4.
神々が地上を去り神代が終わるのと引き換えに人間は栄え増えついには霊長の王とまでなり地球を支配するに至ったが、地球を支配する人間たちを歴史の裏側から操っていたのは人間のなかでも特権的な知識と能力を身に宿す謎めいた秘密の「魔術師」たちだった。
けれど悲しいかな彼らの神秘的なヴェールは身包みはがされ魔術師たちは既に人類の影のフィクサーという地位から転げ落ちている。きっかけは一九七〇年にイギリスの地方都市で行われたある“儀式”だ。
実際にどんな内容の“儀式”が執り行われたのかを俺は知らないし誰が何の目的で行ったのかも今となってはわからない。当時は大崩壊や生物災害やらによって世界はたいそう混沌に賑わっていたのだ。しかもこれ以降は男性の遺伝子が変質し男は生まれ難くなってしまうのだから余波による混乱は酷いものだったらしい。
ともあれそういう理由――“儀式”のせい――で世界から大源が失われ魔術が使えなくなったことで魔術師の総本山である「魔術協会」は没落/解体され魔術師たちも衰退することになった。厳密には魔術体系を大源に依存する主流派の魔術師が滅びたのであって「アトラス院」のように大源に頼らない魔術師たちは研究を――着々と先細りしながら――続けているが、ここで俺にとって大事なポイントは失われたのは大源であって魔術それ自体ではないということだ。もしかすると“儀式”を実行した人物は世界から魔術を消し去りたかったのだろうか? 推測はできるが本当のことは判りはしないし新聞にも真実は載っていない。ただ旧約聖書において不遜なる人間は怒りを買った神さまから「言葉」を乱されたが「言葉」そのものは取り上げられなかった。あるいは単に神さまの見通しが悪かっただけなのかもしれないが似たようなもので大源が失われるというトンデモない事態は起こったが魔術が消えたわけではないから魔術師は大源の代用さえ利けば魔術は相変わらず使うことができるのだ。
問題は生命が体内で生成する小源は大源と比べてあまりにも卑小という部分だった。元々は大源の利用を想定している魔術研究を更に少ない小源で運用しようというのだ。成功には技術の革命的進歩と本人の卓越した才能が必須だった。そのうえ小源では魔術師に要求される負担が大きく何より燃費が悪すぎた。例えるなら蛇口に繋いだホースから出る水だけで数トンはあろう大岩に穴を開けようとするような非効率さだ。端的に言って無謀だしほとんどの魔術師には不可能だった。そうして多くの旧代の魔術師が厳選を乗り越えられず光明を見いだせずに廃り、逆に大源に依らない新たな魔術回路の使い方を見出した新代の魔術師たちが台頭を果たしたのもむべなる無情の世の流れではあった。
ところがだ。小源を用いるというこの発想に挑戦した者たちがいた。その者たちは魔術師でもなければ魔術師でもない。その者たちは西欧財閥の研究機関に属する有能な科学者集団だった。
科学者たちはあるとき旧魔術協会「時計塔」の地下に広がる大迷宮「霊墓アルビオン」から“あるもの”を持ち帰った。
世界の裏側を目指すも叶わず果てた全長二〇〇〇メートルに及ぶ巨大なドラゴンの遺骸――地下四〇〇〇〇メートルから六〇〇〇〇メートルに拓かれた空洞「古き心臓」と呼ばれし深層域から科学者が持ち帰ったものは“ウイルス”だ。感染力こそ高くはないが感染してしまえば老若男女を問わず致死率九九.九......%という未知の毒性を持つ“ウイルス”だった。
さてこの恐るべき“ウイルス”には絶望的な致死性以外にもう一つの特徴があった。多数の犠牲者を出しながら判明した内容は「魔術回路を持つ感染者は肉体を変質させられ寿命を凄まじく消耗する一方で稀に大幅な身体機能の向上を得られる」というものだ。
西欧財閥はこの事実を突き止めると“ウイルス”を秘匿しながらも熱心に研究を続けた。“ウイルス”を解析することで得られる技術は多くの関係者をハッピーにすると思われたのだ。みんながこぞってハッピーになりながら死体の山を築き上げた。そうやって月日が流れ、あるときハーウェイの失敗作であるまだ二歳に過ぎなかった幼児が狂った研究所に廃棄処分代わりに放り込まれると、ついに完璧な適合者が誕生することになった。
評価項目「SSS」。唯一無二にして最高傑作の遺伝子操作体。
