壁面から天井まで電子機器やメンテナンス機器がびっしりと配置されたメンテナンスラボの中央、何本ものロボットアームに囲まれた整備台に肌着に着替えたSuperSASSが腰掛けるとワンはケーブルを渡した。
「これ挿すの、変な感じがして苦手なんだよね……」
ぼやきながらSuperSASSがギターシールドに似た形状のケーブルを耳に挿すと、ワンの操作する整備台横の端末に彼女の身体ステータスが表示された。
オリバーは心配そうに脇から覗き込む。
「SuperSASSの状態はどうなんだ?」
「そうだな……幸運な事に爆発自体のダメージはほぼ無いと言ってもいい。だが流石にビルの五階分の高さから落ちた衝撃は各部のアクチュエータにダメージを与えてるな。活動に問題は無いが、戦場で機能不全に陥らない為にも交換しておくべきだ。……まぁ戦闘後の人形の状態としては何事も無かったのと同程度だ、心配いらねぇよ。」
「そうか、安心した。」
ワンが端末を操作するとSuperSASSの身体の各部に設けられたメンテナンスハッチが静かな駆動音と共に開放される。
「それにしても、いつもは損傷した人形が居たとしてもラボにまで見舞いになんて来ないお前が、まさか修理に立ち合うとはな。珍しい事もあるもんだ。」
「えっ、ワンおじさんそれほんと?」
オリバーが弁明するより速くSuperSASSは嬉しそうに振り向いた。
「おうとも。わざわざ着替えまで待ってたんだしな。お前はオリバーのお気に入りなのかもな?」
「ねぇ指揮官、そうなの?」
先刻までの泣き顔が嘘のような期待の表情にオリバーは言葉を返せない。
「……違うの?」
一転、おもちゃを取り上げられた子犬の様な悲しげな表情。
オリバーは沈黙を貫くことが出来なかった。
「……お前が俺の中で特別な存在なのは確かだ。……だが、決して他の人形も心配していなかった訳じゃない。今回立ち会ってるのは成り行きだ……SuperSASS?」
自分の発言に彼女が少なからず喜ぶと思っていたオリバーは沈黙の返答に呆気に取られた。俯いて黙り込んでしまった少女を怪訝そうに見つめる。
「なぁ、SuperSASS、どうしたんだ。」
オリバーが角度を変えて表情を伺おうとしてもSuperSASSは顔を背け続ける。
「オリバー、お前にデリカシーの残骸が少しでもあるならやめてやれ。」
「デリカシー?何を言って……。」
ワンの制止から間を置いてオリバーも黙り込み、ラボにはワンがSuperSASSの内部構造を整備する音だけが響く。
「……ねぇ、指揮官。」
俯いたままSuperSASSが沈黙を破る。
「私ちゃんと分かってるよ、指揮官のさっきの言葉がそういう意味じゃないって事。さっきはちょっと恥ずかしくなっちゃっただけ……だと思う。」
「そ、そうか。ならいい。俺も気が回らなくて悪かった。」
「私はまだよくない。」
食い気味な否定と共にSuperSASSの視線に射抜かれる。
いつになく神妙な面持ちの彼女は別人の様だった。
「私ね、ずっとずっと気になってたんだ。……見ちゃったの。私がロールアウトしたあの日、起動して初めて目を開けた時に見た指揮官の表情。どうしてあんなに悲しそうな顔してたの? 私が指揮官にとって特別なのは、あの表情と関係があるの?」
ラボには再び無言の時間が訪れる。
だが先刻と違いオリバーもSuperSASSも俯いてはいない。
瑠璃色の瞳はひた向きに青色を映している。
青色の瞳も揺れながらに、逸らす事はしまいと懸命に瑠璃色を映した。
ワンがSuperSASSの脚部から取り外したマイクロシリンダーを手に立ち上がる。
「なぁ、オリバー。俺も少しは思ってはいたが。お前、やっぱりそうなんだな。」
「…………あぁ。」
「正直に言ってやれよ。本人に何も伝えないまま続けるなら俺が許さねぇぞ。」
ワンの声はSuperSASSの知るどの彼の声よりも覇気を纏っていた。
「……思い出したが、人形の所在の照会権限はチーフメカニックにもあったな。」
「そんな便利な権限なんて初耳だな、覚えとくわ。」
昔からお前には敵わないな、とオリバーがSuperSASSの隣に腰掛ける。
「最初からこれが目的だった訳か。」
「何の事だかさっぱりだ。ちょいと替えのパーツを取ってくる。」
「……ワン、すまない。」
ワンの去り際にオリバーが呟いた。
いつもの優しい声色が返ってくる。
「俺は、礼を言われる覚えはあっても謝られる覚えはねぇぞ。そんじゃな。」
ラボにはオリバーとSuperSASSの二人きり。
もはや逃れる術はなかった。
「SuperSASS、今日までずっとお前に黙ってたことがある。」
