狩人が大迷宮に向かってから既に三日が経過し、大迷宮に潜って既に二日が過ぎ、狩人は現在、大迷宮六四階層へと足を踏み入れ、因縁のベヒモスと対峙していた。
「まさか貴様と再び、其れも此程までに早く相見えるとは思わなかったぞ……今回は邪魔者も居ない1対1だ。私も、全力で行かせて頂くぞ」
「グルァァァァアアアア!!」
「クハハハハッ!!獣という汚物に相応しい咆哮では無いか!先手は頂こう!!」
相手を威圧し一瞬の硬直を誘う程の咆哮を上げるも、逆に狩人の狂笑と如何なる存在であれ怖気を誘う殺意によってベヒモスが慄き、後退る事となってしまった。それ故に狩人の先手を許し、戦闘開始早々に千景による鋭い居合いによって容易く前足の一本を失う事になってしまった。
「ゴアァァァアアアア!!」
「貴様の様な獣が戦闘開始早々に脚を一本失うとは無様で情けないものだなそうは思わんかね?」
既に結合された状態の回転鋸の溜められた一撃によって更にベヒモスの背を抉り飛ばして距離を取り、パイルハンマーとガラシャの拳を身に着ける。ベヒモスは自らの脚を切り落とし、背を抉り飛ばした怨敵を咆哮と共に睨み付け、固有魔法によって兜を赤熱化させ、残された三本の足で跳躍し、狩人目掛けて隕石の様に落下する。だが、狩人にそんな物が通じる筈も無く、すぐさまバックステップで距離を取り、着弾時の衝撃波を前ステップで抜けながら全力で半身を反らしてパイルハンマーが打ち付けられると同時に引き金を引き、爆発と共に杭を射出する。
「ガァァァァアアア!!」
「痛いか?だが貴様のタフさでは未だ未だ終われんなぁ……」
ベヒモスが上げる苦痛の咆哮を意に介さず容赦無くガラシャの拳で殴り付けてベヒモスを吹き飛ばし、千景を腰に刷く。ベヒモスの頭甲に罅が入るも、ベヒモスの戦意に変わりは無く、再び頭甲を赤熱化させようとするが。其れを許す狩人では無い。狩人は容赦無くベヒモスの背に乗り、血刀状態にし、傷口に深々と突き刺す。
「ガァァァァアアア!!」
「心配する事は無い、直ぐ楽になるさ」
その言葉通り、ベヒモスは千景によって齎される劇毒によって力無く崩れ落ちた。
「フフフッ、貴様には相応しい最期だった様だな今は私も貴様には時間を掛けては居られんのだ。」
そう言い残して狩人は全速力で下への階段を全速力で捜索しに向かった。
≪≪♢♢♢≫≫
ハジメは、奈落の五十階層、地上から数えれば百五十層で作った拠点にて銃技や蹴り技、錬成の鍛錬を積みながら少し足踏みをしていた。と言うのも、階下への階段は既に発見しているのだが、この五十階層は明らかに異質な場所があったのだ。
それは、何とも不気味な空間だった。
脇道の突き当たりにある開けた場所には高さ三メートルの装飾された荘厳な両開きの扉があり、その扉の脇には一対の一つ目巨人の彫刻が半分以上埋め込まれる様に鎮座していたのだ。
ハジメはその空間に足を踏み入れた瞬間全身に悪寒が走るのを感じ、これはヤバいと一旦引いたのである。勿論装備を調える為で避けるつもりは毛頭無い。漸く現れた“変化”なのだ。調べない訳にはいかない。
ハジメは期待と嫌な予感を同時に感じていた。あの扉を開けば確実に何らかの厄災と相対する事になる。だが、しかし、同時に終わりの見えない迷宮攻略に新たな風が吹くような気もしていた。
「さながらパンドラの箱だな。……さて、どんな希望が入っているんだろうな?」
自分の今持てる武技と武器、そして技能。それらを一つ一つ確認し、コンディションを万全に整えていく。全ての準備を整え、ハジメはゆっくりとドンナーを抜いた。
そして、そっと額に押し当てて目を閉じる。覚悟ならとっくに決めている。しかし、重ねる事は無駄では無い筈だ。ハジメは己の内へと潜り願いを口に出して宣誓する。
「俺は、生き延びて故郷に帰る。日本に、家に……帰る。邪魔するものは敵。敵は……殺す!」
目を開けたハジメの口元には何時も通りのニヤリと不敵な笑み技浮かんでいた。
扉の部屋にやって来たハジメは油断無く歩みを進める。特に何事も無く扉の前までやって来た。近くで見れば益々、見事な装飾が施されていると分かる。そして、中央に二つの窪みがある魔方陣が描かれているのが分かった。
「?わかんねぇな。結構勉強したつもりだが……こんな式は見た事ねぇぞ」
ハジメは無能と呼ばれていた頃、自らの能力の低さを補う為、座学に力を入れていた。
勿論、全ての学習を終えた訳では無いが、其れでも、魔方陣の式を全く読み取れないというのは些か可笑しい。
「相当、古いって事か?」
ハジメは推測しながら扉を調べるが特に何かが分かると言う事も無かった。如何にも曰くありげなので、トラップを警戒して調べてみるのだが、どうやら今のハジメ程度の知識では解読できる物では無さそうだ。
「仕方ない、何時も通り錬成で行くか」
錬成で強制的に道を作る。ハジメは右手で扉に触れ、錬成を開始した。
しかし、其の瞬間。
バチィイ!
「うわっ!?」
扉から赤い放電が走り、ハジメの手を弾き飛ばした。ハジメの手からは煙が噴き上がっている。悪態を吐きながら神水を飲み回復するハジメ。直後に異変が起きた。
オォォオオオオオオオ!!