ハーウェイの“恐るべき子どもたち”計画、その到達点――つまりは俺、“ユリウス”が。
かくして俺は廃棄処分をまぬがれ“ウイルス”とウルトラハッピーな握手を果たしたおかげで「天性の肉体」染みた人間の限界値を逸脱する極めて強靭な身体機能と人類史上最高峰の魔術回路を後天的に獲得したわけだが、中でも特筆すべきなのは心臓だった。
かつて竜種は「幻想種」の頂点として君臨しその心臓はそれ自体が魔力の発生源となっていたという。
俺はその竜種の遺骸から採取された未知のウイルスに完璧に適合している。完璧すぎるくらいに。
まるで俺の身体が竜のそれそのものであるかのように。
つまりはそういうこと。
俺は呼吸するだけで竜の炉心さながらに魔力を生成し大源に頼らず魔術を扱うことができるのだ。ただし俺に使える魔術は限定的で、恐らくそれには“俺”の魔術特性――というよりも“魂”やら“知識”やらが絡んだせいなのだと俺は思っているが研究者たちは勿論そんなことは知らないので(恐ろしくて言えるはずもない)それから再三にわたって他の被検体で実験は繰り返されることになった。本来はありえない“俺”という余分が要因なので当たり前だが再現性は確立できず失敗は積み重なり死体の山が高くなった末になんやかんやあって実験は凍結されることになったが、俺は数多の実験体のなかで未だに生き続けているし能力も失われてはいないし申し訳ないくらいにぴんぴんしている。
だから俺は大源が消えた世界においても魔術を呼吸するように使えるのだ。そして魔法が失われ魔術も失われた世界において絶滅危惧種の魔術師である俺は自らの“知識”と“魂”に由来する魔法使いの能力を行使し俺を害する障害を排除することを願う。
アブラカダブラ。ビビディ・バビディ・ブー。エロイム・エッサイム我は求め訴えたり! それらに連なりし特別な一工程の呪文を唱える。この世に刻まれし魔術基盤と似て非なる事象を呼び覚ます、我が魂に刻まれし奇跡の具現を。此処に。
「――【かたち在れ霊盾】」
爆轟。
部屋に設置されていた爆薬が起動し破壊が撒き散らされる。天井を砕き鉄柱を砕き壁面を砕き電脳と死体の転がった部屋を粉々にする。
だが俺に破壊の息吹が届くことはない。俺の正面に展開された障壁魔術が爆風と破壊を完璧に防ぎ切りびくともしていない。頭上から瓦礫が落ちてくるが〈かたち在れ霊盾〉が弾き飛ばしてくれる。爆轟が止んだのはいいが照明が落ちて真っ暗になり足元が崩れ始める。
「クリスカっ」
おたおたしちゃいられない。あいつはどうなった? 外殻電脳にクリスカの位置が表示される。その方角を見ると壁が完全に崩れて夜景の三日月が覗いている。視界が光量補正され爆風で壁に叩きつけられたらしいクリスカの姿が浮かび上がる。半身は壊れた壁の向こう側に飛び出していて今にも落ちそうだが気絶しているのかクリスカは動かない。全身の毛穴がきゅっと窄まる。待て待て待て! 嫌な予感は的中し俺が駆けだすと同時にクリスカの身体が虚空に滑り落ちる。俺はバングルを起動するが間に合わないことを悟ると意を決し突撃銃を投げ捨て崩壊した壁から一気に飛び出す。
全身に吹き荒ぶ風。高さ一八階から落下しながら俺は紐無しバンジー中のクリスカの胴にワイヤーを射出/巻きつけながら軽くなった支援備品のパラシュートを開く。何とか間に合いクリスカをキャッチしパラシュートも二人分の重さに耐えて減速を始めるがそんな俺たちに襲い掛かる銃声と弾丸。俺たちに向けられる照明。俺たちを見上げている州兵たちと騎兵。
内心で俺は罵りながらパラシュートを操作しようとするが銃声のあと「ぱすぱすっ」と気の抜けた音が頭の上でしてぐらつき血の気が引くのを感じる。落下速度が速まり操縦を受け付けなくなる。空気抵抗を考慮しても激突まで残り時間あと一秒ちょっと。そのとき西棟が炸裂し爆炎を噴きながら崩壊する光景が目に飛び込んでくる。おいおいおいおいおい! 俺はせめて〈かたち在れ霊盾〉をクリスカに飛ばそうとするが届かない。〈かたち在れ霊盾〉は万能なように見えて射程が短いしそんなに大きくないから一人ぶんしか守れないのだ。射程内にワイヤーを巻き上げようとするがこれも間に合わない。
くそ! こうなったら本当はまずいが致し方ない。緊急事態だ止むを得ない!
