モブウマ娘 ドリームダービー -走れ!バイトアルヒクマ-   作:浅木原忍

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第98話 オークス・作戦決行

 ひどく、ゲートが狭く感じた。

 圧迫感。上下左右から、何かに押しつぶされそうな気配に包まれて、エブリワンライクスは立ち尽くした。

 目の前のターフが、やけに遠く、ぐにゃり、と歪む。

 ――なんだ。なんだこれ。

 自分の視界が、全身が、どうなっているのかわからない。

 呼吸が荒くなる。身体がふわふわして、地に足が着かない。

 落ち着け。落ち着け。落ち着け――。

 首を振って、ライクスは数歩、よろめくようにゲートの中で下がった。

 

 ゲートが開いたのは、まさにその瞬間だった。

 

 

       * * *

 

 

『ややばらけたスタート、おおっと出遅れたのはエブリワンライクス! エブリワンライクス大きく出遅れた!』

 

 スタートの瞬間、東京レース場の観客がどよめいた。4番人気のエブリワンライクスがひとりだけゲートを出ず大出遅れ、蒼白な顔で離れた最後方からのスタート。ライクスを応援していたのだろうファンから悲鳴があがる。

 そしてそのどよめきは――次の瞬間、先行争いに視線を移した観客たちの間で、さらに大きくなる。

 

『さあ注目の先行争い、やはり最内からジャラジャラが、いやバイトアルヒクマだ、バイトアルヒクマがジャラジャラを制するように押して前に出て行きます!』

 

 好スタートを切ったヒクマが、隣のジャラジャラより前に出ようとする。ジャラジャラが目を見開き、外のエレガンジェネラルがちらりと内を振り向くのが双眼鏡に見えた。

 

「よっしゃ、いっけークマっち! そのまま逃げちゃえー!」

 

 コンプが身を乗り出して叫び、よし、と私もそれを見ながらぐっと拳を握りしめた。

 完璧だ。狙い通り。これをやるために、コンプと特訓を積んできたのだ。

 ――全ては、ジャラジャラとエレガンジェネラルに勝つために。

 

 

 

 オークスの枠順が決まる前のこと。

 

「ジャラジャラとエレガンジェネラルに勝つためには、あのふたりに自分のレースをさせないこと。あのふたりの形を崩して、ヒクマのペースに持ち込むんだ」

「だからって、いくらクマっちでもあのジャラジャラ相手に逃げようってのは無茶じゃないの? それでクマっちが潰れちゃったら元も子もないじゃない」

 

 私の立てた作戦に、コンプが腕を組んで眉を寄せる。私は頷いた。

 

「もちろんそうだ。だから絶対に何が何でも逃げようっていうわけじゃない。上手く条件が揃ったときのための作戦だよ」

「条件?」ヒクマが首を傾げる。

「まず、ジャラジャラが内枠に入ること。次に、ヒクマがそれより外の近くの枠に入ること。このふたつの条件が揃ったときのための作戦だ」

「それ、運任せすぎない?」肩を竦めるコンプ。

「それは解ってるけどね。条件が揃わなかったときの作戦も考えてはあるから、とりあえずこの作戦について聞いてほしい。――と言っても、作戦自体は単純だ。1コーナーまでにジャラジャラより前に出て、ジャラジャラの前を塞ぐ。とにかく、ジャラジャラに逃げさせない――全てはそのための作戦だよ」

 

 オークスの展開については、ここまで頭を悩ませ続けてきたが、最終的にはジャラジャラもエレガンジェネラルも自分のレースに徹する可能性が高い、と考えた。

 桜花賞は不良バ場で飛ばしていけずに敗れたことから、ジャラジャラは府中2400でもお構いなしのハイペース逃げ消耗戦を仕掛けてくる可能性が高いと思う。そしてエレガンジェネラルは、阪神JFでジャラジャラの消耗戦に付き合って敗れているから、距離も延びるしおそらく無理にはジャラジャラを追わない。直線の長い府中、脚を溜めて中団から瞬発力勝負に出るのではないか。

