死神、欺瞞、黄桃   作:しゅないだー

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死神、欺瞞、黄桃

 

 

貴方は死神を見た事があるだろうか。私はある。それは決して禍々しい死の気配を放っている訳でもない、普通の女の子だった。

 

「後1日です。それが貴方の残り時間です」

 

 病院全体を包み込むような消毒液の匂い、近頃は見舞いにも中々来なくなった家族、緩やかに変わっていく同階の顔触れにも飽き飽きしていた頃、彼女は突然現れて確かにそう言ったのだ。

 白い病室に良く似合う、紅掛花色のワンピースをひらひらとさせながら。

 

 

 

 ────────────────────────────────

 

「それは……困るね」

 

 何処から現れたのかも分からない少女を前にして、縁起でもないと怒る訳でもなく。突如告げられたタイムリミットに恐怖心を抱く訳でもなく。

 ただ漠然と、それは正しいのだろうなと感じていた。そう納得してしまえるほど少女はあまりに軽かった。彼女の周りを包む空気が、吐く言葉が、硝子のようなその視線全てが、今にも天上へ浮かび上がってしまえそうなくらいに。

 死神はどうやって人を彼岸へ導くのだろうか。この骨董品と化した肉体を脱ぎ捨てて、彼女に手を引かれて高く上っていけるのなら。それはきっと、とても素敵な事だろう。

 そして死神はそれきり何を言う訳でもなく、窓際に飾られている少し萎びたプリザーブドフラワーを眺めていた。

 死んでいるように生きているのか、生きているように死んでいるのか。

 その姿がどこか自分に似ているようで「新しい花に変えましょうよ」と言う家族を押し切ってずっと置いている。

 

「とても、困る」

 

「本当に何か困る事があるんですか?」

 

 そう問われて思わず考え込む。

 八十年生きてきた。そこそこ長生きした方ではないかと思う。孫にも恵まれ、大した物を遺せる訳でもないが幸せではあった。

 

「今更やり残した事が沢山あるように思えてきて困るんだ」

 

 くっくっと喉を鳴らして笑う私に「そうですか」と少女は呟くとまた興味無さげにベッド沿いの椅子に座った。

 何となくだが、自分は天国へ行くんじゃないだろうか。そんな確信があった。

 出世もしなかったが貞淑ではあった。三十路の頃に妻に先立たれ、男手一人で子を育て、後妻を娶ったり女を買って慰めてもらうような事もなかった。

 天国へ行く資格がある、と言うよりは地獄に堕ちる謂れがない、と言った方が正しい。

 そのプリザーブドフラワーのように無味無臭な人生。ただ色はあった。

 

「ねえ、天国や地獄って本当にあるのかい?」

 

「お答えしかねます。守秘義務がありますので」

 

「死神さんもコンプライアンスに追われる時代か」

 

 死神さんと呼ばれた時、彼女がほんの少し不服そうに眉を顰めたように見えた。

 

「後1日ですけれど、何もしなくて良いんですか」

 

 顎で自分の身体を指し示す。数多の管が繋がれ、絶えず酸素や薬剤が流し込まれている。

 

「この管を数本抜いてしまえばそれで終わる、そんな身体ってもう死んでいるのと同じだと思わないかい? 機械が私を生かすんじゃなくて、私が彼らに存在価値を与えているんだ。本当はとうの昔に終わっているのに」

 

 以前に輪をかけて細くなった指で頬を掻く。今日は少し調子が良い。普段は数分喋っただけで息切れがする。

 

「質問の答えになっていませんね」

 

「全て建前だって事だよ。私が生きているのは家族の願いという建前で、それに精一杯尽力するという医者の建前、あまりにも多くの人が絡んでいるからとりあえず生きておくか、そんな私の建前」

 

 誰かが聞いていたら張り飛ばされていてもおかしくない。

 

「私はもう、終わっている」

 

 窓の外から差し込む光が少しずつ、橙から藍へ変わってゆく。この堅牢な城からは星も満足に見えない。

 ただ眼下に広がる、霞んだ目に映る金平糖のような灯り一つ一つに誰かの人生が包まれているのだと思うと、私にとっては遠い空に瞬く星よりもほんの少し愛しい。

 誰かが昔、そんな事を言っていたような気がする。

 

「……キスでもしておけば良かったな、と思うんだ」

 

「誰とですか?」

 

「誰でも良い。ただ自分があんまりにも普通の人生を歩み過ぎたような気がしてね。少しくらいはレールを外れても良かったんじゃないかって」

 

「奥様に叱られますよ」

 

「叱られないよ。だって終ぞ私の願いは叶わないからね」

 

 憐れむような、泣き出しそうな、怒り出しそうな、でも口角が少しだけ緩んでいる。そんな表情のまま、彼女は私に顔を近付けた。

 

 

 黄桃の味。

 

 

 彼女は何も話さない。私も何も問わない。

 置き時計の秒針がただ無常に私の残り時間を刻んでいく。

 私の願いはきっと叶っていない。ただもし叶っていたとして、それはそれで役得だ。誰にともなく心の中で詫びながら目を閉じる。

 次に目が覚めた時には恐らく彼女はもういないのだろう。それならいっそ、このまま目覚めなど来ないように。

 そう祈る私の瞼には、知らない何処かの桃園の面影が焼き付いている。桃源郷は案外すぐ側にあったのかもしれない。人生を死出の旅に例えるなら、この終着点は悪くない。

 70点くらいだな、そう最後に呟くと隣で君が笑ったような気がした。

 

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