レイシフト先で皆がバラバラに転送されたとか。
マスターが地に降り立った瞬間に何らかの罠か呪いかを踏んだとか。
おかげでしばらく視覚が使いものにならないとか。
「今回は完全にこちら側のミスだ」と通信越しに平謝るドクターに「行かないと分からないから仕方ないね」となだめたり
とりあえず合流が最優先とエスコートされるがままにどこかに腰を掛けて待つことにしたり
周りはばたばたしているけれど、彼にとってはのんびりとしたスタートであった。
「随分落ち着いているんだな」
ピンと背を伸ばし黙と座して聴覚情報に集中する彼に運良くひとりだけ傍にいたヘクトールが言う。
普通は視覚がないだけでもっと狼狽えたりするものと思うのだが、驚くほど彼にはそれがない。食堂の注文を静かに待っているだけかのような落ち着きようだ。
感心したように告げれば彼は背筋を伸ばしたままで微笑んだ。
「運が良かったからな。ヘクトールがいなかったらもっと慌てていたさ」
「随分な信頼光栄なことで」
確かにカルデアでの召喚は双方の合意によるものだ。多かれ少なかれ世界を救う気でいるからヘクトールとてここにいるのは確かだけれども。些か信頼がすぎるのではないだろうか。やれやれと息を吐きつつ肩をすくめた。
そんなヘクトールに気付いてかそうでもないのか。彼は冷静さも感じられる微笑みのまま話を続ける。
「護衛する立場としてもそっちのほうがありがたいだろ?何も出来ないなら何もしないよ。それが一番の協力だ」
「まあ、それもそうなんですがね」
あまり手放しに信頼だけされているというのも何だか釈になってしまうもので
「オジサンは実はわる~いオジサンで皆が来る前にイタズラされちゃうかも~?とか、思わないの?」
言いながら、彼の手に触れゆるりと肩まで撫で上げる。わずかにくすぐったそうに口が引きつる。
そのまま左手は肩から胸に降ろし右手は首に。
余程の愚鈍でもこれで言わずとも理解出来るだろう。命が握られていると。
「……」
他に誰かがいたなら即討たれているだろう。普段彼に対して過保護なくらいに口やかましい通信先が沈黙しているのが不思議なくらいだ。
そんな考えがよぎるくらいにはヘクトールは自覚的に酷薄な笑みでそれを行っている。
現在何も映すことはない彼の瞳には、やはり何も見えていない。ぼんやりとおそらくでヘクトールがいる場所を見上げ、何やら思案しているかのような巡りは見える。
けれどそこに恐れや怯えはなく
「……まあ、皆が合流するまでの暇潰しの手間賃くらいになら好きにしていいんじゃないか?」
「……」
「それからの任務に支障がない程度の体力は残してくれるとありがたいな。ま、ヘクトールならその辺の加減は心配する必要はないか」
「…………」
「すまないな。オモチャになるくらいしか出来ることがなく、ギュッ!」
「……………………」
ああ、このガキはやはり何も分かっていない。
申し訳なさすらある彼の微笑みを苛立ち含めて鼻を摘まんで中断させる。
大きなため息と共に隣にどかりと座るヘクトールに流れが変わったと彼も気付いたようで、不思議そうに見えない隣を伺ってくる。
「オジサン投げ売りに飛び付くほど安かないよ」
「へえ?それは意外」
「へえ?」
どこまでも冷静そうにしつつものんびりとした調子の彼が「んん」と首を捻るように自己内での解釈を続けて口にする。
「ヘクトールって使えるものなら何でも使うし、コスパは低いなら低いほど越したことはないってタイプだと思ってたからさ」
「そりゃまあそーですよ」
石投げて終わる戦いならわざわざ疲れる宝具など撃ちはしない。
だからその認識は正しい。そのあたりはまあいい。いいとして。
「大事なものは綺麗でいてほしいって気持ちくらいはありますよ」
「大事?……まあ大事か。マスターはオレだけだもんな」
「そう。一番上に飾ってなきゃいけないものは、そう簡単に傷物になっちゃ示しがつかんでしょ。士気にも係わる」
「まあそれは……まあなあ。替えがいないんじゃオレで仕方ないもんなあ」
どこまでも、呆れが止まらない。
褒賞もない召喚に応じてくれたサーヴァントに感謝と誠意を。気持ちはまあいい。だが魔力もなく駆け引きも知らない子供がいちいちサーヴァントの発言を真に受けて身を差し出すなど、間もなく瞬間的に削り切れるに決まっている。
この警戒心のなさは彼の美点と言ってもいい。ヘクトール個人としては好ましいものだと思っている。だが旅が旅である以上、いずれ問題になるものだ。適当に納得して身を正してもらわなくては。彼の縁の問題にもなるが、痛い目を痛い目と思わないまま自滅する可能性は日に日に肥大化していくだろう。それに合わせて人理修復以前の問題になりかねないのも明白で。
やれやれと、またもヘクトールからもう何度目かも分からないため息が大きめに吐き出される。
人類史は綱渡り。とは常々思っちゃいるが、最後の最後にこんな骨組みすらままなっていない漂流舟を用意しなくてもいいだろうに。
「あーあ。オジサンが本当に悪い大人だったら良かったのにねえ」
「まさか。信頼に足る人間だと思っているぞ」
「そいつは結構」
不安の種は芽になる前に潰しておこう。そう思っていたのだが、とりあえず今のところ、一度手を引き年寄りじみた説教をする以外出来ることはなさそうだ。
視界が失われているのも相まって、そんなヘクトールの苦々しさなどこの愚かにも自分は物分かりがいいと思い込んでいる子供が気付くことはない。
ただ隣に鎮座してくれている槍の頼もしさに自身の全てを委ね、微笑みながら静かに身を正しているばかりであった。
気だるく全方位に警戒を張り巡らせながらも「早く皆が合流してくれればいいのに」と、内心で呻くばかりであった。