『私にも、あんな素敵なトレーナーさんが付いてくれたら』
ここ最近、口々にポニーちゃん達が溢す言葉。
いつしかトレセン学園にはこのような風説が広まっていた。
『専属トレーナーに男性観を壊されるウマ娘は多い』
それが事実なのかと聞かれれば、端的に返すけど人それぞれだ、と言うしかないね。
例えば──ああ、具体的な名前は控えるけど。とある女王様は最早自身のトレーナーに理想の伴侶としての眼差しを向けている。
対してヒシアマゾンとそのトレーナーは息の合ったバディという印象が強い。これから先、彼らが結ばれる可能性も大いに有り得るとは思うけど。
ちなみに、私の場合はこの風説は当てはまらない。
世の中の一般的な成人男性がどのようなものかは理解しているからね。
理解した上で、私が人生を捧げる相手は彼しかいないと思っているだけさ。
魔法使いさん。
私はかつて、自分のトレーナーの事をそのように呼んでいた。
それは彼が私以上のマジックの使い手であると同時に、彼の伊達男としての振舞いが非常に様になっていたからだ。
だけど、私が彼に異性として惹かれたのはそれが原因じゃない。
むしろ、その逆。
彼と出会った当初は何処となく地に足が付かない、夢を見ているような感覚があった。
エスコートの腕前も完璧。身嗜みも様になっている。
そしてトレーナーとしての手腕はどうか。
これもまた見事だった。
彼がトレーナーに着いてからの戦績は4戦4勝。模擬レースも含めて無敗。
3冠も確実、ルドルフすら越えられるのではないか。
そのように嘯く記者もいた。
まるで夢の中にいるような。奇跡を見せられているかのような心地にあったんだ。
私が、脚を痛めるまでは。
走り込み中、ふと脚に違和感を感じた。
疲労か、或いはストレッチが足りなかったか。
原因を探る前に違和感は激痛へと変わり、姿勢を崩した私の身体はコースへと投げ出された。
だけど、身体に伝わる衝撃は予想よりもずっと柔らかく、そして温かなもので。
「フジッ!!」
魔法使いさんに受け止めてもらったんだと、そう気付いた。
じゃあきっと大丈夫だろう、彼がいてくれるのなら──頭の片隅で、そんな現実感の無い言葉が過った時。
「そこの君! 救急車を呼んでくれっ! 頼む、急いで!!!」
血相を変えて、大声を出す彼。
「大丈夫だ、フジ! すぐに救急車が来てくれるから……!」
いつもの伊達男然とした余裕の態度は、どこへ消えてしまったのだろう。
私が姿勢を崩したのを見てきっと急いでコースに駆け込んだに違いない、泥だらけのジャケット。
まさか、その瞳の端に浮かんでいるのは涙?
そこで漸く、私は事態の深刻さを理解した。
一年程度の療養が必要。
医者にそう診断された私は彼を慰め、契約の解消を持ち掛けた。
だって彼は、魔法使いさんだけど、私の脚を治す魔法は使えない。
走れなくなったウマ娘の面倒を見て一年を不意にするには、彼の実力は余りにも勿体無さ過ぎた。
彼は首を縦には振らなかったけどね。
さて、ではどうやって彼を説得しようか。
松葉杖を突いて学園を歩きながら思案を巡らせていた時だ。
「すいません! テイオーのトレーナーさん! 貴方に聞きたいことがあります!」
正直に言おう。
私は、その時自分の目と耳を疑ったよ。
だって魔法使いさん──彼が、トウカイテイオーのトレーナーに土下座をしていたんだよ?
いつも紳士的で、どこか飄々として、常に余裕を持っていた、彼が。
「テイオーさんの脚を治した方法を、教えていただけませんか!?」
己の額を割る勢いで、土下座をして、トウカイテイオーの脚を治した方法を乞うている。
彼の血で廊下は赤く滲み、その声は震えている。
その時だ。
私の中で、『魔法使いさん』は『トレーナーさん』に代わった。
夢は、現実になったんだ。
「これは魔法じゃない。だけど、きっと! 諦めなければ、奇跡は起こせる!」
今までの彼なら、絶対にしなかったであろう表情。
今までの彼なら、絶対にこんな不確かな事を叫ぶ事は無かった。
そして。
「……意外だね。君ってそういうノリもいけるんだ」
今までの彼なら。
私も、彼の提案する民間療法や怪しげな治療法を受け入れる事は、無かっただろう。
彼は上手く隠しているつもりだったのかもしれないけれど、彼が私の為に奔走している事はすぐに学園で噂になった。
自惚れるつもりは無いが、私は『フジキセキ』だ。そしてその担当トレーナーである彼の伊達男ぶりは学園でも有名だったからね。
そんな彼が余裕の仮面を捨てて、駆け回っているんだ。
ポニーちゃん達の噂はすぐに耳に届いた。
「なんて事はない。君の苦しみに比べたら」
これも、嘘。
上手くメイクで隠しているけれど、その目元の疲労の痕を私が見逃すとでも思ったのかな?
彼は非常に──なんて言葉では表せない程に、私に尽くしてくれた。
治療中の私を励ます言葉も、フィクションの中から飛び出してきたようなものではなく、泥臭いありきたりな台詞ばかり。
彼の提案するマッサージを受けながら、私の中の魔法使いさんの存在は次第に薄れていって。
代わりに、トレーナーさんの存在はどんどん大きくなっていった。
今まで彼が私を勝たせてくれたのは、魔法じゃない。彼が必死にトレーニングを考えて、レースの相手を研究して、作戦を考えてくれたから。
ターフの外で私をエスコートしていたその手腕も、魔法ではなく地道に努力して身に付けたもの。
彼の献身のお陰で私の脚が回復に向かうにつれて、思考にも余裕が戻ってきた。
空いた時間で考えてしまうのは彼のこと。
笑えるだろう?
ポニーちゃん、なんて皆を揶揄っていた私が一人の男性に心乱されているのだから。
……おっと、話を先に進めようか。
彼がトウカイテイオーのトレーナーに教わった治療法は、効果が出たものも有れば疑わしいものもあった。
その中で、1番効果があったものは何だと思う?
針? 湯治? いいや、違う。
それは、おまじないさ。
脚を治すおまじない。
彼がテイオーに教わったというそれは、足の甲への口付けだった。
わかるだろう?
私達ウマ娘にとって命も呼べる脚。そこへの口付け。
そして、脚の甲へのキスが意味するものは隷属。
つまり、このおまじないには「あなたの命へ私を捧げます」という意味があるのさ。
彼は魔法使いさんではなかった。だけど、このおまじないは確かに本物の魔法だった。
……ふふ。
そこまでされたら、私の返せるものは一つしかないじゃないか。
そして、私の脚は完治した。
後はご存知の通りさ。私は三冠を得て、URAを彼と共に駆け抜けた。
そしてこの後の予定は──あなたの想像にお任せするよ。
ただ一つ、これだけは言っておこう。
あの『素敵なトレーナーさん』を譲るつもりはないよ。
例え、誰が相手だろうとね。
……うん。こんなところかな。参考になったかい?
それじゃあよろしく頼むよ、乙名史さん。