どこか物寂しさを感じさせる冷たい風が頬を撫でる初秋。
丘の上に建つ孤児院の庭先に、朗らかな笑みを浮かべながら子供達に囲まれる少女が居た。少女は縋り付いてくる子供の相手をしながら洗濯物を竿に掛けていく。
腰まで届く艶やかな黒髪は風になびき、夜明けの空を思わせる仄かに赤みがかった瑠璃色のぱっちりとした瞳は彼女の明るい性格を伺わせる。
ふと、その瞳が空を仰いだ。視線の先では空高く、タンデムローター式の輸送用ヘリコプターの編隊がけたたましいエンジン音と共に少女達の頭上を通り過ぎていく。
次第に小さくなっていく機影を見送る少女の瞳が、微かな駆動音を伴ってその大きさを変えた事を彼女の傍らの子供達は知らない。
彼女が思いを馳せるのは青空よりも遥か先。
――それは、かつての日々への追憶。
鼓膜を激しく叩く、止まない銃声。朝霧を貫いて胸にまで響く爆発音と衝撃。
住民を失い長き時を経て、色彩さえも失ったぼろぼろの市街地でライフルを抱えた少女が黒髪を揺らしながらひたすら走る。
指示通りに角を曲がると爆撃で上部数階が吹き飛んだビルが目に入った。本来の姿を失ってもなお、周りの建造物より高さはある。
朽ちたオフィス用品の散乱する階段を駆け上り、かつては窓枠もあったのであろう壁面に背中を預けて屈み込む。
『こちらSuperSASS、射点を確保したよ。』
同時刻、遠く離れた司令室の暗闇の中で一人の男が指令コンソールの明かりに浮かぶ。
作戦エリア上空の無人機から送られてくる望遠映像越しに、戦場に似つかわしくないセーラー姿の少女が報告を寄越してきた。
すらりと伸びた細い手足には無数の細かな擦過傷が生々しく刻まれているが、本人には痛がる様子も気にする様子もない。そして何よりも目を引くのは彼女がその両手に抱える厳つい銃器であろう。
部分的にタンカラーの塗装を施された、彼女の背丈の半分以上は優にあるそれは彼女が扱うにはあまりに重い代物に見える。
男がインカムに手を添え指示を飛ばす。
「北西六百メートルのビルの合間に幹線道路が見えるな、交戦中の第二部隊の側面を狙って鉄血の別働隊がもうじきそこを通過する。殲滅しろ。」
『了解。』
短く答えるとモニターの中の少女は手にした銃を軽々と構え、やがて引き金を絞った。華奢な身体が射撃の激しい反動をもろともせずに一発、また一発と射撃する。
何故彼女はその容姿に見合わない膂力を有しているのか、答えは単純なこと。
――彼女は人間ではないのだ。
男の虚ろな空色の瞳にはモニターの中の少女が映り続ける。
彼女が、彼女達が生まれた経緯を語ることは、人類の辿ってきた凄惨な歴史を語るに等しい。
全ての始まりは名もなき少年たちの無垢な探究心が起こした悲劇――未知の物質、崩壊液の流出によって発生した世界規模の放射能汚染だった。
初めてテレビのニュースで事件を知った時、俺は遠い異国の地で起きた悲惨な事件程度にしか捉えていなかった。
俺だけじゃない、きっと世界の誰もがこの事件もまた数日と経てば直接関与のない人々の意識からは忘れ去られていく事件だと、そう思っていただろう。
しかし現実は違った。
崩壊液で穢れた雲は瞬く間に世界に広がり人々を侵し、土地と海を侵し、やがては平和も侵した。
三度目の世界大戦が始まるまで時間はそう長くかからなかった。
災禍と戦禍は人類を深く傷付け、俺からも故郷と大切なものを無数に奪っていった。
だが、世界大戦はまたも科学技術の急速な発展をもたらす。
その結果生み出された物の一つが「自律人形」と呼ばれる存在だ。
第三次世界大戦の最中、労働力不足を補う為に急速に開発が進んだそれはあらゆる形で人類を支える存在となった。
軍、警察等の公共機関は勿論、採掘現場から飲食店、一般家庭にすら人形達は溶け込んでいった。
中でも軍事用に製造、あるいは改修された自律人形は「戦術人形」と呼ばれた。
そして十二年前。六年に渡る争いの果て、文明の滅びる一歩手前で人類は再び互いの手を取り合う。
しかし各国政府はもはや国民を統べる力を持たず、今日の治安の維持は各地のPMC――民間軍事会社に委ねられていた。
現在、世界の治安を保っている殆どの民間軍事会社の主戦力は、彼女達戦術人形である。
俺の所属するPMC、グリフィン&クルーガーもその例に漏れる事はない。
そしてモニターの向こうで戦う黒髪の彼女もまた、民間用自律人形から戦術人形へと改修を施された人形の一体である。
