東方劣化伝   作:籠の中の鳥

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とうとう四月に突入しました。私情のほうもいよいよ大詰めに差しかかってきました。
上旬には終わる予定ですが、もし遅くなってしまった場合は本当に申し訳ないです。今のうちに謝らせていただきます。
そして今回の話なんですが、少し心情が書けているか心配です。もし疑問に思ったことや、おかしな点があったら言って下さると嬉しいです。

誤字やおかしい表現などがあったら教えてくれると嬉しいです。
感想・アドバイス・批評などなど随時受付中です。


第三十四生 その男 悩む

 彼女は私よりも必ず早く起き、時間になったら毎日起こしに来てくれる。

 それが鬱陶しく感じ、嬉しく感じ、面倒に感じ、愉快に感じ、タヌキ寝入りを試したが、呆気なく見抜かれてしまい、そのまま部屋から出て行ってしまう。

 このまま寝ていてもいいのだが、流石にお腹が減ってしまい、慌てて後を追う形となる。こんな日が毎日続く、永劫ともいえる時間を私たちは過ごしていた。

 

 それが私の日常だった。

 それが彼女の日常だった。

 

 でも私は――彼女を完璧に理解することはできなかった。

 原因は彼女自身の口から聞いたことがある。だが、その話を聞けば聞くほど私は理解に苦しんだ。

 彼女はそれを懺悔だと、償いだと、苦笑気味に呟いた。それは多分、私には一生かかっても解けない問題なんだと、その時は思ってしまった。

 

 彼女は私の教育係――

 建前上そういうものだが、私にとっては家族同然、家族以上の存在だった。

 彼女は私に決して優しくはない。むしろ厳しく、私の為になるように努めてくれていた。その対応は嬉しかったし、正直甘やかされていた私にとって新鮮だった。

 

 そんな彼女と距離を感じる理由は一つ、たった一人の存在が彼女を苦しめ続けているからだ。

 その男は、考えられないくらいの間抜けで、どうしようもないくらいの馬鹿で、考えるのが面倒になるくらいの天然で――

 その話をするときの彼女の表情は、笑顔に満ち溢れているわけでもなく、ましてや悲しみに包まれたものでもなく――わずかに笑みを浮かべる程度なのだ。

 その話を聞かされるたびに、私は煮え切れない気持ちになってしまう。別に嫉妬しているわけではないのだが、それとは別の気持ちを持ち続けていた。

 

 彼女は研究熱心で、私の世話が終わるとすぐに研究室に籠ってしまう。何を研究しているのかと聞いたことがあったのだが、いつもはぐらかされてしまう。

 そんな折、彼女は私に頼みこんできた。なんでも新薬を作ると言っていたのだが、完成するまで何の薬なのかは教えてくれなかった。

 それが出来上がった時、私は分かってしまった。彼女が追い求めている真理を、何を欲していたのかを――

 気付いた時にはその薬を飲んでしまっていた。別に一時の心情に流されたわけではない。彼女が私をどう思っていたのかも関係はない。純粋にその薬に興味があっただけだし、後悔もしていない。

 

 その薬は禁忌の薬――飲めば不死になり、年をとる事もなくなる。

 そしてそれを飲んだ私に審判が下され、処刑されるはずだったのだが、不死となった私が死ぬはずもなく、地球に流刑されることとなった。

 実のところ、流刑されることは分かっていた。処刑の次に重い刑罰は地球に落とされる事、穢れた地球に落とされることは月人にとってとても重い処罰だからだ。

 

 私が流刑される前夜、彼女は独房にいる私を心配そうに見に来た。そして開口一番の言葉は謝罪だった。

 彼女は私の事を全然思っていなかったと、見向きもせず己の欲に走ってしまった事を告げた。しかし、私はそれに反論し、彼女には非がない事を告げる。

 

 彼女はこの薬を作るために――その先にあるもののために力を注いでいた。

 そのせいで彼女は衰弱し、食事もおろそかにし、睡眠もまともにとっていなかった。そうなった原因はあの男、もうすでにこの世にいないかもしれない男のためだ。

 私はその男がいるかもしれない地球に向かうことが出来た。あの男が生きた場所、彼女を苦しめて続けているあの男が生きた場所に――

 

 もし――

 もしもその男に会えたのならば――

 