「【久遠を抱け石棺】」
俺の魔術。氷を生み出す魔術の一つ。虚空から光が生じると地上と空中を繋ぐ氷の虹が現れる――俺のイメージ通りしたとおりに。クリスカの身体は間一髪のタイミングで「虹」の湾曲した部分にぶつかり多少勢いを削がれるがボブスレーの選手のように向きを変えると頭から転がり出て空気の足りないボールのように着地する。氷の虹は役目を終えると崩壊し跡形も無く消え失せてしまう。俺は〈かたち在れ霊盾〉で衝撃を吸収させながら着地するとワイヤーを解除して直ぐに彼女に駆け寄る。
「クリスカ!」
クリスカの外殻電脳と戦闘装備は爆発でボロボロになりデータリンクした機能数値には何処が骨折しどれくらい出血しているかが表示され「内臓破裂」し「心肺停止」状態であることを無機質に告げている。
俺は急いで穴だらけのパラシュートを収納しクリスカを背負うと敷地入口とは反対側に走り出す。ガラスと破片の飛散した地面。絶賛倒壊中のコンクリート塊が空から降ってきて地響きと粉塵を巻き上げる。副武器の拳銃を引き抜き塀の外側で輝く照明を破壊すると濃くなった闇を走りながら施設の物陰に飛び込む。「投降しろ!」という拡声器越しの勇ましい叫び。「当方には射殺が許可されている!」
「カレン、ジェシー、応答しろ」
どうやら州兵側は俺たちをレジスタンスと認識したようで確保するか射殺したいらしい。舞い上がる粉塵に晒される中でクリスカの外殻電脳を操作しながら俺は仲間に呼びかける。位置情報を調べている余裕はない。応答もなし。嘘だろ? 隠れている遮蔽物が銃撃で吹き飛び粉を噴く。俺は腕だけ出して騎兵の脇を固める歩兵を撃ち抜くがすぐに弾切れ。手持ちの予備弾倉は多くない。突撃銃があればと思う。FN57ピストルは確かに優秀な拳銃だが突撃銃に比べると心もとない。
「カレン、ジェシー、応答しろっ」
応答はない。俺はデータリンクしたメンバーの機能数値を呼び出す。
そして喉が窄まるのを感じる。
「―――」
戦闘装備の状態は「活動停止」。―――。――――――。二人の機能数値にはその状態が表示されている。見間違いじゃない。二人の座標は依然と崩壊した西棟のなかにあって微動だにしない。俺は一瞬呆然となり次いで腹と腕と背中に力が入り声を上げそうになる。
くそ! くそくそくそ!
くそったれが!