SuperSASS、それが彼女の名前だ。
名前と言うには歪な響きだが無理もない。と言うのも自律人形を戦術人形へと改修する場合、装備する銃と改修元の自律人形の間には相性の問題が発生する。その為、戦術人形となった後は装備した銃の名称で呼称されるようになるのだ。
指揮官である俺の命令ひとつで戦い壊し壊されていく人形達。
『それら』をかつての俺はただ模造品の感情を、プログラムに基づいて提示するだけの戦う為の兵器だと。それ以上でもそれ以下でもない存在だと。そう思っていた。
否、そう自分に言い聞かせてきた。
だが今はもう違う。
ぼっ。
突如画面の中で閃光がビルを抉り、爆発がSuperSASSを紙切れの様に吹き飛ばした。
刹那、血の気が引いていく自分がそこには居た。
それは脳裏に焼き付いた光景と重なったが故か、あるいは。
次の瞬間にはもう思考を巡らせ、指示を飛ばしていた。
「NTW-20! SuperSASSの狙撃地点が攻撃を受けた! マンティコアの殲滅は見送る、今すぐ救援に向かってくれ!」
俺は彼女と――SuperSASSとどう向き合えばいいのか。
その答えが俺にはまだ、分からない。
SuperSASSが指揮官の指示を受けてから一分と経たずに敵部隊は現れた。
スコープに映るのは十体ほどの紫の髪の少女達。
見た目や手にした銃器に多少の差はあるが全員黒いボディスーツに身を包み、バイザーつきのヘルメットを被って顔色一つ変えずに走っている。
彼女達は「鉄血」と総称される人類と相対する戦術人形だ。
G&Kが運用する戦術人形の生産元であるIOPと並び、人形の生産においてトップシェアを争っていた大企業「鉄血工造」。その人形達は二年前のある日、突如として人類に牙を剥いたのであった。
鉄血工造の従業員はその全てが殺害され、各地の鉄血工造の生産工場近郊も甚大な被害を受けた。
それがG&Kと鉄血の戦いが始まった、今日では蝶事件と呼ばれる鉄血人形の最初の暴走事件。
その詳細は明らかにされていないが兵士達の間では鉄血の基幹AIがシンギュラリティに到達し人類を害と見なしたのではないか、という説がまことしやかに囁かれている。
また、鉄血の人形は基本的に自我を持たないが彼女達の中にもごく小数、自我を持ち言葉を発する上位機種が存在する。
俗に「ボス」と呼ばれる彼女達は口々に言うのだという。
「我々は人類である」と。
その真意は未だ定かではない
SuperSASSは起動以来半年の間ずっと鉄血を駆逐する為に訓練を重ねてきたが実際にその姿を目にするのは今回が初めてになる。
鉄血が話題に上ると途端に敵意を剥き出しにする先達の人形達の姿を知っていた彼女には、いざその瞳に鉄血の姿を映しても何の感慨も覚えずに居る自分が意外に感じた。
眼前の少女達を射殺すること。
相手にこちらの存在の悟られていない今、それは新型戦術人形の彼女にとってただ呼吸するにも等しいタスク――のはずだった。
先を行くものから順番に、そのこめかみの先数センチを中心に捉えて最善のタイミングで引き金を引き絞る。
実戦で放った最初の一発は驚く程にあっさりと鉄血の人形を鉄くずへと変えた。
咆哮と共に鉛の塊を吐き出し暴れる半身を押さえつけて、サイトの中の少女が地面へ生体部品を撒き散らすよりも速く次の標的を捉える。
恐怖など感じさせない足取りで走り続ける鉄血達へ引き金を引き続け、気が付けばターゲットの鉄血は最後の一体になっていた。
これまでの銃声や射線からこちらの位置を割り出したのであろう。
引き金を引こうとした瞬間にサイトの中で少女が顔をこちらに向けた。
レティクルと彼女の瞳が、SuperSASSの視線と鉄血の少女の視線が一つに交わる。
バイザー越しにこちらを見遣る赤色の冷たい瞳。
これから自分が放つ鉛の塊が吹き飛ばすそれを見つめた時、引き金にかけた人差し指が不意にその動きを鈍らせた。
「……えっ。」
驚きとともに、焦燥感が込み上げてくる。得体の知れない躊躇いを振り払ってなんとか引き金を引き絞った。
乾いた銃声から僅かに間を開けて、二枚のレンズの向こう側で少女が糸の切れた操り人形の様に倒れ、動かなくなる。
それでもなお、動かなくなった眼前の少女から目が離れない、離せない。
穿たれた瞳から溢れる人工血液は涙のようで。
銃口を下ろし、ただ立ち尽くす。
これが、戦争。
これが私の作られた理由?
