ママ娘 ビューティーダービー!   作:織葉 黎旺

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第12R ママレンススズカ

「ほら、はやくはやくー!」

 

「もう、そんなに走ったら危ないよ」

 

 前を行く栗毛の娘を、サイレンススズカは小さく微笑みながら追った。平日の朝の公園となると人気はほとんどなく、誰かにぶつかるようなことはないだろうが、誰に似たのか走ると周りが見えなくなる子なので、油断はできない。

 

「ついたー」

 

 ターフに着くや否や、娘は瞳を輝かせ、尻尾を振って駆け出した。スズカはそれを慌てて止め、「ほら、蹄鉄に履き替えなさい」と諌める。

 

 ここは郊外の公園であるため、規模が大きく、野球場やサッカーグラウンド、陸上用のトラックやウマ娘用のターフなどが併設されており、アマチュアの試合などで使われることもあるのだ。幸い今は親子以外に誰もおらず、貸切状態だった。

 

「怪我しないように、準備運動はしっかりね?」

 

「…………」

 

 黙々と靴を履き替え、娘は静かにゲート付近に立つと、小さく頷いてウォーミングアップしながら前を見つめる。こうなると彼女は止められない。走りのことしか考えられない。ただただ、己の先の景色を求め──

 

「──!」

 

 駆け出した。折れそうなほど細く、小さな足で、力いっぱい大地を蹴り、少し乱れたフォームながらも、ぐんぐんとターフを駆けていく。

 それは一目に走ることへの楽しさが伺える、子供らしい姿勢だった。

 

(どうだろう、私もみんなから、あんなふうに見えてたのかな)

 

 サイレンススズカは思った。少し違う気もする。でも、後先考えず前へ前へと逃げていくその姿勢に、強い既視感を覚えて、きっとそう遠くはないのだろうなと悟り、苦笑する。

 娘はあっという間に一周を終えていた。肩で息をしながら、ちょこちょこと母の方へ走り寄る。

 

「どうしたの?」

 

「たのしいけど、ちょっとたりないの」

 

「走り足りないの?」

 

 ううん、と娘が首を振る。母の袖を引く。

 

「おかあさんもはしろ?」

 

「え、私も?」

 

 うん、と娘が大きく頷いた。

 

「おかあさん、いつもわたしが走ってるのをみてるだけでしょ。いっしょに走ったほうがたのしいよ?」

 

 ──サイレンススズカは、娘ができてからあまり走っていない。

 先頭の景色を見るために、ただひたすら走り続けていた昔を知るファンからすれば信じられないことだが、出産や育児、家庭での役割を果たすうちに、いつの間にか走る頻度は減り、今では自分が走ることよりも娘が伸び伸び走り、育ってくれることを優先するようになっていた。

 毎週こうしてターフに連れてくるのも、その一環である。当然、娘自身が望んでいることも大きいが。

 

「おかあさん、むかしとってもはやいウマ娘だったんでしょう? なら、わたしもいっしょに走ってみたい」

 

「確かに昔は走っていたけれど、怪我をしてやめてしまったの」

 

「でも、もうなおったんでしょう?」

 

「ええ、でも──」

 

「じゃあどうして、わたしが走るのをずっとみてるの?」

 

 その言葉は暗に、「どうして羨ましそうに見ているの?」という響きを含んで聞こえた。

 

「それは──」

 

「ひとりで走ってもつまんないもん、おかあさんもいっしょにやろうよ」

 

「……ちょっとまって、履き替えるから」

 

 やや強引に、スズカはターフへと連れ出された。いつも持ち歩いていた蹄鉄に履き替え、軽く体を動かして、娘の隣に立つ。幾度となく潜り抜けたゲートであるはずなのに、なんだか違って見えたのは、自分が大人になったからか。

 

「おかあさん、いくよ?」

 

「ええ、いつでも大丈夫」

 

 ニヤリと笑った娘が、大きく口を開いた。

 

「よぉーい──ドン!」

 

 言うや否や、娘は勢いよくゲートを飛び出す。出遅れたスズカはその後ろ姿に一瞬立ち止まって、それから走り出す。

 

 普段から見ている娘の走りも、共に走るとなんだか違って見える。そういえば、人の後ろを走るということ自体が、スズカにとってほとんどないことであった。走り続け、逃げ続け、ただひたすら先頭での景色を、その先のゴールを見るために走っていたのだから当然ではあるが。

 

「はっ、はっ!」

 

 娘の息遣いが荒く、遠くなっていく。スズカは辛うじて走ってはいるものの、ほとんど集中できていない。

 

「おかあさん!」

 

 前を行く娘が振り返る。目が合う。陽を背に受けた彼女は、言った。

 

「いちばんはもらっちゃうよ!?」

 

 その言葉にハッとした。一歩、スズカは大きく踏み込む。忘れていたものを思い出す。風を切る感覚を、足を回す情熱を、先頭の景色への羨望を込めて、上がり三ハロン三十五秒の健脚を発揮する。

 

「ごめんなさい、先頭は譲れない……!」

 

「わたしも……まけない!」

 

 最終直線に差し掛かる。いくらリードがあろうと、全盛期でなかろうと、小さな子どもと大人ではその差はすぐに埋まる。後ろ姿はいつの間にか隣になり、そして視界にはゴールだけが残る。

 

「綺麗──」

 

 ソメイヨシノから散る無数の花弁をゴールテープがわりに。サイレンススズカは、今立ち止まった。そして少し遅れて娘が、サイレンススズカを追い越して、ゴールした。

 

「……おかあさん、ゴールこっちだよ?」

 

「………………え?」

 

 首を傾げた娘が指さす。見れば、スズカがゴールだと思っていた白線は降り積もった花びらでできており、その十数メートル先に正しい白線があった。

 

「でも勝てた、よかったー!」

 

 娘がはにかむ。見たいものは見られたと言わんばかりに。しかし悔しそうな彼女は「おかあさん、もういっかい走ろ?」と袖を引く。

 

「ダメです。今日はもう十分走ったでしょう? これ以上は身体への負担になるから」

 

「えー」

 

 口をとがらせた娘が、不満そうに花弁を蹴った。こういうところは夫に似たのだろう、とスズカは思った。

 

「だから……また今度ね」

 

「……! うん、またこんど!」

 

 娘の手を引いて、春先の公園を歩く。麗らかな陽風を受けながら、誰かの隣から見る景色もいいものだな、とサイレンススズカは微笑んだ。

 

 

 

 

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