ウマ娘とは適切な距離感を保つ事が大事だと先輩に教わった。
適切な距離感とはつまり、彼女達の男性観を歪めるような事をしてはならないという事だとか。
何でも思春期の彼女達を献身的に支える事で、人生経験の浅い彼女達がトレーナーを運命の相手だと思い込んでしまうケースが多々あるとか。
確かにそれは不健全だ。
これは講演会を開いてくれた先輩の体験談だが、自分を恋愛対象から外す為に敢えてガサツな振る舞いをしたり、逆に一般的な社会人としての振る舞いをしたが、全て裏目に出てしまったという。
ちなみにそんな彼の奥さんは元ダービーウマ娘。今では子宝にも恵まれているそうで。
閑話休題。
だらしなくても駄目。清潔でも駄目。
そこで俺は考えた。
つまり、現実では中々お目にかかれないような芝居がかった立ち振る舞いをすれば良いのではないか、と。
そうすれば少なくとも恋愛対象として見られることは無くなるのではないか、と。
「お手をどうぞ、お嬢さん」
「ふふ、ありがとう魔法使いさん」
そして、現在それを担当の子──フジキセキに実践している真っ最中である。
当然ながら立ち振る舞いというものは一朝一夕では身に付かない。
そこで俺はトレセン学園に赴任する前に様々な映画を見たり実際に英国に赴き紳士に教えを乞うたりと、身体の芯まで伊達男の作法を叩き込んだ。
その甲斐あって、今では何の恥じらいも無く芝居がかった口調と仕草が繰り出せるようになっている。
ちなみに、彼女の魔法使いさんという呼び方は俺が身に付けた手品に由来する。
伊達男たるものマジックの一つや二つは身に付ける必要があると思ったからだ。
そうして研鑽した技術をフジに披露したり、逆にフジが披露したコインマジックの種を見抜き彼女のポケットに仕込み返したりだとか、そういった事を繰り返しているうちに魔法使いさんと呼ばれるようになった。
勿論、トレーナー業を疎かにする事も無い。そこをトチったら本末転倒だしただの変人だ。
「次はどんな魔法を見せてくれるんだい?」
「魔法は今は品切れさ。だが、魔法が使えなくとも僕にできる事はある」
「へえ。一体何を?」
「君に、勝利をプレゼントしよう」
元よりフジは他人との距離感を保つのが上手な子だ。
正直この所作がどの程度効果を発揮しているのか不明なところだが、今のところ彼女の男性観に影響を与えるような事はしていないと思う。
……というか、見た目麗しい彼女にこちらが心奪われないようにするので精一杯だった。
そして、フジは強かった。
デビュー戦、OP戦、GI、GⅡ──出走したレースでは全て勝利を収めている。
彼女こそ次の三冠ウマ娘だと。フジが勝つたびに期待の声は高まっていったし、俺も彼女もルドルフを超えるつもりで日々の練習に励んでいた。
全てが、順調に進んでいたんだ。
彼女が、脚を痛めるまでは。
練習中、バランスを崩し転倒しかけた彼女を受け止める事が出来たのは奇跡だったかもしれない。
「フジッ!!」
恥も外聞もなく、みっともなくコース滑り込んで彼女の身体を受け止める。
今までの研鑽で身に付けた所作なんて直ぐに吹き飛んで、大の大人が大慌てで救急車を呼んだ。
復帰には長期の療養が必要。少なくともクラシック三冠は不可能だと、そう断言された。
彼女の状況は瞬く間に世間に広まり、三冠は幻と消えたと、そう口にされるようになった。
「……一年程度療養すれば復帰は可能だって。まだ先はあるから。君が気にすることじゃないよ」
何が。何が魔法使いだ、と。
この時に覚えた奥歯と手のひらの痛みは、きっと一生忘れる事はないだろう。
「君のキャリアまでふいにする事はない。新しい契約相手を探しなよ」
フジはそう言ったが、何か、何か俺に出来ることはないだろうか?
必死に頭を回しながら学園を歩いていると、ふと特徴的な声が耳に届いた。
「トレーナー! いつボクを実家に案内してくれるの?」
声の主はトウカイテイオー。無敗のクラシック三冠を獲得したウマ娘。
それはフジが掴めなかったもので──いや、待て。
確か彼女は、ダービーの直後に脚を怪我していた筈だ。菊花賞は絶望的だとまで言われたのに奇跡の復活を遂げ、無敗の三冠となった彼女。
……だったら! もしかしたら!
