ログインされないソシャゲの苦悩が今爆発する!

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ブルースクリーンダイバー

 神域の奥の奥、異なる世界と近しい霊泉。

 その水底からは、異界の賢者が現れて、世を包む澱んだ夜の帳を払ってくれるのだ。

 そういうことに、なっていた。

 誰も、本当に賢者という名の救世主が現れるなど、考えたこともないか、脳裏によぎっても一笑に付したのだ。

 お伽噺でしかなかった彼の出現。それはもうとんでもない騒ぎになったもので、伝聞ではあるが、吟遊詩人などは伝説を目の当たりにして詩を紡ぐ手が止まらなかったのだとか。

 そして私は、何も知らぬ彼に世界の理の基礎を教え、導き、彼の手足として四方八方に駆けずり回る。

 そんな過酷極まる役目を全うし続けた、賢者に一番近しい巫女である。

 もっとも、最後に仕事をしてから、既に数年が経過していた。

 それでも私は、異界の窓たる泉の側で静謐の只中に佇む。ただ、それしか出来ない故に。

 既に世界から闇の軍勢による危機は去った。彼が来る理由など存在しないのだ、と言われてしまえば、私は反論の術を持たなかった。

 しかし、何年も続き、日に日に厳しさを増していった戦いの最中でも、一日と空けずに彼は顔を出してくれたのだ。

 

「キシュヘンをしなきゃなんだよね」

 

 と言い残した、その日までは。

 私には、そのキシュヘンとやらが、どれほど大変で、どれほど危険で、どれほど時間のかかることなのかは、想像がつかなかった。

 彼がこの世界に来るまで、当たり前の事を何も知らなかったように、私も彼の世界のことを何一つ知らないのだ。

 だから私は、待っていた。

 ただひたすらに、幸運を祈り、待っていた。

 彼が大病を患っていないか、大怪我に見舞われていないか心配しながら、待っていた。

 そのうち沸き上がるのは、けし粒のように小さく黒い疑念。

 

「貢ぎ物が、足りなかったのかしら」

 

 金貨を数百枚。それが、かの賢者が一日働く代わりに捧げられる供物であった。

 無論安いものではないし、そもそも彼が報酬に対して不満をこぼしたことはなく、むしろ、いつも希望に満ちた瞳で知恵を貸してくれたのだ。

 けれど。それでも。もしかしたら。

 一度灯った疑念の火を消せなかった私は、蝋燭が溶けきり、火が自然と消え、正気に戻るその時まで、財宝を集め続けた。

 誓って盗みはやっていないが、それなりに危険な目にも逢った。宝を求めるというのは、必然そういうイベントがお約束なのだから。

 そうして泉が金銀財宝に囲まれるようにまでなった頃には、私はもう、泉の側でへたりこむだけの存在へと成り果てていた。

 泉を覗き込む。底が見えず魚もおらず、水草も生えていない。おまけに風まで吹かないので、水鏡はただ、覗き込んだ私の顔を、ひたすら緻密に映し出す。

 正直に言って、酷い顔だ。

 彼が飴細工のようだと誉めてくれた金色の髪はすっかりくすみ、踏みにじられたタンポポのようだ。

 身なりはと言えば、あちこちを休みなく駆けずり回ったせいで、尋常よりもずっと丈夫に作られたはずの旅装がほつれだらけになっている。

 まぁそんなのは些末事。一番酷いのは、目だ。

 水鏡にくっきりと写された瞳は、何も写してはいなかった。

 何も今に始まったことではない。この瞳は疑念を一度抱いた時から、ずっと変わらずこうなのだ。

 居もしない想い人を追う度に、現の光を失った。

 擦りきれて残った滓が、私という人間を形作っていた。

 泉にそっと、手を入れる。神聖にして侵すべからず。その教えを、今、破った。

 だというのに、天罰が下る訳でもなく、その手はなんの抵抗もなく水鏡に沈み込んだ。

 そして、魔が差した。

 この手が鏡をすり抜けられるなら、全身もまた例外ではないのでは?

 気付けば、いつかの夏に用立てられた水着に着替え、泉に飛び込んでいた。

 何よりも透明だと思っていた水は、いざ飛び込むと、私の目をこれでもかと曇らせた。これでは、何も見えたものではない。

 もがくように、水底へと泳ぎ続ける。

 そのうち、周りが水色に輝き、0と1が螺旋を描いて魚の代わりに泳ぐ海へと辿り着いたのに気付いた。

 此処こそが狭間。

 世界と世界の、間の空間。

 私が焦がれ続け、しかし今まで一度たりとも拝めなかった、水鏡の窓の向こう側。

 息ももう長くは持たない。戻ることは叶わないだろう。

 それでも、絶望はしない。

 やっと辿り着いた境界線。私は、ここを飛び越えるためなら、命程度惜しくはない。

 泉の側で待ち続ける日々の方が、ずっとずっと恐ろしい!

