ウルトラムチャクチャエクストラハイパーハードボイルド 作:グリム・グリルグリン・グリーングリップ
◇
“世界は一冊の書物に至るために作られている”。ステファヌ・マラルメはかつてそんなことを言ったらしいが彼自身が己を神の被造物であると本当に疑っていなかったかどうかは実のところ判らない。だがこの一九世紀を生きたフランスの詩人の難解な思索は決して文字通り「この世界が本当は羊皮紙にインクで描かれた創作物だ」という意図を込めて発せられたわけではないのだろう。
本気でそう信じる者は
つまりこの発想に囚われている俺はやはり狂っているということになるのだろう。いつからそうなのかと云うと俺は
俺は
俺は、しかも
俺がその最初の洗礼を受けたのはまだ研究所で暮らしていたときだった。かつて俺は俺の身の回りには女しかおらずほとんど他の男を見たことが無かったので研究員に無邪気に訊ねたのだ。「俺以外の男はどこにいるのか」と。研究員の答えはこうだった。「かつて世界は大きな災害に見舞われ、その影響で男は
初めは冗談かと思ったがそれはどうやら本当らしかった。俺は“知識”を持つが故に尚更“原作”とのギャップで心をへし折られそうになり、しかも成長し知識を得るたびに襲い掛かる衝撃は俺を完璧にノックアウトさせようと容赦なく畳みかけてきた。
“原作”に無かったはずの
たぶん俺は周りから見れば無愛想で陰気でまるで「オーメン」に出てくるダミアンみたいな不気味な子供に映ったことだろう。幸いにも研究対象として唯一無二であり希少な「男性」である俺は迫害されたりすることはなかった(どころか恐れられてばかりだった)が振り返ってみればおかげで随分と精神を鍛えられたように思う。
大事なのは受け入れることだ。俺はこの世界の厳しいルールを理解し適応し生き延びた。時として俺自身が混沌の加速に一役を買いながらもすくすくと成長し学習し、数多くの――本当に嫌になるくらいたくさんの――混沌的景観を乗り越えて“能力”の使い手に相応しい比類なき実力を手に入れた。残念ながら大きくなっても背はあまり伸びなかったが。
そんな俺を悩ませている究極の問題が一つある。
俺のなかにある“知識”。ある程度信頼の置ける情報源であるこの“知識”は「世界」の様々な事柄に及んでいて「俺」の運命についても言及している。
それはこの世界の行く末を描いた“物語”だ。その“物語”において、「俺」はやがて「
俺は恐ろしかった。俺は「俺」のようになるのは真っ平ごめんだしそうならないために
俺は思いついて以来もうずっと、その考えに囚われ悩まされ続けている。“知識”をなぞるだけなら「世界」は救われるがその場合は俺は死を避けられない。それは自己犠牲を選ぶということだ。献身的行為に殉じるということだ。究極の選択。誰かを助けたのと引き換えに自らの死を運命として受け入れる行為は本人や周囲からすれば美談かもしれない。だが“舞台裏”の醒めた視点を得てしまうとどうしても人形遊びの延長にしか映らなくなる。今の俺のように。死はプログラムであり死者は運命の奴隷であり世界はインクで描かれた消耗品の創作物でしかないと思い知らされるような気分になる。俺は――そんなものにはなりたくない。そんなものは受け入れることはできないと強く叫ぶ。俺はプログラムでも奴隷でもインクで描かれた消耗品でもないからだ。俺は生きている。生きて、此処にいる。俺はこの世界に存在しているのだ。俺は人を殺しその報酬で家賃を支払い美味い飯を食い快適な睡眠を貪るし時には女を抱くこともある。なんのために? 生きるためだ。楽しく生きてゆくためだ。人らしい毎日を送り続けるためだ。こんな狂った世界でも俺はこの世界で生きていたいと心の底から強く願っている。たとえ俺が。たとえ主人公ではない、
だからこそ。だとしても。俺は――
まったく! ……こんな
どのみち全部が狂っているのだ。俺は狂っているし世界も狂ってしまっている。俺は俺が俺を手放さないと「世界」が滅びてしてしまう可能性をどうしても捨てきれないでいる。“知識”の正しさを知るが故に決めきれずにいる。誰かが否定してくれることを待つだけでは時間切れのゲームオーバーになるということもわかっている。だから俺は選択をしないといけない。いい加減に向き合わなければならない。自分の「役回り」と。己の「責任」と。だって“原作”とは程遠いこの「世界」は――
たぶん、
2.
