シンジもアスカもレイも、他のキャラクターもみんな幸せな未来の話を書こうと思っていたのですが、なにやらひたすら尾籠な内容になってしまいました。
読む前に、R-15タグも振ってあるところから色々と察して頂きたいと思います。読んで、苦手な内容だった方はごめんなさい。


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アダルト・チルドレン(ズ)

「そもそも今日は何の集まりだったかしら?」

 

洞木ヒカリが、徹夜で仕上げて提出したレポートを突き返されたような表情を浮かべた。

対面の惣流・アスカ・ラングレーは不思議そうな顔つきのまま、小皿に取ったタイ料理パッタイを口に運ぶ。

この辛みが意外と合うのよ? と(のたま)いつつ、追いかけるように口に含んだのは赤ワイン。

グラスに満たされた重口のボディは紫を通り越して黒に近い。たっぷりのタンニンに口を窄めたくなるような渋みのこのヴァン・ド・ターブルは、まったくアスカの好みだった。

 

「はい、セカンド。次が上がったわ」

 

綾波レイが大皿に載った新たな料理を繰り出す。

ニンニクの芽と厚揚げのオイスターソース炒め。香ばしい匂いが俄然食欲をそそる。

さっそく一口頬張り、アスカは満足げな表情で論評。

 

「うん、イケるじゃないファースト。でも、シンジ用にはちょっと工夫が必要よね?」

 

「分かっている。碇くんの時には牛の小間肉を使うわ」

 

ナチュラルに頷いてキッチンへと引き上げていくレイ。それを眺めるヒカリの表情は、一言でいえば微妙だ。

こと碇シンジに対し、中学、高校時代と鎬を削ってきた二人。

大学へ舞台を移して、ますますその争いは苛烈を極めているはずなのだが。

 

(それに、元々ここはアスカのマンションよね?)

 

ヒカリとて、何回もお邪魔しているアスカの自宅。

そのキッチンを勝手知ったるとばかりに切り回しているレイの姿には違和感しかない。

アスカがぎょろりと蒼い瞳を動かす。

 

「何言ってんのヒカリ。今日は久々の女子会じゃないの?」

 

ワンテンポ以上遅れた返答は、もう既に彼女が酔っている証左だろうか。

 

「私としては想定外だったんだけどね…」

 

溜息をつきたい表情をこらえ、ヒカリは回想。

今日の夕方、キャンパスを歩いているとアスカから声を掛けられた。

 

“久々にうちに寄っていかない?”

 

ヒカリもちょうど相談というか話したいことがあったので、二つ返事で了承。

 

―――まあ適当にお茶を飲んでお喋りして、あまり遅くならないうちに帰りましょ。

 

そう思って到着したアスカ邸には、なぜか綾波レイが待ち構えていた。

テーブルの上には既に料理が並べられていて、アスカはさっそくワインを抜栓。

ヒカリにはノンアルコールのシャンパンが振舞われる。

そのままアスカが旺盛な食欲を発揮したのは冒頭の通りなのだが、ヒカリとしては綾波レイの当然のような滞在に加え、ナチュラルにホームパーティの雰囲気に移行していることが解せない。

加えて、まるで喉奥に骨が刺さったように気になるのは、テーブルの片隅に乗せられた数個のクラッカーだった。テーブルいっぱいに広げられた料理皿の中で一際異彩を放つそれは、決して片付け忘れとは思えない。

 

「ヒカリも食べなさいよ。美味しいわよ?」

 

他の料理も口に運び、ワインを飲みながらアスカが小首を傾げる。

 

「…頂きます」

 

勧められて、ヒカリはカナッペの一つを口に含む。

レバーペーストの上にレモンの一切れが載せられたコッテリとした旨味は、シャンパンに良く合う。

思わず緩みそうになる頬を必死で抑えながら、ヒカリは鹿爪らしい顔の維持に努める。

なおワインを傾けるアスカに訊ねようとして―――アスカの方が先に声を上げていた。

 

「ファースト! アンタもこっちにきて座りなさいよ! あとの一品はあたしが作るからさ!」

 

「そう? それじゃあ、お任せするわ」

 

エプロンを脱ぎながらキッチン前より戻ってくるレイ。

それを受け取って、入れ替わりでアスカが席を立つ。

 

「………」

 

ヒカリは困惑する。

決して綾波レイと言葉を交わしたことがないわけではない。

だが、改めて二人切りで、いったいどんな話題を振ればいいのか。

時間を稼ぐようにシャンパンを舐めるヒカリに対し、レイは氷の満たされたグラスを取り出している。

そこに抜栓して注いだ酒は獺祭焼酎。

ソーダ割りにすると、華やかな香りがここまで漂ってくる。

さっそくレイは手製の厚揚げ炒めを口に運び、おっかけでグラスを口へと運んだ。

白皙の顔の目尻が微かに下がり、頬に赤みが差す。

まるで酒を注ぐと鮮やかな桜を綻ばせる陶器のようで、ヒカリは見惚れてしまった。

 

「はい、お待たせ~」アスカが何やら耐熱皿に載ったものを持って戻ってくる。

 

「インスタントザワークラフトのアボガド和えよ」

 

「ザワークラフトって、要は漬物よね?」

 

温かい酸味のある匂いにスンと鼻を鳴らしてヒカリ。

 

「そ。本当はしばらく漬け込まないといけないんだけど、電子レンジでお手軽にできちゃうわけ」

 

まさに文明の勝利ね、などと某金髪博士のような言とともに、アスカが小皿に料理を取り分けてくれる。

 

「インスタント、ね…」

 

