Fate/Stardust Vendetta―星屑の復讐僤――   作:ソクリ

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最終話「ステラ」①

 初めて魔術に触れたときは何もわからない時だった。当たり前の日常が当たり前に続くと思っていて、私の世界はこれからも変わらず、ずっと平和なままなんだって思っていた。

 

 世の中には悲しい事件や理不尽な出来事はあるけれども、それが突然自分に振りかかって来るなんて思っていなくて、きっと明日は明日で良いことが起こるはずなんだって当たり前のように考えていた。

 

 そんな何も変わらないと思っていた日に、セレスさんと出会って、ランサーを召喚して、自分が七星と言う魔術師の一族であることを知って、否応なく聖杯戦争に巻き込まれていった。投げ出すことだってきっと出来たと思う。最初は本当に純粋な正義感からだった。

 

 この街で起こる何かに対して自分に出来ることがあるのなら、その力を振いたい。子供だからこそ覚えるような謎の万能感に駆られる形で、私は自分自身の出自と向き合っていくことになった。

 

 たくさんの出来事があった。兄さんとも争ったし、夫……蓮司君とも戦った。非道なやり方を許せないと怒りの声を上げて、自分の力を使いこなせずに暴走して、そして、ロイと魔術の技を競い合って……そして、そして……、お母さんが命を落とした理由を知って、それからの私の人生は決まっていったのだと思う。

 

 この七星の運命と向き合うために、そして自分自身の人生を決して後悔しないために。

 

 このセプテムで多くの七星の一族と出会ってきた。

 

 七星であることを誇りに思う者、七星を嫌悪する者、七星であることにこだわる者、七星に多くを奪われた者、七星でなければきっと違う人生を生きることが出来たであろう者、そこにはたくさんの想いがあった。誰が正解で、誰が間違っているなんて言えないほどに多くの想いがあって、その中の想いと私の想い、どちらが正しいかなんて優劣をつけることが出来ないほどに……、正義とは何であるのか、善悪とは何処にあるのか。

 

 私は秋津の聖杯戦争、そしてこのセプテムの聖杯戦争を通してもそこに答えを見出すことはついぞできなかったと思う。復讐の為に七星の人間たちを殺めてきたレイジ君は善であったのか? そんなハズがない。誰かの命を奪わずに済むのであればそれに越したことはないし、どんな形であれ殺人は許されてはいけない。それを許されざるものであるというルールがあるからこそ、私達は一定の平和を享受することが出来ているのだから。

 

 では一方で、レイジ君のやってきたことは悪であったのだろうか? それも違うと思う。奪われてきた人たちが、誰かを害することが許されないのだとしたら、その気持ちの置き場は何処にあるのか。自分たちのような悲劇が再び起こるかもしれないと思って、目を逸らしていることが正しいことであるかと言えばそれは違うと声を上げるだろう。

 

 レイジ君と言う人間を通してみて、私は善と悪という価値観が酷く曖昧なモノであるように思えた。それは見る人によって全く変わるもの、ううん、それを実行している当人にだって決めることはできないんじゃないだろうか。

 

 世界にとっての主役が自分であったとしても、世界は自分の為に動いているわけじゃない。こんなにも多くの人と生命が生きている世界の中で、たった一つの正解を見つけるということ自体が酷く傲慢なことではないだろうか。

 

 かつて、アフラ・マズダは私に言った。人間に本当の善を見つけることはできないと。だから、自分が絶対的な善の神になることによってしか、世界を救うことはできないのだと。確かにそれもそうだろう。人間に絶対的な善悪を決めるなんてことは出来ない。私と蓮司君の間であって、絶対に正しいと言えることはどれほどあるだろうか。きっと両手で数えるほどしかないのではないだろうか。

 

 それが全人類規模に膨れ上がるなんてことになってしまえばそれこそキリがない。誰だって、本当の正しいことを口にするなんてできるはずがないだろう。

 

 だからこそ……、私は私の答えをアフラ・マズダに届けに行かなければならないのだろう。私達はどうするべきであったのか。私達はこの世界にどう向き合うべきなのか。私の心の中で見出した答えだって本当に正しいのかなんて分からない。異なる事情を持つ人からすれば全く違う答えが飛び出してくるかもしれないけれど……、この胸の中に浮かんだ答えを真っ直ぐと言葉にすることに意味があるんだと思う。

