バレンタイン
紬が学校に来なくなってから3か月ほどが経ち、2月に入っていた。
教室では、女子達がお菓子を持ってきては、お互いにプレゼントしたり、食べたりしていた。
そうか、今日はバレンタインか。
すっかり忘れていたな。
ちょっと前までは楽しみにしていた日なのに。
時が過ぎた今、僕の心に変化が表れてきた。
紬がいなくなった当初は、紬に腹をたてながらも、心のどこかで、早く帰って来てほしいと願っていた。
確かに今は、紬に対する怒りは収まってきている。
それと同時に、紬が僕にとって必要な存在であるという気持ちも少しずつ薄れてきていた。
そうやって、記憶から好きな人を消そうとする自分に嫌気がさす。
紬を信じて待てばいいじゃないか。
悠「まだ返信来ないのか?」
颯「うん」
颯「定期的にメッセージ送りたいんだけど、あんまり送りすぎると迷惑かなって...ずっと待ってるんだ...」
悠「そうなのか...」
颯「...」
悠「電話は?」
颯「...出ない」
悠「家にも行ったんだよな?」
颯「...」
悠「...ま、まあ、そう泣かなくてもいいじゃないか~」
颯「うぅ~...」
そう言われた途端、さらに涙が溢れてきた。
悠「って、おーい!暑苦しいから抱きつくな~!」
でも、悠は無理やり離そうとしなかった。
悠の体はとても温かく、心地が良い。
悠「颯汰が泣くのは分かる」
悠「連絡もつかないからどうすればいいか分からない。俺もめちゃくちゃ心配だよ」
悠「颯汰なんて自分の彼女だから、もっと心配だよな...」
颯「...」
悠「だけどさ...」
悠「せめて、悲しい顔だけは しないでおこう?」
颯「...」
悠「紬ちゃんは本当に優しい子だから、颯汰が悲しい顔してたら、紬ちゃんも悲しむと思う」
颯「...」
悠「だから、紬ちゃんが帰ってくるのを信じて待っ――」
颯「急になんだよ...悠」
悠「...え?」
颯「たまには泣いたっていいだろ~」
悠「まあ、そうだけど...」
颯「ねぇ」
悠「ん...?」
颯「今日一緒に遊ぼうよ...?」
悠「俺も遊びたいけど、今日はバイトだからダメなんだ」
颯「えー!遊びたいー!俺の右腕も治ったことだし!」
悠「そうだよな...」
悠「...あ、今度の土曜日は予定入ってないから、土曜日に遊ぼう?」
颯「うん!」
~~~~~~~
颯(もうすぐ来るな)
土曜日の昼。
今は、待ち合わせの駅で悠が来るのを待っているところだが。
颯 (...間に合うのか?)
乗る予定の電車がもうすぐ来るっていうのに、まだ悠が来ていない。
颯 (まあ、あいつの事だからな~)
悠は、遊びの待ち合わせによく遅れてくるということで有名だ。
颯 (あ、電車来てしまった...。仕方ない、見送るか...)
その時、悠が息を切らしながら走って来た。
悠「ごめん!いろいろ準備してたらこんな時間になってた!」
颯「ギリギリだな~!早く乗るよ!」
悠「おう、わりい!」
~~~~~
颯「悠と遊ぶの結構久しぶりだな」
悠「そうだな。夏の室内プールで偶然会ったけどな」
颯「あー、そういえば会ったな」
悠「...」
颯「...てかさ、俺達は今どこに向かってるの?」
悠「あ、確かに。どこに行くかまだ決めてなかったな」
悠「颯汰が誘ってくれたからね。どこ行きたい?」
颯「うーん...」
颯「...寒いから、昼御飯食べて温泉行きたいな!」
悠「お、いいね」
~~~~~~~
チリンチリン
「いらっしゃいませ~」
悠「...土曜日の昼なのに、人全然いないな」
颯「ほんとだ。ラッキー」
ここに来るのも本当に久しぶりだ。
紬と出会って初めて来た店がここだ。
確かここで、連絡先交換したんだよな。
この店は、紬と出会う前から何回も来ている。
だが、初めて紬と訪れたとき、店の雰囲気も何もかもが初めてのような感じがした。
今思い出したけど、僕は紬と出会ったその日に店に寄ったのか...。
今思えば、凄い行動力だな。
『家族でよく来たこの店を、女子と訪れる時が来るなんて...!』
当時の僕は、そんなことを考えながら、この喫茶店に来た。
ものすごくドキドキしていたのを今でも覚えている。
颯「...」
悠「どうした?ボーッとして。
早く食べて、遊びに行くぞ」
颯「...遅れかけた悠に言われたくないです~!」
悠「申し訳ないです~!」
~~~
唯「本当に大丈夫なのかな...」
律「私も誘おうと思ったんだけど...連絡つかないや」
律「この近くの病院、一通り回ったのに...」
澪「え、本当に回ったのか...?」
律「だって心配じゃん...」
澪「...」
澪 (何か、イヤな予感がする...のは、私だけかな...)