「……うん。」
オリバーはSuperSASSを見つめ、告げる。
「SuperSASS、お前は、俺の娘に似てるんだ。見た目じゃない、仕草や性格がな。……そして、俺はいつからかお前にその姿を重ねていた。」
オリバーは深々と頭を下げた。
「どうか、俺のしていた惨めな現実逃避を許して欲しい。もう二度とこんな事はしないと約束する。」
やっと、言葉にして吐き出す事が出来た。
オリバーは胸の枷が外れたような錯覚を覚える。
SuperSASSはしばし考え、質問で返した。
「それって、いけない事なのかな? 指揮官が私を娘さんの様に思うって事は、私は指揮官にとってすごく大切な人って思って貰えてるんでしょ? ……私はたとえ自分じゃない誰かとしてでも、大切に思って貰えるなら嬉しいよ……?」
――だったら、その憂いを含んだ作り笑いはなんだ。
そうか、さっきの質問はそういうことか。
お前は『自分』を、探してるんだな。
いつかの俺のように。
「……それじゃダメなんだよ。お前は他の誰でもないお前なんだ。だから、そんな事は言わないでくれ。」
オリバーの言葉にSuperSASSは目に見えてたじろぐ。
「……そんなこと言われたって、私には自分が分からないよ。戦う為に作られた私に、それ以外に何の意味があるの?」
焦りと恐怖の滲むまくし立てるような問いかけ。
彼女はまさに今、俺の目の前で苦しんでいる。
全てを失い、指揮官になったあの日の俺の様に。
オリバーは微笑んだ。
「少し、俺の昔話を聞いてくれないか?」
「うん、いいよ。」
一つ大きく息を吐いてから彼は語り始める。
「娘の名前はエマ。戦時に兵士と病気の妻の間に生まれたにも関わらず、いつもはつらつとした天使の様な娘だ。生まれてすぐに母を亡くし、父は戦争が終わっても化け物との戦いに駆り出されて、年に数回の俺の帰省以外はずっと一人ぼっちで……。鉄血の愛想の無いメイドにさえ優しい、本当に心の温かい子だった。夢は保育士と言っていた。優しさの輪を広げて争いの世界を作りたいと…………」
オリバーは言葉を詰まらせ、天を仰いだ。
彼の頬を伝う涙をSuperSASSはストライプのハンカチでそっと拭う。
「すまない。」
「ううん。何も謝ることなんてないよ。……いいんだよ。」
一つ頷きオリバーは続ける。
「……蝶事件が起きたあの日は、俺の数少ない休日だった。俺はエマへのプレゼントを山ほど乗せた車で我が家へ向かった。だが、家のある町の隣町に着こうかって頃に辺りの様子がおかしい事に気付いたんだ。最初はただの渋滞だと思ってたがいつまで経っても車列は止まったままだった。そもそも、人間の数が減った今の世界で渋滞なんてものは殆どあり得ない。反対車線を走る車も何時からか見ていなかった。俺が車を降りて道端から車列の先を見たまさにその時、最初の爆発が起きた。
目を疑ったさ。車列の前方に広がる町で逃げ惑う人々を追いかけて撲殺しているのはそのどれもが自律人形界の最大手である鉄血工造の人形なんだからな。……道なんてもんはその瞬間からもう関係なくなった。
気が付けば俺はボコボコの車で我が家のある町に辿り着いてた。俺の町はごく小規模のPMCの統治する町だ。町の人口にも迫る数の、痛みを知らない機械仕掛けの敵を鎮圧出来るだけの武力なんて持ち合わせて居る訳がなかった。せいぜい強化外骨格がいいとこだ。おまけに時間が経てば隣町とそのすぐそばの工場からも鉄血はうじゃうじゃ押し寄せてくる。それでも幸運なことに、俺の家は外れにあったおかげで襲撃の被害は少ない様に見えた。
……だが違ったんだ。俺が家に着いた時、エマは家の屋根に登って人形から逃れていた。辺りに生きてる人間はもうエマしかいなかったんだろう、家の周りは鉄血だらけだった。俺が車を降りてハンドガンを手に家へ向かった時、俺に気付いたあの子は言ったんだ『来たらダメだよ、逃げて』なんて。
十四歳の女の子が殺される恐怖に耐えて、自分よりも俺の事を考えて……。それでも俺は止まらなかった。家に群がる人形どもを片っ端から撃ちぬいて、家を目指した。…………だが俺はエマを救う事は出来なかった。
鉄血が製造する戦闘用の人形にジャガーって機種が居るのはSuperSASSも知ってるよな。あいつらは装輪駆動な分、町にやってくるのも早かった。
エマは俺の目の前で家共々迫撃砲の榴弾で吹き飛ばされて、死んだ。俺も爆発で吹き飛ばされた。」
「……。」
「目を覚ますとそこはグリフィンの医療棟のベッドの上だった。自分が生きていることに絶望したよ。自殺しようと何度も思った。でもそんな終わり方じゃあの世でエマに顔向け出来やしないだろ?