「すいません! トウカイテイオーさんのトレーナーさん! 貴方に聞きたいことがあります!」
考えるよりも先に、身体が動いていた。地面に額を叩き付ける勢いで──というか、本当に叩き付けて土下座をした。
額から血を流しながら、俺は彼らに乞うた。
「テイオーさんの脚を治した方法を、教えていただけませんか!?」
廊下を赤く染めながら、額を床に擦り付け──その勢いに押されてか、彼らも首を縦に振ってくれた。
「あ、はい……とりあえず、保健室行きましょうか」
「あーえっと……大丈夫?」
◆
針、温泉、食事、マッサージ、オカルト的手法……etc。
トウカイテイオーと、そのトレーナーに教えてもらった内容を全てメモして、全て実践した。
「これは魔法じゃない。効果があるかもわからない。だけど、きっと! 諦めなければ、奇跡は起こせる!」
「……意外だね。君ってそういうノリもいけるんだ」
フジは苦笑いしながらも、俺の治療を受け入れてくれた。
治療法の中には普段であれば躊躇いを覚えるような内容もあったが、全ては彼女のため。
「さて。これは責任を取ってもらわないとね」
「勿論。これで効果が無かったら責任を取って俺はトレーナーバッジを返上する」
「……そうじゃないんだけどなぁ」
そしてこれは、トウカイテイオーに教わった、彼女曰く最も効果のあるおまじない。
本当に効果があるのかは疑問だが、トウカイテイオーに教わった通り、彼女の足の甲に口付けをした。
「ふふ……」
俺は、ほぼ24時間に近い体制で彼女のサポートを続けた。
自分の時間は全てフジの脚を治す時間に当てた。
その甲斐あってか──或いは、本当に奇跡が起きたのか。
彼女の脚は、想定よりもかなり早い段階で回復に向かっていた。
「驚いた……やっぱり君は、本当に魔法使いだったんだ。奇跡の存在じゃない、ただ一人の」
「君の努力の結果だよ、フジ」
民間療法だろうと何だろうと、彼女が効果を疑わずに受け入れてくれた故の結果である。
「ふふ……そうかな?」
そして。真の奇跡は、起きた。
『フジキセキ三冠達成! 幻は現実となりました!』
「おめでとう! フジ!……いや、良かった……本当に……」
「ふふ……うん、ありがとう。やっぱり、君はそっちが素なんだね」
「あ……あー。うん、まあ。そうだよ」
フジに指摘されて、以前の仕草を思い出す。
彼女が脚を痛めてからはすっかり伊達男としての振る舞いを忘れていたからだ。
今までは取り繕ってなどいられなかった。
担当するウマ娘が、もしかしたら故障で引退するかもしれない──そんな事態で、芝居なんて出来るはずもない。
「……君がお望みとあらば、これからも魔法使いとして振る舞おうか?」
「いいや。もうその必要ないさ。君は手品師ではなく、本当の魔法使いなのだから」
今までの振る舞いが作ったキャラだということがバレてしまったのは少し恥ずかしいが、フジがそう言うのであればこれからは素の状態で彼女と接することにしようか……いや、待てよ?
そもそも俺があのキャラで通してきた理由は、彼女が俺に恋愛感情を持たないようにするためだ。
であれば、目論みとしては成功しているんじゃないか。
だってそうだろう?
アレは演技で、素の俺は一般的な中央のトレーナーなのだから。
これでフジが俺のことをイタい奴だと思ってくれれば、恋愛対象からは外れる筈だ。
「トレーナーさん。君は私に勝利を……キセキをプレゼントしてくれた。だから私も、君にお礼を返したいな」
「お礼だなんて……君が走ってくれているのが、何よりものお礼になったよ……でも、君がそう言うなら、受け取ろう」
「うん。安心したよ。目を閉じて、屈んでくれるかい?」
フジの言葉通り、目を閉じて屈む。
演出家の彼女の事だ、きっと俺をあっと驚かせてくれるものが──っ!?
「ふ、フジ!?」
額と、頬と、そして唇に。
今の柔らかく弾んだ、そして潤いのある感触は、明らかに。
「ごめんね。頬っぺただけで我慢しようと思ったけど、出来なかった。お礼は私の人生そのものさ。勿論受け取ってくれるよね?」
……何があって、こうなった!?