 

 

 

 

 ――殺してしまうかもしれない。

 

 

 

>――――――――――<

 

 

 

 木々の合間を潜り抜け、生い茂る草を踏み、息を切らしながら、自分は走る。

 すでに太陽は沈み、暗闇が周りを占めているのだが、周りからは一切『音』がしなかった。

 鳥の声も聞こえないし、木々のざわめきもない――ただ無音がこの場を占めていた。

 

 後方にいるであろう彼女から、自分はただ逃げることしかできない。逃げる理由は鮮明には分からないが、彼女から発せられた殺気は本物だった。

 彼女は何故自分を襲うのか、なぜ攻撃してくるのか、なぜ――

 

 

「あら? ようやく来たのね」

 

 

 後方にいると思っていた彼女は、前方にある切り株に悠然と腰をおろしていた。あまりの出来事に小さな悲鳴が漏れそうになるが、それを飲み込みつつ足を止める。

 とにかく彼女から離れなければならない。本能がそう告げ、すぐに反転して逃げようとしたが――

 

 

「そんなに急ぐ必要はなくてよ」

 

 

 振り返るとそこに彼女がいた。

 恐怖のあまりに足の力が抜けてしまい、その場で尻もちをついてしまう。その光景を目にした彼女は、服の端を口元に持っていき、雅な微笑を漏らす。

 眼を見開き、歯をカチカチと鳴らし、恐怖にのまれながらそのままの状態で後ずさる。不比等さんに用意してもらった服はすでに汚れ、ところどころ木の枝に引っ掛けてしまったので破れてしまった部分も数か所ある。

 

 

「――時間は永遠にあるわ」

 

 

 背中に固いものが当たる。それが大木だと理解するのにも時間がかかってしまう。完全に頭の回転が遅くなってしまっている。

 額から汗が流れるが、拭おうとする余裕を自分は持ち合わせていない。一歩ずつ近づいてくる彼女の頬笑みを凝視することしか自分にはできない。

 

 

「再確認……貴方は『××』を知っているの?」

 

「『××』……? し、知らない!」

 

 

 声が自然と高くなってしまう。呼吸が徐々に速くなり、すぐに息苦しくなる。落ち着かせようとするが、彼女が目の前にいる限り落ち着くことはできそうにない。

 それに自分は『××』なんて聞いたことなかった。なんとなく名前のように思えるが、それを一度も聞いたことがないし、使った事もない言葉なのは確かだ。

 

 

「――やっぱり貴方で当たりみたいね」

 

 

 睨まれる、それだけで心臓が止まりそうになる。彼女が本当に人間なのかも疑問視できるほどだ。

 足に力を入れ、必死の思いで立ち上がるが、それも木の支えがあって立てる粗末なものだ。また睨まれたら、今度こそ二度と立てなくなってしまうかもしれない。

 

 

「地球の人間が『××』なんて言葉聞き取れるはずない……ましてや言葉に出す事も容易ではないわ」

 

「何を言って――」

 

「でも嘘を言っているように思えない。貴方、記憶でもなくしているの? それとも本当に馬鹿なのかしら?」

 

 

 記憶という単語を聞き、今まで働いていなかった脳が、冷静に機能し始めてきた。

 確かに自分は大部分の記憶を失っている。それがどんな記憶だったのか、一体何年生きているのか、どんな性格だったのか、その全てを喪失してしまっている。

 だがそれを彼女に伝えることはできなかった。いや、伝える必要はなかった。

 

 

「図星――そうとって構わないわね」

 

 

 まるでこちらの考えを把握しているのか、彼女は一人で納得しつつ、また一歩自分に近づく。

 逃げようにもこれ以上足に力が入らない。歩くことはもちろん、走ることなんて無理だ。ではどうすればいい、どうすればこの状況を――

 

 

「記憶がねぇ……じゃあ貴方、それまでずっと呑気に生活でもしていたのかしら?」

 

 

 彼女は自分が着ている服をまじまじと観察し、愉快そうな微笑を作る。その笑みは、自分から言わせれば微笑なんかではなく、あざ笑うように見えて仕方ない。

 もうすでに彼女との距離はなく、彼女の手は自分の服へと伸び、その質感を確かめるように触る。突き飛ばそうかと考えたが、今の自分にはそれすら叶わない。

 