おっかなびっくり割りばしで口へと運んだヒカリだったが、たちまち目を丸くする。

ザワークラフトの酸味をアボガドが和らげ、なんともコクのある食べ応えを演出していた。

 

「うん、私、酸っぱいの苦手だったけれど、これ美味しい…!」

 

「我が家の定番のおつまみよ、これは」

 

自慢げに笑って、アスカが杯を向けてくる。

 

「ほら、ファーストも。乾杯しましょ?」

 

何のための乾杯か良く分からなかったけれど、三つのグラスが宙で打ち鳴らされた。三者三様の中身が揺れる。

 

「ところで、そこのクラッカーは何なの?」

 

シャンパンを一気に空けて、ようやくヒカリは先ほどからの疑問を口に出すことに成功。

 

「あ、そうね、忘れてたわ」

 

アスカはレイにクラッカーの一つを放る。

そして自身もクラッカーを手に持つと、すかさずその紐を引いていた。

 

パンパン!

 

破裂音に、中に仕込まれた紙テープが宙を舞う。

 

「ヒカリ。おめでと~!!」

 

「え? え?」

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

「ちょ、ちょっと待って、アスカ…」

 

眉間に人差し指を当てて目をつむり、ヒカリは考え込む。

 

「いったい何を祝ってくれているわけ?」

 

自分の誕生日はまだまだ先だ。記憶のリストを巡っても、特に記念日といったものも覚えがない。

 

「だって、ヒカリ、鈴原に抱かれたでしょ?」

 

「ッッ!?」

 

「って言っても、半年くらい前よね? 遅くなったけれど、あらためてお祝いするわ」

 

「あ、あ、アスカぁあああああああああああああッ!?」

 

ヒカリは絶叫。

 

なんでそのことを知っているの?

どうして祝われなきゃならないの?

恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい…!!

 

雑多な感情が絶叫となって流星のように尾を引く。

 

「落ち着いて、洞木さん。わたしたちに悪意はないわ」

 

口を挟んできたのはレイ。

普段は傍観者然としている彼女の介入に、ヒカリは素直に驚く。

おかげで自身も少しだけ冷静になれたけれど、顔面に集中した血液だけはどうしようもない。

 

「あ、悪意はないとはいっても、そんな、人のね…!」

 

「別にこの齢でSEXの話なんて普通でしょ?」

 

流暢な発音でアスカは言う。

 

「セッ…!」

 

絶句するヒカリは、自分でも貞操観念の強い方だと思う。

だからといって結婚するまで純潔を貫くという古風な観念や宗教的な主義も持たない。

好きになった男との付き合いは、中学の頃から足掛け五年。

キスはとっくに済ませていたが、初体験に関してはタイミングを逸してばかりでなかなか至れなかった。

自分の家でコトに及ぼうとした時はなぜか妹が早退してきたり、鈴原邸でいい雰囲気になったと思ったらこちらもトウジの妹であるサクラが突撃してきたり。

ならばと泊りがけの旅行や遠出を計画しても、どちらかが急に予定が飛び込んできたりと悉く潰されてきている。

 

『まあ、お互いに焦らんとこうや。なあ?』

 

鈴原トウジの辛抱強い性格をありがたく思う。

その誠実さを好ましく感じる反面、ひょっとして私たちは結ばれない運命なんじゃ? という不安に胸を焦がす。

 

そんな呪われているとも思える間の悪さが浄化されたのは、アスカから指摘されたほぼ半年前。

デート終盤で天候が崩れ、雨宿りとして急遽飛び込んだのがラブホテルという非常にベタなシチュエーション。

しかし一線を越えたあとの感慨は胸の奥深くに刻み込まれ、彼女だけの大切な記念となっている。

 

「分かった、分かったわ。アスカの言いたいことはよーく分かったわよ。でも、なんで半年も経ってから…?」

 

どうにか気を取り直し、恥ずかしさのあまり涙声になりながらもヒカリは質問を返す。

 

「え? この半年、Hするのが楽しくて仕方ないでしょ、ヒカリ?」

 

思いもよらぬカウンターパンチに、ヒカリの精神は卒倒しそうなほどに仰け反った。

 

「べ、別にそんな…」

 

「だいたい初体験の感想なんて『なんかよく分からなかったけれど凄かった』『なんかよく分からなかったけれど痛かった』のどっちかじゃん」

 

暴論である。しかしながら、一定の真理であることも否定できない。

 

「というわけで、今日の議題はパートナーとの性生活ってわけよ」

 

まるで教育番組の司会者みたいな晴れやかな笑顔を見せるアスカ。

続けて彼女は、盛夏に熟した柑橘の爽やかさを結晶したかのような声音で、

 

「もちろんあたしもシンジとヤリま「わたしたちも、碇くんと愛し合っているわ」

 

台詞と一緒に身体ごと割り込んでくる綾波レイ。

「こら、どきなさいよ、ファースト!」というアスカの怒声に一切動じることなく、じっとヒカリの目を見据えてくる。

 

「人間は、ボノボと同じで繁殖以外でも性行為をする生き物。子供を作るでもないのにふしだらな、と眉を顰める人もいるけれど、それは身勝手で反文化的よ。

 逆説的に言えば、わたしたちは愛を確かめあう手段を他の生き物より多くもっているということなのだから」

 

「ボノボって良く知らないけれど、言っていることは判るわ、うん。なんとなくだけど…」

 

レイの迫力に押され、()()()()しながら頷くヒカリ。

一方で、アスカの先の発言も、それなりにクリティカルヒットしている。

 

