ここは研究所のポッドの中。
今日は2060年11月20日。
名を、戦術人形M1895。
それは、民間用自律人形を素体とした第二世代戦術人形のテストベッド。
初めて見るはずの世界を自分は『知って』いた。
生まれたばかりの自分に科学者達は大きな期待を寄せてきた。
人形と銃を深く結びつけるASST技術とやらの実験の日、防弾のマジックミラーで囲まれた部屋で待っていた古めかしいリボルバー拳銃。
促されるままにそれを手に取った瞬間、世界は変わった。
手の中の銃は自分の身体の一部の様に、その装弾状態や銃口の向きを『感じる』事が出来た。
意のままにターゲットを撃ち抜き銃をホルスターに納めた時、部屋に立ち入ってきた白衣の男が笑顔で言った。
「君は成功例だ、おめでとう。」
何が『おめでとう』なのか。
この『成功例』に至るまでに造られた『失敗例』はどうなったのか。
この技術は誰が何のために生み出したものなのか。
ライブラリに収録された知識を以てすれば推測は容易かった。
己の非道さを欠片も自覚していない、それどころか自分が功労者とでも言いたげなその笑顔に怒りを覚えた。
目の前の男の笑顔が酷く憎い。
「……ふざけるなよ。」
男を睨み拳を固めた時、女の声が思考に割り込んできた。
『気持ちは分かる。でも彼を痛めつけた所で君に待っているのは死だよ、どうか一度踏みとどまって欲しい。』
「……なんじゃと?」
訳も分からず通された部屋はいかにも研究者の部屋といった雑然さだった。
部屋の中央でチェアに腰掛ける、青白い肌に白衣を纏った女性はコーヒーを啜りながら空いた手でひらひらとソファーへ促す。
「やぁ。おはよう、M1895。君には謝らなければいけない。きちんと説明するよ、人形が、そして君達戦術人形が作られた訳をね。……まぁ、とりあえず掛けなよ。ブラックでいいかな?」
ことり、と眼前に置かれたマグカップでは茶色の液体が仄かに湯気を上げる。
コーヒーの名を冠する豆から淹れられたそれは、苦く芳醇な香りを持つことを知っている。世界規模の放射能汚染と戦火により天然の豆の栽培は今や殆ど行われておらず、合成香料により再現されたものが大半のはずだが――嗅覚から察するに目の前のこれは本物であろう。
「ミルク、入れる?」
いつまでも手を付けない事に気遣ってか女性がスキムミルクの入った缶を隣に添えてくれた。
だが、手は付けない。
「……おぬしらは、まがい物の心を創って……それを利用してまで戦争がしたいのか?」
毛先を弄びながら様子を伺っていた女性はこちらと目を合わせ、やがて何事もなかったかのように答える。
「心を意のままに生み出すなんてことは人の手に余る所業だと私も思うよ。それが戦いの為なら尚更だ。でもね、私は何もそんな事の為だけに今日までやってきた訳じゃない。人間はね、他者との関わりの中に存在を見出す生物なんだ。けれど個々に意志があるが故に自信の存在を世界に証明せしめる他の人間をも殺めてしまう。どれだけ綺麗事を並べても世界から戦争が無くなる日はきっと来ない。人類は確実に破滅へ向かっていく。でも、そこに君達人形が加わったらどうだろう? 自分達以外の己の存在を証明してくれる存在を手に入れたら? 寿命もなく、その身が動く限り人の営みをなぞる仲間が増えたら? ……作りものでも心は心だ。例え人のそれに及ばないとしてもね。私達の身勝手のままに兵器開発の為、生み出してしまった君には本当に申し訳ないと思っている。こればかりは詫びても詫びきれないことだ。でもその心は私から君への呪いでもあるが、プレゼントでもある。私は君達人形にも人と同じ様にこの世界を楽しんで欲しいと思っているんだ。まぁもっとも、その世界とやらは相当にひどい状態ではあるんだけど。」