だってこんなことはあまりにも空虚で。
――彼女達と私は何が違うの?
ちかっ。
視界の中に閃光を見た。星のような緑の明るい光。
考えるより速く身を翻すが、次の瞬間には視界がめまぐるしく回転していた。方向感覚も平衡感覚もでたらめに掻き混ぜられ、耳では甲高い音が鳴り続けている。全身が焼かれるように痛んだ。
そんな現況をよそに戦術プログラムは射点を割り出し、直前の観測画像と共にSuperSASSに知らせる。
それは鉄血の狙撃用人形のイェーガーの様に見えた。しかし識別名はUnknownを示している。
下ろされた長い髪と使い古された外套、イェーガーのそれとは違う右目だけのバイザー、左肘にライフルを据えた座射の姿勢。
そして、憂いの表情をたたえた瞳。
彼女も鉄血の人形なの?
――わざと外した?
そう思った次の瞬間には、鈍い衝撃と共に意識は闇へ沈んだ。
すこし昔のこと。
初めて目を覚ました私の目の前に居たのは、真紅の制服を纏った体格のいい五十路かそれより少し若いくらいの長身の男だった。
瞳の青色がアクセントになった焼けた肌と銀髪のコントラストが印象的な如何にも軍人然とした姿。
製造ポットの中で怯える私に彼は手を差し出した。
私が身を引いても彼は、その手が握り返されるのを黙って待っていてくれた。
「オリバー・ジョーンズ。お前の指揮官だ。よろしくな。」
オリバーと名乗った男はぎこちない笑顔を浮かべる。彼なりに私を安心させようとしてくれているのだろうか。
恐る恐る握った彼の手は私の手よりずっと大きく、掌の皮は厚くごつごつとしていた。
ポットから降りる私の細い手を壊れないよう優しく包んで支える指揮官の手。
そのぬくもりに擬似感情モジュールが最初のポジティブな感情を出力する。
優しい人、なのかな。
「……初めまして、これからよろしくね。」
「あぁ。よろしくな、SuperSASS。」
SuperSASS、私の名前。その名前を私は目覚める前から『知って』いた。
知っているのは名前だけじゃない。
言葉による意思の疎通の方法も、人間が仕草で示す言外の感情表現も、この世界がどれほど凄惨な半世紀の果てに在る物なのかも、私のライブラリには収録されている。
私達自律人形の自我の始まりは人間のそれと比べて歪なものだ。人が十数年という長き時を生きて学ぶ世の理を最初からデータとして持って生まれ、目覚めたその瞬間から私達は言葉を話す。
本来であれば経験の先に存在し得るはずの知見のみを人間のそれより遥かに多く持ち合わせ、後から経験を補完していく。
だから私にはどうしても分からないことがあった。
彼はきっと気付いていないが私は見ていたのだ。
起動した私の瞳に最初に映った、彼が浮かべていた悲しそうな顔を。
何がそんなにも悲しかったんだろう。
いつか私にもその理由が分かる日が来るのかな。
――私も「過去」が欲しかったな、なんて。
さらりと何かが頬に触れた。
荒んだ世界はまだ私を手放してはくれないようだ。
衝撃から復旧したシステムが再起動し、世界の観測を再開する。
広がった視界ではピンク色の瞳が真っ直ぐに私を見据えていた。
五月蝿く響くローター音が目覚めを少し不快なものにすると共に、私の現状を教えている。私は輸送ヘリのキャビン側壁の座席で膝枕されているらしい。
「せん……ぱい……?」
頬を撫でるピンクの猫毛に触れながら声をかけると、憂慮の面持ちで居た目の前の少女――NTW-20は小さく口元を綻ばせた。
「目が覚めたか。初陣から手酷くやられたものだな。」
あぁ、そうだ。私は高密度の粒子の爆発で吹き飛ばされて意識を失ったのだった。
確か最後の鉄血人形を仕留めて――
「あっ、作戦! 作戦は⁉」
慌てて身を起こそうとすると額をちょんと押さえられ、そのまま頬を弄られる。
「あの区画の鉄血どもはほぼ全滅だ。」
「んむ、やめてよぉ。……ほぼ?」
「あぁ。情報が正しければマンティコアがあと二体居たはずだが。私がそいつを狙撃する前にお前が、な。」
「そっか……」
改めて身を起こし先輩の隣に腰掛ける。
やっぱり私のミスは作戦に響いていた。今までの私であれば何事もなくこなせる内容であった筈なのに、あろうことか戦場で立ち尽くすなんて。
いつだって作戦は何人もの人間や人形の連携で成り立つものだ。
