ふと目を覚ました真夜中に、自分の周りに誰もいない世界に酷くどうしようもない寂しさに見舞われる。
少し前、吹雪に覆われた山の上や海に囲まれた施設の軒を借りていた頃はいつも誰かいたから。ベッドの中や下に。入れ替わり立ち替わり仲良く誰かがいてくれたから。
はじめは驚いたり落ち着かなかったりしてた。少しは控えてほしいなあと思う日もあった。
でも馴染んできたらそれは安心になっていた。
いつも同じ場所で目を覚ませていられているという証として安堵に満たされるようになっていた。
けれど今は誰もいない。
隣室にも誰もいない。
昨日から父を連絡係にした依頼で出張してしまっているから。
どこで何をしているのかは知らない。聞いてもいない。父を経由しているのならば機密性が極めて高いことくらい分からないわけではないから。気にならない。とは決して言えないけれど。
父もヘクトールも自分には誠実でいてくれようとしているのは分かるから。言わないということは言えないのだろうと分かるから。
それでもヘクトールならば強く聞けば答えてくれただろう。聞く権利だってもちろんあるだろう。ヘクトールの主としてむしろ聞くべきではないのか。と思うところすらある。
それでも聞かない。それが振る舞うべき自分と思っているから。……半ばムキになっているってところもあるのも自覚している。
だから、こんな深夜でもヘクトールが今どこで何をしているのかなど彼は知らない。中にいるのか外にいるのか。仕事中なのか休憩中なのか。想像もつかない。
だから、今自分は何もするべきではないのである。邪魔になるようなことはするべきではないのである。それが自分にできる唯一の協力なのだと、分かっている。
だから、これは完全なる身を弁えない自己中心的な我儘なのだ。
『どしたマスター。何かトラブルかい?』
「ううん。ちょっと声聞きたかっただけ。大丈夫?」
『大丈夫。ホテルで休んでたから』
届く柔らかで気軽な声に心の芯からほっとする。自分は今まで何に不安になって急き立てられるようにスマホに手を伸ばしてしまったのだろうと思うほど。
こちらのそんな気持ちなど察しているのかいないのか。ヘクトールはただ優しく語りかけてくれている。
昼や夜に何を食べたのかとか、ホテルのスタッフの態度がどうとか、窓の外から何が見えるだとか。伝えても差し障りはなさそうなあたりを静かながらも楽しそうに聞かせてくれる。布団に潜ったまま聞いている声だから、少しこもって聞こえるのがまた新鮮で面白い。本当にすぐ近くで語りかけてくれているみたいだ。
それが嬉しくて嬉しくて。自分でも分かるくらい声が蕩けていく。
『眠くなってきた?』
「それもある。けど、」
『けど?』
どこかあやすような声に彼は頷き
「声にキスされてるような気がして」
『…………………………………………』
また変なことを言って呆れて困らせてしまっただろうか。
長い沈黙とわずかに聞こえるため息に少しばかり意識が戻る。
しかし弁明の言葉も見つからず、少々の気まずさを抱えて眠気に耐えて次の言葉を待つ。
『明日の昼には帰れると思うので、夜には俺の部屋にきてください』
「んん?……うん。いいよ」
何故か絞り出されるような声であったことには気付かないまま彼は了承し、いくつかの会話の後に通話を切った。
そうか。明日の夜はヘクトールといられるのか。いてほしいと望まれているのか。
その満ち溢れる喜びに確かな幸福と共に、再び深い夜の中に意識を落とした。