 

「彼女が苦しんでいる間、貴方はそうしてきた――ねぇ」

 

「――ッ!?」

 

 彼女が問いかけると同時に、その両手は首に伸ばされ、その勢いのまま首を絞められる。その力は半端なものではなく、殺そうとする勢いだった。

 首が圧迫され、途端に意識がとびそうになってしまう。意識がとばなかったのは彼女が加減したからなのかもしれない。それでもこのままでは――本当に死んでしまう。

 それを引きはがそうとするが、女性とは思えないその力に為すすべもなく、徐々に力が抜けてきてしまう。

 その様子をうすら笑みしつつ、彼女――輝夜様がさらに力を加えていく。

 

 

「さあこれで――」

 

 

 すると、なぜか輝夜様は手を離した。

 眼から涙をこぼしつつ、四つん這いになりながら新鮮の空気を吸い込むが、圧迫された影響がまだ残っているのか、咳が止まらず息をなかなか整えられない。

 朦朧とする意識で輝夜様を見上げると、そこには首を絞めていた腕をジッと見つめる輝夜様がいた。

 

 

「これが貴方の能力、か……割と使えているようね」

 

 

 なんで自分の能力を彼女が知っているのだろう。その疑問は絶えないが、彼女が手を離して理由は能力のおかげのようだ。また勝手に発動したようだが、今回ばかりは助かった。

 息もだいぶ整い、朦朧とする意識も鮮明なものへと移行し始めてくる。それでも現状は変わることはなく、むしろ能力を把握されている事を知り、悪化しているようにさえ思える。

 

 

「ゲホッ……! なんで、自分を――」

 

「こうなった理由すら分からない。そう言いたいようね」

 

 

 無言で頷き、彼女の返答を待つ。

 周りも無音なので、自分の存在もあやふやに感じてしまう。さっきの影響かもしれないが、とても気持ち悪いし、平衡感覚もおかしくなっている。

 輝夜様は自分を見下すような視線を送り、自分の襟元を掴み、強制的に立たせてくる。その時に当然首も締まり、整いはじめていた息もまた苦しくなる。

 

 

「貴方は……貴方はね、私の大切な人を苦しめているの。今この瞬間も彼女は苦しみ続けているわ」

 

「――彼女?」

 

「貴方に教えるつもりもないわ……彼女を忘れるような薄情者にはね!」

 

 

 そして自分は勢いよく投げ飛ばされる。そして間近にあった木に直撃し、その勢いを全て体に伝わる形となる。

 瞬間的に脳が揺れ、肺に溜まっていた空気が全て吐きだし、一瞬目の前が真っ白になる。そして重力に従い顔面から地面にぶつかる。口の中に土が入ってしまい、吐きだそうと咳こんでしまう。

 

 何が起こったのか分からなかった。

 ただ分かったのは、今自分は地面に寝転がっていることくらいだ。回復してきたはずの意識がまた遠のき、気を抜くと今にも気絶してしまいそうだ。

 

 

「無様ね、こんな男のせいで彼女が苦しんでたんだと思うと……馬鹿馬鹿しくて仕方ないわ」

 

 

 ため息混じりに近づいてくるのが横目で見えたが、今の自分にはどうする事もできない。

 立ち上がろうにも、体の感覚がもうすでになく、朦朧とする意識を繋ぎとめることしかできそうにない。何とかして声を出そうとしたけれど、空気が口から出るだけで、言葉とはほど遠いものしか出せなかった。

 

 

「こんな奴のために躍起になって……彼女も相当いかれてるわね。馬鹿みたいに研究続けて……罪だか何だか知らないけど、ほんっと馬鹿みたい!」

 

 

 輝夜様の言葉を聞いたら、まるで心臓を鷲掴みにされるような感覚に陥る。体に電流が走り、歯を食いしばる。

 一体何故そんな反応をしてしまうのか、条件反射のように示した自分の反応に、自分自身が一番驚いてしまった。

 彼女が一体誰なのか、自分にとってどんな存在だったのか、それは全く覚えていない。なのに、彼女の事を貶す発言をした輝夜様に対して自分は――

 

 

「寝ずに研究するわ、食事もろくにとらない、本当どうかしてるわよ。何が懺悔よ、何が罪よ、ただの自己満足じゃない。なんで直接言わなかったのかしら、憐れすぎて慰めの言葉しか出なかったのかしら?」

