマは気合いを入れ直すように拳を握る。
『2番人気、桜花賞でついに黒星。日本ダービーを蹴ってエレガンジェネラルへ再戦を挑む、絶対に負けられない褐色の弾丸、1番ジャラジャラ!』
ジャラジャラはただ静かに、真っ直ぐに、前だけを見て歩を進める。
『そして1番人気は桜花賞ウマ娘、トリプルティアラへ視界良好、姫将軍の進撃は誰も止められない、エレガンジェネラル!』
エレガンジェネラルは、何かを振り払うように首を振り、ゲートへと向かう。
『体勢完了。トリプルティアラ第2戦、樫の栄冠は誰の手に! ――スタートしました!』