 

 この聖杯戦争の最後に残った一人として……

 

「アステロパイオス、今日まで本当にありがとう。貴女がいてくれたから、私はここまで来ることが出来た」

 

「何を言うのですか、以前にも言ったでしょう。私は本来、セレニウム・シルバで消滅していたはずのサーヴァントです。それが貴女と出会って契約してここまで来ることが出来た。ありがとう、桜子、貴方は私に英霊としての本分を果たすことを許してくれた。貴女がいなければ私は惨めな主を守ることもできなかった愚かな英霊でしかなかったはずです」

 

 あの日に契約をしていなければ、アステロパイオスは主を守ることが出来なかった英霊という烙印のまま、座に帰ることになり、桜子もまたアステロパイオス無しでここまでの聖杯戦争を切り抜けることが出来たのかは怪しい。

 

 共にあの日の出会いがあったからこそ、ここまで来ることが出来た。どちらが優れているという話ではなく、互いがいたからこそ、ここまで来ることが出来た。

 

「それじゃあ、行こうか。最後の戦いに。この聖杯戦争を終わらせるために、聖杯の下へ」

 

「ええ……、私はほとんど力になることはできないかもしれませんが」

「ううん、傍にいてくれるだけで心強いよ」

 

 朔ちゃんに与えられた式神の背に乗って、中空へと向かっていく、この世界の空に生まれた巨大な穴、聖杯戦争の結末に従って生じた聖杯と、その中に閉じ込められたアフラ・マズダの下へと、私達は一直線に進んでいき、そして、まるで見えない壁に遮られるように式神はその巨大な黒い穴の前で動きを止めた。

 

『まさか、ザラスシュトラが私の復活を前にして、消滅することになるとは。全く考えていなかったわけではないが……、驚かされてはいるよ。侵略王との戦いで君たちは総てを出し尽くすと思っていた。少しばかり世界の抑止力というものを甘く見ていたのかもしれない』

 

「神様だからって、何でも思い通りになるとでも思っていた?」

『いっただろう、考えていなかったわけではないと。ただ、予想外ではあった。それくらいの認識の差だよ』

 

 巨大な黒い穴、その中に飛び込んでしまえば、おそらく、二度とこちらの世界には這い上がってくることはできないだろうと思わせる深淵の先から声が聞こえてくる。先ほどの、アヴェスターの展開によって本来であれば、こちらに降臨してくるはずだったアフラ・マズダの瞳がその漆黒の穴の中に浮かび上がる。これまでのような一つ目ではなく、人間のように二つの瞳で、私達と視線を合わせている。

 

『さて、桜子、本来であれば、私はザラスシュトラの術式、あるいは侵略王の勝利によって連鎖的に世界の中へと召喚されるはずであった。しかし、結果は見ての通り、君たちの仲間の奮戦もあってから、結局私は、いまだ聖杯の檻の中に囚われている』

 

 アフラ・マズダの降誕阻止、まさしく神祇省の大願であったその役割を朔ちゃんはちゃんとやり遂げた。ううん、朔ちゃんだけじゃない。此処に来るまで、みんながそれぞれ一生懸命に闘ってきたからこそ、この結末が生み出された。私や朔ちゃんだけでもここまでは辿りつけなかった。

 

『そこでだ、桜子。君に願いたい。聖杯を使って、私をこちらの世界に顕現させてほしいのだ。聖杯の縛りは聖杯の奇跡を以てすれば、乗り越えることができるだろう』

 

「それを、今更、私が頷くと思っているの?」

『ああ、思っているよ。何故なら君は、人間では善悪を越えた正解を選ぶことができないと理解しているからだ』

 

「…………」

 

『人間は多様性の塊だ、数多の思考と数多の主張を持ち、数多の利益のために争いあう。かつて、私という神が存在を願われた時よりもなお、この2000年の歳月は人間を複雑に下。あらゆる柵が君たちの統一を阻んでいる。人類は争いあい、そしていずれ、些細な理由で滅ぼしあうことになるだろう。世界の存亡をかけて、個人の信条程度の理由で争いあう。それがこれより先の人類の姿だ。君はそれを嫌と言うほど見せつけられてきただろう』