 ジャラジャラをマークして消耗戦に付き合うのは相手の術中だが、かといってジャラジャラを自由に逃がしたら逃げ切られるだけだ。それにヒクマの長く伸びる脚は、桜花賞を見てもエレガンジェネラルとの瞬発力勝負になったら分が悪い。

 なら、ジャラジャラを逃げさせなければいい。ジャラジャラの前に蓋をして、ヒクマのペースで逃げるのだ。そして、中団に控えたエレガンジェネラルの末脚を、直線ロングスパートで凌ぎきる。――これだ。

 

「ふえー……」

 

 私の語った作戦に、ヒクマはその大きな瞳をしばたたかせ、コンプは唸る。

 

「うーん、あたしも前に蓋されたら嫌だし、作戦としちゃ理解できるけど。あっちがそれでも強引に逃げようとしたら結局消耗戦に付き合うことにならない?」

「そのときはそれ以上無理に追わなくていい。そうなればジャラジャラに序盤で脚を使わせてしまえるからね。あとはエレガンジェネラルの動きに注意しつつ、ヒクマのペースで走ればいい。――どうかな、ヒクマ?」

 

 私はヒクマに向き直って問いかける。ヒクマは目を閉じて、頭の中で私の伝えたレース展開を想像するように腕を振り――そして、ぱっと目を見開いて、ぐっと拳を握った。

 

「うんっ、やってみるよ、トレーナーさん!」

「よし! じゃあ、コンプと一緒にスタートの特訓だ!」

「おー!」

「え、あたしも?」

「ジャラジャラのロケットスタートより前に出るなら、コンプ相手に前を塞ぐぐらいのつもりでいかないとね。コンプは本気でスタートダッシュかけて、ヒクマは2ハロン、400メートルまでにコンプより前に出て内に切れ込む。――そのスタートの感覚を身体に叩き込むよ!」

 

 

 

 そして本番。ヒクマは最高の枠を引いた。

 ジャラジャラが最内の1枠1番。そしてヒクマがその隣の1枠2番。これはもう、強引にでもジャラジャラの前に出て、その前を塞ぐ以外ない。これまでどんな相手にもお構いなしで逃げてきたジャラジャラは、番手のレースになればペースを崩すはずだ。そして外枠のエレガンジェネラルは、ジャラジャラがハイペースで逃げると踏んで控えたのが裏目に出る。あとは先頭に立ったヒクマが、ミドルからスローで逃げてロングスパートの前残り。――あのふたりが距離で潰れるという甘い期待はしない。自分から潰しに行く!

 

『さあこれはまさかのバイトアルヒクマが逃げるのか?』

 

 どよめきの中、最初の1ハロン。最高のスタートを切ったヒクマが前に出た。

 そのまま内に切れ込んで、ジャラジャラの前を塞ぎにかかる。

 府中2400の1コーナーは350メートル地点。そこまでジャラジャラを封じてしまえば、ジャラジャラだってそれ以上無理はしない。ヒクマ先頭で体勢は決まる。

 ――だが、やはり相手はそう甘くない。

 

『しかしジャラジャラ、ジャラジャラもやはり行きます外から並んできた!』

 

 ヒクマが前を塞ぎにきたと察したジャラジャラは、ヒクマが内に寄せるのに合わせて、外に出した。――3番のウマ娘が出負けして、ジャラジャラが外に出すスペースが空いていたのだ。

 ジャラジャラが半バ身後ろにつけたのを、ヒクマがちらりと見る。

 ジャラジャラは、ヒクマに並びかけようとペースを上げる。

 ヒクマが――それにつられるように、ペースをあげた。

 

「――ヒクマっ!」

 

 まずい。釣られるなヒクマ、それ以上ジャラジャラのペースに付き合うな!

 私の叫びは、しかし府中の大歓声に掻き消され、ターフのヒクマには届かない。

 迎えた1コーナー。先頭は――ふたり。

 並んで走るふたりが、後ろを2バ身、3バ身と離していく。

 

『さあなんとバイトアルヒクマが逃げます、そしてその横にぴったりとジャラジャラ! このふたりがレースを引っぱる形になりましたオークス! エレガンジェネラルは中団に控えました、エブリワンライクスは最後方で1コーナーを曲がっていきます!』

 

 

       * * *

 

 

 ――おそらく人気の3人は前に行く。だけどジャラジャラのハイペースに無理に付き合う必要はない。マークするならエブリワンライクスだ。じっくり後ろからペースを守れ。

 エンコーダーは、トレーナーからそう言われていたのだけれど。

 

 ――トレーナー! ライクスさん出遅れたんですけどー!