『Hするのが楽しくて仕方ない』。図星である。

テレビゲームのRPGに例えれば、ちょうどオープニングとチュートリアルを終え、システムの概要も把握し、自由を与えられた時期に相当する。

どこへ行くのも自由。何をするのも自由。そこには日々新しい発見ばかり。

何かしら失敗しても、始めたばかりだからリカバリーは効くし、何よりポンポンレベルアップして行くのが分かるのも楽しかった。

 

ゆえに、ここ半年ばかり、トウジとのデートが泊りがけにならなかったことはない。

むしろデートの回数そのものが著しく増加している。

 

「…そういうアスカは、碇くんと、いつ…?」

 

ヒカリは消え入りそうな声で訊ねた。アルコールは摂取していないはずなのに全身が火照っている。

 

「そうそれ! 聞いてよ、ヒカリ! シンジってやつはとことんヘタレでね! 条例まで持ち出して拒否ってたんだから!」

 

ぐいとレイを押しのけて、身体ごと乗り出してくるアスカ。

 

「それは違うセカンド。碇くんはヘタレじゃない」

 

「じゃあ coward(腰抜け) の Vollpfosten(大馬鹿者)よ!」

 

「外国語で言えばいいというものじゃないわ」

 

そんな二人のやり取りを横に、ヒカリは眉間に指を当てて考え込む。何かが引っかかっている。何かが。

 

「…綾波さん。さっき『わたしたちは碇くんと愛し合っている』っていったわよね?」

 

「ええ、そうよ」

 

「ってことは! まさか、さ、3ぴー…ッ!?」

 

ヒカリの絶叫に近い声に、アスカとレイは顔を見合わせる。

それから同時にヒカリの方を向くと、揃って左右に手を振った。

 

「いや、それはないない」

 

「そ、そうなの…」

 

「むしろそんな発想をするなんて、ヒカリも成長しているみたいね? 結構結構♪」

 

「ッ! 言わないで、お願い…!」

 

哀願してくる親友を面白そうに眺めるアスカの表情は、かつての保護者であった葛城ミサトの浮かべていたものに良く似ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

Vollpfosten(大馬鹿者) 

先ほどアスカはシンジをそう評した。

pfostenとはドイツ語で柱を意味し、Vollを付ければ『役立たずのでくの棒』という侮蔑語だ。

 

「もちろん、あっちの方は役立たずじゃないけどね?」

 

際どい、というより居酒屋のおっさんのようなネタでヒカリを赤面させ、アスカは滔々とシンジとの初めてへ至るまでを語りだす。

 

さすがに高校に進学するに至り、アスカとシンジの同居は解消されていた。

結果としてかつての住まいであった葛城邸がゴミの山に埋没したのはさておき、適度な距離感が生まれたのはアスカとしても歓迎するところだった。

キチンとしたプライベートも確立され、アスカはよっくと自分の感情を見つめ直す機会を得る。

その果てに得た結論は―――やっぱり、あたしはシンジのことが好き。大好き。

 

ヤマアラシの如く互いを傷つけあったのも遠い昔。愛憎は表裏一体とはよくいったもので、多少『離れて分かる親の有難さ』成分もあったにせよ、アスカにしてみればシンジほど自分を曝け出した異性は存在しない。

同時に、これほど一緒にいて自分を取り繕わずいられる相手も、唯一無二だと思う。

 

顔も、よく見ると可愛い系だし?

炊事洗濯も一通りできるのはポイント高いし?

だいたいキスもしたし? 

裸だって見られてるし?

 

…まあ、シンジが告ってきたら、受け入れてやらないこともないわよ、うん。

 

そんな鷹揚に構えていたアスカだったが、こちらも好意を隠そうとしない綾波レイの参戦により大幅な戦略変更を余儀なくされる。

その果てに互いに熾烈な恋の鞘当てを繰り返していたのは、ヒカリも良く知るところだ。

当のシンジは「センセェは万年モテ期やなあ」などとトウジにからかわれていたが、特定二人の女性だけにひたすら想いを寄せられるのはモテ期と称して良いものだろうか。

 

ともあれ、高校時代のシンジは、二人のどちらにも肩入れしなかった。

告白を受けても「僕にとってはアスカも綾波も、どちらも大切だよ」「大切だと思うから、ちゃんとした大人になるまで応えられない」と言を左右するシンジを、アスカは「ヘタレ」とイライラして、レイは「碇くんはそれだけわたしのことを大切にしてくれているのね?」などとうっとりと見つめたり。

 

しかし、二人ともまさに芳紀を迎え、花も恥じらう何とやら。

好きな相手とはキスだけじゃなく、もっと求めたい、求められたいと思うお年頃。

 

埒が開かぬと判断したアスカとレイは共謀する。

二人してシンジへと詰め寄って訴える。

「どちらか一方だけじゃなくていい。どうか、もっと愛して欲しい」と。

もはや据え膳レベルの訴えである。

 

これを退けるためにシンジが持ち出したのが、アスカも言っていた青少年保護育成条例。

「18歳未満での淫らな行為は厳に慎むように」。

これはあくまで社会人が未成年と欲望のままに関係をもつことを戒めるためのもので、実際に真剣に交際している少年少女の行為までは咎めていない。

 

あんたってやっぱりヘタレね! そんな条例の文面の、都合の良いとこだけ取り上げてんじゃないわよ!