 

「それでも、私はこの戦いを決して後悔していないよ」

『君の感想に、大した意味はない。事実として滅ぼしあっているというだけで十分な意味になる。千年を懸けた約束があれば、当たり前のように人々を踏みにじる。自分の復讐のためであれば、あらゆるものを巻き込む。本質的にはどちらも自己中心的な発想の下に動いている同類だ。そこに君たちの嫌悪の感情がどちらにばらまかれるかの違いだけだ。それが世界規模で起こる。絶望的な観測をしているわけではない。私もまた、この世界をずっと見続けてきた』

 

 その瞳に、憐憫の色が映る。

 

『多くの悲しみがあった。嘆きがあった。地獄があった。それでもなお、救いを求めて足掻く者たちの姿があった。私はこのような者たちに願われているのだと理解した。

 世界には君たちのように立ち上がりたくとも立ち上がれない者たちがいる。神の救いと言う希望に縋らなければ救われない者たちがいる。満たされた者たちからすれば、私の救済は求めていないというだろう。しかし、私は求められたのだ。確かに求められたからこそ、私と言う存在が生まれた。それは決して覆す事の出来ない事実だ』

 

 きっと、この神が人類を救おうという感情は何ら嘘偽りのない本気の気持ちなんだろう。本気で人類を救いたい、そうするには自分がこの世界にもう一度姿を見せる他にない。

 

 最初はこの世界に自分が召喚された理由を求めてきたアフラ・マズダはいつからか、そのように考えるようになった。そして、自分が描く世界を見出すために、本当の絶対的な善とは何であるのかを問い続けてきた。果たしてそこに答えは出たのだろうか?神と呼ばれた存在であれば、私達が考えるような領域での答えではない何かを見出しているのかもしれない。

 

 アフラ・マズダの言葉が偽りであるとは言えない。人間に世界総てを救済することはできない。古今東西の英霊たちがどれ程力を尽くしても、あらゆる災厄総てを取り払うことはやはり不可能であると言えるだろう。

 

 その上で、私は……アフラ・マズダを見据える。

 

「私は――――――それでも、貴方が復活することを、貴方がこの世界に降臨することを認めません。この世界は、私達人間が、これからも導いていくべきだと思っています」

『それは君の主観に過ぎない』

 

「ええ、そうです。私は私が見知った人たちの痛みしかわからない。今もこの世界のどこかで私が手を伸ばしてもどうにもならない悲劇が起こっているかもしれない。苦しみにあえいでいる人がいるかもしれない。そんな人に対して、私はどうしようもなく無力で、貴方でなければその人を救う事が出来ないのかもしれない」

『それを分かっていながら、君は私の世界を拒絶するのかい?』

 

「ええ、でも、拒絶と言うほどじゃない。確かに10年前の聖杯戦争では、貴方を憎んでいたのは認める。あなたがいなければ、私はお母さんを失うことはなかった。そう考えたらどうしたって憎まずにはいられなかったから。お母さんの弔いをするため、そのために、あなたを追って、ここまで来た。あなたを許せないという気持ちが全くないとは言い切れないことは事実よ」

 

 お母さんの仇、そう言ってしまえば簡単であるけれど、アフラ・マズダという存在を望んでいる人間がいることも分かっている。この世界には彼が言うように、救われない人間がいる。それこそ、神様の奇跡が無ければどうしようもないくらいの袋小路に立たされている人がいる。

 

 世界はとても残酷だ。私は多くの人に助けられて、ここまで来ることが出来た。だけど、それは成功した側の意見でしかない。私がここに来るまでに願いを叶えられなかった人たちだって必死に努力をしてきた。願いを叶えるために足掻いてきた。

 

 でも、それは届かない。世界はとても残酷だから。あらゆる機会を平等に与えて、その中で夢を掴む切符を手に入れた人にしか微笑んでくれない。努力の大小で夢がかなうかどうかを極めさせてはくれない。

 

「でも、私があなたを降臨させることによって、この世界を救うということを認めないのは、私が貴方を憎んでいるからじゃない。善神アフラ・マズダ、これは二度の聖杯戦争と七星と言う一族に生まれて、今日まで多くの人を見てきた私のこの世界に対する想いです。