それをあろう事か今回が初陣である私なんかのミスで。
今日仕留め損ねた鉄血がまた誰かを傷付けるかもしれない、そんなことになるくらいならいっそ自分のことなど捨ておいて作戦を最後まで続行してくれていればよかったのに。
「……そんなに気にしているのか?」
私を見て先輩は少し驚いているようだった。
何をそんなに驚くのだろうと疑問に思っていると、彼女の姿が不意に滲んだ。
さらりと頬を伝わる感覚。
「あ、あれ? なにこれ……」
「それはな、涙だ。感情が昂った時に流れるものさ。そういえばお前の型はホームメイト用途だったな、そんな機能が搭載されていてもおかしくはない。……作戦の事は気にしなくていい。私の狙撃を中止させたのは他でもない指揮官の判断だ。逃がした鉄血も単独での行動可能半径は大したことはない、もう心配ないさ。」
先輩は優しく頭を撫でてくれた。
戦場から持ち帰った困惑と恐怖、そして名前の知らない大きな感情が温もりと安堵にかき混ぜられて疑似感情モジュールの演算装置が悲鳴を上げる。
人は涙を流す時、どんな感覚になるのだろう。
ライブラリには胸が締め付けられるような感覚とあるが、私は今そんな感覚を覚えてはいない。
――きっと感情と身体が複雑に絡み合う人間だからこその感覚なのだろう。
そんな事を考えていると涙は勢いを増した。
「泣きたい時は泣けばいい。大切なのは涙を強さへと変えていく事だ。」
「……ぱいは、先輩は泣くことは、あるの?」
「私か? 私はまだ無いな。どうも私は感情の振れ幅が小さいらしくてな。私も、もう少しお前みたいな感情豊かな人形になれたらいいんだが。努力はしているがどうも柄じゃないようだ……。」
「感情……。」
私たちが感じているこの感情はただのプログラムの演算結果なのに、どうして涙はこんなにも止まらないんだろう。
分からない。分からないことだらけだ。
どれだけの間先輩の肩を借りていただろう。
涙は収まり、気がつけば私は悩み事も忘れてただ肌の温もりに心を癒していた。
先輩が振り返って窓に目をやる。
「おっと、そろそろ着くぞ。残った涙は拭いておけ、基地の皆が必要以上に心配する。」
そう言って先輩が差し出してくれたハンカチは、角に熊のワッペンのあしらわれた水色と白のボーダーの可愛らしいデザインの物だった。
「わっ……ふふっ。」
「何だ、何がおかしい?」
「ううん……ありがと。」
「…………あぁ。」
罰の悪そうな顔で照れる先輩。私よりずっと気持ちが顔に出てるのに、本人は知らないんだろうな。
先輩だって普段顔に出ないだけで感情豊かな人形だ。
――鉄血の人形にもそんな子が居たりするのかな。
「見えてきたぞ。」
先輩の言葉に促されて丸窓越しに外を眺めると日はすっかり高く上っていた。
二本の滑走路に寄り添うように広がった無骨な建物の集まり。
あれが私の帰る場所、P02地区のG&K駐屯地だ。たった数時間前に出たばかりなのにもう何日も帰っていなかったかのような感慨を覚えた。
みるみるうちに高度は下がり、ヘリは地上からの吹き返しで不規則に揺れ始めた。
タンデムローターが徐々にその回転数を落とし、振動と共に浮遊感は消え、作戦の終わりを告げる。
後部ハッチが開き始めるとドールメカニックの男達が待っているのが見えた。
先頭で待っていた中国系のスキンヘッドにオレンジのつなぎ姿の男が、血相を変えて下がりきっていないハッチに飛び付いてくる。
「ちょっとチーフ! 危ないですよ!!」
メカニックの一人が制止するが男は構わずにキャビンに転がり込んて来た。
「SASS、何処だ! 今診てやるからな!」
血相を変えた男はキャビン端のハッチにほど近い座席に腰掛けるSuperSASSを素通りして機体前方まで駆けていった。
「居ない……だと⁉ まさか……SASS……跡形もなく……そんな。」
男は力なくその場に崩れ落ちてしまった。
彼は恐らく何か深刻な勘違いをしている。
SuperSASSは恐る恐る近づき、嗚咽を漏らして号泣している男に声を掛けた。
「ね、ねぇ。」
反応はない。
おっかなびっくりなSuperSASSの呼びかけはまだ回転が止まりきっていないローターの音に掻き消されているのだろう。
「ねえってば!」
今度は男の肩に手をかけて呼びかける。
俯いたまま振り返った男はSuperSASSの靴にすがり付いて嘆き始めた。
