「いい子、いい子〜♪」
「あー………………」
ソファに座る鹿毛のウマ娘の膝に、スーツ姿の男性が寝転んでいる。優しく頭を撫でられ、目を細めるその姿は子どものようでもあったが、顔に刻まれ始めた年輪が、それを静かに否定していた。
「ただいま」
「おう、お帰り」
リビングの扉を、ランドセルを背負った少年が開けた。凛々しい表情で迎えた父を見ると、母に似た茶気味の髪を揺らして、小さく嘆息する。
「あっ、お帰りなさい〜。疲れたでしょう? ほら、こっちにおいで」
「いい」
空いている左膝をぽんぽんと叩く母に、ぶっきらぼうにそう言って、息子は出ていった。閉まる扉を眺めながら、スーパークリークはしゅんと耳を寝かせた。
「私、何かしちゃったんでしょうか〜……? 最近何だか避けられてるような……」
「んー……そういう年頃ってことだろう、多分」
「お年頃、ですか?」
「うん」
胸の奥から覗き込んでくるクリークを見上げ、トレーナーは頷く。
「つまり、反抗期ってやつだ」
瞳を丸くしたクリークは、事態を上手く飲み込めていないのか、反抗期、ともう一度繰り返した。そこでようやく理解したのか「ええええぇぇぇ〜〜〜!」と、はたから見たら少し間抜けな驚き方をした。
「え、そんな驚く? 反抗期の一人や二人、託児所にいなかったの?」
夫が思い浮かべたのはクリークの実家の託児所である。昔からそこで子どもたちの面倒を見てきたという彼女ならば、そういった子供達への対処も上手かったのではと考えたのだ。
「いえ、確かに時々不安定になっちゃったり、意味もなくイジワルしてくる子なんかもいましたけど〜、抱き締めていい子いい子♪ ってしてあげると、みんな大人しくしてくれたので〜」
「それが反抗期だよ」
託児所という慣れない環境に対して、不安定になってしまったが故に反抗的になってしまった子も多いだろうが、そもそも荒れている理由は、家族から離れた寂しさや、周りに頼れる人のいない孤独感からである。それを速攻で埋めてくれるクリークがいれば、それはもう、すぐに
「どうすればいいんでしょう……?」
「下手に触れないのが一番だとは思うけどな、かといって放置しすぎると逆に怒ってきたりするから、いつも通り自然な反応が一番だ」
「あなたにも、反抗期ってありました?」
クリークが興味深そうに聞いた。
「中学の頃の反抗期は覚えてるけど、流石にちっちゃい時のは覚えてないなあ。聞き分けのいい子だったらしいし、案外なかったのかもな」
「そうだったんですね〜、ちっちゃい頃からいい子だったなんて流石です♪」
いい子いい子、と言わんばかりに、夫の頭を優しく撫でるクリーク。覚えてないほど昔のことを褒められてもなあ、と少し複雑だったが、役得と割り切ることにした。
「あ、いけない。お夕飯の準備を忘れてました〜」
「もうそんな時間か、長いこと甘えちゃって悪かったな」
「いえいえ、甘やかされてくれてありがとうございました♪」
はたから見たら少しおかしな会話だが、夫婦にとっては当たり前の日常であった。慈母のように優しく微笑んで、クリークはエプロンの紐を結んだ。
*
夜。若干気まずいながらも食事を済ませ、何だかギクシャクしながらも父と息子で風呂に入り、少しだけテレビを見てさて寝るかと寝室に向かった夫と息子を見送り、スーパークリークは裁縫を始めた。息子が小学校で使う手提げ袋などへの印字である。手馴れた様子でテキパキと針を操り、あっという間に一個終わらせてしまった。ふう、と小さく息を吐いて伸びをすると、ウマ娘の敏感な耳が、そーっと階段を降る足音を聞いた。
「……ママ」
「あら、まだ起きてたんですか?」
そーっと扉の隙間から顔を出した息子は、そのままクリークの隣まで駆けてきた。
「なにしてるの? おさいほう?」
「そう、お裁縫ですよ〜」
ほら見て、と手提げ袋に大きく縫われた、息子の名前を見せる。
「ぼくのために、こんなに遅くまでいつもがんばってくれてるの?」
「ん〜……確かにあなたのためでもあるけれど、私自身、お裁縫は大好きなので。だから、そんなに気にしなくても大丈夫よ?」
息子は俯いて、拳をぎゅっと握り締めて固まっている。「どうしたの?」とクリークが優しく聞くと、少年は母の胸に飛び込み、「ごめんなさい!」と謝った。
「いつもやさしくしてくれてるのに、ママにつめたくしちゃってごめんなさい! なんだかはずかしくて……」
「うふふ、いいんですよ。全然気にしてないし、それにこうやって謝ってくれたので♪」
嬉しそうにぎゅーっと、力強く、それでいて優しく、クリークは息子を抱き返した。とくんとくんと優しく聞こえる小さな鼓動が、何だかとっても心地よかった。
「それに……やだったの」
息子が唇を尖らせて言う。
「パパと二人で寝るのが、やだったの……」
「あらあら」
反抗してるのはパパに対してなんですね、とママは苦笑した。
「喧嘩はめっ、ですよ。ママは逃げないから、二人で仲良く甘えてくださいね♪」
「うう、ごめんなさい……」
「でも今だけは」
そう言って、息子の頭を膝の間に乗せる。
「今夜は独り占めですよ〜。ゆっくり休んでくださいね?」
「ふふ、ありがとう……」
やはり眠かったのか、数分もしないうちに静かな寝息が聞こえてくる。幸せそうな寝顔と、確かな温もりを胸いっぱいに噛み締めながら、静かに夜は更けていった。