 潜る

 潜る。

 潜って潜って潜り続け……

 指先が透明な壁のような堅い何かに触れたのを知覚した瞬間に、私の限界は訪れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、引き継ぎコード忘れて運営に問い合わせしてもダメだったから諦めてたけど、試しに起動したらいけるもんだな!」

 

 携帯ショップで何時間もかけてやっと機種変更をした俺は、そこから更にしばらくして、思い出深いソシャゲをインストールし直そうと思い立った。

 新型のスマホは容量が大きい。古めかしいソシャゲ程度、負荷にもならないだろう。

 手書きの引き継ぎコードを紛失してしまったのに気付いた時は血の気が引いたものだ。

 おまけに運営に連絡しても、なしの礫もなく。

 最後の悪あがきに起動してみたら、まるで機種を変える以前のように、なんのつっかかりもなくアプリが動き出した。

 

 

『ログイン成功! 本日のログインボーナスです!』

 

 喩えではなく毎日毎朝聞いていた、馴染み深い声が耳に染み渡る。

 

「そうそう、このログインボーナスが重要なんだよなぁ……他に金稼ぎが出来ないからやりくりするんだよなぁ……懐かしさで涙出そうだ」

 

『カムバックログインボーナス!』

 

 そして聞き慣れない言葉と共に、大量のプレゼントが表示される。

 確かに復帰者向けにそういうサービスがあるのは知識としては知っているが……こんなにも大量の物資を受け取るのは想定外だ。俺が知らないうちに凄まじくインフレしてしまったのだろうか。

 

『本当に、本当に、お帰りなさい、賢者様!』

 

 ナビゲーターの顔も、泣き笑いのようになっている。

 短い間とはいえど、ログインを怠った結果が彼女の……ライカの涙だと思うと、心臓が引っ掻かれるような自責の念がちょっぴり湧いてくる。

 そして、湧いたのは自責だけではない。疑問だ。

 はて、こんな立ち絵があっただろうか?

 こんなところで描き下ろしとは、復帰勢への嫌がらせだろうか。

 

「とはいえ、顔を出さなかった俺も悪いしな……」

 

 誰に向ける訳でもなくつぶやいたつもりだった。

 

『全く、その通りですよ! 私がどれだけ寂しい思いをしたのか分かってます!?』

 

「えっ」

 

 今、ライカが俺の言葉に返事をした様に聞こえたのは、果たして聞き間違いだろうか。

 よし。一旦落ち着こう。

 俺はアプリケーションをタスクキルし、見慣れたホーム画面に戻ってきた。

 

『わわっ!? 景色と……それから窓がこんなに一杯……これが、賢者様の住む世界なのですね』

 

 訂正しよう。見慣れたホーム画面に、ゲームで見慣れたキャラがいるという、慣れない状況が形成されていた。

 

「こ、これは一体……?」

「賢者様が姿をお見せにならないので、私から来ちゃいました」

 

 誇らしげに薄い胸を張るライカは子鼠のように愛らしく、そしてそれは、元のゲームで何度も見たジェスチャーであった。

 

「来ちゃいましたって……いや、不可能だろう」

 

 少なくともここまで人間のように思考し、行動し、あまつさえ感情まで抱いているAIというのは、今ではSFでしか拝めないはずだ。

 数多の技術的に不可能であろうという点を無視して、ライカは俺のホーム画面に立っている。

 

『でも、出来ちゃったものは出来ちゃったんですよぅ!』

 

 ぶんぶんと腕を振りながら抗議されるが、正直、それどころではない。

 数多の『何故?』が頭を埋め尽くし、脳を釜茹でにする。

 そして熱さに耐えかねた俺は、思考を放棄した。

 

「まぁとりあえず今はいいや……それで? ライカはゲームから出て来てまで何がしたかったんだい」

 

 とりあえず、物事への理解のレベルを相手に合わせないと……正確には、合わせた事にしないと、話も進みようがない。

 彼女に好きなだけ話させてから、ゆっくり考えればいいのだ。

 

 「それは勿論……賢者様のお側でお手伝いをさせて頂くためです」

「手伝いとは言うけども、そもそもこの端末を使うだけで大概の事は済んじゃうからなぁ」

 

 スマートフォンはまこと偉大な文明の利器である。

 

「えと……えと……それでも、私に出来る事ならやらせて頂きますので……!」

 

 全身を使って必死に訴える彼女の、瞳を見た。ただの絵ではない、生気を帯びた緑の瞳。

 それは温和で、しかしどこまでも頑なな意志を感じさせた。

 このままゲームをアンインストールすれば彼女は消えるのかもしれないが、そうする気は全く起きない。俺の中の強固な一つの念がそうさせていた。

 その半分は好奇心。オーバーテクノロジーである彼女がどう動くのか見てみたい欲求。

 もう半分は愛着。長い付き合いの彼女にとどめを刺したくないという我侭。

 それらがないまぜになった結果、俺は彼女のことを受け入れることにした。

 とりあえずは、正体不明の電子の妖精として。

 

「分かった。これから()よろしく、ライカ」

『本当ですかっ!?』

 

 途端、ライカは向日葵のような笑顔で踊りながら喜びを全身全霊で表していた。

 ひょっとしたら、俺はこの姿に恋をしていたのかも知れないな、と何処か他人事のように思いながら、俺はその喜びの舞を、ただ眺めていた。

 

『ところで賢者様とはまだ窓で隔たれているようですね……今は方法が思いつきませんが、不肖ライカ、全力で事に当たらせて頂きますっ!』

 

 ……ひょっとして彼女は、二次元と三次元の間の壁をぶち破るつもりなのだろうか。

 それは流石に無理じゃないかなぁ。



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