突然、野太い雄叫びが部屋全体に響き渡ったのだ。
ハジメはバックステップで扉から距離を取り、腰を落として手をホルスターの直ぐ横に振れさせて何時でも抜き打ちできるようにスタンバイする。
「まぁ、ベタと言えばベタだな」
苦笑いしながら呟くハジメの前で、扉の両側に彫られていた二体の一つ目巨人が周囲の壁をバラバラと砕きつつ現れた。何時の間にか、壁と同化していた灰色の肌は暗緑色に変色している。
一つ目巨人の容貌はまるっきりファンタジー常連のサイクロプスだ。手には何処から出したのか四メートルはありそうな大剣を持っている。今だ埋まっている半身を強引に引き出し無粋な侵入者を排除するべくハジメへと視線を向けた。
其の瞬間、凄まじい発砲音と共に電磁加速されたタウル鉱石の弾丸が右のサイクロプスのたったの一つ目に突き刺さり、そのまま脳を蹂躙撹拌《じゅうりんかくはん》した挙げ句、後頭部を爆ぜさせて貫通し、後ろの壁を粉砕した。
左のサイクロプスがキョトンとした様子で隣のサイクロプスを見る。撃たれたサイクロプスはビクンビクンと痙攣した後、前のめりに倒れ伏した。巨体が倒れた衝撃が部屋全体を揺るがし、埃がもうもうと舞う。
「悪いが、空気を読んでやれる程出来た敵じゃあ無いんだ」
様々な意味で酷い攻撃だった。ハジメの経験してきた修羅場を考えれば当然の行いなのだろうが、余りに……余りに何も出来ず崩れ落ちたサイクロプスが哀れじゃあないか。
恐らく、この扉を守るガーディアンとして封印か何かされていたのだろう。こんな奈落の底の更に底の様な場所に訪れる者など皆無と言って良い筈だ。
漸く役目を果たす時。もしかしたら彼(?)の胸中は歓喜で満たされていたのかも知れない。満を持しての登場だったというのに相手を見るまでも無く大事な一つ目ごと頭を吹き飛ばされた。これを哀れと言わずして何と言うのか。
サイクロプス(左)が戦慄の表情を浮かべ、ハジメに視線を転じる。その目は「コイツなんて事しやがる!」と言っている様な気がしない事も無い。
ハジメは動かずサイクロプス(左)を睥睨する。ハジメの武器、銃というものを知らないサイクロプスは警戒した様に腰を低くして何時でも動ける様にしてハジメを睨む。十秒、二十秒……何時まで経っても動かないハジメに業を煮やしたのかサイクロプス(左)が雄叫びを上げ踏み込んだ。
直後、顔面から地面へダイブした。
足を踏み出した瞬間、ガクッと力が抜け、勢いそのままに転倒したのだ。サイクロプス(左)は訳が分からないと言った様子で立ち上がろうと暴れるがもぞもぞと動くだけで一向に力が入らない。
低く唸り声を上げながら藻掻くサイクロプス(左)に、ハジメがゆっくりと近付いてゆく。コツコツと言う足音が、まるでカウントダウンの様だ。ハジメはサイクロプス(左)の眼前までやって来ると倒れ伏す頭に銃口を押し付けた。そして何の躊躇いも無く引き金を引いた。
ドパンッ!
銃声が部屋全体に木霊する。
しかし、此所で予想外の事が起きた。サイクロプス(左)の身体が一瞬発光したかと思うと、その直後、直撃した銃弾を皮膚が弾いたのだ。
「むっ?」
ハジメは恐らく固有魔法を使ったのだろうと予測する。どうやらサイクロプスの固有魔法は防御力を著しく上げるものの様だ。
うつ伏せに倒れたままのサイクロプス(左)が小馬鹿にした様に口元を歪めた。
ハジメは特に思うところも無く銃口を離すと、サイクロプス(左)の頭部目掛けて蹴りを叩き込んだ。“豪脚”により、ハジメの蹴りは嘗ての蹴り兎を思わせる美しい軌跡を描いてサイクロプス(左)をカチ上げ仰向けに引っ繰り返す。そして、露わになった目に再度銃口を押し付けた。
何となくサイクロプス(左)が「ちょ、ちょっと待って?」と言っている様な気がするが、ハジメは気にせず引き金を引いた。流石に、目まで強化する事は出来なかったのか、弾丸は容易く貫通しサイクロプス(左)の頭部を粉砕した
「ふむ、約二十秒か。ちょっと遅いな……巨体の所為か?」
ハジメは実験結果を分析する様にサイクロプスを見る。
何故サイクロプス(左)は行き成り倒れ、動けなくなったのか。
其れは“麻痺手榴弾”の所為である。これは、モ◯ラ擬きから採取した鱗粉を手榴弾に詰めて小規模な爆風で吹き散らし、相手を麻痺させる代物だ。サイクロプス(左)が、倒れているサイクロプス(右)に注目した瞬間に投げ込み、鱗粉を撒いておいたのである。
「まぁ、良いか。肉は後で取るとして……」
ハジメはチラリと扉を見て少し思案する。
そして、“風爪”でサイクロプスを切り裂き体内から魔石を取り出した。血濡れを気にするでも無く二つの拳大の魔石を扉まで持って行き、其れを窪みに合わせてみる。
ピッタリと嵌まり込んだ。直後、魔石から赤黒い魔力光が迸り魔方陣に魔力が注ぎ込まれていく。そして、パキャンという何かが割れるような音が響き、光が治まった。同時に部屋全体に魔力が行き渡っているのか周囲の壁が発光し、久しく見なかった程の明かりに満たされる。
ハジメは少し目を瞬かせ、警戒しながら、そっと扉を開いた。
扉の奥は光一つ無い暗闇で、大きな空間が広がっている様だ。ハジメの“夜目”と手前の部屋の明かりに照らされて少しずつ全容が分かってくる。
中は聖教教会で見た大理石の様に艶やかな石で出来ており、幾本もの太い柱が規則正しく奥へ向かって二列に並んでいた。そして、部屋の中央付近に巨大な立方体の石が置かれており、部屋に差し込んだ光に反射して、つるりとした光沢を放っている。
その立方体を注視していたハジメは、何か光るものが立方体の中央辺りから生えているのに気が付いた。
近くで確認しようと扉を大きく開け固定しようとする。いざと言う時、ホラー映画の様に入った途端にバタンと閉じられたら困るからだ。
しかし、ハジメが扉を開けっ放しで固定する前に、其れは動いた。
「……だれ?」
掠れた弱々しい少女の声だ。ビクッとしてハジメは慌てて部屋の中央を凝視する。すると、先程の“生えている何か”がユラユラと動き出した。差し込んだ光がその正体をその正体を暴く。
「人……なのか?」
“生えていた何か”は人だった。
首辺りから下と両手を立方体の中に埋めたまま顔だけが出ており、長い金髪がリングの貞子の様に垂れ下がっていた。そして、その髪の隙間から低高度の月を思わせる紅色の瞳が覗いている、ハジメが知る由も無い、血の様に赤く悍ましき“瞳の様な月”とは違う。年の頃は十二、三歳位だろう。随分やつれているし垂れ下がった髪で分かり辛いが、其れでも美しい容姿をしている事が良く分かる。
流石に予想外だったハジメは硬直し、紅の瞳の少女も何処か呆然とした面持ちでハジメを見つめていた。やがて、ハジメはゆっくりと深呼吸し、決然とした表情で告げた。
「すみません。間違えました」
そう言ってそっと扉を閉めようとするハジメ。其れを金髪紅眼の少女が慌てた様に引き止める。尤も、その声は何年も出していなかった様で掠れて呟きの様だったが……