 

 

 ケラケラと笑いながら、自分の知らない彼女の事を輝夜様は貶し始める。

 自分には関係ない話のはずだ、たとえ忘却した記憶の一部にその彼女がいたとしても、今の自分には全然関係ない話のはずだ。なぜなら自分は何も悪い事をしていない。輝夜様の言うとおり、その彼女の勝手な行動のはずだ。

 

 なのに、なぜ自分は立ち上がろうとしているのだろうか。

 歯をむき出しに、輝夜様を睨みつけ、闘争心むき出しで立ち上がろうとしている。

 何が自分を奮い立たせているのか、何が自分を動かしているのか、自分が一番分かるはずの事を、自分が一番理解できていない。

 ただ分かることは――

 

 

「やめ、ろ」

 

 

 この輝夜様の――輝夜の言葉を訂正させたい、その一心だということ。

 それでも輝夜は語り続ける。自分が知らない彼女を責め続ける。今この場にいない彼女を貶し続ける。

 

 

「それで結局何よ、私が『ここ』に行く時になってやっと気づいちゃって、天才なんていわれてるけど、私から言わせれば――」

 

「やめろ!!」

 

 

 その先は言わせるわけにはいかない。

 瞬間的にそう思う、なぜそう思ったかは分からない。

 それでも、言わせるわけにはいけない。たとえ彼女が誰なのか分からなくても――

 

 

「――貴方にそれを言う資格はあるのかしら?」

 

 

 資格は……ないだろう。

 彼女の事を忘れてしまっている自分が、彼女の事を知っている輝夜の言葉を遮る資格なんてあるはずがない。

 それでも、遮らなければならない、言わせるわけにはいかない、彼女を知っている輝夜――輝夜様だからこそ言わせるわけにはいけない。

 なけなしの力を振り絞り、再度木を支えにしながら立ち上がる。喉が痛むが、それは無視する。

 

 

「自分は、彼女を忘れたけれ――忘れちゃったけど」

 

 

 言い直す。

 それにどんな意味があったのか分からな――分かんない。

 

 

「彼女を――『××』を貶すのは許さない」

 

 

 顔すら思い出せない彼女を――

 声すら思い出せない彼女を――

 

 そんな彼女を守ろうとしている――

 輝夜様にもそんな発言して欲しくない――

 

 覚えていないのに――

 忘れちゃったのに――

 

 自分は――

 無一は――

 

 

「……鬱陶しい」

 

「訂正して下さい。『××』のことを、悪く言わな――」

 

「五月蠅い!!」

 

 

 咆哮――

 初めて輝夜様が叫んだ。

 怒りの表情をあらわにし、今まで以上の殺気を肌に感じる。けれど、最初に感じた恐怖は感じず、まっすぐに輝夜様を見つめる。

 

 

「貴方のせいで彼女は狂ったのよ! 貴方さえいなければ……貴方がいなかったら!!」

 

「……」

 

 

 目の前まで輝夜様が歩み寄り、そして叫ぶ。

 内容はほとんど聞きとることはできなかったが、なんとなく何を言っているのか分かった。

 自分という存在が、彼女を狂わせ、そして目の前にいる輝夜様にも、何かしてしまったのだろう。それが何なのか想像がつかない。けれど――

 

 

「じゃあ――」

 

 

 妹紅ちゃん、怒るかもしれないな。お土産買って帰るって約束、果たせそうにないや。

 だって自分が決めた決断のせいで、輝夜様のために、『××』のために――

 

 

「――殺してください」

 

 

 これが最善だと思ってしまったから。

 

 

 

>――――――――――<

 

 

 

 地上に落とされ、どれほどの時間が経っただろうか。

 星が流れるよりも早い時間が過ぎ、巡りめぐって、目の前にあの男が現れた。

 どれほど幸運だったろうか、どれほど数奇な運命に歓喜しただろうか。会えると思えなかった運命の相手を目の前にして、言葉で言い表せないほど心が震えてしまっている。

 

 何をすべきか、それはあの薬を飲む前から決めていた。

 彼女が背負ってしまった苦しみを、彼女を苦しめ続ける根源を、彼女の根源にあるこの男を――

 その男が目の前に、しかも自分から現れたのだ。

 

