機動戦士ガンダム 青のプロヴィンギア 作:紅乃 晴@小説アカ
「ええ……そうです。アルテイシアの役目もわかっているでしょう」
夜のとばりが降りるメガロ・ステイトのセキュリティ宿舎。平隊員の宿舎とは別棟となる来賓向けの建屋は、コロニーから派遣されたパイロットや技師、スタッフ用の部屋として割り当てられており、通信ルームでコロニー側と連絡を取るロザエにあてがわれた部屋は、来賓向けの棟の中でも上級官僚向けに作られた豪勢なものであった。
今頃、ベッドの上で夢見心地な男を捨て置き、ルームウェアを一枚だけ体に巻きつけたロザエは、通信画面越しに不安げな顔をする男を見て柔らかく微笑む。その笑みは先ほどまで男を喜ばせるために見せていた妖艶なものではなく、母性や慈愛に溢れる表情であった。
「うまくやらせますよ。そのために貴方は彼女に仮面をつけさせたのでしょう?私は貴方を理解していますよ、ベンジャミン。長く貴方を見つめてきましたから。貴方の中で渦巻く葛藤も、悲しみも、戸惑いも」
通信相手は、コロニー「プロヴィンギア」の当主であり、仮面を被るアルテイシアの実父であり、彼女の侍女であるロザエの雇用主であり、内々の愛人関係でもあった。
ベンジャミン・ステンシーとは、プロヴィンギア船団が地球圏を旅立ち、太陽系外を目指した頃に就任した船団長、マクシミリアン・ステンシーから数えて3代目のステンシー家の当主にあたる。権威のために兄弟や親をも利用する冷徹な欲がありながらも、その内面は繊細だ。妻を早くに亡くし、残された実子である娘が妻の面影を持つようになってから、その脆さは単著に現れたと思える。
当時、ベンジャミンの娘の侍女であったロザエは侍女となる経緯上、ベンジャミンとも個人的な関係があった。彼の繊細さを理解していたロザエは言葉巧みにベンジャミンを誘惑し、彼の愛人という立場を手にしている。
彼をさらに籠絡させ、ベンジャミンの妻としてコロニー統治者の妻……プロヴィンギアの女王になるという欲も出始めた頃に、事態は一変する。
ベンジャミン……いや、ステンシー家が150年にもわたって探し求めていた「ガンダム」が突如として現れたのだ。
「ベンジャミン、貴方は間違ってはいません。貴方が選んだ道はコロニー、プロヴィンギアへの多大なる貢献となるのですから」
彼の望むガンダムが手に入れば、地球圏を脱した功績を持つプロヴィンギアは更なる栄誉を与えられる。
ステンシーの一族には言い伝えられ、ベンジャミンは是が非でもガンダムを手にしたい欲があった。ならば、それを叶えることこそが、彼女がプロヴィンギアの女王となる最適な道筋であり、その栄誉にもあやかれるという魂胆もある。
「ええ……はい。では、また連絡をいたします」
だらしない顔をして別れを告げるベンジャミンに笑みを絶やさず挨拶を交わして通信を切る。ロザエは疲れたように巻き上げていた髪を下ろして椅子へもたれかかった。
「フン、軟弱な男。けど、便利ではある……伊達にコロニーの当主を務めている訳ではないか」
男というのは単純なものか、と側に置いてあるワインに口をつける。口に広がるのは安物の粗悪品。設備はいいが、やはりコロニーと移住惑星では勝手が違う。ロザエは立ち上がって、開けられている外からグラスをかざし、中身を地に向けて滴り落とした。
真っ赤なワインが暗いソラリスの海へと落ちてゆく。部屋の照明がワインの赤を怪しく照らし、それはまるで人の皮と肉の合間から溢れる血のように思えた。
「うまくやりなさい、ロザエ・ブラッディ。あの頃の惨めな自分に戻らないようにね」
過去の自分をお問い返すように呟いたロザエは空になったグラスも外へと放って自室へと引き上げてゆく。
息の臭い男の相手をするのは骨が折れるが、それで手駒が増えるなら楽なものだろう。ベッドの傍に着いた彼女は身につけていたルームウェアを脱ぎ、身一つで男が寝息を立てるシーツへと身を預けるのだった。
翌朝、プロヴィンギア標準時7時45分。
ハンガーにはステイト・セキュリティの関係者の全てが招集されていた。目的は漁業組合あたらめマリオンによって制圧された最大ステイト、メトロポリスの奪還と首謀者の捕縛にある。
「アルテイシア様、機体の修復はすでに」
「ご苦労」
ソラリスの重力下で鉄製の階段を上がるアルテイシアは、すっかり補修された自機のドゥン・ポーを見上げる。機体装甲は宇宙や空域用よりも厚みが増しており、スラスター配置も機体下方に変更。バックパックは酸素を推進力とした「OⅡブースター」に換装されている。
シャアの乗るガンダムに破壊された頭部も真っ新な新品に交換されており、その姿はまさにガンダムと言っても差し支えはなかった。