……………。………。俺はそれでもいつまでも呆然とはしていられないから叫びを嚙み殺し肚の底に沈めるとクリスカの外殻電脳のフェイスシールドを解除する。汗が張り付いたクリスカの口元は吐血したせいで汚れている。ちょうど機能数値が更新される。「活動停止」。横たえた身体は死人のように動かない。このままだと冷たくなって二度と動かなくなるだろう。そんなのは俺が許さない。俺にはそうさせないための手段がある。だがそれは魔術ではない。俺は二本しかない活性アンプルを取り出して二本ともクリスカに突き刺す。
「―――、」
数秒後、クリスカの眼が開かれ大きく仰け反ると再び機能数値が更新される。
「………、………、………!!」
口から青みがかった血反吐を吐き眼球を剥き出しにして暴れ狂いながらクリスカが叫び出す。視点は定まっておらず声は意味をなさないが断末魔のような叫びで何処に隠れていてもこれではすぐに見つかるだろう。俺はクリスカを押さえつけると直接触れているわけでもないのに凄まじい高熱が発せられていることに気づく。今のクリスカは全身の血管が膨れ上がり全身の細胞と血液が燃え滾るような状態になっているのだ。血中の「紫血球」を無理やり活性化するアンプルを同時に二本も打ったせいで。新陳代謝が過剰に促進され発汗が止まらなくなる。口は酸素を貪るように開かれ甲高い悲鳴が断続的に上げられる。
俺はどうしてやることもできない己の無能さをなじる。普段は偉そうにしているのに肝心な時に役に立たない魔術師だと。
俺には治癒魔術がないわけじゃない。だがクリスカ相手には使うことが出来ない。
傷ついた肉体を治療する再生魔術――〈奮い沸け血潮〉。
正常ならざる状態を戻す回復魔術――〈我が意のままに消えよ病魔〉。
死からさえも蘇らせ得る復活魔術――〈遡行せよ星〉。
覚えているし唱えられもする。なのに使えない。使ってはいけない。
耐えられないからだ。もし使ってしまえばクリスカは再生し過ぎて死ぬ。膨張した風船のように内側から弾けて死んでしまうことになる。
俺の神秘があまりにも強すぎるから。
人の肉体があまりにも脆すぎるから。
相性が悪すぎて加減が付けられない。設計段階から根本的な部分で食い違ってしまっている。治癒魔術は自分くらいにしか使い道がないのだ。ゲームでの仕様とは違って。
俺は喉を潰すほど叫ぶクリスカに呼びかけながらクリスカの体内の“ウイルス”因子――「紫血球」が彼女を助けてくれることを願うしかない。「心肺停止」は既に消えている。もはやクリスカになんとか頑張ってもらうしかない俺は、だから今は俺にしかできない隊長としての行動に意識を向ける。
俺は崩れた西棟を一瞥する。ジェシーとカレン。今から向かって瓦礫から探し出せるだろうか。探し当てて掘り起こすのにどれだけの時間がかかる? 宿主が死亡すると「紫血球」は不活性状態になる。蘇生は間に合うのか。こうして思考している瞬間にも成功の確率は加速度的に下がっている。アンプルは二本で足りるのか? しかも探す間クリスカをどうする。置き去りにするのか。
無理だ。間に合わない。特殊部隊員としての冷徹な思考が告げている。もう二人は手遅れだと。だが。
それでも――
動きかけた俺の身体は、絶叫が静かになったクリスカの瞳が虚ろに俺を映したことで固まる。流れ落ちる汗と涙で濡れ光る眦。「俺が分かるか……」そう呼びかけるとクリスカは動かすのも辛そうな顔で頷く。たどたどしい、掠れた弱々しい声で答える。「ああ」
俺は――込み上げてくるものを笑みで隠して言う。彼女を安心させるために。動揺を悟られないようにして。「よかった。無事で」
「たい、ちょう。わたしたちは、爆発に、まきこまれて。それで」
「カレンとジェシーは死んだ」