◆
認めたくはないが、どうやらフジは俺との距離感を見誤っている。
そして俺には歪めてしまった彼女の男性観を戻す責任がある。
以下は、俺と彼女の戦いの記録である。
◆
雨の降る帰り道、並んで歩く二人、しかし傘は一つ。
フジと買い出しに出掛けたのだが、うっかり俺は傘を忘れてしまった。俺は走って帰ろうとしたのだが、フジに手を掴まれて相合い傘と相なった。
とは言え彼女が雨に濡れて帰るような事があってはならないので──
「……君、肩がはみ出しているだろう? 私の為とはいえ……」
「いいや、俺の為さ。君の為に雨風を遮る覆いになれる。こんな名誉があるかい?」
「ふふ……まったく、君は……」
──と、ここで俺は敢えて伊達男としての振る舞いを見せる。
フジも恥ずかしいのだろう、その頬を赤く染めていた。
傘を忘れるようなうっかり者が、クサいカッコつけをする。客観的に見てこれはとても恥ずかしい。今のでこれ以上ないくらい俺は彼女の恋愛対象から外れた筈だ!
◆
何故だ。
アレからフジは距離を取るどころか更に詰めてくる。寮長としての権限までフルに使ってくる。どうすれば彼女の男性観を正常に戻せるか──いや、待てよ……寮長。そう、彼女は寮長だ。
そもそも、だ。フジは生徒からの人気が非常に高い。
であれば、栗東寮の生徒達も現状に良い顔をしない筈だ。
こんな何処の誰とも知らない馬の骨に寮長が熱を上げているともなれば、反発はあるに違いない。
俺一人では無理なら味方を用意する。実に優れた策ではないか──
「ひゃああああっ! 寮長のフィアンセ様にお声がけをおおおお! 無理無理ィ、フジ寮長の乙女な表情! 尊しゅぎますぅううう……!」
──と、デジタルに声をかけたのだが会話が成り立たなかった。
彼女は極端な例だが、他の生徒に探りを入れても概ね似たような反応であった。
何故だ。俺が何をしたというのだ!?
◆
逆に考えよう。フジに、既に俺に相手がいると思わせるのだ。
所謂匂わせに近い行動をして、彼女に諦めてもらう。
そうと決めた俺は早速、フェイクの結婚指輪を彼女の前で付けてみた。
その結果──
「君にしてはセンスの無いファッションだね。代わりに私が見繕ってあげよう」
──フジがハンカチを俺の手に掛けたかと思うと、指輪が彼女の用意したそれにすり替わっていた。
見れば、彼女の左手の薬指にも同じモノが嵌められている。
まるで気付けなかった。いつの間にこんな技術を身に付けたのか。魔法使いも形無しである。
「ふふ、君らしくもないウソを吐く。どう見ても君の振る舞いや生活の痕跡は独身男性のそれだ。それに」
「それに……」
「仮に相手がいたとして。ここまで私の存在を許すような相手なら、負ける気はしないさ」
かえって、彼女の闘争心を煽ってしまった……。
◆
……いや、諦めるのはまだ早い!
架空の相手で駄目ならば、実際の相手に協力して貰えばいいんだ!
そう決めた俺は、桐生院トレーナーに協力を仰いだ。
彼女はミークの為の温泉旅行の下見ができて、俺はフジに勘違いさせる。ウィンウィンの関係だ。
これでフジの追込みを躊躇わせることができる。呆れる程効率的な作戦ではないか──
「私にも、嫉妬という感情はあるんだよ。トレーナーさん」
「い、いや、ほら! 俺は桐生院さんと──」
「ふふ、君は本当に嘘が下手だね。でもね、トレーナーさん。私は気が付かないと思ったかい? 君の視線に含まれている感情を」
──ああ。
どうやら、彼女には隠し事は不可能らしい。
距離感を間違えていた、俺の方だった。
◆
そして。
『奇跡の体現者は語る』
『己の人生を捧げ、愛バを復活させたトレーナーの手腕』
『そこには、確かに愛が存在していた』
「ふふ。ここに載っている内容だけど、何一つとして嘘偽りは存在しないよね?」
「ああ……そうだな……」
乙名史記者特有の表現が大量に盛り込まれた俺とフジの三年間が記された特集ページを前に。
俺は全てを諦め──開き直り──抱き着いてきた彼女を受け入れた。