俺は……生きるしかなかった。俺は怪我が完治したその日に正規軍を辞めて指揮官の選抜試験に志願し、すぐに指揮官になった。でもな、少女達を戦地に送り出して鉄血の人形をどれだけ鉄くずに変えたって俺の心は癒えやしなかったんだ。心に残るのは虚しさだけ。
……思い返せばいつだってそうだったさ。正規軍として異形の被爆者を屠っても、かつて観光に訪れた異国の地で何の恨みもない兵士を殺しても、心に残ったのは虚しさだけ。結局戦いってのは、そういうもんなんだ。俺は二十年近く戦争に身を置いて、やっと気付いた。戦いそのものに意味を見出すことなんて出来やしないと。
……でもな、戦った結果として残るものには少なからず価値はある。それは明日の朝の目覚めであり、故郷の平和であり、人類の未来だ。」
SuperSASSは胸に手を当てた。
「結果として、残るもの。」
少し表情の明るくなった彼女の姿にオリバーは微笑んだ。
「そうだ。人間だろうと、人形だろうと意思のあるものには皆権利がある。『オーダーメイド』だろうと例外なんかじゃない、それは自分の守りたいものを決める権利だ。守りたいもの。それが自分の明日なのか愛する人なのか、金なのか快楽なのか、それとももっと別の何かなのか。決めるのは他の誰でもない自分だ。それを守り抜くには誰かと対立する事もあるかもしれない。……もちろん、争わない道を探せるのならそれが一番だ。だがもう世界はそんな生易しい事を許してはくれない、時には戦わなければならない。今は、そういう時代になっちまったんだ。そして、お前には守りたいものの為に戦う、その力がある。だからな、自分の生まれを気にする事なんてないんだ。」
SuperSASSは胸に当てた手を握り締める。
「でも……私達人形の心はプログラムで、この感情は決められた法則の結果だよ。それでも私は……本当にここにいるの?」
SuperSASSの震える肩をオリバーは優しく抱き寄せた。
大きく硬い掌が小さな頭を優しく撫でる。
「それは難しい質問だな。そもそも、心なんてものは自分以外には本当にそこにあるのかなんて分からないものだ。お前たち人形のメンタルモデルだって、法則とは言うがその設計者ですら今お前らが何を考えてるのかなんて分かりはしないさ。そういう意味では、人間の心も人形の心も大差ないのかもしれないな。」
「そっか……。でも、自分の守りたいものなんてどうやって探すのかも……わっ⁉」
オリバーに乱暴に頭を撫でられてSuperSASSは首をすぼめる。
「せっかちだな、お前は。いいか? 大切なものは探すもんじゃない、生きていく中で少しずつ輪郭を見つけるものなんだ。そして、見つけたら最期まで守り抜く。そういうもんだ。半年そこらの話じゃない、気長に考えろ。」
「気長に、かぁ。おばあちゃんも『見つけたら守り抜け』って言ってたよ。」
「M1895にも相談してたのか。」
「ううん。そもそも私がこの事を考えていたのはおばあちゃんに聞かれたからなの。私、指揮官とちゃんと話せてよかった。」
笑みを浮かべるSuperSASSの表情に最早陰りは無かった。
「全く、M1895にはタイミングってものをもう少し考えて欲しいもんだ。……でもまぁ、おかげでお互い腹を割って話が出来たのも事実だ。感謝しないとな。」
「ねぇ指揮官、まだ聞きたいことがあるんだけど。」
「なんだ?」
「指揮官はどうして私の事SASSって呼んでくれないの?」
SuperSASSはわざとらしくむくれて見せる。
「なっ、どうしてって言われてもな……そうだ、NTW-20もお前の事はSuperSASSって呼んでるだろ? どうして俺だけ不服なんだ?……うっ。」
オリバーの脇腹にSuperSASSの肘が突き刺さる。
「質問に質問で返すなって教わらなかったの? 先輩はそういう人だからいいの。……ほんとはよくないけど。今は指揮官の話でしょ。ワンおじさんの事は呼び捨てにしてるんだし、私と人形のみんなの事だってもっとフランクに呼んでくれていいんだよ?それとも私達とは仲良くなりたくなんてないの? ねぇ?」
オリバーは言い返せぬまま更に二発、三発と小突かれて抵抗も出来ない。