クリスカが息を呑む。俺は淡々と告げながら「内臓破裂」の表示が消えていることを確認し瓦礫に埋もれ無線もとっくに生きていないであろう二人に心のなかで謝る。悪い。恨んでくれ。俺はもしかしたら死なずに済んだかもしれないあんたたちのことを――見捨てる。
「撤退だ」
「…………任務は……」
「罠だった」
え? と震えを帯びた声。
「レジスタンスはもう此処にはいない。罠だった。連中はとうに逃げ出してる」
「まさか、そんな――」
驚くのも無理はない。テロが起きてからずっと州兵が囲んでいたはずなのだ。逃げる場所など何処にもないはずだ。そう考えるのは当然だ。
だが通信量データに残されていた情報と仕掛けられていた爆弾の事実を組み合わせると一つの真実が浮かび上がる。
「ヘリオレイクの南東には鉱山がある。今は廃坑になっているが、マジェスティの地下にはそこに通じる脱出用の非常ルートがある。俺たちの通った地下通路の、更にその下にだ。五時間前に起動された痕跡があった。そこなら騎兵も通れる」
俺たちでさえ知らされていなかった秘密のルート。ジェシーが好きそうな話だった。秘密とか特殊とかそういったものが好きな女だった。明るくて頼りがいのある良い仲間だった。
もう彼女はいない。カレンも。
「嵌められたんだ。俺たちは」
恐らく立て籠もりを偽装したのは逃亡時間を稼ぐ目的もあるのだろうが逃げたのを知らずにのこのこやってきた突入部隊を一網打尽にするためだ。オフラインを工作したのは万が一にも内部状況を知られないようにするため。俺たちはまんまと引っかかったってわけだ。電脳設備は破壊され「マジェスティ」は崩壊。人質も全員死亡。ハーウェイの権威にも傷をつけられた。俺たちは全滅こそ免れたが黒幕は今ごろ鼻を高くしているだろう。
「撤退する。いいな」
二人の機能数値を確認したのだろう。クリスカは了解、と小さく頷く。
「動けるか」
銃声。
「あたりまえだ」
そろそろ建物の落下が収まりつつある。騎兵が攻めてくるはずだ。センサーがあるため隠れ続けてもあまり意味はない。風が強いせいで粉塵も流れつつある。しかしクリスカは身体を起こそうとするが立ち上がることが出来ない。まだ発汗が止まっておらず動くことすらままならない。
無理もないと思う。蘇生できたのは運があったとしか言いようがない。となると俺はこの状況でどう動くべきだろう? 脳裏には二つの逃走経路が思い浮かんでいる。このまま騎兵を妨害/攪乱して突破するか。それともレジスタンスが使ったのと同じ地下通路ルートから逃げるか。
「――私を」
「置いていくという選択肢は無しだ」
「………、……なら、どうするんだ」
実はもう考えついている。地下通路を使った場合のメリットは敵騎兵の動きを抑え込めるということだ。でも建物が崩落しているため道が塞がれてしまっている可能性があるし悪い場合はレジスタンスが逃亡時に罠を仕掛けている可能性も捨てきれない。このまま逃げる場合は騎兵の包囲網を潜り抜ける必要があるが地下で生き埋めになるのは回避できる。
「そうだな。決めた」
粉塵の向こう側から一斉に何かが飛んでくる。すわ投擲弾かと身構えたが煙が吐き出され催涙弾であることに気づく。崩落の振動に紛れる大きな走行音。巨人の気配。普通なら絶体絶命だ。しかし俺たちに普通という言葉は当てはまらない。
「俺におぶされ。脱出する」
クリスカは苦虫を噛んだような表情で俺を睨みつけてくる。その瞳に普段の力はない。いつもが白豹なら今は子猫のようなものだ。俺はクリスカのフェイスシールドを戻して支援備品を外させる。「早くしろ」と命じると諦めたように負ぶさってくる。首に手を回させてワイヤーで振りほどけないよう固定するとクリスカが言う。
「騎兵はどうする」
「排除する」
「どうやって……」