ただ、必死さは伝わった。
「ま、待って!……お願い!……助けて……」
「嫌です」
そう言って、やはり扉締めようとするハジメ。鬼である。
「ど、如何して……何でもする……だから……」
少女は必死だ。首から上しか動かないが、其れでも必死に顔を上げ懇願する。
しかし、ハジメは鬱陶しそうに言い返した。
「あのな、こんな奈落の底の更に底で、明らかに封印されてる様な奴を解放する訳ないだろう?絶対ヤバいって。見た所封印以外何も無いみたいだし……脱出には役立ちそうも無い。と言う訳で……」
全く以て正論だった。
しかし、普通、囚われた少女の助けを求める声をここまで躊躇無く切り捨てられる人間はそうは居ないだろう。元の優しかったハジメは確かにヒューマニティロストしてしまった様だ。
すげなく断られた少女だが、最早泣きそうな表情で必死に声を張り上げる。
「ちがう!ケホッ……私、悪くない……!待って!私……」
知らぬとばかりに扉を閉めていき、もう僅かで完全に閉じると言う時、ハジメは歯噛みした。もう少し早く閉めていれば聞かずにすんだのにと。
「裏切られただけ!」
もう僅かしか開いていない扉。
しかし、少女の叫びに閉じられていく扉は止まった。ほんの僅かな光だけが細く暗い部屋に差し込む。十秒、二十秒と過ぎ、やがて扉は再び開いた。其処には、苦虫を百匹程噛み潰した様な表情のハジメが扉を全開にして立っていた。
ハジメとしては、何を言われようと助けるつもりなど無かった。こんな場所に封印されている以上相応の理由があるに決まっているのだ。其れが危険な理由で無い証拠が何処にあると言うのか。邪悪な存在が騙そうとしているだけと言う可能性の方が寧ろ高い。見捨てて然るべきだ。
(何やってんだかな、俺は)
ハジメは内心溜息を吐く。
“裏切られた”──その言葉に心揺さぶられてしまうとは。もう既にクラスメイトの誰かが放ったあの魔弾の事などどうでも良い筈だった。“生きる”と言うこの領域に於いては著しく困難な願いを叶えるには、恨みなど余計な雑念に過ぎなかった。
其れでも、こうまで心揺さぶられたのは、やはり何処かで割り切れていない部分が在ったのかも知れない。そして、もしかしたら同じ境遇の少女に同情してしまう程度には以前のハジメの良心が残っていたのかも知れない。
ハジメは頭をカリカリと搔きながら少女に歩み寄る。勿論油断はしていない。
「裏切られたと言ったな?だが其れは、お前が封印された理由にはなっていない。その話は本当だとして、裏切った奴は何故お前を此所に封印したんだ?」
ハジメが戻って来た事に半ば呆然としている少女。
じっと豊かだが薄汚れた金髪の間から覗く紅眼でハジメを見つめる。何とも言えない少女の様子にハジメが苛付き「おい。聞いてるのか?話さないなら帰るぞ」と言って踵を返しそうになる。其れに、ハッと我を取り戻し、少女は慌てて封印された理由を語り始めた。
「私、先祖返りの吸血鬼……凄い力持ってる……だから国の皆の為に頑張った。でも……ある日……家臣の皆……お前はもう必要ないって……おじ様……これからは自分が王だって……私……それでも良かった……でも、私、凄い力あるから危険だって……殺せないから……封印するって……それで、此所に……」
嗄れた喉で必死にぽつりぽつりと語る少女。話を聞きながらハジメは呻いた。何とまぁ波瀾万丈な境遇か。しかし、所々気になるワードがあるので、湧き上がる何とも言えない複雑な気持ちを抑えながら、ハジメは尋ねた。
「お前、どっかの国の王族だったのか?」
「……(コクコク)」
「殺せないって何だ?」
「勝手に治る。怪我しても直ぐ治る。首を落とされてもその内治る」
「……そ、其奴は凄まじいな。……凄い力って其れか?」
「これもだけど……魔力、直接操れる……陣も要らない」
ハジメは「成る程な」と一人納得した。
ハジメも魔物を喰ってから“魔力操作”が使える様になった。身体強化に関しては詠唱も魔方陣も必要無い。他の錬成等に関しても詠唱は不要だ。
只、ハジメの場合魔法適性ゼロなので魔力を直接操れても巨大な魔方陣は当然必要となり、碌に魔法が使えない事に変わりは無い。
だが、この少女の様に魔法適性があれば反則的な力を発揮出来るだろう。何せ、周りがちんたら詠唱やら魔方陣やらを準備している間にバカスカ魔法を撃てるのだから、正直勝負にならない。しかも不死身。恐らく絶対的な物では無いだろうが、其れでも勇者すら凌駕しそうなチートである。
ハジメは知る由も無いが、ハジメの目の前に居る少女すら凌駕する絶対的な不死性を有する狩人が彼の直ぐ傍に居たのだが、其れを知るのはもう少し後の事である。
「……助けて……」
ハジメが一人で思索に耽り一人で納得しているのをじっと見つめながら、ポツリと少女が懇願する。
「……」
ハジメはじっと少女を見た。少女もじっとハジメを見つめる。どれ程見つめ合っていたのか……
やがてハジメはがりがりと頭を搔き溜息を吐きながら、少女を捉える立方体に手を置いた。
「あっ」
少女がその意味に気付いたのか大きく目を見開く。ハジメは其れを無視して錬成を始めた。
魔物を喰らってから変質した赤黒い、否、濃い紅色の魔力が放電する様に迸る。
しかし、イメージ通り変形する筈の立方体は、まるでハジメの魔力に抵抗する様に錬成を弾いた。迷宮の上下岩盤の様だ。だが、全く通じない訳では無いらしい。少しづつ少しづつ浸食する様にハジメの魔力が立方体に迫っていく。
「ぐっ、抵抗が強い!……だが、今の俺なら!」
ハジメは更に魔力をつぎ込む。詠唱していたのなら六節は唱える必要が在る魔力量だ。
其処までやって漸く魔力が立方体に浸透し始める。既に、周りはハジメの魔力光により濃い紅色に煌々と輝き、部屋全体が染められているようだった。
ハジメは更に魔力を上乗せする。七節分……八節分……。少女を封じる周りの周りの石が徐々に震え出す。
「まだまだぁ!」
ハジメは気合いを入れながら魔力を九節分注ぎ込む。属性魔法ならば既に上級呪文級、否、其れでも釣りが来るであろう魔力量だ。どんどん輝きを増す紅い光に、少女は目を見開き、この光景を一瞬も見逃すまいとじっと見つめ続けた。
ハジメは初めて使う大規模な魔力に脂汗を流し始めた。少しでも制御を誤れば暴走してしまいそうだ。だが、此だけやっても未だ立方体は変形しない。ハジメはもう自棄気味に魔力を全放出してやった。
何故、この初対面の少女の為に此処までしているのかハジメ自信も良く分かっていない。
だが、兎に角放っておけないのだから仕方が無い。邪魔するものは皆排除し、徹頭徹尾自分の目的の為に生きると決めた筈なのだが……ハジメはもう一度、内心で「何やってんだか」と自分に呆れつつ、何事にも例外は付き物と割り切って「やりたい様にやる!」と開き直った。
今やハジメ自信が紅い輝きを放っていた。正真正銘全力、全開の魔力放出。持てる全ての魔力を注ぎ込み意地の錬成を成し遂げる!
