颯 (そろそろ行くか)
午後8時を回ろうとしている。
エアコンの電源を切り、カーテンを閉めた。
『今晩、いつもの河川敷に来てほしいの』
夕方、学校の帰り道で紬からそう誘われた。
詳しい内容は聞いていない。
颯 (なんだ...?相談か?)
とにかく紬の言葉が聞きたくて、僕は足早に家を出た。
〜~~~~~
颯「はぁ...はぁ...はぁ」
数分後。
息を切らしながら河川敷に着いた。
颯「...」
周りに誰もいない静かな場所で紬は座っていた。
紬「...!」
足音で僕だと分かった紬は、すぐに振り向いた。
紬「来てくれてありがとう...」
颯「当たり前だろ〜?
俺はフッ軽で有名な暇人なんだから」
紬「あははは」ニコッ
無邪気に笑っている紬の横で、僕は腰を下ろした。
颯「...で、どしたの?」
紬「...」
僕をここに呼び出した用件を聞いてみた。
しかし、紬は黙り込む。
颯「...紬?」
紬「...」スッ
すると紬は、僕の左手をそっと握った。
紬「しばらく...こうしてていい...?」
颯「...う、うん」コクリ
紬「...ありがとう」
紬の右手の力が、いつもよりちょっと強く感じた。
紬の手は ひんやりしていた。
いつも暖かいから、少し不安になる。
め、珍しいな。
紬のほうから手を繋ごうとするなんて。
紬「...」
颯「...」
紬は視線を落としているが、何か特定の物を見つめているようには思えない。
しばらくして、僕の方に視線を向ける。
紬「...」
紬の瞳は、何か焦りのようなものを訴えているようだった。
颯「...?」
紬「あのね...みんなには言ったんだけど
私...
海外へ行くことになったの...」
颯「えっ
あ、旅行か
いいな、俺も連れてってよ」
紬「ううん、旅行じゃないの。
家庭の事情で行かなきゃダメなの」
颯「え...
いつから...?」
紬「来月からなの」
颯「そう...なんだ...」
紬「...うん」
颯「...」ガシッ
紬「きゃっ」
両手で紬の肩を掴むと、紬はキョトンとしていた。
僕を映す紬の瞳は、澄んで輝いている。
颯「ねぇ...
これ、夢だよね?」
紬「...夢じゃないの」
颯「...」
紬「私も夢でありたいよ...」
颯「...」
紬「どうすればいいのかな...??」
颯 (どうすればいいって...
紬のほうから言い出しておいて何を言うんだよ!)
俺より焦ってる様子がとても可愛かった。
颯「...」スッ
紬「...」///
颯「やっぱり、夢じゃない」
目に映るものの全てを遮り、僕らは頬を赤らめながらお互いの口を交わした。
その瞬間、紬はおだやかな表情で目を閉じていた。
紬「...颯汰君」
颯「...?」
紬「ありがとう。
颯汰君にしか叶えられない夢...叶えてくれて」
颯「ど、どういたしまして...なのかな?」
あのときに見た夢が、まさか現実になってしまうなんて...
紬が用件を話し終えた後の、優しい空気感が何か寂しい。
『...ね、夢って何だったの??』ヒソヒソ
改めてそう聞いてみた。
紬は僕の目をしばらく見つめると、顔を赤らめ、こぼれた笑みを隠すようにうつむいた。
そして、紬は顔を上げる。
『...またね』
小声で、それでいて元気な紬の一言を聞けた瞬間、夢じゃなくてよかったと思えた。
〜〜〜〜〜〜
空港、ターミナルにて。
澪「私、まだ実感ないんだよな。ムギが海外へ行っちゃうの」
唯「私も」
梓「唯先輩なんか、明日の学校から普通に『ムギちゃんどこ〜?』なんて言い出しそうですね」ニコッ
唯「そんなに忘れっぽくないよー!」
澪「でもムギ、余裕あればでいいから、いつでも帰ってくるんだぞ?」
紬「もちろん!」
律「...颯汰のやつ、もうすぐ来るみたいだけど、泣きながら『ばいばいぃぃ』とか言うんじゃないかー?」ウル
梓「...それ、この後の律先輩ですよね」
律「ち、違うから!!」
紬「...うれしい」
唯澪律梓「...」ニコ
こんな仲間に囲まれて、私はすごく幸せ...
