「マスター最近柔らかくなったね」
ふと言われた言葉にマスターと呼ばれた少年は目を丸める。
「そっ、そうか?今はかなり気を抜いていたつもりだったんだが」
「そういう意味じゃないよ」
どこから取り出したのか。清潔感以外の身なりを気にしない彼が持っているのは少しばかり意外な(しかもデザインのファンシーさが更にいかにも貰い物であることを語っている)手鏡で慌てて表情の確認を始める彼にヘクトールは「いやいや」と手の先を振る。「咎めているわけではない」と。
ヘクトールも詳しくは聞いていないが、どうも彼は昔から気を抜いている時ほど表情が険しくなるらしい。それのおかげで周囲とトラブルになったこともあるとか。なので今は常に表情に気を配っているらしいが、相手がヘクトールであれば気を張る必要はないと険しくなりがちなのだ。
なのに今は柔らかいと言われる。
誰よりもヘクトールに精神を寄せている彼にとってはゆゆしき事態なのだ。
「マスターが一番楽な顔してるんならそれでいいんだよ。これだけ色んな奴らに囲まれてりゃマスターのほうが変わることもある」
「そ、そういうもの、だろうか……」
「そうそう」
困惑する彼に笑ってヘクトールは近付き彼の眉間を人差し指で擦る。
「眉間の皺なんて年取りゃ勝手に出来るんだ。若いうちから出来る要因増やさずに済むならそれでいい」
「まあそれは、そうではあるが」
自身の変化に上手く追い付けない彼の眉間をヘクトールはぐにぐにと擦り続ける。
「せっかく綺麗な顔してんだからさ。笑ってたほうがいい」
「…………………………………………ひぇ」
「……うん?」
険しい顔が癖でなくなった今ならばプレッシャーにならないだろう。そう思って告げた言葉に思う以上の反応があり、ヘクトールも一瞬固まる。
顔を耳どころか首まで真っ赤にして。落としてしまいそうなほど両目を潤ませて。まるで生まれてこのかた褒められたことなどなかった人かのような顔をして。
「マスターこれくらい皆にこれくらい言われてるでしょ」
「み、皆社交界華やかな英雄たちだからな。一応の主に世辞のひとつやふたつを口にすることもある。それをいちいち真に受けて浮かれないよう心がけてはいるぞちゃんと、いつもなら。もちろん世辞でも嬉しいんだがな」
真っ赤なまま、少しでも平静であると主張したげな言葉は並べられていく。しかしどこか声音は迷走していて覇気はない。
じわじわと、ヘクトールの内部のどこかから警鐘が響いている。
「だがヘクトールに言われると…………なんというか……、なん……、なん、だろうな……」
「ふぅん?」
「…………ひぃ」
だがそれに怯んで退けば空気はひたすら気まずくなるだけだ。耐えられる気がしない。
警鐘無視して踏み込み笑うヘクトールが彼にはどれだけ意地悪く見えているのだろう。知る由はない。考える余裕もない。
「皆結構本気で言ってると思うぜ?まずトレーニングもバランスよくやってるみたいだから外殻ラインが整ってる。髪は艶が光ってて肌だってつるつるで、たまご肌って言うんだっけ?瞳だって宝石みたいにキラキラしてる。こないだファントムに歌唱レッスンされてた時、いつの間にか周りにいっぱいいたって驚いてたろ?あれ、ただの世辞だったらあんなに集まると思ってる?本当に?戦場でもよく通る声だって評判なんだぜ?それから、」
「ぁ、あの…………ぇぅ…………あの、ひぅ、」
「マスターは、綺麗だよ」
「ぁぁぁぁぁぁぁぁ、わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………」
額を押さえられ身動きが取れないまま浴びせられる微笑みと言葉の数々。それに彼はただ思考が焼き切れた悲鳴を上げるばかりしか出来なく、ヘクトールは秒ごとに大きくなっていく警鐘音にひたすら理性を繋ぎ止めていた。