「へあっ⁉」
「あの子はまだロールアウトから半年ちょっとだったんだ……まだ何も知っちゃいないあんないたいけな女の子が……必死こいて訓練した結果がこんな最期なんて、あんまりだろうよ!!」
男は叫びながら顔を上げ脚の主に事の悲惨さを訴えかける。
引きつった笑顔のSuperSASSと涙でぐしゃぐしゃになった男が見つめ合い、永遠にも感じられる沈黙が流れ。
降り切ったハッチの振動に続いて他のドールメカニックや整備兵が呆れた顔で乗り込んできた。
「あっ……えっと……その……ワンおじさん、ただいま……?」
程なくして、第一部隊の面々はヘリポートを後にして基地の建物へ移動を始めていた。
「全く、チーフメカニックともあろう者が無様がすぎるんじゃないのか?」
「んなっ、元はと言えばお前の報告のせいだろうが! 『SuperSASSがフォトンライフルの至近弾を受けた!』なんて短い連絡一つじゃ分かんねぇっての!」
兵舎へ向かう列の前方では先の男がずっと騒いでいる。
彼はこの駐屯地のチーフメカニックのワン・ハオレン。
正規軍出身の彼は人柄の良さと整備の腕に定評はあるが先のような失態も多く、平時は駐屯地の人間から親方やハゲ等と呼ばれ『フランクに』扱われている。
「私は彼女の容態を確認した際に追加で報告を入れたが。」
「えっ。」
「あたしはちゃんと伝えましたからね。二度も。」
そうなの?と言わんばかりに視線を送るワンに、隣を歩く女性メカニックは冷たく答えるのだった。
相変わらずなワンの姿に苦笑しつつ来た道を振り返ると、続いて帰投した他の部隊を乗せたヘリが降りてくるのが目に入った。
先輩は気にしなくていいと言ってくれたが、やはりこうして動員された部隊の数を目の当たりにすると心が沈む。
ため息を一つ吐こうとすると、腕にそっと誰かの肩が優しく触れた。
「それにしても災難じゃったのぅ。被弾した事も、さっきの『アレ』も。」
「おばあちゃん……」
先行するつなぎ男を呆れた目で眺める、白を基調としたロシア風の身なりをした小柄な少女はこの駐屯地で最古参の戦術人形であるM1895だ。
その独特な口調も相まって駐屯地の面々からは「ナガンばあちゃん」だの「おばあちゃん」だのと呼ばれている、ご意見番的存在である。
私も最初は呼び名に戸惑ったが本人は特に気にしていないようなのでおばあちゃんと呼んでいる。
「誰しも初陣は浮足立つものじゃ。気に病むでないぞ?」
「……ありがとう。」
「して、おぬし作戦中に何かあったのかの?」
「へっ?」
完全に意表を突く質問に思わず声が漏れた。
おばあちゃんはロシア帽を指で回しながら何の気なしに続ける。
「配備前の練成期間にあれだけの成績を収めていたおぬしが、初めての実戦とはいえ射撃後にただ射点に留まっていたとはどうしても思えなくての。わしの思い違いならそれでよいのじゃが。」
狙撃手は一度撃ったら長居せずに射点を変えるのがセオリーだ。
今回のように一点から複数の目標に射撃を行っていた場合、その後の離脱の迅速さはより一層重要になる。
今回の私を顧みれば当然の質問だった
「それは……。」
先輩からの隊の面々への報告では今回の被弾は索敵に漏れた敵が付近に居合わせた結果という事になっているはずだが。
そんなごまかしは彼女にはお見通しという事だろう、白状するしかない。
「あのね、目が合ったんだ。鉄血の人形と。人を意味もなく襲う敵だって分かってるのに身体が躊躇って、どうしてか分からなくて怖くって……」
メモリに焼き付いたあの時の鉄血の人形の瞳。
人のそれを模しただけのカメラモジュールとは言い表せない何かが、そこには確かにあった。
ぽす、とおばあちゃんが帽子を深く被る。
「……そうか、おぬしも感じたんじゃな。」
「おぬし『も』って、おばあちゃんも……?」
驚いて視線を向けると、おばあちゃんは愛銃を抜いてその銃口を眺めていた。
「うむ。きっとわしだけではなかろう。NTWも他の連中も、指揮官すらもどこかでは感じておろう。きっと、言葉を持たないあやつらにも意思とまではいかないが、感情を覚えるような何かは宿っておる。さしずめ、戦闘記録装置の様な物かの。」
「私だけじゃない……みんな。」
おばあちゃんの指先で銃が戯れるように回った。