(ガンダム……そう。私はまたガンダムに乗る。今度こそ、お父様の望む本物を手に入れるために。そして、私がお父様の娘であることの証明のために)
蘇ったガンダム。それに一度打ち倒されたが、こちらもまたステイトの技師たちの力によって蘇った。今度は海にも潜れるガンダムだ。相手との土俵は揃った。なら、こちらが負ける道理もない。ガンダム顔のドゥン・ポーを見上げた彼女は振り返って拡声器越しに声を紡いだ。
「皆さん、私はコロニーのアルテイシアという者です」
ざわついていたセキュリティのMDパイロットたち、コロニーから派遣されたパイロット、技師、隊員たちの視線がMD登場用の橋の上にいるアルテイシアへと注がれた。彼女は今作戦であるメトロポリス・ステイト奪還の指揮官として赴くこととなっていた。
「マリオンと名乗る漁業組合からの返答は単純でした。説得の答えはノー。彼らは占拠したメトロポリスを開放はしない、こちらの投降要請にも応じることはないというです」
先んじて派遣されたセキュリティの交渉団とも話し合いは決裂。彼らは断固としてコロニーやセキュリティによる不正な介入を拒否し、その要求が通らない場合は武力行使もやむなしという態度を崩さない。コロニーやセキュリティとしてはそのような違法行為はされていないという認識なのだから交渉が決裂するのは火を見るよりも明らかだった。
「ならば、我々ステイト・セキュリティが取る道はひとつ」
アルテイシアの一言の後、巨大なホログラムがハンガー内に展開される。その立体映像にはマリオンによって占拠されたメトロポリス・ステイトの主要港でいる「ハーバンズム」から続くステイトの内陸地の概略図が投影されていた。
「まずは先発隊がメトロポリスの主港ハーバンズムを攻め入る隙に、二班と三班が側面から手薄になった網をくぐり抜けてメトロポリス内に進行します」
「相手は旧式のMDどもだ。取るに足らない」
現地のステイト・セキュリティの誰かがそう言ってハンガー内は「それはそうだな」と下劣な笑いが響き渡るが、アルテイシアの無言の圧力の前に開口した誰もが黙った。
「続けます。先発隊は私が指揮し、第二班はロザエ・ブラッディに任せます。第三班には……リーク・デッカード。貴様に指揮を預けます。過去の失敗を挽回するチャンスです。うまくやってみせなさい」
所属隊の通達は事前に行われており、隊の指揮は指名された隊長に一任される。アルテイシアはドゥン・ポーを中心にしたコロニー側のパイロットで構成され、ロザエの部隊はステイト・セキュリティの古株たち、そしてリークが指揮するのは若年層のMDパイロットたちだ。
「では、解散とします」
作戦開始まで数分。開始時刻後はメガロ・ステイトから三分隊の艦艇が出撃し、先行したアルテイシア隊の連絡を待つ形となる。乗組員やパイロットたちとの最終確認のために足早に歩くリークへ、雑踏の中から呼び止める声が響いた。
「デッカードさん!」
「アニス・ブルーム……」
振り返ったリークはわずかに顔をしかめた。そこにはセキュリティを示す青と白のバイタル・スーツを着たアニスが立っていた。彼女にはリークは作戦前もあっており、何度か説得は試みたがその行動は無駄に終わっていたのだった。
「貴方もシャアを止めに行くのですか?」
彼女の入隊理由は一貫して、幼馴染であるシャア・レインのためだ。彼がガンダムに乗る以上、メトロポリスにいるのは確実な上に、MD同士の史上初の海域戦となれば遭遇する事態にもなりかねないのだ。
「……彼個人に構ってられる余裕なんて無いさ。俺たちの仕事はステイトを不正占拠している漁業組合を外に追い出して、決起なんていう馬鹿馬鹿しい真似をやめさせることだ」
「そういう言い方……私は好きじゃないです」
不満げにいうアニスであるが、組織の一員として隊を率いるリークと彼女の立場はあまりにも異なる。リーク自身、シャアが目の前で仲間を殺されていることは知っているし、その下手人が誰かもわかっている。彼がガンダムでセキュリティやコロニーに反旗を翻した理由もわからないわけではないが、それはあくまでリーク個人の感性の問題であり、ステイト・セキュリティのMD隊長であるリーク・デッカードと紐つけることはできなかった。紐つけてしまえば、リークが毛嫌いする個人の感性のまま民間人から搾取をするセキュリティの人間と同じようになってしまうからだ。
「すまない。だが、それが俺たちセキュリティの責任でもいるんだよ」
それでも納得できていないアニスは、不安そうに瞳を揺らす。彼女が危惧するのは、説得に応じなかったシャアがこちらに武器を向けてきた時のことだろう。
「もし……もしも、シャアがガンダムに乗って私たちを倒しにきたら……」