 

そう怒鳴りつけてなんら不思議はないアスカだったが、引いた。

何か言いたそうなレイを連れて、引き下がった。

 

「…吐いた唾は飲み込ませないわよ…?」

 

背筋も凍るような底冷えする口調で呟き、迎えたのはアスカの18歳の誕生日。

恒例のパーティに現れたシンジを、アスカはレイと協力して物理的に拘束する。

 

「今日であたしも18歳だからね? なーんにも問題ないわ」

 

「………」

 

なお拒否するためのロジックを展開しようとして、シンジは白旗を上げた。

どう考えても詰みである。八方ふさがりである。年貢の納め時である。

それに元々彼をして、アスカとレイに好意を抱いていた。でなければ毎年律儀に誕生会に顔を出すはずもない。

二人の気持ちに応えられなかったのは、どちらか一方を選べなかったことにも由来する。

 

「だから選ぶ必要なんてないっていったじゃん」

 

アスカは笑う。

レイも頷く。

 

どちらか一方を選べないなら、二人とも愛してちょうだい。

こっちは二人で納得しているんだから、あとはあんた次第…。

 

―――本当は、赤木リツコにシンジのクローンが出来ないか相談しようとも考えていたが、仮に生成出来たとてどうせオリジナルを取り合うことになるのだから結果は同じ、と頓挫したのは内緒。

 

シンジは笑う。観念して、そしてすべてを受け入れる覚悟を決めた男の笑いだった。

 

「…優しくしてね?」

 

口にした台詞はまったく男らしくなかった。

 

「そうと決まれば…」

 

アスカとレイの目つきが変わる。

二人とも愛してもらうことは決めたが、シンジは一人。どう頑張っても一人で二人を同時には抱けない。

つまり、どちらが先にシンジの初めての人となり、シンジへと純潔を捧げるのか?

 

「キスしたのはあたしが先よッ!?」

 

「わたしは裸を見られた上に胸まで揉まれたわ」

 

ぐぬぬと睨み合う二人。

熾烈な勝負が始まった。

炊事洗濯おさんどんといった勝負をしても、決着がつかない。

着飾ってのルックス判定を持ちかけるも、肝腎のシンジにきっちりと評価をしろというのが無理な相談。

挙句、ふん縛ったままのシンジを横に、桃鉄300年一本勝負やドカ〇ン勝負を実施するも決着までは至らない。

もはや夜も明け疲労困憊の中、アスカは最後の提案をする。

 

「じゃんけんで勝負を決めましょう、ファースト。泣いても笑っても文句なしの一発勝負」

 

「…了解」

 

濃いクマを浮かべるレイの目前で、アスカは宣言する。

 

「ファースト。あたしはパーを出すわ」

 

「…ッ!!」

 

レイは困惑する。

アスカを信じるなら、チョキを出せば勝ちだ。

だが、こと碇シンジに関わる勝負の一切は、人倫に反しない限り、あらゆる手段が正当化される。

それが二人の間に交わされた順守すべきルール。なお死して屍拾うものなし。

 

レイは思考を巡らす。

こちらが素直にチョキを出したところで、アスカが宣言を翻してグーを出せば負けである。

ならば、出すのはパー? ううん、裏の裏をかくくらい、きっとセカンドは想定済み。

 

レイは混乱する。

彼女は命令を受けることは多くても、選択を押し付けられる経験は極めて乏しい。

 

「まだなの、ファースト?」

 

「……」

 

息を吸い込み、レイは覚悟を決める。

結局、レイはアスカを、自分を信じ切れなかった。

裏の裏の裏まで考え込み、彼女が出した手の形はグー。

対するアスカは宣言通りのパーである。

文句なしのアスカの勝利だった。

 

「あたしの勝ちよ、ファースト」

 

絶望的な表情で膝をつくレイを見下ろし、溢れんばかりの喜びを隠してアスカが顔を向けたのはシンジ。

 

「…んあ? 勝負はついたの…?」

 

完全に寝ぼけている彼を引きずるように、アスカは寝室へと消えた。

ドタバタとした音に衣擦れ、それとくぐもった悲鳴やら何やらが聞こえてから一時間以上は経っただろうか?

 

急に静かになった寝室のドアをおそるおそる開けば、スンスンと全裸で布団にうつ伏せで顔を伏せるシンジがいた。その隣に、こちらも全裸で片膝立ちで上体を起こすアスカがいる。

破瓜の痛みに涙目になりながら、それでも勝ち誇った笑顔を浮かべた彼女が、赤木博士のラボからくすねて来たらしいショートホープを咥えて火をつけて直後盛大にムセ込んだ光景を、レイは決して忘れることはないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

「ま、そういう経緯で、あたしがシンジの一番搾り(ファーストフラッシュ)を頂いたわけ♪」

 

そのアスカの言に、ヒカリは飲んでいたビールを噴く。

一般に、紅茶の茶葉の収穫時期は《春》《夏》《秋》の3シーズンとされている。そして夏に収穫される茶葉はもっとも充実した味わいとされ、二番目の季節ということでセカンドフラッシュという呼び方で愛されている。

対して、ファーストフラッシュは春に収穫される茶葉のことで、セカンドフラッシュに比べれば味の深みは欠けるが、爽やかで若干の青臭さがあるという。

アスカ渾身のdirty jokes(下ネタジョーク)である。

 

「下品よ、セカンド…」

 

あからさまな軽蔑の視線を投げかけるレイ。

ヒカリはこぼれたビールと口元を拭う。アスカ秘蔵のヴェルシュタイナーで、彼女的にもアルコールを入れなきゃやってられない気分になっている。

 

「となると、綾波さんはその次に?」

 

ヒカリが訊ねると、コクンとレイは頷いた。

あまりと言えばあまりにもあっぴろげなアスカに対し、レイの奥ゆかしさの方がヒカリには共感できる。

 