直後、少女の周りの立方体がドロッと融解した様に流れ落ちていき、少しずつ彼女の枷を解いていく。
それなりに膨らんだ胸部が露わになり、次いで腰、両腕、太腿と彼女を包んでいた立方体が流れ出す。一糸纏わぬ彼女の裸体は痩せ衰えていたが、其れでも何処か神秘性を感じさせる程美しかった。そのまま、身体の全てが解き放たれ、少女は地面にぺたりとアヒル座りで座り込んだどうやら立ち上がる力が無いらしい。
ハジメも座り込んだ。肩でゼハーゼハーと息をし、枯渇した魔力の所為で激しい倦怠感に襲われる。
荒い息吐き震える手で神水を出そうとして、その手を少女がギュッと握った。弱々しい、力の無い手だ。小さくて、ふるふると震えている。ハジメが横目に様子を見ると少女が真っ直ぐにハジメを見つめている。顔は無表情だが、その奥にある紅眼に彼女の気持ちが溢れんばかりに宿っていた。
そして、少女は震える声で小さく、しかしはっきりと少女は告げる。
「……ありがとう」
その言葉を贈られた時の心情を如何表現すれば良いのか、ハジメには分からなかった。
只、全て切り捨てた筈の心の内に微かな、しかし、きっと消える事の無い光が宿ったような気がした。
繋がった手はギュッと握られたままだ。一体どれだけの間、此処に居たのだろうか。少なくともハジメの知識にある吸血鬼族は数百年前に滅んだ筈だ。この世界の歴史を学んでいる時にそう記載されていたと記憶している。
話している間も彼女の表情は動かなかった。其れはつまり、声の出し方、表情の出し方を忘れる程長い間、たった一人、この暗闇で孤独な時を過ごしたと言う事だ。
しかも、話しぶりからして信頼していた相手に裏切られて。よく発狂しなかったものである。もしかすると先程言っていた自動再生的な力の所為かも知れない。だとすれば、其れは逆に拷問だっただったろう。狂う事すら許されなかったと言う事なのだから。
「神水を飲めるのはもう少し後だな」と苦笑いしながら気怠げに腕に力を入れて握り返す。少女はピクンと反応すると、再びぎゅっと握り返してきた。
「……名前、何?」
少女が囁く様な声でハジメに尋ねる。そう言えば互いに名乗って居なかったと苦笑いを深めながらハジメは答え、少女に聞き返した。
「ハジメだ。南雲ハジメ。お前は?」
少女は「ハジメ、ハジメ」と、さも大事なものを内に刻み込む様に繰り返し呟いた。そして、問われた名前を答えようとして、思いだした様にハジメに願った。
「……名前、付けて」
「は?付けるって何だ。まさか忘れたとか?」
長い間幽閉されていたのならあり得ると聞いてみるハジメだったが、少女はふるふると首を振る。
「もう、前の名前は要らない。……ハジメの付けた名前が良い」
「……はぁ、そうは言ってもなぁ」
恐らく、ハジメが変心したハジメになったのと同じ様な理由だろう。前の自分を捨てて新しい自分と価値観で生きる。ハジメは痛みと恐怖、飢餓の中で半ば強制的に変わったが、この少女は自分の意思で変わりたいらしい。その一歩が新しい名前なのだろう。
少女は期待する様な目でハジメを見ている。ハジメはカリカリと頬を搔くと、少し考える素振りを見せ、仕方ないと言うように彼女の新しい名前を告げた。
「“ユエ”なんて如何だ?ネーミングセンス無いから気に入らないなら別のを考えるが……」
「ユエ?……ユエ……ユエ……」
「ああ、ユエって言うのはな、俺の故郷で“月”を表すんだよ。最初、この部屋に入った時、お前のその金色の髪とか眼が夜に浮かぶ月みたいに見えたんでな……如何だ?」
思いの外きちんとした理由がある事に驚いたのか、少女はパチパチと瞬きする。そして、相変わらず無表情ではあるが、どことなく嬉しそうに瞳を輝かせた。
「……んっ。今日からユエ、有難う」
「おう、取り敢えずだ……」
「?」
礼を言う少女改めユエは、ハジメが握っていた手を時、着ていた外套を脱ぎ出した事に不思議そうな顔をする。
「これ着とけ。何時までも素っ裸じゃあなぁ」
「……」
そう言われて差し出された服を反射的に受け取りながら自分を見下ろすユエ。確かに、全裸だった。大事な部分等が丸見えである。ユエは一瞬で真っ赤になるとハジメの外套をギュッと抱き寄せ上目遣いでポツリと呟いた。
「ハジメのエッチ」
「……」
何を言っても墓穴を掘りそうなのでノーコメントで通すハジメ。ユエはいそいそと外套を羽織る。ユエの身長は百四十センチ程度しかないのでぶかぶかだ。右腕側の袖を一生懸命折っている姿が微笑ましい。
ハジメはその間に神水を飲んで回復する。活力が戻り、脳が回転し始める。そして“気配感知”を使い……凍り付いた。とんでもない魔物の気配が直ぐ傍に存在する事に気が付いたのだ。場所は丁度……真上!