「そのときは、俺も君も、覚悟を決めて向き合うしか無いんだ」
リークには組織の人間としてその覚悟がある。だが、アニスは幼馴染を止めたいだけなのだ。その優しさにつけ込んで武器を手に取らせている事実がリークの気分をひどく陰鬱なものにしていた。
「アニス・ブルーム!何をやっている!さっさと機体に搭乗しなさい!」
「申し訳ございません!」
上官であるセキュリティの古株による怒号に体を跳ね上げたアニスは、リークに一礼してから急いで自身に充てられたMDのコクピットへと走って行ってしまった。呼び止めることも出来なかったリークは悔しげに拳を握りしめて呟く。
「純粋な子を巻き込むのか……コロニーが宇宙の思考と言っても、やってることは無茶苦茶じゃないか」
その矛盾に満ちた組織のあり方に疑問を抱く者は多い。だが、その思いだけでは彼女が背負わされる理不尽な運命を拭うことはできなかった。
▼
同時刻。
セキュリティ側の行動を感知したメトロポリス・ステイトでも、新たに編成されたマリオンの海域部隊の展開が始まっていた。
「各艦艇は所定の位置へ待機。MDの積み込みを急げよ!」
広域通信の下、各ステイトからかき集められた潜水艦や水上航行艦、MD一機を積むのがやっとなほどの小型の漁船が海にひしめいていて、まるで定置網を展開するようにソラリスの海へと広がってゆく。
膨大な数を誇る漁業船団の中、海中を航行する潜水艦、シピロン・スパロウ号は先陣となる海域に到着しようとしていた。
「シピロン・スパロウの艦長、ロレーニ・べサーラだ。本艦もメトロポリス防衛戦に参加する」
いつものように動力を潜水艦に回して省エネモードとなってあるMDの中で、シャア・レインや、サヤカ・バーンスタインら、パイロットたちは通信機から流れてくる艦長の言葉に耳を傾ける。
「我々の役目はセキュリティどもの撹乱と獲物の誘導だ。こちらにはとびきりいい呼び餌があるのだから、相手は確実に食いつく。呼び餌に相手の目が眩んでいる隙に後方から他の漁船が奇襲を仕掛ける」
「MD相手に漁でもしようっていうんですか?」
「あながち間違ってないな。俺たちは漁しかできない。だが、それができてきたからこそここにいるのも事実だ。なら、漁師の誇示ってやつあいつらに見せつけてやろうじゃないか」
古強者であるロレーニ艦長の言葉に、艦内のパイロットたちの空気は最高潮に達する。まるで大物を発見した時のようだなとシャアはぼやき、その言葉にサヤカはあきれたような目をしていた。
「艦長、所定の位置に到着しました」
「よし、お前たち!仕事の時間だ!」
セキュリティの先遣隊がくる位置についたシピロン・スパロウ号。ハンガー内ではMDの電源回路が取り外され、忙しく発艦準備が進められてゆく。
ガンダムも同じく発進準備に取り掛かっていると、個人回線で艦橋にいるロレーニとの通信が繋がった。
「シャア、さっき言った呼び餌だが……やってくれるな?」
「そう言った意味なのはわかってるさ」
バイタル・スーツのヘルメットを被るシャアに、ロレーニはにこやかに笑みを向けた。
「助かる。守護神ガンダムの力ってやつを見せつけてやらないとな!各機発艦準備!ハンガー内の圧力を抜け!」
ハンガー内に海水が注水され、適応深度に合わせて減圧される。ゴボッと水が弾けるような音が響き、機体にかかる浮力で操縦桿は柔らかく感じられた。
「各位、今回は命綱は無しだ!それぞれが責任を持って役目を果たせ!帰り道はメトロポリスが示してくれる!」
戦闘をゆくシピロンの漁夫長のいう通り、本来の漁ならばMD各機に命綱を数珠繋ぎされるのだが、今回はMD同士の海中戦が想定されるため戦闘の邪魔となる命綱は繋がっていない。つまり、ソラリスの複雑な海流にのままれれば、いくらオゾン・ミノフスキー・ステークス(O.M.S)が機体の表面に展開された圧力を逃すシールドだといっても無事に生還することは困難になる。
それほどの覚悟をマリオンのパイロットたちは決めてきていたのだ。
「さて、じゃあいつもの漁の時間だ!」
ハッチが開き、MD各機がソラリスの海へと踏み出してゆく。しんがりを務めるサヤカのMDの出撃を見送ったシャアに、接触回線が響いた。
「よし、ガンダムも発艦させろ!」
荒れ狂うソラリスの深い深い海。海流に揉まれる白い水泡を見つめて、シャアはバイタル・スーツのヘルメットのバイザーを下ろして、息を鋭く吐き出した。
「了解。シャア・レイン。ガンダム、行きます!!」
虹色の燐光を発してシピロン・スパロウ号から飛び出してゆくガンダム。
史上初のMDによる海域戦が始まろうとしている最中。
その虹色の燐光に惹かれた〝化け物〟が青白く光る眼をぎらつかせて深い深海から日が刺す海面へと登り始めて行くのだった。