どことなく焦ったようなクリスカの声が新鮮で俺は少しわらってしまう。そういえばこれまで俺の魔術をじかに見せる機会はなかったから当然の反応か。なんとなく今の顔を見てみたい気もするがあいにくシールドに隠されてしまっている。
「俺が三号機関の研究者たちから何て呼ばれてるか知っているか」
騎兵の足音。対峙する多くの歩兵にとって死神の嘲笑であるその足音に、しかし俺が怯えることはない。むしろ同情してしまう。敵である州兵に。今の怒れる俺を相手にする彼女たちに。
銃口よろしく狙い定めて。つめたく。魔術回路を――励起する。
「【饒舌に舞え雷鞭】」
告げた直後、竜の炉心さながらに生み出された魔力が姿かたちを変える。俺の瞋恚を汲み取ることで虚空から生じた光が歪み震え空間を大規模に改変する。
虚空から噴き出した眩むような閃光と雷鳴。破壊の輝きを束ねた大電流が騎兵の耐EMP装甲に食らいつく。拮抗は僅かに。しかし物ともせずに硬い装甲の腹を貫通する。
近づこうとしてきた騎兵たちを、一瞬にして。
輝かしき〈饒舌に舞え雷鞭〉は沈黙させる――一機たりとも残さずに。
すべてを。停止させる。
「―――、」
クリスカが絶句しているがまだ終わらない。これでセンサーの類は潰した。支援AIは死に記録映像も残らない。精密機器を詰め込んだでかぶつたちは強力なパルスによって回路を焼かれ棒立ちになっている。動けはしないだろう。
次だ。混乱が伝播する部隊を見据えながら俺は放つ。ダメ押しとばかりに魔術を。あらゆるものを焼き尽くす「炎」を。
「【焦土を敷け黒点】」
虚空から噴き出した爆炎が棒立ちの騎兵たちの足場を呑み込む。赫々と染め上げてまとわりつくと装甲を瞬く間に溶解させる。竜の吐息のように。〈焦土を敷け黒点〉は容赦なく喰らいつき、敵を貪り尽くす。
おどろおどろしい光景だ。悲鳴が木霊する。銃声が迸る。【かたち在れ霊盾】。人体をずたずたに引き裂くはずの弾丸は偶然にも俺に向かって飛んでくるが不可視の盾に阻まれて落下する。いちおう雷も炎も中の人には直接は当たらないように手加減してある。ある程度は応用が利くのだ――治癒魔術と違って。それを考え出すとますます治癒魔術の不便さが際立ってくるが。それはともかくとして。
絶叫が感染し州兵たちが逃げ出してゆく。俺の狙い通りに。騎兵の自走式機雷が誘爆し機体を吹き飛ばしている。運が良ければ死なずに済むだろう。悪ければ此処に来た不幸を恨んでくれ。
俺は〈焦土を敷け黒点〉の範囲を更に拡大する。一歩もこちらに近づけないようにするために。俺とクリスカの姿を隠してくれるように。八つ当たりのような自覚を覚えながらも燎原の炎を広げる。
そしてこれくらいかなと目途をつけると外界を隔てている塀まで近づく。やっぱり高い。高さ八メートル。だがバングルを起動する必要はない。よじ登らすともいい。
「【死を穿て魔弾】」
一極集中した魔力塊を放ち塀を破壊する。綺麗に消し飛ばし刳り貫いたような丸い出口が完成する。
本当は魔術の使用は控えなければならないのに連発してしまっているがクリスカに負担をかけるわけにもいかないし非常事態だ。俺は納得してくれたらいいなあと思いながら上司の顔を想像する。難しいかもしれない。ただ背に腹は代えられない。
俺は一瞬だけ狂騒に燃え上る工場を振り返る。
この街のシンボルであった今は面影も残っていない崩壊した二つの塔。〈焦土を敷け黒点〉の炎が消え去り黒煙を上げて立ち尽くす騎兵たち。その果てにはレジスタンスに破壊された街並みが続き闇に呑み込まれ月光がほんのりと降り注いでいる。