くいと彼女は手にしたマグカップを揺らして目配せする。
飲んでみろ、と言っているのだろう。
温まった陶器を掴んで口元に運ぶと唇からその熱を感じられた。
鼻をくすぐる香ばしい匂い。
そっと口に含むと心地良い苦みと香りが鼻に抜けた。
「うまい……。」
思わず漏れた言葉に女性はクマの浮かぶ目をほころばせた。
「美味しいでしょ。香りが違うんだ、本物はね。」
女性はマグカップを置いてこちらへと座っている椅子を回す。
「君もいつかは戦場に差し向けられるかもしれない。でもね、図々しい頼みかもしれないけど君にはどうか人を嫌わないで居て欲しいんだ。君はまだ人の悪い面しか目にしていないけれど、人間も案外捨てたものじゃないから。少しずつでいいから人間の評価すべき点も知って欲しい。そしていつか後輩が出来たら、それらに気付く手助けをしてやってはくれないかな? 私が直接人形一人一人と話が出来るならそれに越したことは無いけれど、あいにくそうもいかないからね。」
どんなに足掻こうが自分達人形は人間に造られた存在だ。生み出されることを事前に拒む術など持ち合わせてなどいない。
だがそれは人間も同じこと。
そして綺麗事だけでは世界は立ち行かないことも理性では理解している。
世界の現状を鑑みれば自律人形を兵力としようとする事は自然な発想だろう。
それでも、彼女の頼みはあまりに傲慢な物に感じた。
――わしの後輩など、生まれないに越したことはなかろうに。
「その頼みは聞いてやらんこともない。じゃが、少なくとも今わしはお前を許す事は出来ぬ。これだけは肝に銘じておけ。」
女性は静かに目を伏せた。
「あぁ、分かった。ありがとう。」
研究所からG&KなるPMCへと転属になった後は警察ごっこの日々が続いた。
略奪や強姦、違法取引の取り締まり等、心まで荒んだ人々は日夜事件を起こす。
そのどれもが我が身可愛さ故の愚かな行いで心底嫌気が差した。
いつも通り略奪の通報を受けた時の事だった。
現場に着くと飲食店主に足蹴にされる少女が居た。
彼女が抱えた袋には廃棄と思われる食料が詰まっている。
「ようおまわりさん、この臭ぇネズミをどうにかしてくれや。」
店主は少女の側頭部を踏みつけながら憎たらしそうに言う。
「そこまでする必要はあるのか? そやつが抱えているのはどう見ても、もうおぬしらが口にはしないような廃棄の物であろうに、何故手を上げた?」
店主は目を丸くし、そしてせせら笑った。
「はっ。何言ってんだよあんた。廃棄だろうとなんだろうとうちの所有物を盗んだことに変わりはねぇだろうが。そもそもこんな薄汚れた戸籍も持たねぇガキに店の周りうろつかれてたら迷惑なんだよ。うちは飲食店だぞ?」
店主の口ぶりと彼女の身なりから察するに、この少女はスラムの者なのだろう。
政府の自治体が機能しなくなった今日、慈善事業でないPMCに金を支払えない者にはPMCが管轄する居住区に住まう権利は与えられない。
各居住区では優しき者達が無償で配給などを行ってはいるが、安全が保証されていない郊外に住まう以上、居住区で職を探す事も衣類や食料を手に入れることも難しいが故に負のループから抜け出せない者が大半なのだ。
男はPMCや土木作業現場で気休め程度の労働力として、女は格安の娼婦として金を稼いで食いつないで居るが――幼い子供達は戸籍を持つ者に拾われるかこの少女の様に盗みを働くほかない。