「まぁ、暗黙の了解ってやつじゃな。進んで話題にすることでもないしの。」
みんな感じていて、その上で。
そうだったんだ。私は今日まで何も知らないで。
すこっ。
リボルバー拳銃が軽やかな音と共にホルスターへ収まる。
「時にSASSよ。おぬしは今この瞬間思案する自身を、何が為に在ると思うかの?」
僅かに低まった声色。
そっと顔色を伺おうとするが彼女は反対側を眺めていてそれは叶わなかった。
「なんの為にって……メンタルモデルを搭載した人形として鉄血と戦う為に、じゃなくて……?」
「うーむ、兵器としては百点の回答じゃな。じゃが、一人の人形としては大負けに負けても十点ってとこかの。」
おばあちゃんは歩みを止めて私の方へ向き直り、人差し指をちっちっと振りながらあどけない笑顔を浮かべてきた。
「まぁ、そう急くこともないからの。じっくり考えてみるとよい。ほれ、着いたぞ。」
気が付けばそこは整備棟の前だった。
いつの間にこんな所までと驚く私の頭を背伸びして一撫ですると、おばあちゃんは踵を返して今一度立ち止まった。
「よいか。答えを見つけたら手放してはならぬぞ。おぬしや、わしの様な『オーダーメイド』ならば、なおさらじゃ。」
真剣な声色で言い残して、小さな背中は去っていく。
「私が、何のために、ここに居るのか……」
投げかけられた質問を反芻しながらスリングで肩にかけていた愛銃を手にしてみる。所々塗装が剥げて銀色を露わにしているそれは私の戦術人形としての存在の半身であり、名前そのものだ。
引き金を引けば撃鉄が落ち、撃鉄に押された撃針は雷管を叩き、そして火薬の燃焼ガスで押し出された弾丸は銃口の先に待つものへ運動エネルギーの塊となり襲いかかる。
そんな暴力の為に作られた道具を運用する「為だけに」作られたのが私。
誰かの幸せの為に作られ、後に戦術人形に改修された人形達とは決定的に違う。
世界のどこかには私と同じ姿をした誰かが何人も居るだろう。
しかし彼女達は鉄血と戦う私達の顔も、崩壊液に被爆して異形と化した者達と戦う正規軍の兵士の最期も、きっと銃の構え方すら知らない。
――それだけじゃない。
偏差射撃の演算の方法も。
ファストロープの難しさも。
教官の厳しさも。
交戦前の静寂の不気味さも。
鉄血の人形の瞳の色も。
戦いの虚しさも。
私が経験してきた辛いこと、その全てを知らないのだ。
STD-41型の自律人形の中で偶然にもタイミングの悪かった私だけが今、自分の意志で選ぶ事も許されずに硝煙の立ちこめる戦場で、彼女達の知らない戦場で銃を手に戦っている。
この不運な偶然に、理由なんてあるのだろうか。
「どうして、私だけ……」
――あぁ、まただ。
視界が端から滲んでいく。
温かな液体は俯いた目の端から、俯いた鼻先から、雫となってアスファルトを濡らす。
涙を流すという行為が、どうしようもなく情けないものであるように思えた。
「私は……何の為に…………」
「――以上が第一部隊の任務遂行の現地報告だ。」
NTW-20が送信したデータを改めながらオリバーは空いた手でこめかみを押さえた。
「ああ、ご苦労だった。……SuperSASSの様子はどうだ?」
「外傷は外装レベルの物だけだ。内部機構に関してもワンが診て自力で歩ける程度だと言っていたが一応念の為にメンテナンスはするそうだ。作戦の中断に関しては気に病んでいるようだったな。責任を感じる事はないと言いはしたが……あの性分では無理だろうな。」
「そうか。俺からも直接話をしておく、お前もゆっくり休んでくれ。今回の作戦も長丁場になったがご苦労だった。」
「そうだな、今回はいつにも増してたっぷり待機されられた。しかも加えてお預けときた。まぁお言葉に甘えてゆっくり休ませてもらうとしよう。……私が思うに、休息が必要なのは指揮官の方ではないか? 失礼する。」
NTW-20が去った司令室にオリバー以外の人影はなく、数十分前までの喧騒が嘘のような静寂に包まれていた。
ほんの少しの呆れ、そして理解と優しさを含んだNTW-20の微笑みを思い返す。
――彼女達は本当に機械仕掛けの人形なのか、時々疑ってしまう。
思えばNTW-20も、俺が初めてこの司令室に来た時からの付き合いだった。
「もうここに来て、二年になるんだな。」