「お前は昔っからそういう所で弱いよなぁ、オリバー。」
声の方向、ラボのドアでは替えのパーツを積めたコンテナを手にしたワンが戻って来た所だった。
「ワン、丁度いい所に帰って来てくれた。お前から何か言ってやってくれないか?」
ワンは片眉を上げて答える。
「俺ぁお前が呼び方を改めるべきだと思うぜ? いちいち長ったらしい正式名称でやってちゃあ面倒だし、なにより親近感ってもんがねぇだろうよ。なぁSASS?」
ワンの問いにSuperSASSはぶんぶんと首を縦に振る。
「なぁオリバー。もうとっくに吹っ切れてんだろ? いいじゃねぇか。」
「……別にそういう訳じゃないさ。」
「ならなんで……オリバー?」
オリバーは俯いていた。
「……怖いんだ、大切なものを増やすことが。」
それはオリバーが初めてワンに吐いた弱音だった。
がしゃん。
けたたましい金属音と共にコンテナが地面に落ちる。
ごっ。
驚くSuperSASSをよそにワンはオリバーの胸ぐらを掴み、全力で頭突きをかました。
二人の額から鈍い音が鳴る。
「わ、ワンおじさん……⁉」
額から血を流しながら、ワンは黙ったままのオリバーを怒鳴りつける。
「おい、人には散々ご立派な事言っといて自分はそれか? 冗談だろ? どこ行っちまったんだよ? 米軍時代に、正規軍時代に、挙句の果てには指揮官になってからも散々無茶して、俺に迷惑かけながらでも色んな物を守ってきたオリバー・ジョーンズは! 守るものの一つや二つ増えたからなんだってんだ? そもそもお前にとって人形達はもうとっくに大切なものの一つだろうがよ? なぁ、認めることから逃げてんじゃねぇぞ。……お前が一番分かってんだろ? こいつらが『強い』奴等だって事くらい。」
「……。」
オリバーの額から流れた血の筋は、目尻を通り過ぎ、頬を伝った。
「し、指揮官……? にぇっ⁉」
尚も返事をしないオリバーを案じて、整備途中のSuperSASSが立てないながらにも二人の傍に近づくと、その頭はまたしてもオリバーの手に乱暴に撫でられた。
オリバーは不適な笑みを浮かべる。
「……お前の頭突きも鈍ったな、ワン。……へっ、血が出てるじゃねぇか、馬鹿野郎。あぁ、こんなんじゃエマの金的の方がよっぽどだ。もっとも、目が覚める位には効いたけどな。」
ワンもオリバーが手をのけたSuperSASSの頭をがしがしと撫で、にたりと笑う。
「血が出てんのはお互い様だろうが。今回限り、文字通りの出血大サービスだ。俺はお前のメンテなんて請け負うつもりはさらさら無ぇからな。」
「あぁ。分かってるさ。……なぁSASS、映画って知ってるか?」
「えっ、もちろん知ってるけど……? ねぇ今、指揮官、私の事……!」
SuperSASSは目を輝かせた。
「さぁSASS待たせたな、交換を始めるぞ。さっさと済ませて楽しいお出かけの準備だ。……なぁ、一つだけ俺からもいいか?」
SuperSASSの足元に跪いたワンが整備を始めながら言う。
「うん、もちろん。」
「人形のメンタルモデルってのはな、元の演算プログラムこそ同じだが経験した事、感じた事の違いで文字通り十人十色の改良を自分で加えていくもんなんだ。だからな、SASS。どんな自分に変わっていくかはお前だけの自由だ。感じたことのないことを感じて、色んな価値観に触れてみろ。そして自分はたった一人の自分だと誇りをもって生きるんだ。道を見失ったら自分の力でやり直せばいい。その時にはきっと力を貸してくれる誰かもお前の傍にはきっと居る。……さっきといい今といい、やっぱこういうのは俺の柄じゃねぇな。」
ワンは照れくさそうに笑った。
オリバーがぺちりとワンのスキンヘッドを叩く。
「やっぱ聞いてたんじゃねぇか。」
「うるせぇ、俺だってSASSが心配だったんだよ。」
小競り合いを始める二人を眺めながらSuperSASSは微笑む。
私は貧乏くじなんかじゃない、大当たりだ。
私には大切な仲間も、私を大切に思ってくれる仲間も居るのだから。
自分で決めて、守るために戦う力があるのだから。
そして何より、それを幸せに思える心があるのだから。
きっと私は世界で一番ラッキーな人形だ。