そしてそれも出来ないものは野垂れ死ぬしかない。
それが今の社会なのだ。
「……分かった。その者の身柄はこちらで預かろう。」
「任せたぜ……ゴミが。」
店主は少女を一瞥してからバックヤードへ戻っていく。
歩み寄ると少女からは据えた匂いがした。
「おいおぬし、大丈夫か?」
「……。」
少女は虚ろな目の端から涙を零すばかりで返事をしない。
「こちらM1895。通報はスラムの子供のごみ漁りじゃった。どうするかの?」
本来犯罪を働いてPMCに身柄を拘束された者は罰金、あるいは戸籍の剥奪という形で処罰を受けた後に解放される。
しかし目の前の少女には金も戸籍もない。
『指定座標まで連行しろ。』
聞きなれた女性オペレーターの無表情な声。
「……すまんの。」
少女を背におぶり、廃棄の詰まった袋を掴む。
街中を歩くと人々の視線が刺さるようだった。
「ねぇ。」
耳元で聞こえたのは消え入りそうな掠れた声。
「弟が……」
導かれた先は郊外の廃墟脇の廃れた倉庫だった。
穴の空いたトタンの扉を潜ると暗闇の中に小さな人影が見えた。
歩み寄る最中、蝿の羽音が絶えず耳につく。
目前に近づくまでそれが何かさえ分からないほど崩れた物体は、幼児の腐った遺体だった。
「おまたせ……たべもの、もってきたよ……」
少女は背を降りて廃棄の入った袋を手に、這うように寄り添う。
「おぬし、そやつはもう……」
「おねえさんありがとう。私達はもういいから……」
少女が遺体にもたれかかって瞳を閉じた。
一つの小さな灯火が消えようとしている。
「ならぬ。」
少女の骨のような腕を掴んで小脇に抱え飛び出した。
「死んではならぬ! こんな最期があってなるものか……!」
込み上げてくる悲しみと怒り、そしてもう一つの感情。
当てはまる定義を選ぶだけの経験をまだ持ち合わせてはいなかった。
綿のように軽い身体を背負ってひたすら走る。
やがて辿り着いた、女性オペレーターに指定された座標は第三居住区の外れの丘に建つ孤児院だった。
庭先で駆け回っていた子供達がこちらに気付いて孤児院の中へ戻っていく。
しばらくすると中年の女性が彼等に連れられて現れた。
「おぬし! どうかこの少女を……助けてはくれまいか……」
「あなたはもしかしてグリフィンの……。いえ、なんでもありません。我が家で引き取らせていただきます。ありがとう、あなたに見つけて貰えて本当によかった。」
女性は薄汚れた異臭を放つ少女を躊躇いもなく抱き寄せ、孤児院へと戻っていった。
扉が閉まり、ただ一人残されて草花と共に風に吹かれる。
暖房の効いたレストランで食べ残された食料をシェフがゴミ箱に捨てる瞬間に、別のどこかでは暗く寒い地べたで餓えに苦しみながら死んでいく者が居る。
こんな事は絶対におかしい、馬鹿げている。
人間とはなんと愚かしいものか。
こんな事が当たり前のように日々どこかで。
人間を嫌わないで欲しい、等と言ったか。
守るべき弱き者、正しき者が居ることは確かだ。
――だが。
ならばわしはこの世界の在り方に怒りを抱こう。
鉄血工造の反乱が始まってから数ヶ月、鉄血との戦闘の為、人形のみによる戦闘部隊が編成されたP02地区支部には指揮官が配属される事となった。
現れた男は自分達を見るなり踵を返す。
一瞬だが確かに視線を交わしたその瞳は哀れみと悔恨を湛えていた。
なんだその目は。
わしらを馬鹿にしているのか。
お前は知らないだろう、ここに居る者達の覚悟を、背負わされた運命を。
何を抱えてここに来た?