律「...まあ、やろっか」
既に過ぎているが、今から唯の家でバレンタインパーティーを開くことになっていた。
軽音部の皆でやる予定だったので、梓も誘ったが、梓の学年は、今日は登校日らしく断念した。
もちろんムギも誘うはずだったのだが、そもそも最近は学校に来ておらず、連絡も途絶えたままだ。
もちろん皆も、ムギがパーティーに参加出来ないことを残念に思っているのではなく、音信不通であることに心配しているだろう。
う~ん...ムギには悪いけど、とりあえず今は楽しむか。
~~~~~
律「はぁ〜。もう食べらんない」
澪「自分で言うのもなんだけど、結構美味しかったな!」
律「なっ!上出来!」
律「...あ、ちょっとお腹痛くなってきた。唯、トイレ借りても―――」
律「...あれ、いなくなってる」
~~~~~
律「唯~...?」
階段を降り、一階のリビングに来ると、唯が壁に向かって一人で喋っていた。
唯「―――それじゃあね。皆待ってるから、体調良くなったら帰ってきてね」ボソボソ
律 (...怖いな)
律「唯、何やってるの?」
唯「あ、りっちゃん。今ムギちゃんとお話してたんだ~」
律「ムギ...?それ熊の人形...じゃない?」
唯「うん。これね、この前の私の誕生日の時にムギちゃんから貰ったプレゼントでね」
律「あ~、そういえばムギ言ってたな。『唯ちゃんへのプレゼント』って」
唯「うん。だから、これはムギちゃんの分身なんだよ!その名も『どこでもムギちゃん』!」
律「何だそれ...」
律「...あれ?ギー太が珍しくソフトケースに入ってる」
ふと部屋の隅に目を向けると、唯のギターがソフトケースにしまわれていた。
別に珍しい光景ではない。
だが唯の場合は、家に置いている時は服を着せるなどして、ソフトケースから出しているため、少し違和感を感じた。
唯「うん、最近は一緒に寝てないんだ~」
律「そこは『練習してない』って言うところだろ...」
唯「その代わりに、最近はこの『どこでもムギちゃん』と一緒に寝てるよ」
律「そ、そうか...」
律 (『どこでもムギちゃん』...ポケットから出てきそうな名前だな)
律「...でも、たまにはギー太とも一緒に寝てあげるんだぞ?ギー太は寂しいんじゃないか?」
唯「う~ん...しばらくは いいかな」
律 (あんなにギー太のこと可愛がってたのに。すっかり変わったな)
律「...痛ててて」
トイレに行くことをすっかり忘れていた。
それを思い出させるかのように、急に腹痛が襲ってきたみたい。
律「唯、トイレ借りるぞ?」
唯「うん。でも今、澪ちゃんが入ってるよ?」
律「あいつ、いつの間に...!」
~~~~~~~
颯「すげえ気持ちよかったな~」
悠「うん...」
颯「...」
昼御飯を食べ、温泉に入って帰る予定だったが、それだと昼過ぎに終わって暇なので、温泉に入る前にカラオケに行き、6時間みっちり歌った。
悠「...すげー眠い」
颯「確かに、お風呂の後は眠くなるな」
悠「...颯汰~、俺を背負って駅まで運んでくれ~」
颯「すぐそこだろーが。頑張って歩け」
悠「え~...」
その時―――。
颯「...!」
めまいのようなものが襲ってきた。
僕の身体も悲鳴をあげてるんだな。
~~~~~~~
颯「ほら、着いたから降りるぞ」
悠「着くの早くない...?あと1時間くらい遅延してもいいよ...首痛いし...」
電車の中で、悠は ずっと僕にもたれて寝ていた。ちょっと恥ずかしかった。
でも動いたら悠が起きてしまうから、同じ姿勢でキープしていた。
僕はそのまま、眠らずにしばらく目を瞑っていた。めまいのようなものは消えていた。
僕らの乗る電車は家の最寄り駅に着き、改札を出た。
悠は眠そうにしながらも、僕の後ろをついてきている。
すると、少し先で人だかりができていた。
その近くでトラックが停まっていた。
颯「...何だろう、あの人だかり」
悠「おいおい、颯汰。そんなの放っておいて、早く帰って寝ようぜ...」
颯「ごめん、ちょっと見てくる」スタスタ
悠「あっ、ちょっと待ってよ」
悠 (そういやさっき、クラクションが聞こえたな。それかもしれないな)
悠の言うとおり、僕も普段は人の集団を見つけても気にしないタイプだ。
だけど、何だか不穏な雰囲気が漂っていて、つい気になってしまった。
颯「...ダメだ、全然見えねぇ」
悠「誰か怪我してんのかな?