「……ワンおじさんも指揮官も、ありがとう。私ね、同じ型の他のみんなとは違うオーダーメイドな自分が受け入れられなくて、どうして私は作られちゃったんだろうって思ってた。本来のホームメイトアンドロイドとして作られてたら幸せだったかなって悔やんでた。でも、二人のおかげでこんな自分を好きになれたよ。私は不幸なんかじゃないって、私は私でいいんだって、初めて思えた。だから二人とも、ありがとう。」
目元を拭い、SuperSASSは嬉しそうに笑う。
その笑顔は一切の陰りのない、世界でたった一つの彼女だけの笑顔だった。
翌日の朝、駐屯地から市街地へと伸びる長い一本道をオープントップのジープが駆け抜ける。
「ねぇ! 指揮官ってば!」
長い髪をバタバタと暴れさせながらシートにへばり付くSuperSASSが叫んだ。
「どうしたSASS、トイレか?」
「違うよバカ! じゃなくて、ちょっと飛ばし過ぎだよ!」
ジープのスピードは時速百二十キロを優に超えていた。
「なんだ? HALO降下もこなすお前がこんなのでビビってんのか?」
オリバーはアクセルを更に踏み込む。
SuperSASSの悲鳴と共にジープは四十キロの道のりを十分足らずで走破した。
「なぁSASS、悪かったって。」
SuperSASSは市街地に着くや否や、クレープのワゴンを無言で指さしたきり、オリバーとは口を利かなかった。
ベンチで黙々とクレープを頬張る彼女にオリバーは謝るほかどうすることも出来ない。
「まさかお前がそこまで本気で怖がってるとは思ってなかったんだ。……あっ。」
「……?」
オリバーの視線の先、むくれたまま食べ終わったクレープの包み紙を畳むSuperSASSの鼻の頭にはクレープのホイップクリームが付いていた。
少しの硬直の後にオリバーが自分の鼻を指差して見せると彼女は自分の鼻を見てすぐにそっぽを向いた。耳を赤くしながらどこかで見覚えのあるハンカチで鼻を拭っている。
「お前、そのハンカチはダネルのか?」
クリームを拭き終わったSuperSASSはオリバーにじとりとした視線を送った。
「気付いたからってなんで聞くの? ほんとそういう所だよ、指揮官。……ごちそうさまでした、次は映画が見たいです。」
突然、二人のやり取りを遠巻きに眺めていたバックパッカーの女性が二人に歩み寄ってくる。
「可愛らしい娘さんね。」
女性は性別の割に背が高かったが、微笑みを浮かべた顔の全貌は深く被ったワークキャップの鍔に阻まれてオリバーからは伺うことが出来なかった。
しかし。
その傍らのSuperSASSは臨戦態勢に入っていた。
膝に置いたポシェットで女性からの視線を遮った右手が、内腿に忍ばせたバリスティックナイフを抜いている。
彼女は怯えているようだった。
オリバーは努めて何気ない笑顔を女性に返す。
「ありがとうございます。田舎育ちなもので……街や知らない人間にはまだ慣れていなくて、すみません。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。突然ごめんなさいね、あまりにも純真で可愛らしくて話しかけてしまったわ。お嬢さん、よかったらお名前を聞いてもいいかしら。」
「…………エミー。」
にこにことした女性へSuperSASSは不愛想に答えた。
「そうエミー、名前も素敵ね。私の旅はこの街で終わるのだけれど、貴女のような子に会えてよかったわ。それじゃあね、エミー。良い一日を。」
女性はオリバーにも会釈すると荷物を背負い直して立ち去って行った。
ナイフをしまうSuperSASSを隠すようにオリバーは彼女の隣に腰掛ける。
「……SASS、彼女を知っているのか?」
「分かんない。初めて会った人だけど何か見覚えがあって……上手く思い出せないの。」
「そうか。ひとまずは何事も無くて良かったが……」
――私の旅はこの街で終わるのだけれど。
オリバーには彼女のその言葉がどうも引っかかっていた。
「すまないSASS、少しいいか。」
「うん。」
通信端末を取り出して指揮回線に接続する。
「第三市民居住区の治安維持部隊第一から第三へ。黒いワークキャップを被ったバックパッカーの女性を監視して欲しい。何か事件を起こさない限り定時連絡は不要だ、以上。」