戦いと喪失の先に行き着いたこの場所はいつしか俺にとって帰る場所になっていた。
辺りを見渡すと飾り気のない壁面で唯一存在を主張する紙媒体の写真が目に付く。
今や戦前を知る富裕層や物好きな人形の趣味となった紙の写真だが、一度だけせがまれて断り切れずに駐屯地の皆で撮ったことがある。
「ステン……。」
写真の中央で満足げにほほ笑む金髪を左右に結わえた深紅の制服の人形。
彼女もまた、P02駐屯地に配備された最初の戦術人形の一人だった。
二年前、初めてこの地を踏んだ俺を司令室のドアの向こうで待っていたのは年端もいかない少女達だった。
正規軍で軍用の戦術人形と任務を共にしていた俺には、彼女達が戦いに耐える身とは到底思えずその時俺は趣味の悪い冗談だと踵を返したのだった。
「お前たちが戦うのか?悪いが失礼する。そもそも俺が指揮官になったのは――」
「わしらに同情するならお門違いじゃぞ?」
俺の捨て台詞は幼い声に遮られた。
「……なんだと?」
耳を疑った。
民間用自律人形が軍用戦術人形より高機能なコミュニケーション能力を有していることは知っていたが、まさかここまでとは。
「わしら戦術人形はみな戦う為にその身を改めた者、あるいは戦う為に生まれた者たちじゃ。見てくれで判断されては心外だのぅ?」
挑発的な口調で言うのは一際背の低い少女だった。
「おぬし、正規軍を辞めてG&Kに来たそうじゃな。何か理由があるのじゃろう? ならばおぬしもわしらと同じ、戦いから目を背けることの出来ぬ者であろう。おいそれと引き返して、よいのかの?」
打って変わってなだめるような声色で諭す彼女には俺の背負う物が見透かされているようだった。
全く、皮肉な話だ。
娘を人形に奪われた男が復讐の為に共に戦うのが少女の姿の人形とは。
ましてや娘と同じ年頃の姿をした人形相手にこの体たらく。
これ以上ないセカンドライフの始まりだな。
「……今日からお前達の指揮官になるオリバー・ジョーンズだ。世話になる。」
その日からずっと、胸のわだかまりは居座り続けた。
彼女達はどんなに辛かろうが、傷つこうが必ず笑顔で帰ってくる。
俺は彼女達の笑顔にどんな顔で応えればいいのか分からないでいた。
物と割り切る事も、人の様に仲間として心を寄せる事も俺には出来なかった。
彼女達が娘の命を奪った訳では無いと頭では理解していても、彼女達がどんなに健気に自分に従い笑っていてくれたとしても。
俺の心は『人形』という存在そのものに縛られ続けていたのだ。
もしも、我が家をもっと別の町に建てていれば。
もしも、あと数分早く家に帰る事が出来ていれば。
――もしも、自律人形などという技術が生まれて居なければ。
悔恨の思いはどうしても消えてはくれず、俺はいつまでも彼女達に心を許せずにいた。
そんなある日、鉄血の軍勢を前に復讐心にあてられた俺は判断の誤りによって部隊を一つ孤立させてしまった。
部隊は辛くも生還したが、しんがりを務めたサブマシンガンの人形は帰らなかった。
ステンMk2の名を持つ彼女は、俺が指揮官になったその日からずっと俺を人形達と打ち解けさせようとしてくれていた人懐こい人形だった。
俺は悲しみに暮れた。
そんな自分に戸惑うことしかできなかった。
しかし数日後に『彼女』はサーバーにアップロードされていたマインドマップのバックアップデータを同じ型の素体にインストールして帰ってきた。
『作戦前に取ったバックアップ以降の記憶を失いはしましたが、平気です。』
帰ってきた直後に彼女はそう語ったが、数週間後には自ら戦術コアの解体を希望したのだった。
理由を問うと辛そうに
『今指揮官と話している私が誰なのか、分からなくなってしまったんです。』
とだけ残して彼女は俺の元を去った。
人間ですら大半が生活の苦しい今の世界に自律人形の行くあてなどそう多くはなかっただろう。
たとえサーバーにメンタルモデルのバックアップをアップロードしていようと人形達の『意識』は人と変わらず連続した唯一の物なのだと、俺はその時確信した。
ステンMk2との別れは、間違いなく俺の指揮官としての岐路だ。
彼女は今の俺にとって本当に大事な物が何なのか改めて考えさせてくれた。
今、俺が身を置くのは指揮官としての戦いだ。
敵は人間ではなく、ひいては鉄血ですらもないのかもしれない。
