夜とは違うほの明るさがある灰色の世界が窓から射し込まれる。
ざあざあと満たされる静けさに包まれながら布団の中で彼は蠢き這い抜ける。
身体は重く思考は鈍い。起きるにはあまりにも苦痛が伴う。
幸い今日は予定がないのだ。無理なんてせずに昼まで寝ていればいい。それを咎める人もいないじゃないか。
どんよりとした頭痛がそう締め付けのしかかってくる。
しかし。
しかしと首を振る。
それは共に暮らす人にとって相応しい人間の振る舞いであるだろうか。
あるわけない。
そんなわけがあるわけがない……!
軋む心身を歯を食いしばって起き上がらせる。
とにかく起きろ。起きてしまえばこちらのものなのだから。起きて動きだせば脳も身体もそれに合わせて活動モードに切り替わってくれる。大体身体ってのはそういう風に出来ている。
言い聞かせながら立ち上がり、着替えを済ませたところで控えめなノック音が部屋に響き
「マスター、起きてるかい?昨日のゼリーがいい感じみたいだけどどうする?」
「食べる!」
計られたような呼び掛けに飛びつくように部屋を出た。
皿に置かれたみかんの缶詰めの底に缶切りの刃を刺せば中身がするりと抜け落ちる。テレビで見た通りの気持ち良さに彼は目を輝かせ手を叩く。ゼラチンによって固められただけのそれが缶詰めの形通りに起立しているのを見ているだけで面白い。目を輝かせたままふたりはゼリーにそのままスプーンを差して食べ始める。行儀は悪いが切り分けないのも贅沢だ。
外は変わらず少しばかり明るさがある曇天のまま落ちる水音で憂鬱に世界を満たしていた。
けれど缶詰めそのままの甘味はそれを打ち消してくれるだけの幸せに満ちていた。
しかし何事にも終わりはあるもので。お試しにひとつしか作っていないそれをぺろりと食べ終えてしまったらやはりのし掛かるは低気圧による大不調なのだ。呻きかける気分を淹れてもらったコーヒーで飲み下す。
やることは少し考えればすぐに出てくるのだ。掃除とか。帳簿とか。普段からやらなくてはいけないけど後回しにしていることはあるにはあるのだ。比較的調子がいい日すらやる気になれない事柄を調子がすこぶる悪い今やりたいかと言われれば全くやる気になれないけれど。こういうのはやり始めたら勝ちなのだ。起きてしまえば起きれたように、動きだしさえすれば……。
「マスター」
おそらくまともに効きやしないだろうコーヒーを飲みながら苦々しく思案する彼にヘクトールはのんきに声をかける。
「オジサン今日はやる気ないからこれからリビングのソファで昼まで寝てるつもりだけど、マスターの今日の予定は?」
「うぐっ!」
今目の前で必死に捻出しているやる気が真っ正面から抉られた。隠す間もなくダメージそのままの呻き声が外に漏れる。主犯はそれをにやにやと面白そうに眺めている。腹立たしい。
「マスターが今日何かする予定があっても今日のオジサンは無理かなあ」
「うぐぅ、うぐぅ、」
確かに、何かしようとは思っていた。予定を立てようと必死に絞り出そうとしていた。いくら平和な世とはいえ過度な怠けは悪なのだと思って……。
けれどだからといってもその横でのんびりだらけている人を気に止めずにいられるほど意識を高くは保てないのだ…………!
「悪魔だ悪魔がいる……。私は懐に悪魔を招き入れてしまったんだ……」
頭を抱えて苦悶する彼の姿に「今更気付いたのかい?」と言わんばかりにヘクトールは手招く。「こっちの水はあ~まいぞ~」と。
「それで?」
「ウッ、」
「これからどうします?マスター」
「うぅ……」
出会った頃から数えきれないほど何度も重ねられた決まり文句にかつてないほどの選択に揺られ
「…………………………いっ、一緒に、寝ます……」
「決まり!」
かつて縁と根性のみで世界を救った男はこんなに意思の弱い人間になってしまいました……。
力なく掲げられた白旗にヘクトールは屈託のない勝利の笑みを浮かべた。