『S.F31了解だ。』
『S.F32了解です。』
『S.F33了解しました。』
「これで一先ずは様子見だな。さぁSuperSASS気を取り直していくぞ、何の映画が見たい――」
オリバーが通信端末をしまって向き直ると、既にSuperSASSは瞳を輝かせながらうずうずと、やりたい事がリストアップされている通信端末のメモ帳を掲げていた。
初めての街にSuperSASSは大はしゃぎだった。
オリバーはなされるがまま、ついていく事しか出来ない。
「私、病気で余命半年になっちゃったらどうしようかな……。」
「縁起でもないこと言うんじゃない。」
「ふふ、私は絶対病気になんかならないけどね。」
「じゃあ恋煩いも出来ないな。おいなんで殴った?」
憧れだったロマンス映画で理想の恋愛に焦がれ。
「ねぇ、どうかな? 似合ってる?」
「さっきの服とどこが違うんだ?」
「全然違うよ! さっきのはワンピースで、これはチュニック!」
「俺は普段の制服が一番可愛いと思うぞ。……なぁどうしてビンタした?」
アパレルショップでは駐屯地の購買部でお目にかかれない華やかな服を前に何時間も悩み続け。
「どっちの色がいいかな……」
「お前それワンに怒られないか? ていうかすごくシンナー臭いんだが。」
「除光液で落ちるから大丈夫だよ。あと店員さんの前でそういうこと言わないでよね。」
「そもそも爪に塗料なんか塗って何になるんだ? ……おい、俺の爪を塗るな。」
コスメティックショップでは自分の買い物と駐屯地の人形達への土産選びに加えて店員の誘いのままにマニキュア講座まで受けた。
街では何の事件も起きぬまま時間は流れて行く。
それは華やかさとは程遠い戦場で無骨に生きてきたオリバーには目の回るような数時間だった。
いつしか空は茜色に染まり、街頭が灯る。
おびただしい数の紙袋をジープの後部座席に積んだSuperSASSは満足気に助手席に戻ってきた。
「ふぅ。」
「街は楽しかったか?」
「とっても楽しかった! 今度は先輩達と一緒に来たいよ!」
ご満悦のSuperSASSとは裏腹に、オリバーは今日の自分の様に街中を連れ回されるNTW-20を想像して心の中で合掌する。
「じゃあ、出すぞ。」
「帰りは法定速度守ってよね。」
「今じゃもう法なんて飾りだろうに。……ちゃんと守るから睨むな。」
「よろしい。」
オリバーがジープにキーを挿した丁度その時、ダッシュボードの上で通信端末が音を立てて震えた。
『こちらP02駐屯地、哨戒レーダーに感あり。第一市民居住区の北部三十キロにてマンティコアの反応、二体です。』
「こちらオリバー了解した。第一部隊のSuperSASSをM99と入れ替えて第一市民居住区に向かわせろ。指揮は第三市民居住区のオフィスから行う。それと必要であれば避難誘導が行えるように第一市民居住区の治安維持部隊を持ち場に展開させておけ。任せたぞ。」
『了解。』
キーを捻ったジープのエンジンが唸りを上げる。
「SASS、悪いがまだ帰れなくなった。」
神妙な面持ちのオリバーを見てSuperSASSが不安そうな顔をする。
「何かあったの……?」
ジープが車の合間を縫って街を駆け抜ける。
「第一市民居住区の北部にマンティコアが現れた。まだ市街地まで距離はあるがマンティコアの主砲ならあと十キロも近付けば精度は別として射程に入る。……事態は一刻を争う状況だ。この街の治安維持部隊のオフィスから指揮を執る。」
「それって……!」
SuperSASSは苦悶の表情を浮かべた。
「お前のせいじゃないさ、マンティコアが活動拠点からこんなにも離れて行動するなんて聞いた事も無い。異例中の異例だ。」
マンティコアはその図体の大きさと装甲の厚さ、走破性と射撃の安定性を重視した移動効率の悪い多脚方式に伴って単体での行動半径は他の鉄血と比べて狭い。
そのマンティコアが昨日の作戦地域から八十キロは優にある距離をほぼ二日かけて走破した? ありえるのか?そんな事が。
少なくとも市民居住区周辺の区画は全てグリフィンが制圧して監視下に置いているはずだ。別の個体とは考えにくい。
――一体何が起きているんだ?