 世界は変わらない。どうしようもなく残酷でどうしようもなく平等で、誰もが救われる世界ではないけれども、そんな世界であるからこそ、私達は此処まで来ることが出来た。

 絶対的な善と言う一つの価値感によって統一された世界では、私達は此処まで来ることは出来なかった。善と悪、その表裏一体の問題があるからこそ、人は進歩できたし、破滅をギリギリのところで回避してここまで来ることが出来た。

 私はそんな人間の在り方を信じたい。これからも人間は間違っていくし、争ってもいく。何度も何度も同じ過ちをして、そのたびに悔いて、時が過ぎれば同じことをするような、神様から見れば、どうしようもない存在かもしれない。それでも、一歩ずつでも私達は進歩している。私たちなりにこの世界と向き合ってより良くあろうとしている。

 だから、私は貴方の救いを求めない。自分の中の善性に従って、これからも決して長くない時間を生きていく」

 

 私は自分の胸に手を当てる。私が信じている正義、あるいは善と呼べるものですらも、本当にそれが他人から見ても正しいと言えるのかはわからない。散華さんとも桜華とも私は心から共感することは出来なかった。きっと、レイジ君の心の痛みだって、どこまで理解できたのかはわからない。

 

 完全なる正しさを見出すことはできない。でも、正しくあろうとすることはできる。己が悪であると思うことをしないし、踏み込まない。何度も何度も失敗をして、少しずつ学んで、環境を整備することで人は正しくあろうとしてきた。

 

 例え、神の救いがなかったとしても、間違えながらでも、人は進んでいる。なら、私は胸を張って、神の救いがなければ人は滅びを免れることができないなんて言い切るつもりはない。救いを求める人もいれば、求めていない人もいる。その多様性を認めてきた私達が、たった一つの思想によって統制されることは、この星を守るためであればまだしも、人類として救われるたった一つの方法であるとは私には思えない。

 

「貴方は私に選べと言った。見届けるべき者になってほしいと。これが私の答え。良いことも悪いこともあった。でも、私はずっと私自身で選び続けてきた。後悔したことだって何度もある。でも、救われたいと思ったことはない。それが責任を持って生きるということ、真摯に生き続けるということでしょう?」

 

 善悪二元論、アフラ・マズダとアンリマユの攻防と言う形で生み出された物語は、流転する善悪と言う価値観の中で人の本質を現した物語だ。

 

 そして絶対的な善の存在こそが悪との葛藤の中で最後には勝利をする。そうした世界観を描くことで人々を救う物語となった。私もそれは正しいと思う。人は当たり前のように善と悪の境界線を行き来する。その中で苦しみ、もがき正しさを模索する。絶対的な正しさなどない世界で正しくあろうとするのだ。

 

『だがしかし、私は求められた。この世界に召喚された以上、完全なる正しさを具現化しなければならない。そうでなければ、私という存在の価値が無くなる。正しくあらねばならない完全なる善と定義されながら、それを持ち得ない空虚な存在であるとすれば、それは私と言う神の本質にも関わるのだ』

「ある意味での真面目さはあるんだよね、そうだよね、本気で人類を救いたいって気持ちは本当なんだもんね」

 

 その過程で、聖杯戦争を実験道具のように使って、多くの人の運命を狂わせたことは許されないことではあると思うけれど、やはり神様からすれば、それも些末事なのだろうと思う。そこを問いただしても仕方がない。私から、伝えるべき言葉はもう決めてあるのだから。

 

「存在価値がないなんてことはない。私達人間は、貴方が言うように絶対的な正しさなんてものを持つことはできない。だからこそ、正しさの象徴である存在が必要なの。善と悪と言う境界線を彷徨いながら、それでも、最後は善に辿り着くことができる。この世界には、人間とは異なる絶対的な善なる存在がいてくれる。そう思うことで、私達は救われるし、その形にならない存在を目指して、進んでいくことができる」

 あなたと言う存在がいてくれるからこそ、私達は進んで行ける。ただそこにあるだけで、私達は救われている。貴方が直接救わなくちゃいけないと思うほど、この世界は見下げ果てたものじゃないよ」