「わたしは、日を改めてから碇くんに抱いてもらったわ…」

 

アスカの言うところのシンジの童貞を切れなかったことは、残念に思う。

だが、シンジの視点から彼の初体験を鑑みれば、半ばアスカに襲われた格好である。

とはいえ、曲がりなりにも初体験を済ませたシンジであるから、二回目の相手となるレイを『抱く』余裕が存在した。

だけに、レイの初体験は、より確かに「碇くんに愛してもらった」と自負している。

 

中々戻ってこないシンジに豪を煮やしたアスカは、レイのマンションへと突撃。

「いつまで独占しているのよ、ファースト!」と開け放した寝室のドア。

ベッドに横になり口もとまで布団で覆って恥ずかし気なレイはともかく、ベッドの周辺を埋め尽くす無数の一輪挿し。

そこに挿された椿の花が残らず落ちていたホラー染みた光景を、アスカは決して忘れることはないだろう。

 

 

「ま、まあ、仲が良さそうでなによりよね…?」

 

ヒカリ自身、無難なことを口にしている自信があった。

一人の男性を、二人の女性がいわば共有しているというシチュエーション。

漫画やドラマじゃあるまいし、とにわかには信じがたい状況なのだが、目前の光景はフィクションではない。

ましてや女性の片割れはヒカリの親友なのだ。

 

「うふ。そういうわけで、この道ではヒカリよりだいぶ先輩のつもりだから♪」

 

アスカはすこぶる魅力的な笑顔で髪を搔き上げた。

だからといって「なんでも訊いてね?」と言われても、いったい何を訊けばいいのやら…?

 

「…あの~、二人に質問なんだけど?」

 

ヒカリがおずおずと切り出すと、アスカはもちろんレイからも「どうぞ」と促される。

 

「その、二人とも、一回にかける時間はどれくらいかしら…?」

 

頬を赤らめて声を掠れさせ、ところどころつっかえながらそう問うたヒカリは実に初々しい。

 

「そういうのは、訊ねた本人から口にするのがマナーよ?」

 

アスカがにっこりとする。

現在進行形で若葉マークのヒカリは、親友の言葉を特に疑問には思わない。

 

「えっと…20分から30分、くらい?」

 

一瞬笑われるかも、と恐怖を覚えるヒカリだったが、誰も笑わなかった。

 

「わたしは17分30秒くらいだわ」

 

真面目くさった顔でレイが答えた。細かい時間に拘るあたりが彼女らしい。

そしてヒカリの親友こと惣流・アスカ・ラングレーは、事もなさげに言う。

 

「あたしは10分くらいかな」

 

ガタっとヒカリの身体が揺れる。

それに増して大きな揺れ幅を見せたのはレイだった。

 

二人は戦慄していた。

男性側の体質や都合もあれど、それほど早く済ませられるとあれば女性側のテクニック、もしくは身体の相性に因るところが大きい。

ましてやシンジはレイにとってもパートナーである。共通の相手である以上、7分30秒もの差はアスカ側に由来するものであることは明白だ。

 

「うふ、コツがあるのよ! シンジのやつの弱いところを、こうね…!」

 

急に生々しい手つきを披露し始めるアスカの横顔は、傾城のように美しい。

 

「…早ければいいというものではないわ」

 

「もちろんね」

 

アスカにあっさりと首肯され、レイはますます悔し気な表情を浮かべている。

 

「じゃ、じゃあ! 一晩で何回くらいするものなの?」

 

夢から覚めたような表情でヒカリは訴えた。

じっと二人から視線を注がれていることに気づき、「そうよね、質問した方から答えるのがマナーだったわね…」などとブツブツいう彼女だったが、それでも恥ずかしそうに申告。

 

「…三回、くらい?」

 

「そうね、わたしもそれくらいだわ」

 

「うーんと、八回? 九回くらいかな?」

 

ガタっとまたもやヒカリとレイは腰を浮かしかける。

 

「あ、ごめん違った、それは最高記録に挑戦したときのだったわ」

 

テヘペロとばかりに舌を出して頭を叩くアスカ。

 

「いや~、あん時はシンジが「もう勘弁して」って泣くし、あたしも最後は痛くなってきちゃって大変だったわ~」

 

笑うアスカに、レイは一瞬殺意を込めた視線を送る。

 

「まあ、あたし的にも三回くらいがベストかな?」

 

最終的な親友の返答に、ヒカリはホッと胸を撫でおろす。

現実主義者である彼女の場合、雑誌などで日本人の平均回数は三回と記載されてはいたものの、リアルなエビデンスを取得出来たことが大きい。

 

「…数が多ければいいというものではないわ」

 

またもや悔しそうにレイは呟く。その裏で、今度碇くんと最高記録に挑戦しよう、と彼女は決意を固めている。

 

「それももちろんね!」

 

アスカは声高に叫ぶと、目を丸くするレイとヒカリを前に勢いよく拳を突き上げた。

 

「むしろ、愛し合って精魂尽き果てて、一緒にベッドに横になってからが本番ね!

 ここで、腕枕をしてもらったりしてイチャイチャと他愛もない話をするのが至高よ!