ハジメがその存在に気が付いたのと、其れが天井より降って来たのはほぼ同時だった。咄嗟に、ハジメは故に飛びつき片腕で抱き上げると全力で“縮地”を発動する。一瞬で移動したハジメが振り返ると、直前まで居た場所にズドンッと地響きを立てながら其れが姿を現した。
その魔物は体長5メートル程、四本の長い腕に巨大な鋏を持ち。、八本の足をわしゃわしゃと動かしている。そして二本の尻尾の先端には鋭い針が付いていた。一番分かり易い喩えをするならサソリだろう。二本の尻尾は毒もちと考えた方が賢明だ。明らかに今までの魔物とは一線を画した強者の気配を感じる。自然とハジメの額に汗が流れた。
部屋に入った直後、全開だった“気配感知”では何の反応も捕らえられなかった。だが今は“気配感知”でしっかり捉えている。
と言う事は、少なくともこのサソリ擬きは、ユエの封印を解いた後に出て来たと言う事だ。つまり、ユエを逃がさぬ為の最後の仕掛けなのだろう。其れは取りも直さず、ユエを置いて行けばハジメだけならば逃げられる可能性があると言うことだ。
腕の中のユエをチラリと見る。彼女はサソリ擬きになど目もくれず一心にハジメを見ていた。ユエは自分の運命をハジメに委ねたのだ。
その瞳を見た瞬間、ハジメの口角が吊り上がり、何時もの不敵な笑みが浮かぶ。
他人など如何でも良い筈のハジメだが、ユエにはシンパシーを感じてしまった。崩壊して多くを失った筈の心に光を宿されてしまった。そして、酷い裏切りを受けたこの少女が、今一度、その身を託すと言うのだ。これに応えられねば男が廃る。
「上等だ。……殺れるもんならやってみろ」
ハジメはユエを肩に担ぎ、一瞬でポーチから神水を取り出すと抱き直したユエの口に突っ込んだ。
「うむっ!?」
試験管型の容器から神水がユエの体内に流れ込む。ユエは異物を口に突っ込まれて涙目になっているが、衰え切った身体に活力が戻ってくる感覚に驚いた様に目を見開いた。
ハジメはそのまま片腕をくるりと回してユエを回し背に負う。衰弱しきった今の彼女は足手纏いだが、置いて行けば先に始末されかねない。流石に守りながらサソリ擬きと戦うのは勘弁だ。
「しっかり捕まってろ!ユエ!」
全快には程遠いが、手足に力が戻ってきたユエはギュッとハジメの背中にしがみ付いた。ギチギチと音を立てながらにじり寄って来るサソリ擬き。ハジメは背中にユエを感じつつ不敵な笑みを浮かべながら宣言した。
「邪魔するってんなら……殺して喰ってやる」
そんなハジメの宣戦布告を受けて、サソリ擬きが初手を放った。一瞬肥大化した尻尾の針から紫色の液体が凄まじい勢いで噴射したのだ。かなりの速度で飛来した其れを、ハジメはすかさず飛び退いて躱す。着弾した紫の液体はジュワーと言う音を立てて瞬く間に床を溶かしていった。溶解液の様だ。
ハジメは其れを横目に確認しつつ、ドンナーを抜き様に発砲する。
ドパンッ!
最大威力だ。秒速3.2キロメートルの弾丸がサソリの頭部に炸裂する。
ハジメの背中越しにユエの驚愕が伝わってきた。見た事も無い武器で、閃光の様な攻撃を放ったのだ。其れも魔法の気配も無く。若干右手に電撃を帯びた様だが、其れも魔方陣や詠唱を使用していない。つまり、ハジメが自分と同じく、直接魔力を操作する術を持っている事にユエは気付いたのである。
自分と“同じ”、そして何故かこの奈落に居る。ユエはそんな場合では無いと分かっていながらサソリ擬きよりハジメを意識せずには居られなかった。
一方、ハジメは“空力”を使い跳躍を繰り返した。その表情は何時になく険しい。ハジメには“気配感知”と“魔力感知”でサソリ擬きが微動谷していない事が分かっていたからだ。
其れを証明する様にサソリ擬きのもう一本の尻尾の針がハジメに照準を合わせた。そして、先端が一瞬肥大化したかと思うと凄まじい速度で針が打ち出された。避けようとするハジメだが、針が途中で炸裂し、散弾の様に広範囲を襲う。
「ぐっ!」
ハジメは苦しげに唸りながら、ドンナーで撃ち落とし、“豪脚”で払い、“風爪”で叩き切る。何とか凌ぎ、お返しとばかりにドンナーを発砲。直後、空中にドンナーを投げ、その間にポーチから取り出した手榴弾を投げ付ける。
サソリ擬きはドンナーの一撃を再び耐え切り、更に散弾針と溶解液を放とうとした。しかし、その前にコロコロと転がってきた直系八センチ程度の手榴弾がカッと爆ぜる。その手榴弾は爆発と同時に中から燃える黒い泥を撒き散らしサソリ擬きへと付着した。
所謂“焼夷手榴弾”と言う奴だ。タールの階層で手に入れたフラム鉱石を利用した物で、摂氏三千度の付着する炎を撒き散らす。
流石にこれは効いている様でサソリ擬きが攻撃を中断し、付着した炎を引き剥がそうと大暴れした。その隙にハジメは地面に着地し、既にキャッチしていたドンナーを素早くリロードする。
其処でふと、ハジメの“気配探知”に反応があり、部屋の中を何か月を思わせる神秘的な香りが漂った。ハジメにとっては嗅ぎ慣れた、だが何度嗅いでも慣れない不思議な香り、ユエにとっては初めて嗅ぐ、非常に不思議な香りである。
その香りの元を探れば、黒尽くめ男が何か赤い液体が入った瓶をサソリ擬きに投げ付ける光景が目に入った。液体の入った瓶はサソリ擬きに着弾し、纏わり付く様に火の手が上がる。
その火に再び、より激しく暴れ出す。だがその火を振り落とす事は敵わず、火はより激しくなる。
ハジメはサソリ擬きを見ていなかった、目を見開き、驚愕を露わにした顔でその男を見ていた。その光景を見たユエが首を傾げる。
ユエから見て、その男の佇まいは非常に静かだった。背で揺れる短マント、枯れ羽根を思わせる帽子を被った男。その衣服の背には結われた長い髪が垂れている。やがて、その男が口を開いた。
「貴公、大分苦戦しているな、手を貸そう」
そう言って男は虚空に向かって手を伸ばした。その光景を訝しげに見ていたユエは次の瞬間、表情に驚愕を浮かべた。其れは何故か、虚空に歪みが生じ、男の腕が歪みの中に入り込む。するとその手には一本の金槌が握られていた。
ユエが驚いたのは虚空から現れた武器では無い。彼が腕を伸ばした虚空に歪みが生じた事にある。其れに魔法を用いた気配は一切無かった、そして其処から武器を出したのも又魔法では無いだろう、技能でも魔力を使う事に変わりは無いのだ。ならば何故、魔力を使った気配すら無いのか。ユエには其れが分からなかった。