『―――――――――』

 

 そこで初めて、アフラ・マズダは言葉を失った。これまでずっと私がどんなことを言っても好き放題言ってきた相手がようやく驚いたような様子を浮かべたことに、心の中で少しばかりの喜びを覚える。やっと言い返してやることが出来たと。

 

 ただ、別にとってつけた言い訳のように口にしたわけじゃない。私だって、本気でそう思っている。私達だって本当に正しいことなんて分からない。人は弱い存在だからこそ、何かしらの縋る存在が無ければ道に迷ってしまう。だからこそ、絶対なる存在と言うものは必要なのだ。アフラ・マズダと言う存在がいるからこそ、救われる人もいる。それを否定することは当然に出来ない。

 

 ただ、どうしても食い違っていたのは、絶対なる善としてこの世界に姿を見せなければならないという思いを抱いてしまったことだろう。アフラ・マズダと言う存在を召喚してしまったその当時のマスターにも問題があったのだとは思う、この神はあくまでも人の願いを叶えようとしていただけだ。そうあるようにと願われた想いに答えただけなのだから。

 

 だから倒すとかそういう想いの下でぶつかっても分かり合うことはできないし、そもそも人間に神を打倒することはできない。

 

 貴方の役目は十分に果たされている。だから、もう一度、我々の道しるべとして私達の世界を見守っていてくれないか。そのように願って、丁重に送り返さなければならない。

 

 それこそが、アフラ・マズダを封じることで問題を保留にしたお母さんの後を継いだ私がやるべきこと、このセプテムにて私が為すべき奉納の儀であったのだと私は思い至った。

 

 勿論、これは私の勝手な事情だ、勝手に私が決めて、勝手に私が正しいと思っているだけの行動に過ぎない。彼からすればどのように思われているのかもわからない行動であるが、それで理解が得られないのであれば、理解してもらえるように対話するしかない。

 

 人と人が分かり合えない関係性であったとしても、人と神が分かり合うことができないなどと決められたわけではないのだから。

 

 私の目の前に浮かんでいる黒い穴、聖杯と繋がり、そしてアフラ・マズダが潜んでいるその穴の中にあった二つの瞳が一度瞼を閉じ、そしてもう一度開かれる。瞳だけで表情の機微を読み取ることはできないけれど、その空気は少しばかり変わったのではないかと思えた。

 

『なるほど、君の言葉、しかと受け止めた。そして、その観点から私は私を見たことがなかった。呼び出されたのだから、救わなければならない。そう思っていたのだ』

 

 言葉を失っていたアフラ・マズダは自らの口から言葉を紡ぐと、これまでのような超然とした反応から少しばかり変わったように思えた。あるいは私がそのように思いたかっただけなのだろうか。自分の想い、自分の言葉が相手に通じた。そのように思っていることがそのまま繋がっていくことに喜びを見出すことが出来たかもしれないのだから。

 

『私は人を救いたいと願い、人を知ろうとした。そして、人が人を救えないことを憐れんだ。私が救わなければならないと考えた。君たちが私を拒絶するのは、神と言う存在を正しく認識することができないからであると……、しかし、真に正しく君たちを理解しようとしなかったのは、私も同じなのかもしれない』

 

「それは仕方ないんじゃないかな、神様なんだし。色々と私達とは見ているものも違うんだと思う。私だってこういう風に考えることができるようになったのはつい最近のことだから」

 

 善と悪は隣り合わせ、そして正しくあろうとすることにこそ意味がある。そう容易く悪に染まってもおかしくない環境の中で、悪と言えることを為し遂げながらも、最後まで自らの正しさ、良き行いに固執してきたレイジ君がいたからこそ、私もそう思う事が出来た。このセプテムでの戦いも無駄ではなかった。きっと、私はこれまで復讐という行為を容認できなかっただろうし、それを正しいことであると考えることは出来なかった。

 

 今だって正しいとは思っていないけれど……、それを一方的に悪と断じることも違うと思っている。

 

『ただそこにあるだけでいい。それが君たちの願いであるのだとすれば、確かに私が何をしても形を結べないのも理解できる。そうあってほしいと願われている。アヴェスターに刻まれた私もそうあれかしと願われているのだから』