 いきなりスマホを弄り始めたり、さっさとシャワーを浴びて帰っちゃう男なんて言語同断ねッ!」

 

この宣言に、レイは力強く頷いて賛同を示す。

 

「ピロートークはお蕎麦を食べたあとの蕎麦湯みたいなものね」

 

「うん……うん?」

 

レイの発言は正直意味不明だったが、ヒカリも概ね共感出来た。しかし、「二人とも碇くんの他に比較対象なんて知らないんじゃないの?」などと軽く首を捻っていたり。

 

「朝、目を覚まして、隣に裸の碇くんが眠っているだけで、すごく胸がドキドキする…」

 

「うん、分かるわ、分かるわよ、ファースト~」

 

「碇くんの寝顔を眺めているだけで幸せなんだけれど、目を覚ました碇くんが『うん? 綾波、おはよう。早いね』なんて言われただけで、全身がトロけそうになる…」

 

「うんそれも分かるわ~。あたしだったら襲っちゃっているけどね?」

 

ことシンジに対する惚気だけは意気投合している二人組を眺め、ヒカリは自分のパートナーへも想いを馳せていた。

眠っている彼の頭を撫でたり鼻を摘まんだりして遊ぶのは、恋人だけの特権だと思う。

 

「ところで、あなたたち、碇くんを共有しているって話だけれど…?」

 

次に浮かんだのは、特殊な事例ゆえの単純な疑問。

普通の恋人同士であれば互いに独占し合えるものだが、この三人のケースはそういうワケにはいかない。

果たして二人はどうやって折り合いをつけているものか?

 

「うーんと、基本的には一日交代って感じかな?」

 

形の良い指を顎先につけてアスカが答える。

 

「あ、でも、さすがに女の子の日のあたりは、全部ファーストに譲っているわ」

 

レイも深く頷いて、

 

「セカンドの言う通りよ。わたしも生理現象の時期はセカンドに譲渡している」

 

こと男女の付き合いにおいて、女性側の体調はデリケートなもの。

身体的な痛みに加え、精神的にも辛く厳しい周期が存在する。

その期間に、男女のあれこれをやってやれないこともないが、痛みの個人差はあれど薬を飲んで安静にしているが吉だ。

 

その意味においては、シンジを女性二人が共有しているという面においてはメリットに成り得る。

反面、一か月のほとんどを求められ続ける碇シンジ氏の内情は如何ばかりか。

 

「そりゃあもちろん、スタミナのつくものを食べさせてるわよ?」

 

「休ませてあげるって選択肢はないわけね…」

 

「そこれはそれ、二馬力で頑張ってもらわなきゃ」

 

「それって言葉の使い方、あってる…?」

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

三人寄らば文殊の知恵、という諺がある。

実際に二人きりの会話は、対案の応酬に終始し、何も決められないことがある。

しかし三人目が加わることにより、第三者の視点で双方の意見を吟味することが可能になる。

どちらかの意見に加担することで決定力が増したり、より洗練された結論へと至ることも可能だ。

 

さらにもっと分かりやすい慣用句もある。

女三人集まれば、文字通り姦しいというやつだ。

 

アスカが女子会と称した場は、煮詰まっていた。

ノンアルコール派だったヒカリが、半ば自棄で酒精派へと趣旨替えして空けたビールは実に半ダースに及ぶ。

アスカは二本目のワインへと着手し、レイも焼酎のボトルをほとんど完飲している。

 

「いっそアスカも綾波さんも、碇くんと一緒に住んじゃえばいいんじゃない?」

 

お互いに了承しているのなら、みんなで一緒に暮らした方が色々と捗るんじゃ? というのがヒカリの主張。事実、一軒家でもシェアする形にすれば、現状の三人の家賃よりも安上がりだろう。

 

「う~ん、それも考えなくもなかったんだけどねえ」

 

アスカはチラリとレイと目線だけを交わす。

 

「こうやって互いの家を行き来する方が、その、ね?」

 

アスカとレイ共通の認識として、今少し緊張感を持った関係を維持したいのだという。

 

「ああ、そういえば二人とも、大学では未だに碇くんを巡って牽制しあっているものね」

 

仮に、アスカとシンジがベタベタと恋人同士のようにつるんでいる一方で、レイもシンジと恋人同士のように振舞いたいと思えば、それを目撃した他者は色々と想像力を掻き立てられることになる。

シンジの二股という結論に至るだろうが、そんな噂をばら撒かれた上に、したり顔でアドバイスや注進してくる人間が出てくるのはうざったいことこの上ない。

だったらいっそ、キャンパス内では高校時代から引き続き宙ぶらりんな関係を装った方がマシ。

実際には三人セットで付き合っている形なのだが、それをわざわざ他人に理解してもらうつもりはない。

 

「なるほどね…」

 

アスカの説明に頷きながら、ヒカリは都合7本目のビールのプルトップへと爪をかける。

 

「あれ? でもこうやって私に打ち明けてくれたのは…」

 

「そりゃヒカリはあたしの親友だもの。秘密を打ち明けられる友達がいるって、素敵だと思わない?」

 

コケティッシュな笑みを向けてくるアスカに、ヒカリは少なからず感動する。お酒のせいだと思うけれど、少し緩んだ涙腺を誤魔化すようにキュッとビールを呷る。

 

「でもまあ、ぶっちゃけヒカリが鈴原と済ませるタイミングを測っていたんだけどね?」

 

「ぶふッ!? ゲホッ! ゲホゲホッ! ……なんでッ?」

 

「だって、未経験なままのヒカリがいまのあたしたちの関係を聞いたら、絶対『不潔よ!』とかっていうじゃん」

 

「………納得」

 

「それとね、多分だけど、あたしたち三人で一つ屋根の下に暮らしたら、色々と爛れまくると思うわ…」

 

「…それも納得」

 

「あとさ! キャンパスでファーストとシンジがいい感じで歩いているのを物陰から歯噛みして眺める、いわゆるネトラレ感ってやつ? そんな雰囲気を味わってから家で愛し合うとね、もう色々とインモラルで堪らないのよ!」

 

「それは知らないわよッ!!」

 

ヒカリも試してみたら? 可愛く小首を傾げるアスカ。

アスカったら、色々と拗らせてる、拗らせてない? はーはーと肩で息をするヒカリ。

 

「うふっ、ヒカリもまだまだお子ちゃまね?」

 

微笑ましくアスカに眺められて少しイラっとするも、隣でニコニコとレイも機嫌が良さそうなものだから、ヒカリはこう結論付けざるを得ない。

 

―――ああ本当に幸せなんだ、二人とも。

だけど、今は幸せでも、それは未来へも続けていけるものなの?