そんな二人の驚愕を他所に、彼──狩人は動き出した、撃鉄を起こして炉心を点火させ、未だ火に包まれたサソリ擬きへと突っ込む。
彼が振るった金槌が発する爆音で二人は正気に戻った。
爆音と共に吹き飛び床を削りながら停止するサソリ擬き。余りの衝撃により一瞬だが身体が硬直してしまった様だ。
「やはり硬い甲殻に包まれた者は衝撃に弱いものだ、たったの一瞬とは言え身を硬直させるとはな」
そう言うと再び狩人は炉心を点火させ、再び構える。正気を取り戻したハジメが彼に向かって声を上げた。
「なっ!?狩人!お前!如何やって此処に!」
「その話は後だ、今はあれを片付ける方が先決だ」
「そうだな……丁度攻めあぐねてた所だ、お前が居ると心強い」
「貴公も中々修羅場を潜って来た様ではないか」
「当然だろ、こんな所何処も彼処も修羅場さ」
「違いないな、さぁ、狩りを始めよう」
「おう!」
会話を終える頃には火炎瓶から広がった獣を焼き尽くす為の特殊な性質の火は殆ど鎮火していた。しかし、二度に渡る炎上であちこちから煙を噴き上げているサソリ擬きにもダメージがあった様で強烈な怒りが伝わって来る。
「キシャァァァァア!!!」
絶叫を上げながらサソリ擬きはその八本の足を猛然と動かし、ハジメ達に向かって突進した。四本の大鋏が行き成り伸長し、砲弾の様に風を唸らせながらハジメに迫る。一本目を“縮地”で躱し、二本目を“空力”で跳躍して躱す。三本目を“豪脚”で蹴り流して体勢を崩しているハジメを、四本目の鋏が襲う。
が、ハジメは咄嗟にドンナーを撃ち、その激発の衝撃を利用して自らを吹き飛ばしつつ身を捻る事で何とか回避に成功した。背中のユエが激しい動きに「うぅ」と唸っているが何とか堪えられている様だ。
そして狩人はと言うと、鋏が伸長し始めると同時にサソリ擬きの正面に突っ込み、前ステップで鋏の一撃を抜け、左ステップでサソリ擬きの左側に回って通り抜けながら背後へと回る。
そして全力で半身を捻り、サソリ擬きの尻尾の付け根に全力で爆発金槌を打ち付け、引き金を引いて激発させた。所謂“バックスタブ”である。
「キシャァァァァア!?」
バックスタブにより怯み、突進の動作を停止してしまうサソリ擬き、その隙は致命的と言えるだろう。
「ギリギリとは言え命中は命中だ、だが血に渇いた獣の様に内臓攻撃が可能となる程の隙にはならんか……」
そう言いながら再び撃鉄を起こし、炉心を点火させ、その動作のまま流れる様に爆発金槌を再びサソリ擬きの尻尾の付け根に叩き付け、引き金を引き激発させ、再び怯ませる。
「すげぇな……お前」
「今は戦闘に集中し給えよ、でなければ骸を晒す事になるぞ」
その言葉を聞いてハジメは直ぐに動き出す。空中を跳躍しサソリ擬きの背中部分に降り立った。そして暴れるサソリ擬きの上で何とかバランスを取りながらゴツッと外殻に銃口を押し付けるとゼロ距離でドンナーを撃ち放った。
ズガンッ!!
凄まじい炸裂音が響き、サソリ擬きの胴体が衝撃で地面に叩き付けられる。
サソリ擬きがいい加減にしろ!とでも言うように散弾針を自分の背中に向けて放った。
ハジメは即行でその場を飛び退き空中で身を捻ると、散弾針の尻尾の付け根目掛けて発砲する。超速の弾丸が狙い違わず尻尾の先端側の付け根部分に当たり尻尾を大きく弾き飛ばすが……尻尾の先の細い部分まで硬い外殻に覆われている様でダメージが無い。完全に攻撃力不足だ。
だがその隙に狩人がいつの間に切り替えたのか教会の石槌をサソリ擬きに打ち付け、圧倒的な膂力でサソリ擬きを地面に叩き付けた。今度は一瞬では無い、明確な隙である。サソリ擬きが暫く立ち直れずにいる間狩人が無手となる。ユエは疑問に思った、何故、素手なのだろうと。そう思ったのも束の間、直ぐに答えが返って来た。
狩人は無手となった手で貫手を放ち、尻尾の付け根から一気に体内へと腕を突っ込み、そのまま勢い良く引き抜き、夥しい量の血肉を撒き散らし、サソリ擬きを吹き飛ばす。
「やはり狙うならば頭部の方が良かったか……だが頭部への打撃で今と同じ様な隙を作れるか否かだな……」
そんな事を言いながらサソリ擬きから打ち出される散弾針を左右バックステップで容易く躱していく。彼の姿は血に塗れ、其れを全く気にしている様子は無い、寧ろ歓んでいる様にすら思える様な眼をしている。
その様子を空中から見ていたハジメが“焼夷手榴弾”を
サソリ擬きの背中に投げ込み、大きく後方に跳躍した。爆発四散したタールが再びサソリ擬きを襲うが時間稼ぎにしかならないだろう。
どうすべきかとハジメが思案すると隣に狩人がやって来る。二人が意識を一瞬サソリ擬きから逸らした直後、今までに無いサソリ擬きの絶叫が響き渡った。
「キィィィィイイ!!」
その叫びを聞いて全身を悪寒が駆け巡り、狩人は姿勢を整え臨戦態勢を取り、ハジメは咄嗟に“縮地”で距離を取ろうとするハジメだったが……既に遅かった。
絶叫が空間に響き渡ると同時に、突如周囲の地面が波打ち、轟音を響かせながら円錐状の棘が無数に付きだして来たのだ。
「畜生!」
「小癪な!」
これには完全に意表を突かれた。
狩人は遺骨を使い、高速化されたステップで回避していき、着実にサソリ擬きとの距離を詰める。
そしてもう少しで間合いに入ると言う頃、ハジメの悲鳴が耳に入った。
「がぁぁああ!!!」
致命傷を避けた様だがどの道厳しい事には変わりないだろう。針は身体を貫通して居ない様でユエに傷は無い様だが、ハジメは衝撃で吹き飛ばされた。ハジメが地面に叩き付けられると同時に狩人はサソリ擬きの顔面を教会の石槌で殴り付ける。サソリ擬きを一度吹き飛ばしハジメへと意識を向ける。
「貴公!大丈夫か!」
「心配要らねぇよ、そっちは如何なんだ!」
「此方も問題無い」
狩人の問いに答え、身体に無数の針を刺されながらも歯を食いしばって痛みに耐え、ポーチから“閃光手榴弾”を取り出しサソリ擬きに投げ付ける。放物線を描いて飛ばされた“閃光手榴弾”はサソリ擬きの眼前で強烈な閃光を放った。
「キィシャァァァア!!」
「ほぉ……差し詰めフラッシュバンと言った所か。火薬庫もああ言った気の利いた便利な代物も用意してくれれば助かった物を……人から視覚を奪うのは闇だけでは無いと言うのに。対狩人を想定した武器を誂える工房なのならば闇になれた狩人から眼を奪うのならば閃光は堪えたろうに。」