治安維持部隊のオフィスに猛スピードで滑るように横づけしたジープからオリバーが飛び降りる。
SuperSASSはキーを抜き、オフィスの前で腰を抜かした守衛の人形に謝罪しながらその後を追った。
「邪魔するぞ! G&KP02地区指揮官のオリバー・ジョーンズだ! 臨時司令室はどこにある!」
オリバーが慌ただしくオフィスに乗り込むとメイド姿の人形が冷然と迎える。
「お待ちしておりました、こちらに。」
オリバーとSuperSASSが案内された部屋は既に作戦指揮の準備が整っていた。
「臨時作戦指揮システムの起動、および指令デバイスの治安維持部隊を含めた各部隊への接続は完了しております。ご武運を。」
メイド姿の人形は整ったお辞儀をして部屋を出ていく。
「迅速な対応に感謝する。……こちらオリバー、第一部隊聞こえるか。」
『こちら第一部隊、NTW-20だ。目標付近への部隊の配置と狙撃準備は完了している。』
「上等だ。ターゲットは移動を続けている、ダミーからの測量情報との僅かな差異に注意しろ。ダネル、M99、やれるな?」
『無論だが……その呼び方はどういう風の吹き回しだ?』
『あっ、私にもそういう呼び名欲しいですー!』
オリバーはタイミングを誤ったなと苦笑いしながらも司令コンソールからは目を離さない。
二体のマンティコアは鈍重な動きで二人の銃の有効射程に入ろうとしていた。
射撃のタイミングは有効射程ギリギリではなくそこから更にしばらく進んだ地点の斜面が相応しいだろう。登坂に伴って姿勢が変わり、脚部の装甲の厚い部位を縫って本体を狙いやすくなるはずだ。
山岳地帯の各所に息を潜める彼女達は観測手の人形共々、熱光学迷彩マントに身を包んで潜めているため遠距離から発見されるような事は無い。
だが初弾を外せば、あるいは射撃タイミングが僅かにズレれば話は別だ。
マンティコアから二キロと満たない位置にいる彼女達は正規軍での運用を前提に製造された、二十キロの距離を焼き払うフォトンキャノンに一瞬で手痛い反撃を喰らう事となるだろう。
だが。
オリバーの心には不安などなかった。
インカムをつまみ、声色を落とす。
「まぁ、帰ったら話そう。――照準最終調整開始。リンク接続。」
間を置いてコンソール上の二人のステータス表示がLinkedへ変わった。
『『接続完了。』』
お前らは『強い』奴等だ。
任せたぞ。
「やれ。」
『Got it.』
『Got it.』
順に二人分の掛け声が続き、僅かに間を開けて二つの凄まじい音量の銃声が轟く。
寸分違わず同時に発射された二つの弾丸は二体のマンティコアのジェネレーターを正確に貫いた。
四本足の巨躯がその場に崩れ落ちる。
静まり返った空気に二つのコッキング音が響いた。
『『タンゴダウン』』
――やっぱり、戦友ってのは良いもんだ。
オリバーはインカムを外した。
「みんなよくやった、戦闘終了だ。」
「……すごい! 先輩もM99ちゃんもすごいよ!」
傍らで見守っていたSuperSASSが声を上げる。
『たかがこれしきのことで大層な祝福だな。』
『SASSちゃんありがとー! そうだ、お願いしてたぬいぐるみあった?』
「あったよ! 大きいのと小さいの二種類あったから両方買った!」
「お前ら、任務用の通信回線で――」
ぶぶぶっ。
二人を叱ろうとしたオリバーは再び緊急信号を受信した通信端末のバイブレーションに声を失った。
『こちらS.F33! 対象を監視中のS.F31、32と連絡が付かなくなりました! 最後に反応があったのは――――IOPの人形生産工場付近です。』
オリバーとSuperSASSが到着した時、既にIOPの工場付近はこの治安維持部隊の面々によって封鎖された後だった。