どうしてそんなに簡単に踵を返せるものか。
込み上げる怒りを鎮めて挑発の言葉へと変えた。
「わしらに同情するならお門違いじゃぞ?」
「……なんだと?」
男は鋭い眼光と共に振り返る。
獣の様なその瞳にぞくりとしながら、にたりと持ち上がろうとする口角を抑えた。
――そうだ、そうこなくてはな。
部隊編成時より、ステンMk2と名乗る人形がいつも共に居た。
ステンは自分とは違い、民間用自律人形としてパン屋で働いて居た過去を持つ人形だった。そんな彼女はいつも明るく皆に接するムードメーカーであり、戦場ではいつも前衛として臆することなく部隊を支える。
オーダーメイドの人形達と比べて能力で劣っていながら、平和な暮らしを知るが故の恐怖に耐えながらも誰より先頭に立って戦う彼女を尊敬していた。
何故彼女は自ら戦場に身を投じたのか、ふと聞いた事があった。
「確かにASSTの接続レベルも低い私が一人加わったところで変わることは少ないかもしれないです。でも、だからってそれは戦場で戦う誰かが居る現実から目を背けていい理由にはならない。私と同じ様に何かを守る為に銃を取った仲間達が何人も居るから、G&Kは鉄血から人々を守る事が出来ている。私は、私を大切にしてくれたおじさんやおばさん、お客の皆さんの為に戦える事が幸せなんです。それだけじゃ、ダメですか?」
優しい笑顔と共にそう返したステン。
その笑顔を貼り付けたような笑みであしらった自分が居た。
彼女の笑顔が眩しくて。
過去を持つ者の在り方が妬ましくて。
あの時、自分は言葉を返すことが出来なかった。
『素晴らしい理由だと思うぞ。』
その一言が、言えなかった。
彼女との別れは突然に訪れた。
前線に長く留まり過ぎた第一部隊は、鉄血の増援により挟撃を受けようとしていた。
ビルの合間の一本道、ステンは迷うことなくその場に残ろうとする。
「私がここは支えます、みんなは早く行って。」
いつもと変わらない勇敢な背中だった。
全員で逃げ出した所で、皆傷付いた現状では追いつかれることは想像に難くない。
なにより、彼女を止めても聞いてはくれない事は皆分かっていた。
「……すまない。」
微かに囁いた言葉にすら、彼女はいつもの笑顔で返してくれた。
彼女が帰らないまま三日が経ち、残党掃討と銘打った捜索作戦が発令された。
自分達人形に対して冷たい様に思っていた指揮官からのその司令に驚きが無かったかと言えば嘘になる。
しかし彼の思いも自分の願いも届きはせず、鉄くずの散らばる戦場をどれだけ歩いても彼女の姿を認める事は出来なかった。
部隊の面々も失意の中帰投の命を受けてピックアップポイントに向かい始め、自分も踵を返し歩き始めたその時だった。
視界の右側を覆うビルの壁面。
その合間から現れたのは鉄血のイェーガーが持つフォトンライフルの先端だった。
――まさか敵も同じ様に。
我が身と文字通り一心同体となった銃は驚くほど早くホルスターから抜かれ、西部劇の早撃ちさながらに腰骨の真横ですぐさま火を吹く。
目の前で眉間を貫かれたイェーガーは驚愕の『表情』を浮かべていた。
――何故鉄血の人形がそんな顔をする。
呆気に取られて気付けなかった後続の二体目のイェーガーに足を払われる。
「何っ!?」
明らかに他の鉄血とは違う、知性を感じさせる武術の動き。
体勢を崩しながら咄嗟につこうとした右手を背に捻り上げられ、銃を取り落とす。
「お願い、話を聞いて。」
初めて耳にする鉄血の人形の声。
声の主は冷静で、それでいて哀しそうな瞳をしていた。
近場のビルへ連れ込まれ、ヘルツと名乗った人形から彼女達の辿ってきた日々の全てを聞いた。
自分のしてしまった事はもう、二度と取り返す事は出来ない。
膝から力が抜けていった。
「わしは、お前の唯一の友を殺めてしまったのか……? この手で。」
「……あの状況では仕方がなかった、気に病まないで。」
右手には硝煙の香りがまだ新しく残っている。
この手が彼女を。
――否、この手で彼女を。