別世界の狩人と戦った事は無い狩人だが、古狩人との戦闘で何度か思った事が在った、一時的とは言え視覚を奪えれば、と。其れを叶える道具に子供であるハジメが行き着き、対狩人を想定していた火薬庫が思い至らなかった、若しくは爆発ばかりに眼を奪われていたからなのかは分からないが、何とも情け無く思えてしまった。
そんな事を考えながらも狩人の身体は自然に戦闘へと向かっていく、そして右肩に担がれる武器は今や教会の石槌では無かった。其れを例えるならば、“馬車の車輪”の様である。
そして狩人は“車輪”の仕掛けを起動させた瞬間、赤い様なピンク色の様な靄が重なり合った車輪の間から漏れ出し、全力で走り、身を削りながら車輪を高速で回転させていき、その回転のまま全力で車輪をサソリ擬きに叩き付ける。
「むんっ!」
轟音と共に怨念がサソリ擬きの甲殻に浸透していき、大きなダメージを与え、再び地面に叩き付け、距離を取って輸血液で自傷の傷を癒やす。
「何だあれ……魔法とかそう言うのじゃねぇな……」
ハジメがそう独り言ちながらユエを捜す。しかし、ハジメが見付けるよりユエがハジメの元に来る方が早かった。
「ハジメ!」
ユエも“ローゲリウスの車輪”の素晴らしき本性によって齎された魔法とは異なる異形とも取れる力を前に直前まで硬直していたのだが、直ぐにハジメの状況を思い出してハジメの元へと駆け寄ったのである。無表情が崩れ今にも泣き出しそうだ。
「大丈夫だ。其れよりアイツ硬すぎだろ?攻略法が見つからねぇ。目か口を狙おうにも四本の鋏が邪魔で通らねぇし……狩人に至ってはあんなもん膂力と武器の特異性に任せたゴリ押しだしな……いっそダメージ覚悟で特攻するか?」
ユエの心配を他所にサソリ擬きを攻略すべく思案するハジメ。そんなハジメにユエがポツリと零す。
「……如何して?」
「あ?」
「如何して逃げないの?」
自分を置いて逃げれば助かるかも知れない、その可能性を理解している筈だと言外に訴えるユエ。それに対してハジメが呆れた様な視線を向ける。
「何を今更。ちっとばかし強い敵が現れたぐらいで見放すほど落ちてねぇよ」
ハジメは、生きる為なら闇討ちも不意打ちも騙し討ち、或いは卑怯や嘘、ハッタリだろうが使う。爪熊との戦いは唯一の例外で、基本的には正々堂々などクソくらえだと思っている。そんな余裕を噛ませる程甘い場所では無いのだ。その事に罪悪感も無い。そういう風に変わってしまった。
だが、好き好んで外道に落ちたい等と思ってはいない。通すべき仁義くらいは弁えている。弁える事が出来ている。その事を思い出させたのは、取り戻させたのは、他ならぬユエだ。
だからこそ、此所で助けたユエを見捨てるという選択肢は無い。彼女がハジメに己を預けた時、その時のハジメの決断こそがハジメが外道に落ちるか否かののターニングポイントだったのだ。
ユエは、ハジメに言葉以上の何かを感じたのか納得した様に頷き、行き成り抱き付いた。
「お、おう?如何した?」
状況が状況だけに、行き成り何してんの?と若干動揺するハジメ。今一人で狩人が時間稼ぎとは言い難い激闘を繰り広げている。
何やら身体の芯から凍り付く様な哄笑が聞こえるが、ハジメの傷はもう治っている。早く戦闘態勢に入らなければならない。
だが、そんな事は知らぬとばかりにユエはハジメの首に手を回した。
「ハジメ……信じて」
そう言ってユエはハジメの首にキスをした。
「ッ!?」
否、キスでは無い。噛み付いたのだ。
ハジメは、首筋にチクリと痛みを感じた。そして、身体から力が抜き取られている様な違和感を覚えた。咄嗟に振り解こうとしたハジメだったが、ユエは自分が吸血鬼だと名乗って居た事を思い出し、吸血されているのだと理解する。
“信じて”──その言葉はきっと、吸血鬼に血を吸われると言う行為に恐怖、嫌悪しても逃げないで欲しいと言う事だろう。
そう考え、ハジメは苦笑いしながらしがみ付くユエの身体を抱き締めて支えてやった。一瞬ピクンと震えるユエだが、更にギュッと抱き付き首筋に顔を埋める。何処となく嬉しそうなのは気の所為だろうか。
「キィシャァアアア!!」
サソリ擬きの咆哮が轟く、其れと同時に狩人がハジメの隣に降り立った。どうやら一旦引いて戻って来た様だ。此方の位置は把握している様で、再び地面が波打つ。サソリ擬きの固有魔法なのだろう。周囲の地形を操る事が出来る様だ。
「だが、其れなら俺の十八番だ」
ハジメは地面に右手を置き錬成を行った。周囲三メートル以内が脈打つのを止め、代わりに石の壁がハジメ達を囲む様に形成される。
周囲から円錐の棘が飛び出しハジメ達を襲うが、その悉くをハジメの防壁が防ぐ。一撃当たるごとに崩されるが、直ぐ様新しい壁を構築し寄せ付け無い。
狩人も又、素早い身のこなしで襲い来る無数の棘を躱しながら最短ルートでサソリ擬きへと迫る。そして、サソリ擬きの鋏の間合いに滑り込み、その影に紛れて毒メスを投擲する。
毒メスは吸い込まれる様にサソリ擬きの眼へと吸い込まれ、刃の根元まで突き刺さり、毒がサソリ擬きの身体を蝕む。だが、毒メスを当てたとは言え毒が回るのは遅い。やはり毒とは遅効に過ぎず、狩りには向かないと嘆息する。
その時、ハジメの居る場所の気配が変わった。投げた毒メスが無駄になるかも知れないなと思いながらも時限式爆発瓶をサソリ擬きの足下や胴の下に投げ、速やかに撤退する。そしてダメ押しとばかりに狩人の悪夢から拝借した火薬入りの樽を最初に投げた時限式爆発瓶の直ぐ傍に投げ付け、爆煙がサソリ擬きを包む光景を背にハジメ達の元へと戻る。
戻ってみれば先程まで衰弱し切った身体だった少女だが、今や幼い容姿には不釣り合いな程妖艶な雰囲気を感じる。そして先程の気配の正体は彼女の物だろう。此が彼女本来の気配と姿なのだろう。
そう当たりを付けた狩人だが、サソリ擬きに意識を向ける。予想通りと言えば予想通りだが、時限式爆発瓶如きの火力では傷一つ付かない様だ。そう言った思案を重ねる狩人の耳に美しい声が聞こえる。
「……ごちそうさま」
そう言うと徐に立ち上がり、サソリ擬きに片手を掲げた。同時にその身体からは想像も出来ない程の莫大な魔力が吹き上がり、彼女の魔力光であろう黄金の魔力が暗闇を薙ぎ払った。
そして、女神を思わせる輝きに彩られたユエは魔力色と同じ黄金の髪をゆらりゆらゆらと靡かせながら一言呟いた。
「“蒼天”」