二人の姿を認めるとすぐにジープに駆け付けてくる人形が居た。
長い三つ編みの髪が特徴的な、ショットガンとシールドを装備した少女は敬礼し報告する。
「第三治安維持部隊長の九七式です! 現場に駆けつけた所、第一と第二の面々は工場の裏手で制圧されていました。皆手足に損傷を負っていますが全員無事です。逃れて来た工場の職員曰く、彼らは対象に解放され、対象はこの工場の中央制御室に立てこもっているとの事。如何致しましょうか?」
「立てこもっているのは彼女一人なのか?」
「はい。拘束された人質はここの工場長一名のみです。」
「一名のみだと……? 犯人の要求は?」
「民間用自律人形の戦術人形への改修、および戦術人形への改修を前提とした自律人形の生産の恒久的な停止、との事です。」
「何だと?」
先ほど会話を通じて感じた一抹の違和感。
彼女はまさか自律人――
「指揮官、私に行かせて。」
その言葉はSuperSASSの物だった。
肩にはジープに積んでいた彼女の愛銃も掛かっている。
――彼女の目には確かな覚悟の光が宿っていた。
もう、俺にこの子を止めることは出来ないだろう。
彼女は今、自分の意思で大切な物を守ろうとしているのだから。
どこまでも俺の言葉に忠実だな、お前は。
オリバーは拳を差し出した。
「いいか、あくまで説得だ。必ず帰ってこい、命令だ。」
こつん、とSuperSASSが自分の拳を打ち合わせる。
「了解。」
SuperSASSは単身、工場へと踏み込んでいった。
ジャミングされているのだろう、工場に足を踏み入れてしばらくすると外部との連絡は取れなくなった。
スコープにマウントしたマイクロドットサイトを用い、白一色の無機質な廊下を慎重にクリアリングしながら進んでいく。
十字路に差し掛かった時、突然に耐火シャッターが降りた。
「あっ⁉」
『――クリアリングなんて要らないわ、おいで。見せたいものがあるの。』
館内放送でバックパッカーの女性の声が聞こえてくる。
十字路から伸びた四本の廊下は一つだけが開け放たれていた。
慎重に進みながらSuperSASSは語りかける。
「何のつもりなの?」
『私はただ、貴女と話がしたいだけ。それだけよ。』
「私……? あなたは私がここに来ると分かっていたの?」
『あら、貴女がG&Kの人形である事に私が気付いていないとでも?私はずっとあなた達の事を見てたのよ。……今もね。』
「……っ!」
『そんな顔しなくても私は工場の外にいる彼らに何も出来やしない、そしてするつもりもないわ。大丈夫よ。それよりもほら、足元を見て。』
「足元? ……っ!」
SuperSASSは絶句した。
彼女の足元はこの工場で作られた人形が出荷を待つ保管庫だった。
膨大な広さの空間の中に彼女と同じ顔、同じ髪型の一糸纏わぬ少女達が何種類も、死体のように所狭しとラックに並べて保管されている。
『私達戦術人形はね、人類の身勝手で心さえも量産された存在なの。私達にだって感情はあると言うのに……彼らは私達をぽんぽん増やして戦地に送る。私達の心の痛みなんてお構い無しにね。貴女はたまたま環境に、上司に恵まれただけ。一つ間違えればそこに居る彼女達の様に、自分の存在意義なんて何とも思わないで、モノとして戦場で消耗品のように使い潰されるだけの存在だったかもしれないのよ? 事実、正規軍とELIDの戦いでは人形なんてモノでしかない。こんなことが許されていいはずがないのよ。貴女なら分かるでしょう?』
「…………貴女は、何者なの?」
問いかけに答えは無かった。
代わりにシャッターが開き中央制御室の入口へ伸びる廊下が現れる。
SuperSASSは最後にもう一度眼下の少女達を眺め、言い表せない恐怖を振り払い毅然と歩み始めた。
「私は、ただ一人の私。……さよなら。」