まあ実際に停電させたのは俺たちなわけだけど。ばいばいヘリオレイク、永遠に眠れ。俺は別れを告げて走り出す。追っ手はいない。「しっかり掴まっておけよ」「……ああ」さて俺たちはこれから州兵たちが集まってくる前に厳戒態勢の街から脱出しなければならない。ディスプレイに表示された脱出予定地点を確認しながら走り出す。目指す場所は此処から四〇分弱のところにある河畔だ。俺は無線封鎖を解除して本部に脱出用のヘリを要請する。本部も状況は把握していて要請は直ぐに通る。最短で行くには目の前に広がる鬱蒼とした丘陵を駆け抜ける必要がある。
「あれが、“ユリウス”の魔術」
独り言のような呟き。そうだと俺は相槌を返す。あれだけ派手にやったが俺自身は疲れを感じていない。クリスカはあの光景に何をどう思ったのか。無印“原作”における五大適性の天才たる遠坂凜が知ったならどう感じるだろう? とりあえず怒るような気がする。我ながら酷いずるだし。結局はどこまでいっても破壊しかできない魔術だが。
「具合はどうだ。意識は?」
「問題ない」
確かに受け答えはマシになりつつある。「異常があればすぐに言え」
しばらく頭上にやって来る索敵無人機を回避しながら移動し続けているとクリスカがぼそりと呟く。
「……宿星の子、だろう」
はあ? 急に何だと思うがクリスカは「榊博士から聞いたことがある」と続けるので俺はさっき俺が言ったことへの回答だということに気づく。
榊博士。へえそうかペイラー・榊ね。あの人もいるんだったか。クリスカの担当医だったのは初耳だ。
「知っていたのか」
宿星の子。西欧財閥の誇る「人類継続保障研究機構」の公的には存在しない非道徳的実験組織「三号機関」の連中が、竜骸から採取した「DFVウイルス」と適応し魔術の失われた現代において「異常」な魔術を扱える俺を揶揄するためかそれとも研究成果として誇示するためにか名付けたニックネーム。
たいそうな呼び名だ。大げさだし皮肉でもある。だって星って基本的に「墜ちる」ものだし。“ユリウス”の後継機を作り出すために多くの“星”が落ちたことを知っている身としては御免被りたい称号だ。そもそも根暗な俺はスタァの輝きとは正反対だという自覚がある。
そういえば話す機会がないから今がどうなのかは知らないがペイラー榊って確か“原作”だと星を見上げる者とか呼ばれていなかったか? どちらにせよ意外だ。てっきり俺はもう一つの「死神」のほうを上げると思っていた。そっちのほうが有名だし俺も認めている。なんせ頭のてっぺんからつま先までどっぷり殺し屋家業に染まってるもんな。でも宿星の子ってさ。流石に。
「似合わないよな」
クリスカの反応はなし。笑ってくれたっていいんだぜ? 俺はわらえないが。どうせ今はアドレナリンの影響で躁状態になっているが日常に戻ったらジェシーとカレンを思い出すことになる。
“思い出す”――もう二人は現在ではなく過去になるのだと思うとため息が出る。多くの人間を手にかけてきたのに今さら仲間の死には反応する都合のいい自分に嫌気が差す。宿星の子と呼ばれておきながら味方を死なせてしまった無能な自分を殴りたくなる。そして数日後には俺は彼女たちを過去のものとしてすっかり心の整理をし何の疵も抱えずに悲しみから立ち直っているであろう未来がまざまざと予想できてしまって、“俺”という人間の――過去を引きずらない、極めて健康的な――精神構造に改めて反吐が出そうになる。
俺はまた無人機が近づいていることに気づく。落ち込んでいる場合じゃない。俺は隊長としてクリスカと共に無事に帰還する責務があるのだ。部下を不安にさせてどうする? 緊張の糸を切らすな。それこそジェシーたちにわらわれるだろう。瞼を閉じる。息を吸い/吐き切る。
切り替えろ。目蓋を開く。
俺は無人機を手早く片付けるとクリスカに声をかける。もう少しの辛抱だ。ヘリまで辿り着けばあとはひとっ飛びだからな。頑張ろうぜクリスカ。