「―――」
俺はそろそろ益体のない狂人の思考を捏ね繰り回すのをやめて仕事に意識を戻す。センサーが地表が近づいてきたことを告げている。
俺は大きく深呼吸をする。ぎゅっと目を瞑りばっと目を開く。しゃんとする。オーケーだ。視界は明瞭。俺はパラシュートを開き減速段階に移る。
林のなかに少し開けた場所が見える。熱源反応は無し。俺は完璧な操作でパラシュートを操縦し易々とタッチダウンを決める。何時間かぶりの地面に降り立つと背中の
デバイスに制御信号を打ち込むとマイクロマシンを織り込んだ筋膜のようなパラシュートが船が帆を広げるのを逆再生するように小さく折り畳まれてあっという間に収納される。ディスプレイには半径一〇〇メートル内に降下した味方の光点が表示されていて林の間からジェシーが現れ、次いでカレンとクリスカが合流する。
「行きましょう」
俺たちは到達点を結ぶルートでなるべく人に利用された痕跡のない道を選んで移動する。必然的に道は険しいものになるが整備された街道は会敵の危険性が高くなるので迂闊には近づけない。もし地元民と遭遇してしまったら口封じするしかないので警戒しながら進む。突撃銃のスリングを肩に掛けて
「よし……」
そして俺たちは短時間のミッションだから荷物が少なく済んだのが功を奏し誰とも遭遇せずに予定よりも早く到着する。
「
人工灯が見えてくると
「マジェスティ」のビルヂングは工場施設に囲まれるように街の奥地に建っている。事情を話して通してもらえるならそれに越したことはないが現場指揮官を含めて州兵側には俺たちの存在は知らされていない。気づかれるのは失敗となる。排除か素通りか。幸い付近に
ジェシーが麻酔銃を構えるが俺はかぶりを振る。巡回兵が移動すると俺たちは警戒の薄い網の隙間を探しようやくヘリオレイクに入る。消火された泡塗れの給油所や飛散した硝子。跡形もない商家。倒された樹々。血の跡。経済や諸々を西欧財閥に完全に依存していた街に刻み込まれた惨劇の痕跡。それらを通り過ぎ、目標に近づくにつれ警戒度は高まり配備される
「みんな、聞いていないってことはないと思うけど」
ジェシーが威圧的に立ち並ぶ
「
「そうですね」とカレンが言う。「少なくとも“上”には報告が行っているはずです。ただ、用意できるかどうかは別問題でしょう。それに
「それで敵に乗っ取られ、みすみす
冷笑するクリスカを宥めるようにジェシーが言う。
「まあ、私たちにはどうしようもないか。私たちの仕事は彼女たちを助けることじゃないし……無情なんて世の常だもんね」
クリスカは「ふん」と鼻を鳴らし再び黙ってしまう。ジェシーとカレンと俺は苦笑い。俺は前にクリスカが妹と一緒に歩いているのを見たことがあったがその時の態度とはまるで雲泥の差だ。でもクリスカは四人で組むようになってから最も新しいメンバーながら彼女が尖った態度を取ってもチームの空気が悪くならないくらいにはチームに受け入れられている。クリスカの“原作”での境遇を考えると事情もなんとなく推測できてしまうので俺も協調性の無さを常に咎めたりはしていない。
「そろそろだ」
いよいよ支社が見えてくる。高さが八メートルはある分厚い
隠密行動中の俺たちはまさか正面から堂々と入るわけにもいかないので別ルートを探す。見取り図は入手済みなので何処なら監視カメラがないかなどの
地面に膝をつく姿は敬虔な信徒が祈りを捧げる姿にも似ている。実際は
「……“卵”に接触」
俺は命じる。「掻き混ぜろ」
このとき街の反対側では街に輝きを供給する破壊を免れた電線が
“ゼロ”――カレンが告げると電線は瞬く間に火花を噴いて燃え上り次々と停電が広がる。街の半分はあっという間に暗闇のなかに呑み込まれる。
「
「
「こちらも完了した」
慌てふためく州兵たちをよそに俺たちは塀に狙いを定め一斉にバングルを“起動”。
バングルから勢いよく頑強なワイヤーが発射される。風が吹き始めているが先端に付いた金属片が真っ直ぐ塀の天辺に固定されたのを確認すると、俺たちは続けて巻き戻しながら地面を思い切り蹴り上げる。身体が猛スピードで持ち上がり宙を移動するのはクリストファー・ノーラン版のバットマンみたいだ。問題なく巻き取り終え飛び乗った俺の目と鼻の先では動体検知機能を無効化された監視カメラが赤く点滅している。とはいえクリスカが今しがた停電直後の映像をループするよう処理したため俺たちが記録に残る心配はない。
堀の上で敷地内の様子を素早く窺う。正面から三〇メートル先には廃棄物運搬用のシャッターが見えている。州兵も配備されているがレジスタンスが立て籠もっていると思われる
予想通り手薄だった。恐らく財閥側からの情報がこの期に及んでもそうとう制限されているのだろう。彼らは設計図には載っていないとはいえ廃棄物運搬口が東棟ビルヂングの地下に繋がっていることに気づいていない。
更にタイミングよく停電の騒ぎで州兵たちが遠ざかってゆく。口笛こそ吹かないが実に順調で重畳だ。
俺たちは誰もいなくなったのを確認してワイヤーを伝い降りるとシャッターに近づく。
シャッター入口には網膜と静脈情報を鍵とするセキュリティデバイスが取り付けられている。普通の侵入者にとっては厳重なロックだが俺たちにとってはそれほどでもない。シャッターは厚さ四センチの鉄製ということもあり
「爆発物なし」
突撃銃を構えるジェシーが赤外線でシャッターの向こうに危険がないことを知らせてくれる。
俺は
一五×一五センチのセキュリティデバイス内に構築された電子空間そのものである
俺は箱詰めされた「川」のなかに俺が俺の“指”と認識するものをそっと挿入する。俺の“指”が眩い粒子や糸に触れ
俺は光り輝く「川」の流れを掻き分けて塗り替えながら俺の意思を伝える。無理やり叩きつけるでもなく乱暴に言い聞かせるでもなく。やさしく指先で触れるように。なぞるだけでいい。
なぞられた「川」が姿と流れを変え、俺は
セキュリティは
州兵たちが持ち場に戻ってきた頃にはシャッターは閉まっているため俺たちに気づくことはない。
◇ジェシー・ダントン
・西欧財閥の特殊作戦部隊に属する
・姉さん。
◆オリキャラ.
◇
・生来のもの(ナチュラル)ではない外科的処置によって身体機能を向上させた戦闘従事者。
・生体改造者や機械置換者、
◆独自設定.
◇男女比
・“この世界”における世界人口の男女比率。
・一九七〇年代を境に男性出生率が減少し、2000年には3:7、現在は2:8にまで落ち込んでいる。
◆独自設定.