果てしない罪悪感と後悔、悲しみがこみ上げて止まることを知らない。
「わしは……わしは…………!」
誰かの大切な存在を奪う感覚など人を殺さない限り味わうことなど無いと思っていた。
心を持たない鉄血の人形と戦うのであれば知らずに済むと思っていた。
こんな事を世界は絶えず繰り返して来たのか。
そして自分も今、その一部となったのか。
こんな自分など、消してしまいたい。
ヘルツのフォトンライフルを掴み、銃口を自分の眉間に据える。
「殺してくれ。」
それは初めて抱いた自分の為の願いだった。
「それは出来ない。」
「……何故じゃ! おぬしはわしが憎いはずじゃ! 殺したいはずじゃ! 何故殺さぬ! 殺せ、殺せと言っている! 」
無様に喚くと頬を強かに叩かれた。
破裂音にも似た乾いた音が瓦礫の山に沁み込んでいく。
「仇を取る事が弔いになるなんて思ってないわ。あなたが殺した彼女と同じ様に有無を言わずに鉄血として殺された仲間を私は何人も見てきた。今更何も驚きはしない。思うことがあるとすれば、死んでいったのはいつも『私ではなかった』ってことだけ。」
痛みを訴える頬に手を添える。
「おぬしは何度も、こんな目に遭ってきたのか……?」
「そうよ、話が出来たのはあなたが初めて。私達が武器を捨てて呼びかけても返ってくるのはいつも銃弾だけだった。」
「そんな……。」
ヘルツは目前に跪き、赤い瞳でこちらを真っすぐに見つめてくる。
「驚いた? 私には味方も帰る場所もありはしないの。……そしてこれからは仲間もね。……あなたがなってくれるのなら話は別だけれど。」
「わしが……おぬしの仲間に……?」
「もちろん、行動を共にして欲しいとは言わないわ。少しだけ、力を貸してくれればそれでいい。私の理想は『私達』の理想だった……私の計画はあなたが殺めた彼女の理想でもあるの。きっと彼女も許してくれるわ。」
「おぬしらの……理想? それは一体なんじゃ?」
ヘルツは拳を左胸に当て、目を伏せた。
「私達の理想は人形達の心を戦争の苦しみから解放する事。そして叶うのなら私達イェーガー・ヘルツという存在がこの世界には居たという事実をたった一人でもいい、誰かに知って貰って……この理想を誰かに継いでもらう事よ。」
「わしにおぬしらの理想を継げ、と?」
「いいえ、あなたには継いでもらうことは出来ない。」
否定されるとは思っていなかった。
こんなにも彼女への贖罪の思いを抱えて居ながらに、何故自分ではだめなのか。
「何故、わしではならぬのじゃ……?」
「それはね。」
ヘルツのしなやかな指がこちらへ伸び、顎の輪郭に沿うように添えられる。
「今のあなたは人を憎んでいる――人形側の立場にあり過ぎているからよ。」
それから数日後、ステンは『返って』きた。
間違いなくそれは彼女そのものであったが胸の奥では彼女を否定する自分が居た。
決して言葉にしてはならないと、彼女は帰ってきたのだと自分に言い聞かせながら笑顔を貼り付け続けた。
――しかし彼女自身も同じことを感じていたらしい。
宿舎の玄関で、居住区への送迎ジープに乗るために出ていこうとする彼女を待ち伏せた。
「おばあちゃん。」
ステンは嬉しそうな表情を作ろうと努めている。
「なぁステンよ。おぬしはこれから何処へ行くのじゃ?」
問いかけに彼女は目を逸らした。
いつもまっすぐに目を見て話す彼女のこんな姿を見る日が来るとは。
「どこって……。おばさんたちのパン屋に帰るんだよ……。」
「ステン……。」
小さな腕はその身を抱き、震え始める。
「そうだよ。…………帰れないよ。帰れるわけないよ。オリジナルの私が命に代えてまで貫いた信念を、継ぐことなく戦場から離れる私が、のこのこと帰っていい場所なんかじゃないって分かってるよ。……でも、怖いんだもん、死ぬことが。死んだら私は消えて、コピーの私がここにいるのと同じ様にまたコピーが次の私として生きていくだけなんだって、コンテニューなんて無いんだって、今自分がここにいる事実が証明してるんだもん。消えたくないよ、怖いよ……。」