...それにしても騒がしいな」
遅れて悠も見に来た。
颯「...まあいいか、帰ろう」
悠をここに連れてきておいてやっぱり帰ろうなんて、申し訳ないことをしたが、悠は気にしていない様子。
僕が踵を返そうとしたその時――――。
悠「...おい!!颯汰!!来い!!」
颯「...?」
悠は何を見たのだろう。
僕は何もわからないまま、人だかりの真ん中へと、悠に勢いよく腕を引っ張って連れていかれた。
悠「大丈夫か!?紬ちゃん!!!!」
~~~~~~
私...夢見てるのかな...
真っ白な世界。
天も地も、白一色に覆われている。
そんな世界に、私と颯汰君だけが存在している。
颯汰君は少し悲しげな表情だった。
そんな颯汰君に、私はいろんなことを謝りたかった。
紬「颯汰君...」
紬「...嘘ついて、ごめんなさい」
紬「嫌な思いをさせて、ごめんなさい」
紬「だけど...」
紬「...私はこれで良かったと思ってるの」
紬「これで...」
紬「...大切な人を守ることができるから」
紬「今、目の前にいる、大切な人...」
紬「颯汰...君...」
紬「颯汰君は、生きてね...?」
私の選択は、間違っていない。
颯汰君は許してくれないかもしれないけど...。
私の記憶から、颯汰君との思い出が消えるかわりに...
颯汰君に未来があるなら、私は記憶を消す。
そう決心したの。
本当は颯汰君のこと忘れたくない。
どん底だった私に、手を差し伸べてくれた人だから...
私が初めて好きになった人だから。
そんな大切な人のことを忘れる勇気なんて、私には無い。
だけど、私が忘れたくないからって自分勝手なことをして、もし颯汰君の身に何かあったら...。
...そんな結末に耐える勇気こそ無い。
もう、これ以上迷惑をかけたくない―――
紬「...!」
その時、目の前にいる颯汰君の姿が消え始めた。
もう、会えなくなるね...。
紬「う...」
あれ?何だろうこの気持ち...
私が今までに抱いたことのない感情。
それは、悲しみではなかった。
紬「さ...寂しいよ...」
そう言っても、颯汰君は消えていく。
紬「行かないで...お願いっ...」
私、強がってたんだ...
今気づいた...
向こうの颯汰君には聞こえないかもしれないけど、これだけは伝えたい。
これだけ...は...。
紬「颯汰君―――」
〜〜〜〜〜〜
颯「...」
悠「あなたが運転手さんですか?」
「はい...」
悠「ケガはないですか?」
「自分は大丈夫です...すみません...」
「この道を走っていたら、女子高生が歩道から出てきて...。見えなくて避けることができませんでした...」
悠「そうですか...じゃあ、この状況を警察に連絡してください!」
「はい...」
何してんだろう、俺。
目の前で彼女が倒れているのに。
何もできず、ただ突っ立っている。
悠「意識も呼吸もない...」
颯「...」
悠「おい!何やってんの!?救急車呼ぶから、颯汰は人工呼吸して!!」
颯「...あ、ああ...!」
悠に言われて、我に返った。
大切な人が、変わり果てた姿で倒れている。
そんな状況に、理解が追いつかなかった。
紬「...」
つ、つむぎ...
颯 「はっ.....っはぁはぁはぁ...はっ.....」
まさか、こんな形でキスするなんて...。
颯 (頼むから、息を吹き返してくれ...)
倒れたときに頭を打ったのか、後頭部から血が出ていて、顔にも傷があった。
紬の目からは涙がこぼれていた。
僕は紬の涙を拭いてあげながら、人工呼吸を続けた。
颯 「...」
気づくと僕は、紬の顔を見つめていた。
"...紬って呼んで欲しいな~"
"親近感が湧いてきて...つい"
ダメだ俺。
これ以上思い出そうとするな。
別れを受け入れてしまいそうじゃないか。
颯 (...?)
クシャクシャに握りしめた跡がある、一枚の紙の存在に気付いた。
颯「紬のやつ...汚しやがって...」
紙に書かれた一言を読んだ瞬間、心の中からいろんな感情がこみ上げてきた。
颯「何なんだよ...」
少しだけ温もりを感じる手紙を、今度は僕が握りしめた。
颯「...俺が聞きたいのはそんな事じゃないんだよ」
颯「俺を信じなかった理由を教えてほしいんだよ...」
颯「...『大好き』なんて言葉...聞くまでもないからっ!」