盤面を睨み少年はじりじりと「勘弁してくれ」と言わんばかりに冷や汗をかく。
しかしそんなものは気にする値はない。そう言わんばかりに向かいの敵陣に座るヘクトールは盤上にある少年の最後の駒を自身の駒で弾き出す。
「はい、全滅。本日50回目の人類滅亡だぜマスター」
「うぅぐぅぅぅぅぅぅ…………」
にこやかな勝利宣言に少年は投了代わりに場に伏して頭を抱える。その小さく情けない姿をヘクトールはただ笑って眺めている。
「シミュレーションじゃなくて実感湧かなくても、実戦と思って頑張ってくれたまえよ」
「これでも必死に頭回してるんですがねぇぇぇぇぇぇ」
やんわりと刺される注意に出来る反論が酷く情けない自覚は当然ある。だが本当に真剣に考えて50連敗なのだから仕方がない。
ヘクトールもそれは分かっているだろう。分かっていても実戦ならば全滅していたのだから気を抜くなと言いたいのだろう。そのために勝ちは用意してあるのだからと。
そう。勝てない試合ではないのだ。少年はもう何度目かも分からない嫌な汗を滲ませる。それでも全く筋が見えないのが大問題だと。
ヘクトールだってただ戦争初心者をいたぶって遊んでいるわけではないのだ。出会って間もないがそこまで意地が悪い男ではない。イジワルなところも確かにあるけれど。
先ほど通りかかった牛若丸だって盤面を一目覗いてから言っていた。「ヘクトール殿にしては随分お優しい打ち方をなされますね」と。
勝ち目は用意されているのだ。こちらが気付いていないだけで。それがこれからの戦いにおいて大問題になるだけで。
自覚があるからこそ頭が痛い。
机に伏し、頭を抱えて唸り続ける少年のことなど気にする必要はない。そう言わんばかりの涼やかな顔でヘクトールは駒を回収して整理をはじめる。
「どうして、どうしてどう考えてもここで一番の下っぱ役立たずがこんなに出来る人たちに指示を出さねば…………」
「心中お察ししますよ」
穏やかでゆるやかであるが感情の一切もない言葉が少年のみっともない呻きに寄り添わされる。
「普通だったら邪魔だから邪魔しないようトイレでも掃除しといてって言われてるような人間じゃん……。言われたら黙っていえっさーで頑張ってせっせと全部のトイレぴかぴかにしてたのに……。いやでも半分でちょっとめげるここすごい広い」
「そこまで分かってるなら結構」
事情はちゃんと分かっているから普段なら絶対に言わないぼやきが精神疲労によりぞくぞくと漏れていく。
ヘクトールはそれを咎めない。むしろ今のうちに全部吐いておけとからからと笑い、整理した駒をひとつひとつ盤上に戻していく。
目の前にいる少年は、その呻きが本心であってもそれを振り回して為すべきことを放棄する人間ではないことを分かっているから。
「一番の下っぱなら上官の命令は絶対だもんなあ。文句なんて言う権利もない。だから最低限の指示くらい出せるようこうして訓練せにゃならんわけで」
「ぐぅ……」
こつこつと手際よく、慣れた手つきで駒は並べられる。
その音が鳴るたびにこつこつと胃が痛みを訴えてくる。しかしやめてくれとは言えやしない。実質拒否権はなかったとはいえ、立つと決めたのは間違いなく自分なのだ。
こつこつ。
こつこつ。
しかしながら、胃は痛む。
出来ることなら、やりたくない。
「さあ、マスター」
こつり。
静かに鋭い音を立てて断頭台の準備が終わった。
最後の駒が配置についた音と共に少年の身体がびくりと震える。
「司令官殿の仰せのままに、掃除夫みたいにせっせと世界を救ってくださいよ」
修繕する手も時間も足りない爆破跡が目立つ最前線基地の中。容赦がない男との容赦だらけの千本ノックはまだまだ始まったばかりなのだ。