其の瞬間、サソリ擬きの頭上に直径六、七メートルはあるだろう青白い炎の球体が出来上がる。
直撃したわけでも無いが、余程熱いのか悲鳴を上げ離脱しようとするサソリ擬き。
だが、狩人は未だ正体を知らない奈落の吸血姫が其れを許さない。ピンと伸ばされた綺麗な指がタクトの様な優雅さで振るわれる。青白い炎の球体はコンダクターの指示を忠実に実行し、逃げるサソリ擬きを追い……直撃した。
「グゥギィヤァァァアアア」
サソリが今までに無い程の絶叫を上げる。明らかなる苦悶の声だ。着弾と同時に青白い閃光が辺りを満たし、何も見えなくなる。狩人は帽子を少し前にずらして眼を守りながらその壮絶な魔法を感嘆と共に見つめた。
やがて、魔法の効果時間が終わったのか青白い炎が消滅する。後には、背中の外殻を赤熱化させ、表面をドロリと融解させて悶え苦しむサソリ擬きの姿があった。
幾度も重量級且つ高火力の望める打撃武器で殴打しても損傷を与えられなかった怪物の防御を多少なりとも抜いて見せた少女を賛頌すべきか、あれだけの高熱を受けて表面の融解だけで済んだサソリ擬きの耐久力を称えるべきか、狩人とハジメは一つ思い悩む。
トサリと音がして狩人達が驚愕的光景から視線を離し、其方を見遣るとユエが肩で息をしながら座り込んでいる姿があった。どうやら魔力が枯渇した様だ。
其れを確認した狩人は徐に“小さなトニトルス”を取り出し、六発の水銀弾を装填し、魔法では再現出来る筈もない青白い雷を放つ。
直線上に落雷を落とし、現状動く事もままならないサソリ擬きに直撃する。
「キィイイイヤァァアア!!」
金切り声の様な悲鳴を上げながら再び苦悶に叫び声を上げるサソリ擬き。それもその筈だろう、その金属の様な甲殻を纏う巨体の一直線上を幾度も落雷が打ち付けたのだ。甲殻に包まれた全身は麻痺し、電流が身体を廻り、甲殻の内側を焼き焦がす。
「狩人……お前も大概だな……」
「ん、青い雷なんて魔法じゃ見た事無い、自然の雷みたいだった」
「私が知る中では二体ほど青い雷を用いる獣は居たのだが……」
「お前の居た土地はどうなってんだよ……」
「病と獣、そして呪いが充満した開けぬ夜と廻る悪夢の地だったよ」
「そうかい……取り敢えず後は俺に任せて二人は休んでろ」
「ん、頑張って」
「分かった、状況的に不利だと判断したら私も出るぞ」
ハジメは手をプラプラと振りながら“縮地”で一気に間合いを詰めた。サソリ擬きは未だに健在だ。外殻の表面を融解させ、身の内を電流に侵されながら怒りを隠しもせず咆哮を上げ、接近してきたハジメに散弾針を撃ち込もうとする。
ハジメは素早くポーチから“閃光手榴弾”を取り出し、頭上高くに放り投げる。次いでドンナーを抜き、飛んで来た散弾針が分裂する前に撃ち抜いた。そして電磁加速された弾丸で落ちてきた“閃光手榴弾”を撃ち抜き破裂させる。
流石になれたのかサソリ擬きは鬱陶しそうにしているものの動揺はしておらず、光に塗り潰された空間でハジメの気配を探している様だった。
しかし、幾ら探れどもハジメの気配は無かった。サソリ擬きがハジメの気配をロストし戸惑っている間にハジメはサソリ擬きの背に着地する
「キシュア!?」
声を上げて驚愕するサソリ擬き。それもそうだろう、探していた気配が己の探知の網をすり抜け、突如背中に現れたのだから。
ハジメは“気配遮断”により閃光と共に気配を断ち、サソリ擬きの背に着地したのだ。
赤熱化したサソリ擬きの外殻がハジメの肌を焼く。しかし、そんな事は気にもせず、表面が溶けて薄くなった外殻に銃口を押し当て連続して引き金を引いた。本来の耐久力を失ったサソリ擬きの外殻はレールガンのゼロ距離からの連撃を受け、遂にその絶対的な鎧の突破を許した。
サソリ擬きは自らが傷付く可能性も無視して二本の尻尾でハジメを叩き落とそうとするが、其れよりも早くハジメが動いた。
「此でも喰らっとけ」
ポーチから取り出した“手榴弾”をドンナーで開けた肉の穴に腕ごと深々と突き刺し、体内に置き土産とばかりに埋め込んでおく。ハジメの腕が焼け爛れようが構う事は無い様だ。
そしてサソリ擬きに攻撃される前に“縮地”で退避した。サソリ擬きが背後へ離れたハジメに再度攻撃しようと向き直る。
しかし、其処までだった。
ゴバッ!!
そんなくぐもった爆発音が辺りに響くと同時にサソリ擬きがビクンと震える。動きの止まったサソリ擬きとハジメが向かい合い、辺りを静寂が包む。
やがて、サソリ擬きがゆっくりと傾き、そのままズズンッと地響きと共に倒れ込んだ。
ハジメはリロードしながらピクリとも動かないサソリ擬きに近付き、その口内にドンナーを突き入れると二、三発撃ち込み、漸く納得した様に「良し」と頷いた。止めは確実に!と言う最近出来たハジメのポリシーだ。狩人は確実に止めを刺しに行ったハジメに賛頌の拍手を贈った。確実に止めを刺すまで気を抜かないのは優秀な狩人である証なのだ、誉め称えずして何が狩人か。
ハジメが振り返ると無表情ながら何処となく嬉しそうな眼差しでアヒル座りしながらハジメを見つめているユエと静かには拍手を贈る狩人が居た。迷宮攻略が何時終わるのかは分からないが、如何やら頼もしい相棒が出来た様だ。
パンドラの箱には厄災と一握りの希望が入っているという。如何やらこの部屋に入る前に出したその喩えは、中々如何して的を射ていたらしい。そんな事を思いながらハジメはゆっくりと狩人達の元へと歩き出した。
箱の中から出て来た一握りの希望と箱の外から現れた一つの希望、そして奈落で産声を上げた一人の化け物の迷宮最深層の攻略、その本番の幕が上がろうとしていた。
楽しんで頂けたでしょうか。狩人が重打武器をブンブンしてる様子等は書いてて楽しかったです。最後の小さなトニトルスは何となくで出しました!次も楽しんでくれると幸いです。感想や誤字脱字の報告も待っておりますので。其れでは優秀な狩人の諸君、貴公等の目覚めが有意な物である様に。
狩人の能力値、99のカンストを越えさせる?
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越えさせる
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越えさせない
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任せる