地下鉄を抜けたら滝だった。
そう言っても差し支えないほどの豪雨に見舞われていた。
コンクリートを抉るのではという勢いで大粒の雨が叩きつけられる音も豪快も豪快で、周囲の音全てを打ち消すほどの勢いであった。
「参ったな……」
いくらか少年の名残を持ったままの黒髪の青年がそれを眺める。傘がない。
別に自分が濡れる分には構わないのだ。駅から同居人と暮らす部屋は近い。全力で走って手早くシャワーでも浴びれば風邪を引くこともないだろう。
しかし荷物を守りきれるかと言うと……。
構内のコンビニでビニール傘でも買うか。喫茶店で時間を潰すか。ただ雨が穏やかになるのを眺めて待つか、いっそ荷物は腹にくるんで走り出してしまうか。はたまたおそらく部屋にいてくれているだろう同居人に迎えに来てもらうか。
どうしようかと思案を巡らせていた時、隣に女性がいると気付き、目が合う。
「 」
「 」
雨音で声を消されながらも苦笑気味に挨拶を交わし会釈をしあう。小柄で少し背の曲がった、おそらく彼の祖母くらいの、年を重ねた分だけ柔らかに穏やかに美しくなっていったかのような品のいい女性だった。
互いに運が悪いものだと肩をすくめて立ち尽くす。どうしようもない状況でも、袖の振り合う人がいればいいものだ。
わずかな交流ひとつで彼は満足しゆるりと雨待ちの態勢に入った時
「マスター」
滝の中を縫うようにかすかに声が聞こえた気がした。
顔を上げればその通りに馴染みの顔がいた。
「ヘクトール、わざわざ来てくれたの?」
「そろそろ帰って来る頃だと思って」
人を駄目にするタイプの手回しの良すぎる同居人が視界さえ遮られている滝の中から現れた。その姿が見えただけで彼の青の瞳は鮮やかな晴天に輝いた。
声は変わらず聞こえない。けれど微笑みと唇さえ見えていれば十分だった。彼らは二、三言葉を交わし持ってきてくれた傘を手渡されて早く帰ってしまおうと促され、同意する。
「……」
傘を広げるその前に、隣あっている女性を見れば微笑んで手を振ってくれていた。「迎えが来てくれて良かったわね」と、心から喜んでくれているように。
「あの、」
そんな女性に彼は差し出す。
「良かったら使ってください」と。
雨は続く。
変わらず滝のように絶え間なく。
その中を彼らはひとつの傘でぎゅうぎゅうになりながら帰路へとつく。
通常の傘より一回り大きな傘であるがそれでも大の大人ふたりが入るには狭い。肩を寄せあってもふたりで逆の肩を濡らしている状態だ。
それでも機嫌よく歩く彼にヘクトールは問う。
「良かったんですかいマスター。あの傘随分気に入っていたでしょう?」
「ん?うん、まあ」
彼にしては随分奮発して買った物だ。デザインは一目惚れであったがレジに持っていくまでかなり悩んだのは記憶に新しい。
けれど彼は簡単に手離した。短くとも隣あった人が困っていたというだけで。
彼らしいと言えば彼らしいけれど。
「代金以上にいいことあったからいいんだよ」
「へえ、どんな?」
「ひひひ」
問いに答えずただ肩を寄せる。歩くに少々邪魔だが気にしない。
その幸福そうな姿にヘクトールはやれやれと苦笑をこぼす。だが自身もまたそれを悪くないと思うことを自覚もある。そんな自分にもやれやれとしながらも彼が少しでも濡れなければいいと少し多めに彼側に傘を寄せた。