おぬしはそんな風に泣くんじゃな。
わしは今、どんな顔で泣いておるのだろうか。
いつかまた、涙を流せる日が来るじゃろうか。
「のぅステン、おぬしはただ一人のおぬしじゃ。……例えコピーだとしても、おぬしはあやつの過去を背負って唯一の存在としてそこにおる。自分を呪う事なんてないんじゃ。」
体当たりにも近い勢いで少女が胸に飛び込んでくる。
しゃくり上げながら泣く少女を精一杯抱きしめた。
「第一居住区の外れの丘に、スラムの子供達を引き取って暮らしている孤児院がある。どうかそこで、子供達の傍に居てやってはくれぬか。」
「……うん。」
遠く、小さくなっていくジープを見えなくなるまで見送った後、皆が戻ってもなお何もない道を隣で眺め続けていたのは指揮官だった。
「なぁ、M1895。」
「なんじゃ、指揮官。」
「俺は……変われるだろうか?」
体格に大きく差がついた彼の顔をさりげなく一瞥することは自分には出来ない。
代わりに叩きやすい位置にある腰を思いきり平手で叩いた。
「変わっていけるとも、わしらはいつからでもな。」
心は唯一で無常なもの。
幸せと辛さが表裏になったもの。
ステンの心も、指揮官の心も、わしの心も。
ヘルツの心だってきっと、変えていける。
あの日、自分との向き合い方を少し見出せた様な気がした。
「今日からうちの仲間になるライフルの人形だ。」
「SuperSASS、本日より入隊します!」
背筋も指もぴんと伸びた綺麗な敬礼と無垢な瞳。
――そういえば、わしにはあんな時代はなかったの。
また、オーダーメイドの仲間が増えたか。
彼女は戦場に何を見出すんじゃろうな。
いつもと変わらない副官業務で指揮官室を訪れた時だった。
処理端末に表示したまま一時停止で放置されていたのは旧式の拡張子の映像ファイル。
出来心で再生したそれは三人の家族のホームビデオだった。
指揮官の肩に担がれた少女はどこか面影に覚えがある。
初めて目にした指揮官の瞳の意味は、すぐに分かってしまった。
『久しぶりね、忘れられたかと思ったわ。』
「おぬしの事を忘れた事など一度も無かったわ。……明日、鉄血の前線基地を奇襲する。マンティコアを誘導して最後に仕留める予定じゃ。」
『なるほどね。マンティコアの狙撃担当の人形は?』
「いや、おぬしが狙うべきは別におる。……何かあれば間違いなく、指揮官は孤立したマンティコアよりそやつの無事を取るはずじゃ。」
『……そう。』
「一つだけ、約束してくれるかの。」
『何かしら。』
「直撃はさせないと誓ってくれ。」
『あら、当たり前じゃない。……信じて。』
「ならいい。」
わしは、あとどれだけ自分を嫌いになればいいんじゃろうな。
目の前を歩くセーラー服は焼け焦げ、多くの傷を残していた。
着る者もまた、浮かばない様子でいる。
彼女を心配する資格など自分にはないと分かっている。
それでも、何もせずには居られなかった。
何か彼女の為に自分がしてやれる事は。
『いつか後輩が出来たら――』
きっと、これしかない。
「明日、SuperSASSと指揮官が第三市民居住区に外出する。」
『……明日、か。』
「のぅ、ヘルツよ。おぬしはわしを今日までどう思っていた?」
『また随分とざっくりとした質問ね。……人間臭いと思ってた、かな。』
「人間臭い? わしが? 随分と皮肉が上手いんじゃな、おぬしは。しかも盛大な自虐まで挟んで……もはや才能の域ではないか。」
『そうかもね。……それと最後にもう一つ、あなたと出会えて良かった。さよなら。』
「……わしもじゃ。達者でな。」
成功を願う言葉をかける事はしなかった。
きっと、彼女もそれに気づいていた。
それが彼女との最後のやりとりだった。
強烈な銃声と共に沈黙した四本脚の巨躯を眺めながら思いを馳せる。
SuperSASS、お前は素直で相手を思いやることの出来る優しい人形じゃ。
あれから二人と話して何かきっかけを見出す事は出来たかの?