 

「彼女を――『××』を貶すのは許さない」

 

 

 そんな事を言う資格なんてない。

 この男は彼女の事を忘れてしまっている。そんな状態で彼女を語ることがなんとも許せなかった。

 何を根拠にそんなことが言えるのか、彼女の事を忘れてしまっている薄情者に、そんな言葉を言う資格なんて存在するはずがない。

 

 

「……鬱陶しい」

 

 

 鬱陶しくて仕方ない。

 目障りでしょうがない。

 馬鹿馬鹿しくて相手をしていられない。

 

 すぐにでもこの男の存在を消してしまいたい。私の力をもってすれば一瞬でこの男を殺す事なんて容易いだろう。

 

 しかしなんだ、この言いようのない気持ちは?

 殺してしまいたいのに――

 憎くて仕方ないはずなのに――

 

 

「訂正して下さい。『××』のことを、悪く言わな――」

 

「五月蠅い!!」

 

 

 彼女の事を親身に思うような言葉がうるさかったのか――

 ざわつく自分自身の心情に対する思いからだったのか――

 

 叫んでしまった。

 怒りからだったのか、動揺からだったのか、もしくはそのどちらでもなかったのか。

 震える拳を握りしめ、目の前にいる男を睨みつける。

 

 

「貴方のせいで彼女は狂ったのよ! 貴方さえいなければ……貴方がいなかったら!!」

 

 

 本心――

 こんな男のせいで彼女は苦しみ、狂いわせ、そして変えてしまった。

 彼女を変えた要因は絶対にこの男だ。その男は今の今まで生き続け、そして無様にも私の目の前に現れたのだ。

 この男さえいなければ、彼女は苦しむことはなかっただろう。彼女の一番近くにい続けたからこそ、彼女を知ってしまったからこそ、私はこの男を――

 

 

「……」

 

 

 目を伏せたかと思うと、悲しむような目つきで私に視線を送ってくる。

 何故そんな目をするのか、私には到底理解できないだろう。彼女でもこの男の全てを理解することが出来なかったように――

 

 そしてこの男は無礼にも言葉を発した。

 しかしその言葉は、思いもよらないものであると同時に、私にとって好都合なものだった。

 

 

「じゃあ――殺してください」

 

 

 彼女を思っていった言葉なのだろうか、私にはその言葉ですら苛立ちを覚えてしまう。

 だがこの男は、私に殺されることに抵抗しなくなったのは確かだ。要らぬ手間が省けた、ただそれだけの事だ。

 

 さてどう殺そうか。

 殺し方まで私は考えたことはない。

 やり様はいくらでもあるだろうが、この男が死ぬことには変わりはないだろう。

 

 

『あの子は――どう表わしたらいいかしら? まあ一言で言うなら馬鹿ね』

 

 

 不意に彼女の言葉が脳裏をよぎる。

 なぜこんな時に、そう思いつつ私は男に近づき、首に手を添える。

 そして少しずつ力を加え、徐々に首を絞めつけていく。そうしていくと、男は苦しそうに表情を変わる。

 これで終わるのだ。

 私が達すべき目標の一つが終わる。

 この男がこの世から消えることによって、彼女は報われ、そして呪縛から解放されるに違いない。

 

 

『正直邪魔で仕方なかったわね。どれほど気疲れしたか……何回どころか何万単位でしょうね』

 

 

 そう、この男は邪魔なのだ。

 私にとっても、彼女にとっても――

 

 そんな事もようやく終わるのだ。

 私の手によって彼女は救われるに違いない。

 一層手に力を加えると、男の表情は徐々に青白くなっていく。

 

 

『毎回面倒なことばかり起こしていたわ……馬鹿よね――』

 

 

 ああ馬鹿だろう。

 馬鹿に決まっている。

 この男は誰よりも彼女を傷つけ、苦しめたのだから。

 

 

『――私』

 

 

 ――そう、ね。

 

 

『失って気づく、愚かで仕方ないわ。なんであの時手を離してしまったのか、今でも後悔しているわ』

 

 

 彼女は誰よりもこの男を知っている。

 過ごした年月が長いからとか、彼女が天才だったからではなく、単純に彼女だったからだ。

 

 