 

「アスカ、綾波さん、将来のことはどう考えているの?」

 

気付けば、ストレートに心配を口にしてしまっていた。

なんやかんや言っても、ヒカリの根は心配性の善人である。

 

「そりゃもちろん結婚したいし子供も欲しいかな」

 

あっさりとアスカは答える。隣のレイもコクコクと頷く。

とはいえ、現在の日本では重婚は許されていない。

 

「でも突き詰めれば重婚したときのデメリットって、普通に結婚したときのメリットが受けられないことよね?」

 

結婚すれば出産費用や扶養手当、子供に関わる諸々の手当てや社会サービスを受けることが出来る。あくまで一夫一妻として結婚すればの話だが。

 

「でもそれって、結局はお金でカバーが効く問題じゃない?」

 

アスカは言う。そして彼女が結構な資産家があることをヒカリは知っていた。

 

「それでも、生まれてくる子供は少し可哀そうなことになるんじゃ…?」

 

仮に幼稚園や保育園に預けることにしよう。申請書類上、アスカかレイのどちらかがシングルマザーになるしかない。

まあ、そこらへんは力技でどうにか改ざん出来るかも知れないが、小学校、中学校と子供が成長するにつれ、子供は自身の家庭と他人の家庭の在り方に疑問を抱くだろう。伴い周辺環境との軋轢の回避は難しくなる。ヒカリの懸念するところはそれだ。

 

「最悪、コートジボワールあたりに移住するというオプションも考えているわ」

 

レイが平坦な表情で口を挟む。世界的に見れば重婚を容認する国は結構多い。

だがそれはそれで今まで慣れ親しんできた日本を出ることになるわけで、新しい生活様式や文化に馴染めるかという大きな不安があるわけで。

しかしアスカは、そんな深刻な雰囲気になりそうな話題を鼻息一つで吹き飛ばして見せる。

 

「ふん! この国がしたり顔であたしたちの将来を邪魔する気なら、こっちから見切ってやるわよッ! だいたい日本だってたかだか150年前には重婚だって認められていたのにさッ!」

 

アスカの憤慨する通り、江戸時代においては将軍は大奥というハーレムを築き、大きな武家は側室を、有力な商人は妾を持つことが普通であった。

日本に一夫一妻制が導入されたのは1870年に明治政府が発布した「新律綱領」によるもので、意外と歴史は浅いのだ。

 

「それに、今度一万円札のデザインになる人だっけ? 日本資本主義の父とか呼ばれているけど、私生活なんかグダグダじゃん!」

 

あんなのエカテリーナ2世といい勝負よ! と憤慨するアスカに、いいえ松方正義の方が妥当だと思うわ、提言するレイ。

結果、ますます議論に拍車がかかる。

あまりその手の歴史に詳しくないヒカリは適当に相槌を打ち、場のカオスは更に増していく。

 

 

 

 

 

 

 

□□□

 

氷が溶けきった焼酎の入りグラスを両手に持ってウトウトしていた綾波レイが、カッ!と目を見開いた。

半瞬遅れて鳴ったのは玄関のベルの音。

 

「ただいま~…っと。あれ? 誰か来ているの?」

 

トタトタと廊下を歩く音に続き、リビングに碇シンジが顔を出す。

 

「こんばんは、碇くん。お邪魔しているわ」

 

「あ、洞木さん、久しぶり」

 

そう挨拶を返してくるシンジの顔が、かつての記憶の彼より精悍に見えたのは錯覚だろうか。

 

「碇くん、お帰りなさい」

 

満面の笑みを浮かべ、いそいそとレイが立ち上がる。

 

「今日はみんなして宅飲みしてたんだ?」

 

ごく自然な動作でレイに背負っていたナップザックを預けてシンジが言った。

 

「そうなの。シンジも混ざりなさいよ」

 

「ごめん、ちょっと汗かいちゃったから、先にシャワー浴びたいんだけど…」

 

「どうぞー。着替えは脱衣所のカゴに準備してあるからね」

 

「ありがとう、アスカ」

 

にっこりとしてアスカの横を通り抜けようとしたシンジだったが、無造作にその足を掴まれる。

 

「ちょおおおっと待ちなさい、シンジ」

 

酒が入っているせいか、アスカは凄まじい巻き舌を見せる。

 

「ど、どどどうしたのかな、アスカ?」

 

あからさまにキョドるシンジの首元へ、アスカは鼻先を突っ込むように顔を近づけた。

スン! と音を立てて鼻を鳴らした後、シンジの顔を真正面から覗き込む。

 

「エタニティの香りがするんだけど、どういうことかしら?」

 

浮かべる笑顔は優雅なネコ科の肉食獣のそれだ。

 

「それは…」

 

目を左右に泳がせるシンジだったが、観念したようにあっさりと口を割る。

 