自分の感情を言葉にするのは少し苦手だけど、なぜか今、無意識に感謝の思いがこぼれた。
でも私には、ひとつだけ心残りがあった。
それは、みんなと一緒に卒業式を迎えること。
胸にコサージュを付け、大好きな皆と写真に写ることに憧れていた。
皆と一緒に卒業したかった。
颯汰君と一緒に卒業したかった...
紬「...」
梓「ムギ先輩...」
...ううん。笑顔でバイバイするの!
紬「ありがとう、梓ちゃん」
梓「はいっ...!」
ダッダッダッ
「やっほーー!みんなー!!」
澪律「「颯汰!」」
唯「颯汰君!」
紬「颯汰君、来てくれてありがとう!」
颯「はぁはぁ...間に合った!
どういたしまして!」
梓「え!颯汰先輩、大丈夫ですか??」
颯「目の下のクマひどいかな?」
梓「はい」
颯「今朝、珍しく早起きしたからかも!
これ作ったんだ!」
そう言ってランチクロスをほどき、弁当箱を取り出した。
颯「じゃん!」
紬「玉子焼き!」
颯「おお!良かった!分かってくれて」
紬「えへへ!分かるよぉ〜」
颯「紬は覚えてるかな?
俺が弁当忘れたときに、玉子焼きくれたじゃん?」
紬「おお!そういえばあったわね!
もしかして、あの時の...」
颯「そう!お返しがしたくて作ったんだ。
ちょっと焦がしちゃったけど」
紬「わぁ...ありがとう!」
颯「早起きして作ったやつだからちょっと冷めちゃってるけど、よかったら飛行機の中で食べてよ!」
紬「そうなんだ!
でも今も、あたたかいよ?
...なんだか颯汰君みたいね」
颯「...どういうこと?」
紬「ううん、なんでもない!」ニコッ
律「『ちょっと冷めちゃってる』...?」ヒソヒソ
澪「どう見ても "あつあつ" だな」ニコッ
颯「...あ、そうそう!」
カバンの中を探し、取り出したものは。
颯「皆これ胸につけて!写真撮るよー!」
紬「...えっ!?」
澪「...コサージュ?」
颯「そう!俺らだけで一足先に卒業式!写真撮るだけだけど!」
律「でも、私服だよ?」
颯「細かい事は良いの!」
紬「...颯汰君、どうして分かったの?」
颯「うん?」
紬「私、みんなと一緒に卒業式出たかったけど、出れなくて...
皆との思い出を形に残したくて。
皆に伝えた覚えがなかったんだけど...」
颯「え?ちゃんと紬から聞いたよ?
というか、気付かせてくれた!
面白いことに、寝ながらね。
『そつぎょー...まだ...まだ...』って!」ヒソヒソ
紬「!!!」
澪「ムギの寝言、久々に聞きたいな」
颯「紬!さぁ、撮ろ!」
紬「...私、"しふく" だよ」
律「ムギ...
制服取りに帰る時間無いけど、どうす――」
梓「ムギ先輩...私もです...!!」
律「...どういう意味だ?」
颯「はい、チーズ!」
律「...あっ!」
パシャ
〜~~~~~
「―――それではごゆっくりおくつろぎください」
座席番号を確認し、ウインドウシートに座った。
飛行機には何度も乗っているけれど、やっぱり上空が見れる窓側の席が一番好き。
客室乗務員のアナウンスが終わり、一段落がつくとテーブルを出した。
その上には、コサージュと二枚の写真を広げた。
紬「...ふふふ」ニコ
一枚は、みんな笑顔が眩しい写真。
もう一枚は、ぶれてしまって躍動感溢れるりっちゃんが目立った写真。
りっちゃんは恥ずかしいと言っていたけど、この瞬間も捨てたくない、持っていたい。
紬 (...あ、そうだった)
そしてもう一つ、カバンの中から弁当箱を取り出した。
颯汰君が朝早くから作ってくれた玉子焼き。
それは、ものすごく美味しいものだった。
どこか懐かしくて、いろんな思い出が蘇ってくる。
紬「...」
お箸を進めるにつれて颯汰君の玉子焼きは、しょっぱい味になっていた。
「―――皆様、間もなく離陸いたします」
紬 (見えないよね...)
ふと、窓の外のターミナルを見つめる。
でも、皆の姿は見つかるはずもない。
「シートベルトをもう一度お確かめください―――」
乗務員のアナウンスを最後まで聞くと、テーブルの上の物を全てしまった。
紬「...ありがとう、またね」
窓の外に見える景色に。
雲の下の街に向かって手を振りながら、そんな思いを残した。
分岐ルートの物語は終わりです。
ありがとうございました!