 

 マークするつもりだったエブリワンライクスは大出遅れで後ろにいる。目印を見失って、どうすればいいのかエンコーダーは泣きそうになっていた。

 

 ――ううっ、あの子はなんかすごい前に行っちゃったし……。

 

 デビュー戦で負けた芦毛のあの子――バイトアルヒクマは、なんだか競り合ってジャラジャラと一緒にふたりで逃げる体勢になっている。あんなのについていくわけにはいかない。となったら、このごちゃごちゃした中団で我慢するしか――。

 きょろきょろと周囲を見回したエンコーダーは、すぐ近くにもうひとり、思いがけず人気どころが控えていることに気付いた。エレガンジェネラルだ。

 ジェネラルは前に行かず、外枠から枠なりに中団に控えている。どういうわけか、ちょうどそのジェネラルの内のスペースがぽかっと空いていた。

 

 ――ううっ、なら、ここ!

 

 エンコーダーはそのスペースに潜り込む。エレガンジェネラルがちらりとこちらを見た。

 1番人気。桜花賞ウマ娘。雲の上の存在がすぐ横を走っている。

 

 ――何か作戦があって控えているはず……。とにかく、彼女についていこう!

 

 腹は決まった。エンコーダーはエレガンジェネラルのペースに合わせて走って行く。

 

 

       * * *

 

 

 ――なるほど。バイトアルヒクマさんはジャラジャラさんを潰しに行きましたか。

 

 自分の横に15番人気のエンコーダーが潜り込んで来たのをちらりと横目に見て、エレガンジェネラルは先頭を行くふたりの背中に視線を戻した。

 これも枠順が出た時点で、トレーナーと想定していた展開だった。バイトアルヒクマがジャラジャラの前を塞いでスローペースになる可能性も検討した。そのときはもっと前に出るつもりだったが……。

 結局バイトアルヒクマはジャラジャラの前を塞ぎきれず、ジャラジャラが外に出してバイトアルヒクマを横から突っつく形になった。結果、突かれたバイトアルヒクマのペースが上がり、ふたりが後ろを離して逃げる格好になる。

 このままなら、想定通りのハイペース展開。

 一番恐れていた、ジャラジャラが自由に単騎ハイペースで逃げてしまう展開にならなかったことに、走りながらエレガンジェネラルはほっと息を吐く。

 

 ――バイトアルヒクマさん、ありがとうございます。あとはせいぜいジャラジャラさんと潰し合ってください。直線で、まとめて私がいただきます。

 

 そう思いながら――向こう正面に入ったところで、エレガンジェネラルは小さく息を飲んだ。そこにあった、想定と異なる展開に。

 

 ――遠い。

 

 ジャラジャラとバイトアルヒクマの背中が、想定よりも、遠くにある。

 

 ――ちょっと待ってください、あのふたり、どんなペースで逃げてるんですか?

 

 いや、落ち着きましょう。エレガンジェネラルは自分に言い聞かせる。

 

 ――トレーナーも言っていました。オーバーペースになればなるほどこちらが有利。府中の2400、いくらジャラジャラさんでも、逃げ切るならどこかで溜めるはず――。

 

 そう考えた瞬間、ぞくり、と背筋に冷たいものが走って、ジェネラルは震える。

 

 ――本当に、そうですか?

 ――ジャラジャラさんは、そんなに甘い相手でしたか?

 全力で、私を倒しに来た彼女は――。

 

 

       * * *

 

 

『さあ向こう正面、相変わらずジャラジャラとバイトアルヒクマが後続を6、7バ身とちぎって逃げます、1000メートル通過――』

 

 次の瞬間、そのタイムに、府中がどよめいた。

 

『――58秒0!』

 

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