「同じゼミの真希波さんの匂いだよ、それ…」

 

「ほほう? いつの間にかウチのシンちゃんと仲良くなったみたいねえ、あのメガネ猫は!!」

 

「違うって! 『姫はいないの? うーん、じゃ仕方ない。ワンコくんに染み付いた姫の匂いで補充しておく!』ってまとわりつかれて…」

 

「………」

 

「僕だって好き好んで引っ付かれてるわけじゃないんだよ?」

 

「……えーと」

 

珍しく口ごもるアスカに、レイが誰に対するものか分からない解説を披露してくれた。

 

「真希波さんは、ゼミに入ってからずっとセカンドにご執心だから…」

 

「待ちなさいよ、ファースト! あたしだってLGBTに理解はあるつもりだけど、あの子の脈絡のなさはちょっと…」

 

これまた困り果てたようなアスカの姿は、なかなかにレアな眺めである。

存分にヒカリが堪能していると、こちらを向いたアスカの頬は赤い。どうやら仕返しとばかりにニヤニヤしているのに気づかれたようだ。

 

「ほ、ほら! さっさとそのジャケット脱ぎなさいよ! あたしがプレゼントしたものに他の女の匂いが染み付くなんて耐えられないわッ!」

 

裏返った甲高い声を出し、アスカはシンジの着ているTAGLIATOREのテーラージャケットを強奪。

早くシャワーを浴びて来なさい! と言い残し足早に自室に消えたのは、恥ずかしいのか、ジャケットの匂い取りか、はたまた自分の匂いを染み付かせるためか。

 

「わたしは碇くんのご飯を作るわ」

 

レイも席を立ちキッチンへと向かう。

図らずもリビングにはシンジとヒカリが残された。

 

改めてヒカリはシンジを見やる。

細身に、中性的な容貌は相変わらずだ。

どこか草食系の小動物を思わせる彼に、庇護欲をそそられる女性も多いのではないか。

しかし残念ながらヒカリの好みのタイプとは真逆である。

 

ヒカリは鈴原トウジの逞しい裸の思い浮かべる。

そうしてからもう一度シンジを見る。その際にチラリと彼の股間あたりを経由してしまったのは酔いのせいだ。きっとそうだ。

 

「三人での生活はどう?」

 

シンジは少しだけ目を見張った。

 

「そうか。アスカから聞いたんだね?」

 

「やっぱり、二人の相手をするのは大変だったり?」

 

「そりゃね。アスカは相変わらずワガママだし、綾波は野菜しか食べないし。おまけに二人してしょっちゅう喧嘩ばかりで…」

 

ニッコリ頷いて、ヒカリはビールを口に含む。

彼女的には、夜の生活の方を尋ねたつもりだった。

しかし、これはこれでシンジの惚気なのではないだろうか? 二人が喧嘩する理由なんぞ、彼以外あり得ないのだから。

なので、再度ヒカリが訊ねたのは何も含むところはない。単純な好奇心。

 

「ふ~ん。喧嘩ってどんな感じなの?」

 

「そりゃあ細かいところから何かにつけて張り合ってさ。まるで毎日が嫁姑問題みたいな感じで…」

 

碇シンジが悪気なくそう思っていたのか、はたまたうっかり口が滑ってしまったのか、それはヒカリには分からない。

されどヒカリが確信をもって理解できたことはただ一つ。

それは、シンジが意図しないままにこの場に二体の鬼神の召還に成功してしまったこと。

 

「…シンジぃ~、それってどういう意味なのかしら?」

 

自室のドアが弾けるような勢いで開いたと思ったら、そこには満面の笑みを浮かべたアスカが立っていた。

 

「ッ!? い、いや、アスカ、それはその、言葉の綾というか…ッ!」

 

「碇くん。どっちかお嫁さんでどっちが姑なのか。それが問題」

 

彼の夕食を作っていたはずのレイも、包丁を握ったまま鋭い視線を向けてくる。

 

「あ、ああ綾波! それはね…!?」

 

この風雲急を告げる流れに、ヒカリの生存本能のアラームがビンビンに警報を鳴らす。

 

「そ、それじゃ私はこれで失礼するわね。ご馳走様でした~!」

 

愛用のトートバックとカーディガンを引っ掴み、ヒカリは玄関へと走っていた。自分の質問が修羅場の呼び水になってしまったことに、酔いは一瞬で冷めている。

責任を追及されちゃ叶わいとばかりに急いでローファーを履き、アスカの部屋を脱出。

あとは振り返らず、マンションのエントランスを出てからホッと一息。

 

不意にトウジの顔が浮かび、声が聞きたくなった彼女は、バックからスマホを取り出す。

一番最近の通話履歴を表示させ、コールボタンを押す寸前―――彼女はバックにスマホを仕舞い直した。

 

うん、これからいきなり会いに行きましょう。恋人同士なんだから、別に構わないわよね?

 

急に訪ねられて驚くトウジの姿が脳裏に浮かぶ。

そして、驚きつつも、照れ臭そうに笑いながら自分を部屋へと上げてくれる彼の姿も。

 

自身も笑みをたたえてヒカリは夜空を見上げた。

晴れ渡った空には大きな月が煌々と。

多くの文豪が愛し、ヒカリも大好きなロバート・ブラウニングの有名すぎる詩の一節が浮かぶ。

 

 

 

 

 

God's in his heaven. All's right with the world.(神、そらに知ろしめす。すべて世は事も無し)

 

 

 

 

 

背後のマンションからなにやらとんでもない悲鳴が響いてきたが、聞こえなかった方向で。

 

 

 

 


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