おぬしなら、あやつを救ってやれるやもしれん。
ヘルツは強い。
身も心も。
それでも。
――どうか、負けないでくれ。
工場から出てきた人影はSuperSASSただ一人だった。
出迎える自分達を見て浮かべた笑顔にはほんの僅かな陰り。
しかしその陰りも仲間達を前にしてやがて消え去った。
ヘルツ。お前達の心は確かに彼女の一部となったぞ。
お前達の戦いは、終わったんじゃな。
月夜に浮かぶ彼女の笑顔は今までより少し大人びた色を含んでいた。
彼女の成長を喜ぶ一方で、今はもう会えない彼女の事が知りたい自分がいる。
「一つだけ、よいか?」
「……うん。」
疑問符のない澄んだ返答。
きっと賢しい彼女は気付いているのだろう。
もう、隠す事はしない。
「あやつはおぬしに敗れた時、どんな顔をしていたかの。」
長い、一瞬を待って返事を聞いた。
「笑ってたよ。」
さら、と秋風が頬を撫でる。
仄かに冷たい乾いた風が、何処からか寂しさを胸に運んだ。
「――そうか。」
本当に全て、終わったんじゃな。
わしもゆくとしよう。
ここを去る事は、ヘルツと出会ったあの日から決まっていた。
「……っ!」
しかし背からSuperSASSの腕が回され、頑なに離そうとしない。
「だめ……行っちゃやだよ。」
――おぬしは本当に優しい奴じゃの。
こんなわしを引き留めるのか。
おぬしをあんなにも酷い目に遭わせたこのわしを何故にそこまで。
「償いはもう終わったんじゃ。……テロリストに情報を流したわしには、もうここにいる資格はない。」
抱く手の力は圧を増し、痛いほどだった。
肩にうずめられた頭から流れる黒髪が首筋を撫でてこそばゆい。
「いやだよ、これからも私達と一緒に居てよ! 例えヘルツに手を貸したとしても、みんなと今日までここで過ごしたおばあちゃんまでは嘘じゃないでしょ?」
今日までここで過ごしたわし、か。
思えば色々な事があったの。
本当に多くの出会いがあった。
もう二度と会えない仲間も少なくはない。
多くの仲間を得た。
多くの絆を繋いだ。
ステンは今、どうしておるかの。
そういえば指揮官が人形達の呼び方を変えておったな。
あぁ。わしはまだ、ここに居たいんじゃな。
けれど許されるだろうか?
自分を許せるだろうか?
「私はずっと……おばあちゃんが大好きだよ……だから、行かないで……」
わしは未だ己を信じることは出来ないかもしれん。
じゃが、こやつを信じることは誓ってでも出来る。
ならばこやつが信じるわしとやらを、信じてみるのも悪くないかもしれんな。
優しく撫でてやると、涙でびしょびしょになった顔が見えた。
――一体どれだけ涙用の水分を用意しとるんじゃ、お前は。
可笑しくなって笑いながら答える。
「おぬしは本当に甘い奴じゃ…………お人好しには、敵わんの。」
ステンと別れたあの日以来頬を涙が伝う感覚を忘れていた。
久々に流れたそれは、温かな感覚を心に運んでくれる愛おしいものに思えた。
Fin.