人形達との向き合い方もあの日を境に俺の中で見つかり始めた気がしている。
そして。
少しばかり時は流れ、半年前。
俺の元に娘にどこか似た人形が配属されてきた。
――本当に、この世界は残酷だ。
ぴぴぴっ。
通信端末がワンからの連絡を伝える。
『SuperSASSがまだラボに来ないがお前の所に居ないか?無線が損傷してるようで連絡が取れない。』
戦術人形にはGPSが搭載されてはいるが、少女の姿と心理を有する以上ある程度の人道的権利が与えられており、任務中以外の彼女達の所在や行動を閲覧する権限は指揮官を含む一部の人間にしか与えられていない。
最も、権限こそあれどオリバーも普段は人形への配慮として位置情報の開示はしない。そしてチーフメカニックにもその権限が与えられていたか否か、記憶は定かではない。
今は彼女の精神状態も心配であるので直接彼女の元へ向かう事にした。
端末にSuperSASSの所在を表示するとそこはラボのほど近くだった。
司令室を後にして整備棟へ向かうと、銃を抱いてすすり泣く小さな背中を見つけた。出撃前に羽織っていたカーディガンは認められず、身にまとったセーラーは所々が焼け焦げていた。
人形が泣く所はそう何度も見たことがある訳では無い。だが少なくとも目の前のそれは、機械仕掛けだとはとても思えない姿だった。
俺は、彼女に何をしてやれるだろうか。
答えを見つけられないままに手を伸ばす。
「大変だったな。よく、無事に帰ってきてくれた。お前が無事で本当によかった。」
ぽんと頭に手を置くと狭い肩がぴくりと震え、瑠璃色の瞳がこちらを見遣る。
「……指揮官。」
「今回の撤退は気にしなくていい。……俺達の仕事は命を守ることだからな。お前の命だってそのうちの一つだ。」
それは不思議と沸いてきた言葉だった。
「命……? 私は人形だよ?」
涙を溜めながらもSuperSASSは顔を上げる。
眉を八の字に曲げた表情が娘の――エマのそれと重なり胸が締め付けられる。
そしてSuperSASSの言葉で初めて自分の言った事の非合理さに気付いた。
人形に『命』か。
俺も変わったもんだな。
「人形だからなんだ? お前にだって命は宿ってるんだぞ?」
「機械に命って、変な指揮官。……でも、ありがとう。」
SuperSASSは涙を流しながら笑う。器用なものだ。
――命。それはエマにはもう二度と与えてやれないもの。
目の前のSuperSASSにエマの姿を重ねる事に微かな罪悪感を抱きながらも、彼女を愛おしく思う自分が居る。
「ねぇ、指揮官。」
「あぁ、どうした?」
袖を掴んだSuperSASSは俯き、叱られた子供のように恐る恐る言う。
「指揮官は何のために……今を、生きてるの?」
一瞬で血の気が引いた。
それは娘を救えずにあの日を生き残ってしまった自分への呪詛の言葉に思えた。
だが。
俺だって変わったんだ。
俺が生き残ったこの事実はきっと偶然じゃなく、意味があるのだと信じている。
たとえ俺が戦った事実が人々の記憶に刻まれる事が無かろうと、未来に語り継がれることが無かろうと。
俺はあの日決めた。
「俺は、人々の未来を守るために生きている。」
「未来を……?」
SuperSASSの頬にもう涙は流れてはいなかったが、俺の答えはSuperSASSの腑に落ちない様子だった。
「でも、指揮官はそれでいいの? 自分のために何かをしたいって思うことは無いの?」
――どうか、エマの面影を宿しながらそんな優しいことを言わないでくれ。
「そうだな。もう俺は……夢を見るには過ぎた時間も失った物も多過ぎる。けどな、誰かの夢を守ることはまだ出来るんだ。それだけで、十分に幸せなんだよ。」
「そっか……。未来を守る、かぁ。」
SuperSASSの銃を抱く手に力が入ったように見えた。
「……何か、戦場に出て思うところがあったんだな?」
問うと、少女は黙ってこくりと頷くのだった。
『だったらよ、基地の外の世界でも見てきたらどうだ?』
声の方ではメンテナンスラボのシャッターからワンが顔を覗かせていた。
「もちろんメンテが終わったら、だけどな。」
「……ワン、お前いつから。」
「あんまり遅いんでね、ほんの少し前からだよ。ほらSASS、おいで。」
「あっ……うん。」
ラボに向かうSuperSASSは俺の袖を離してはくれなかった。