死神、欺瞞、黄桃   作:しゅないだー

3 / 3
余薫

「金木犀の花ってどんな形か思い出せる?」

 

 退屈そうに窓の外を私が眺めていた事に気付いたのか、彼がそう問い掛けてきた。眼下に広がる景色を見下ろす。徐々に色付いてきた葉に改めて季節の移り変わりを感じた。

 白で埋め尽くされた病室の中では、すっと蒼く突き抜けるような空も、落葉の匂いを含んで頬を撫ぜる風も肌で感じる事ができない。

 

「……ううん」

 

 その特徴的な甘い香りはすぐに思い出せるのに、花と言われると途端に見当がつかなくなる。どんな色だろうか。どんな形だろうか。秋を体現するその花の香が、彼が開けた窓から微かに流れてくる。

 

「探しに行こうか」

 

 少し気取ったその口調にぷっと笑みがこぼれる。恭しく差し出されたその手を取って、ベッドからそっと下りる。久々に身体を起こしたからか、視界が少し揺れた。

 

────────────────────────────────

 

 ありふれた病名だった。

 そして人を殺すのはそんなありふれた日常なのだ、そう気付いた時にはもはや夜に寂しさで泣く子を抱き締める事すらできなくなっていて。病室で独り細くなった腕を眺めるばかりの毎日だった。

 

 久方ぶりの外が夏の終わりを、秋の始まりを五感全てで伝えてくる。しっとりとした冷たさを含んだ風が、吹かれた枯葉が地を擦る音が、名残惜しい程に早い夕暮れが。

 橙色に染まる世界の中を、彼の手に引かれて進む。すっかり出不精になってしまって、こうでもしないと外に出ようとしない事なんてとっくに見抜かれている。

 

「あの子も会いたがってる、まだあんなに小さいんだし」

 

 祈るように、詰るようにぽつりと彼が漏らす。

 

「でも見せたくないんです、こんな姿は。あの子の中で私は、母は強い物であって欲しいから。我儘でしょうけれど」

 

 そう返すと、眼鏡越しの彼の瞳が潤んで揺れた。

 微かにその唇が言葉をなぞる。何か言ったような気がしたが、その音にもならない震えは秋風に吹かれて消えていった。

 

「僕は最低の父で、君は最低の母だ」

「でも貴方が隣りに居てくれて良かったわ」

 

 共犯者。

 病床に伏してから子供には数える程しか会っていない。決して可愛くない訳ではない。五つにも満たないその小さな身体を精一杯に抱いてあげたい。けれどそれを選ばないのは、最後の意地だろうか?

 限りある今を犠牲に少しでも未来の悲しみを取り除いてあげたいと思うのは、欺瞞だろうか?

 

「今は悲しいなんて分からないさ。でもあの子が歳を取るに連れて募るのは後悔だ。それは、今の君じゃないと。今の君が与えた全てがずっと先でそれを癒やすんだ」

 

 滲む夕焼けに藍が差す。

 一歩進む毎に甘く誘うような香りが鼻孔を擽る。

 

「あれだよ」

 

 指で示された先にあったのは一本の樹。

 濃緑の葉に混じって小さい橙色の花が所狭しと咲き誇っている。

 

「……小さいのね、こんなに良い匂いなのに」

「金木犀の花言葉は謙虚だから。匂って良し、見てくれも良しじゃ他の花に申し訳が立たないと思ってるんだよ、きっとね。僕みたいだ」

 

 戯けて肩をすくめてみせる彼が可笑しくて少し反撃してみたくなった。

 

「そうね、確かに貴方は金木犀みたいな人だわ。見た目はそんなでもない所とか」

「手厳しいな」

「でも好きよ、私。金木犀って」

 

 数秒首を傾げた後、照れたように彼が笑う。それだけで周りが少し華やいだような気がした。本当に、少しだけ。その円な夕焼け色の花のように。

 

 

────────────────────────────────

 

 病室に戻ってからも彼は浮かない顔をしていた。

 

「疲れた?冷え込んできたし、こんなに長く連れ回すのは良くなかったかな」

「楽しかったわ」

 

 味気無い病院食をゆっくりと飲み込みながら答える。

 少ししか入らなかったが何故か物足りなくて籠に置いてある黄桃を指差す。秋も中頃、旬は少し過ぎた頃合いだ。

 

「剥いてくれる?」

 

 勿論。そう微笑んで果物ナイフ片手に苦戦する彼をただ眺めていた。

 指を切りそうになったり不格好に削がれる皮をはらはらとしながら見ているだけで満足だった。

 一切れ口の中に入れる。瑞々しい香気と蕩けるような甘さが広がった。

 それだけで生きていると実感できる、人間なんてそんな物だ。

 

「ねえ金木犀さん」

 

 きょとんとする彼にそっと唇を重ねた。

 

「謙虚もいいけれど私は桃でありたいの。眺めても匂っても味わっても良い、全部与えられるような」

「でも私にはきっと無理だから、貴方が全部あげて下さいね」

 

 言外に込められた意味を飲み下すように彼が喉を鳴らす。緩やかな死のような諦観を。

 

「ああ、約束する。あの子には君の分まですべてあげるさ。カップ麺なんて食べさせないし寂しくなんてさせない」

「でもね」

 

 いつも私を励ますその朗らかな声が、弱々しく掠れる。

 

「僕は、君がいないと寂しいよ」

 

 嗚咽を漏らす彼の口に切り分けた黄桃を差し入れる。

 

「甘いなあ」

 

 そう無理に笑う彼の中できっとそれは果物などではなく、口付けの味。

 私がいなくなった後に他の女に塗り替えられるのも、寂しいけれどきっと良い事だ。

 

 私はあなたの虜。

 

 そんな黄桃に似た欺瞞を、甘い秋風の余薫が夜に溶かして消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。