レイシフト先で負った怪我がフィードバックでカルデアで開いて三日三晩熱でうなされた。
ようやくベッドから出られるようになっても身体中の痛みは消えることはない。壁に伝いながらようやく食堂にたどり着けた。
しかし指関節に負った傷が悲鳴をあげて手にしたバタースプーンを落としてしまった。
誰のせいか。
間違いなく自分のせいである。
どの怪我のタイミングを振り返っても自身の落ち度としか言いようがなく、盾の役目を果たせていないと嘆くマシュには本当に悪いことをした。大いに反省している。次は先走らないようにしなくては。
という反省は反省として、
「メディアたちならすぐに治してくれそうなのになあ」
現状の不便さに呻き声しか出てこない。
せめて日常生活に支障をきたさない程度には……。
軋む身体をどうにか屈ませバターナイフを取ろうと指を震わせる。
「今のマスターに怪我なんて一瞬で治るものって体感で学ばれるのが一番ヤバいんだよ」
しかし努力虚しく寸でのところでバターナイフは違う指に拾われる。
その流れに合わせて顔を上げればよく馴染んだ人があまり馴染みのない呆れた顔で彼を見下ろしていた。
「うん。それはドクターや皆にも言われたよ」
「でもあんまり分かってないだろ」
「失礼な」
軋む身体に苦悶を浮かべつつ身を起こす。
その様子にヘクトールは呆れた顔のまま拾ったバターナイフを新しいものに取り替える。
「オレにかけるべき手間は最小限であるべきって話だろ?オレは確かに世界最後のマスターで死んだらオワリだからなるだけ長持ちしなきゃならないのも分かってる。だから怪我も最小限であるべきなのも分かるさ。一定の指揮権と決定権はあるけど紙装甲どころじゃない貧弱戦力外であることは覆せないんだ。そういうオレがむざむざ怪我をするたびに回復に回ってる手間をかけるよりだったら、怪我をしない立ち回りを覚えたほうが断然話はスムーズに流れるって、」
「ばーか」
「なんで!?」
回らない頭なりに己の重要性を加味して頑張って考えていたというのに。
怒気にも似た一蹴と共にバターが塗られたパンを一口分放り込まれた。よく噛んで飲み込むごとにまた一口また一口と投げ込まれ、雑な餌付けのようになっていた。
「こうやって皆が世話してくれてるのちゃんと見てたんだろ?」
「…………うん。余計な仕事増やして悪いと思ってるよ。怪我はしないほうがいいって思った。すごく反省した。そもそもこんな状態の時にまた緊急性の高い特異点が出てきたらマズイし、やっぱり基本的に出来る限り万全に近いようにの心がけってのが最低限で最重要な努めというか」
「ばーか」
「なんで!?」
何せ常時人手不足のカルデアなのだ。
誰も彼もが己の分野外の仕事を受け持って初心者でも慣れてなくてもミスは許されない極限状態でなんとか回しているのが常なのだ。
そんな皆に更に手を焼かせるような真似はしないようにするに越したことはない。だからこうしてひとりで食事くらいは済ませようと痛む身体を引きずりつつもここまできたわけで。多分マシュあたりに見つかったら「食事なら自分が持ってくるからもう少し治ってから動いてくれ」と言われてしまう気もするけれど……。
ならさっさと魔術で治してくれても。とやはり思わないでもないが、その手間だってなるべくないに越したことはないのだ。
ちゃんと考えて教訓として痛みも不便も受け入れているというのに、また怒りの一蹴だ。
解せぬと思いながら放り込まれたパンを噛む。
そのような彼の顔を見ているのかいないのか。分からないけどヘクトールもまた何やら思案しているようだ。不機嫌そうに眉を寄せながら口を尖らせたり限界まで一文に伸ばしたり落ち着きがない。
「……マスターってさあ、」
探るように言葉は紡がれる。
「親にあんまり愛されてなかった?」
「…………うん?」
ヘクトールの中でどう話が飛躍したのだろう。分からないまま彼は答える。
「ふたりはいい人だよ。オレみたいのでも良くしてくれる」
「…………………」
「…………?」
ヘクトールの寄った眉は寄ったままだ。
だけどそこに不機嫌の色はなくなった気がする。
けれど変わりに形容の難しい困惑が濃厚になっている気がして。
何か選択肢を間違えただろうか。親に不名誉になることは言ったつもりはないが。彼らが知らぬ場とはいえ苦労が多いふたりにいらぬマイナスを与えてしまうのは大変好ましくない。変に勘違いされたらどう弁解しようか……。
放り込まれ続けるパンを味わいながら彼もまた困惑を抱いてヘクトールの顔色を伺う。
「……マスター。オジサンはさ、マスターとまた料理が作りたいよ。こんな餌付けじゃない食事がマスターとしたい」
「…………うん?作ってくれるなら今付き合うよ?」
「マスターも作ってくれなきゃ嫌なの」
最近は忙しくてあまり開けていないふたりの夜食会。
やっと時間が空いたと思ったら包丁も握れないこの惨状。
これからもこんな怪我をし続ける限り、あの幸せはなしになってしまうのだ。
「…………」
身体じゃないどこかが激しく痛んだ気がした。
「じゃあ、次は怪我しないように頑張るよ。ヘクトールの楽しみは奪いたくない。それはきっとマスターとしてしちゃいけないことだ」
自分にとっての幸せがヘクトールにとってどれだけ幸せなのかどうかは分からないけれど。求められているなら応えねばならない。
それはなんだか、痛む部分が柔らかくなっていく気持ちだ。
「頼むよマスター。そう思ってくれるならオジサンも嬉しい」
そんな彼の様子に、ヘクトールもまた複雑そうに眉を寄せたままでありながらも優しい微笑みを浮かべる。
今はまだ、これでいいだろう。
ヘクトールが微々たる前進の感触を得たところでパンは全て彼の胃の中に収まった。