 

 目の前の言葉を交わしているアフラ・マズダと言う存在がザラスシュトラに生み出された存在なのか、あるいは人類よりも先に存在していたのかはわからない。ただ、この世界の中での在り方はそうあってほしいという願いに基づいて存在している。それがズレてしまっているからこそ、彼もまたもがいていたのかもしれない。

 

『どちらにしても、私は失敗した。私の思惑は崩れ、アヴェスターと言う土壌がない以上、魔力だけで強制的に降誕することは出来なくなった。再びの雌伏の時を過ごすこともできるだろうが……、桜子、君の言葉を一度信じてみるのもいいかもしれない』

「それじゃあ……」

 

『しばらくの間、君たちを見守ろう。君たち人類が足掻く姿を。そこに善はあるのかを。しかし、私も全てを諦めたわけではない。この世界を見守り、やはり、私の手で世界を救う必要があるのだと考えた時には、私は再び君たちの前に姿を見せる。それをゆめゆめ忘れないことだ……』

 

 黒い穴が収束していく。世界の中に穿たれていた特異点ともいうべき場所が埋まっていく。それを維持していたアフラ・マズダと言う存在が世界への干渉を条件付きであるとはいえ、諦めたことによって、彼がこの世界へと顕現して来ることは無くなったのだと解釈していいだろう。

 

 もっとも、アフラ・マズダが言ったように彼が自らの手で人類救済を諦めたわけではない。今回はあくまでも、選んだ私の言葉によって、自分と言う存在を見つめ直すことにしただけなのだ。これより先に、やはり人類が滅びの道を辿るような行為に手を染めることになれば、アフラ・マズダは再びこの世界に現れるかもしれない。

 

 これより先も人類が自分たちの手で、この世界の舵取りを続けていくことができるのかどうか、それはこれからの私たち一人一人の行動にかかっている。

 

「でも、大丈夫だよ、人類はそこまで愚かじゃない。悲劇を繰り返しても、最後にはより良い方向に進んでいくことができる。私達の先祖だってそうしてきた。だから、私達がこうしてここにいるんだから」

 

 自分の胸に手を当てる。七星の一族は七星の魔術回路と血を連綿と受け継いできた。暗殺一族である七星の血脈が途絶えることがないように、その知識と戦闘技術の継承を続けていくために、祈りを自分たちの魔術回路に託していった。それはいつしか呪いのように代わり、私達を苦しめる結果となってしまった。

 

 その始まりを思い返してみれば、きっと、そこには祈りがあったことも事実のはずなんだ。この世界は残酷で、どこまでも理不尽なことが多くある。でも、世界の総てが残酷なだけではない。この世界だって捨てたものじゃないと多くの経験を積み、多くの人を見てきた私はそう思うから。

 

「さようなら、アフラ・マズダ。願うのなら、もう二度と私達がこうして言葉を交わすことがないように」

 

 善神が自ら世界を救わなければならないと考えてしまうような時を迎えることがないようにと祈りを捧げながら、因縁深き神との別れを受け入れる。気配を完全に感じなくなったことで、私はようやく安堵の息を吐く。大したことをしたわけじゃない。

 

 だけど、本気で人類を救おうとした神様に対して、感謝と拒絶という相反する二つの気持ちをぶつけなくちゃいけなかった。アフラ・マズダ自身が人類を救おうとしていることをまずは受け入れなくちゃ、彼を納得させることはできない。その上で、私達は私たちなりに頑張っているし、ただ一つの思想だけで世界をより良くすることはできないと理解してもらわないといけなかった。

 

 どこまで私の気持ちが本当の意味で伝わったのかはわからないけれど。身を引いてくれたということは少しは意味があったのだと思う。それならばいい。100点満点の回答を出せるほど人間が出来ているとも思っていないし、今、この瞬間の危機を乗り越えることが出来ただけで及第点である。

 

 それで、もしも、新たな危機が生まれたときにはみんなでまた頭を絞り尽くせばいい。それこそが、様々な多様性を認めて、それぞれの進化を促してきた私たち人類の強さなのだから。

 

「桜子、お疲れ様でした……、お見事でした」

「あはは、お見事も何も、私は自分の気持ちを伝えただけなんだけどね。それで納得してもらえたからよかったよかったって感じなだけで」

 

