システムの駆動音だけが響く重くのし掛かる静寂の中で、マスターと呼ばれるようになった少年が扉を眺めている。
表向きはこのカルデアの正面玄関と思われる扉を上から下までぼんやりと。記憶にはないけれど、おそらく自分はここから来たのだろうと。
気付いたらここにいた。献血をして勧誘をされて、書き置きひとつでパスポートといくらかの着替えだけ詰め込んだバッグだけ持って「魔術師になりたいです」と渡された名刺の住所に飛び込んでから。記憶がない。そして廊下いた。だから今でも実感が湧かないところもある。
この扉の先に自分が暮らしていた世界があって、全部が燃えているだなんて。
「逃げ出したくなったかい」
佇む少年に声がかけられる。
少年の父親と同じかいくらか若いくらいの男、ヘクトール。その声の主を少年が認識すると同時にわずかに眉が寄る。
「ドクターの許可がなければ開かないドアの前にいたところで逃げられるわけがない。逃げるところもないしな」
現在地も分からない常に吹雪の隔絶された場所にいるという認識出来る現状が更にそんな気にさせる。だから世界を背負っているという認識も薄いけれど、行くしかないのだ。
そんな面持ちでいる少年にヘクトールは「それなら結構」と肩をすくめる。
本当はもっと揚々とした戦意を示したほうが良かったのかもしれない。けれど今はそんな気分でないのだから仕方ない。次の戦場で頑張ろう。
「ひとりになりたくてここに来ただけ。飽きたら戻るよ」
「へえ意外。いつも誰かの中心にいるタイプかと思ってた」
「必要とあればそうしているがな。そうなれない時もあるさ」
特にここでは入所日にこんなことになってしまった新入りも新入りなのだから。どこにいても座りが収まらなくて隅に逃げる時くらいある。
でもきっと、それは今管制室に詰めて作業や会議をしている皆もそうなんじゃないかと思っている。
こんな広い施設が爆破されて、運が良かった生き残りが身を寄せあって頑張っているのだ。長く勤めていたとしても、その時にようやく顔を合わせて存在を認識しあったという状態なのではないだろうか。それなのに皆はソツなく連携出来ている。
サーヴァントだっていきなり呼び出されて国や歳どころか時代まで違って、価値観も戦いかたも違う相手に命任せあって戦ってくれなんて無茶にもほどがある要望に応えてくれている。
大人ってすごい。
自分がこうであるからこそそう思う。
もちろん、少年にはそのように見えるというだけで彼らにも彼らなりの見せない苦悩や衝突はあるのかもしれないけれど。
「ならお邪魔なオジサンは退散としようかね。風邪引かない程度にごゆっくり」
「あっ、」
「……ん?」
そう軽やかに背を向けるヘクトールの服の裾を摘まんでいた。
それは少年としても無意識の行動で、我ながら何故の動転渦巻くいくつかの空白の末に「えぇと」と言葉が絞り出される。
「5分……いや、3分でいい。一緒にいないか?」
「いいけど、ひとりになりたいんでしょ?」
「そうだけど、」
なにも分かっていないような声の問いがまた意地が悪い。なんて、思うことも出来ないほど動揺したままで少年はしどろもどろと言葉を探す。
今はどうしてか、その背中を見送ることがとても寂しいことに思えてしまって
「ふっ、ふたりが好きな時もある」
「……」
「駄目か?」
恐る恐る上目で窺えば、きょとりとした瞳は嬉しそうに細まっていき
「しょうがねえマスターだ」
そう笑って上機嫌に少年の頭をかき回し、ふたりで肩を並べて扉を眺めることになる。
特筆すべき特徴もない扉の前。無言の世界にシステム駆動音だけが鳴いている。隣には最近知り合ったばかりの男がただいてくれていた。どんな人なのか何を考えている人なのかはまだまだ全く分からない人だ。それでも安らかな気持ちにさせてくれる不思議な人だと、深い感謝を暖かくしてもらえた胸にそっと刻み付けた。