『それなのに私は……また過ちを繰り返してしまった。目先の事に目が眩んで、周りを見ようともしなかった』

 

 

 聞きたくない。

 これから言うであろう言葉を、私は聞きたくはない。

 彼女が謝る姿をもう見たくない。彼女が泣く姿を見たくない。

 私が利用されていたのであっても、それはあの男のせいなのだ、だから貴方に責任なんて――

 

 

『誰よりも私を見てくれている方がいたのに、私はそれに気付かず、また過ちを犯した』

 

 

 それは違う。

 罪を負ったのは私だ。

 貴方に非なんてあるはずがない。

 

 

『だから、私の醜い言葉を聞いて欲しいの。貴方を穢してしまった私の無様な言葉を――』

 

 

 ああ、これでは同じではないか。

 彼女にこんな顔をして欲しくなかったから、ずっと笑っていて欲しかったから罪を犯したのに――

 同じじゃないか、これでは私は――

 

 

『――ごめんなさい』

 

 

 ――手を緩める。

 男は苦しそうな咳を何度も行い、四つん這いになりながら涙を流し、痛そうに首を抑えている。

 彼女を変えてしまった元凶は、間違いなくこの男である。

 しかし、私も彼女を悲しませ、そして泣かせてしまい、そして――

 

 

「はぁ」

 

 

 思わずため息を吐きつつ、切り株に座る。

 いまだにあの男は首を抑えつつ、苦しそうに悶えている。まあそれほどの力で首を絞めていたのは確かなのだが、いい加減そろそろ復帰してもらいたい。

 途中まで待っていたが、待つのも面倒になり、独り言のように呟く。

 

 

「やっぱりやめたわ……殺すのも面倒になっちゃった」

 

 

 ある意味事実だ。

 興が削がれてしまったし、なにより――

 彼女はこの男を一度たりとも憎んだことはない。私と同じように、家族同然のように扱ってくれていた。

 

 この男に会うことによって、心につかえていたものが外れたような気がする。

 しかし、この男が彼女を苦しめ続けているのは事実だ。それはゆるぎない事実だと私は思っている。

 ならばどうすればいいか、私はその答えは知っている。

 

 

「それに……貴方にはやってもらうことがあるしね」

 

 

 義務、強制、責務――

 これで彼女が満足すると言うならば、私はそれで満足するだろう。

 この男が果たすべきこと、それは――

 

 

「――彼女に会いなさい、それまで精々死なないように」

 

 

 ――協力はしない。

 だって面倒だし、疲れるのは嫌に決まっている。

 偶に『気が向いて』何かするかもしれないが、それは別にどうでもいいだろう。

 

 まあ今はこの話は置いておこう。

 それとは別の問題が浮上してしまっている。冷静に考える事が出来るようになってやっと気付いた事、それは――

 

 

「暴れすぎたわね」

 

 

 ――何本もの木々が倒れているこの森を、どう隠蔽するかだろう。

 

 

 






 よく分からないが、自分は不比等さんと共に屋敷へと帰っている。
 服は輝夜様のおじいさんの物を借りたのだが、やはり不比等さんに突っ込まれてしまった。そのいい訳として輝夜様が欲しがっていたと言うと、何食わぬ顔で褒められた。

 輝夜様が自分を許してくれた。
 その考えはなんとなくしっくりこなかった。
 そんな漠然としたものではなく、もっと何か深い何かがあるのではないか、そう思えてならない。
 『彼女』のことは、結局分からずじまいだった。別れる時に聞いたのだが、自分で思い出せと突っぱねられてしまった。
 しかし、偶に会いに来てもいいと言っていた。それは『彼女』のことを思い出すきっかけになるかもしれないので、積極的に会いに行くつもりだ。
 でも、なんで『彼女』のことを教えてくれないのか。その理由まで知ることはできなかった。何か思うところがあるのかもしれないが、その何かを知るすべは今のところない。
 その為にも、自分は輝夜様に会いに行った方がいいだろう。殺されかけたから少し怖いけれど、輝夜様自体はそこまで悪い人には思えなかった。


「――あ」


 そこで思い出す。
 忘れてしまっていた。
 自分本位なことを考えすぎて、肝心なことを忘れてしまっていた。
 それは――


「お嬢……怒るだろうなぁ」


 ――お土産買いそびれちゃったなぁ。


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