「それでも、ここまでの道のりを歩んできた貴方であるからこそ、アフラ・マズダは納得したのでしょう。私は貴方のサーヴァントとしてそれを誇らしく思います。ええ、まさか、本当に自分が最後に残るサーヴァントになるとも考えていませんでしたから」

 

 キャスターとセイヴァーが消滅したことによって、アステロパイオスを除くすべての英霊がこの世界より消失した。これにて聖杯戦争は終わりを迎える。都合14騎の英霊の魔力によって生み出された聖杯が、先ほどまで黒い穴が存在していた場所から中空に黄金の魔力によって形成され、桜子の下へとその膨大な魔力が伝わってくる。

 

「なんだか棚からぼた餅的な気分なんだけどな。本当に私がこれを手に入れていいものなのかどうか……」

 

「ですが、最後まで残ったのは事実です。それは桜子が手にして然るべきものでしょう。遠慮をする必要なんてないと思いますよ。この戦いを生き残り、自分自身の日常へと変える貴方にとって、聖杯の力は決して悪い方向に進むことはないでしょう」

 

 勿論、桜子が聖杯に願うことは決まっている。桜子が聖杯に願えば、七星という存在の力は失われることになるだろう。七星宗家は散華の手によって壊滅し、灰狼が死んだことによって大陸側の七星の影響力は大きく衰退していく。リーゼリットが七星に否定的なことも大きく影響している。その最後の引き金を引くのが桜子になるということだ。

 

「私は――――貴方の幸福を願います、マスター。私は私の人生に後悔はありません。貴方と縁を結び、共に戦って理解しました。やはり、私と彼にとっての結末はあれでよかったのだと。戦いの中に身を捧げ、戦いの中で散った。あの時代の正しい在り方を私達は貫いた。答えはそれで十分だったのです」

 

 あの時代に自分たちが精いっぱいに生きてきた。自分の正しさを信じて、自分の善を為し遂げてきたはずだ。ならばそれで十分だったではないかとアステロパイオスは思う。結果としてそれは悲劇的な結末だったかもしれない。けれど、そこに後悔はないのだ。

 

「だから、どうか、貴女も自分の人生に、未来に後悔のないように。私が主と呼んだ貴方の人生が素晴らしきものであることを、私は願います。どうか、愛する人と末永く幸せに。どんな境遇であったとしても、幸福を享受していいのだと貴女は世界に示してください」

 

「………ありがとう、アステロパイオス。最後まで私と一緒に戦ってくれて。貴方がいたからこそ、ここまで来ることが出来た。約束するよ、これから先ももっと幸せになる。辛いことも苦しいこともあるだろうけれど、それでも、希望を抱いて進んでいく。だから、どうか、私のことを見守っていて……!」

「ええ……!」

 

 アステロパイオスの身体が黄金の光に包まれていく。聖杯戦争が終わりを迎える以上、超常的存在であるサーヴァントが残り続けることはできない。彼女もまた英霊の座へと還っていく。

 

 けれど、その別れをする二人に悲壮感はない。やりきったという思いがあるからこそ、彼女たちは笑って別れをしていくのだ。

 

「さようなら、桜子、私のマスター」

「さようなら、アステロパイオス、私のもう一人のサーヴァント」

 

 共に笑みを零しながら、アステロパイオスの姿が消失する。これにてセプテムで起こった聖杯戦争はその総てを終えた。七星による野望を叶えるために行われ、その裏で善神の復活を目論む聖杯戦争はそのどちらもが阻まれ、結果として世界は此度も何も変わることなく続いていくことになった。

 

 世はなべてこともなし、総てが終わり、また明日を迎える。

 

「聖杯に願う、私の願いは――――――」

 

 そして、聖杯戦争の勝利者の願いに聖杯が答える。それをもって、聖杯戦争と言う舞台は幕を閉じるのだ。

 

 すべてが終わる。10年前から続いてきた因縁と共に。

 

 星屑の復讐譚の終わりと共に、聖杯戦争もまた終わりを迎えるのであった。

 




次回にて、完結となります。最後までお付き合いただけると嬉しいです。
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