(1)
「第一接続確認できました。モニターに出します」
「内部に熱、電子、電磁波、ほか化学エネルギー反応、全て確認できません」
「対象は完全に機能停止しているようです」
「プラグ内センサーとの回線も回復。生命反応、……ありません」
「内部カメラの回線と接続確認。主モニターに回します」
その場に居た全員の視線が、コンソールの前方に鎮座する大型モニターへと集まった。
映像を見た全員が、絶句を余儀なくされる。
そこはかつて科学の英知が結集する場として最先端の機器が並び、気鋭の科学者たちが大勢詰めては、毎晩のように新技術を駆使した実験を繰り広げていた場所。しかし今は、僅かな液晶画面の光が薄暗い室内を照らし出すだけで、そこに居る人物もたったの4人しかいない。
その内の一人。コンソールの中央に座る女性はモニターを見つめたまま両手で口を覆い。
その隣に座る長髪の男性は、口を半開きにさせたまま眉間に皺を寄せ。
その2人の背後に立つ白衣を着た女性は、映像を見た瞬間止めてしまった呼吸を2秒後には再開させ、盛大に溜息を吐いた。そして白衣のポケットから煙草を取り出し、一本を咥えてライターで火を点けると、何日も洗っていない髪を掻き上げ、鼻から紫煙を吐き出しながら呟く。
「これが人の理から外れた者の末路…か…」
皆の視線を集める大型モニター。
その画面に映し出される、黄色い半透明の液体の中を漂う、白のワイシャツ。黒のズボン。
「何を呆けているのかね。君の予測していた通りではないかな?」
背中に声を掛けられた白衣の女性は、一応の礼儀として煙草を摘まんで口から離し、背後を振り返る。
女性の前に、両手を腰の後ろに組んだ白髪の男性が立っていた。
「ええ…。そうですわね」
白衣の女性は気を取り直したように背筋を伸ばし、白髪の男性に向けて進言する。
「このままサルベージ実験に移行することもできます。準備は出来ていますが」
白髪の男性はかぶりを振り、よく響く声で女性に告げた。
「いや。それは碇の計画にはない」
「なぜです」
白髪の男性のその言葉に、白衣の女性は眉根を寄せた。
「碇司令はお子さんを初号機から救い出したくは…」
白衣の女性は言い掛けて、この場で一般的な親子観に基づいた意見を口にすることの愚かさを思い出し、言葉を途中で切ってしまう。白衣の女性の心中を察した白髪の男性は小さな溜息を吐きつつ、自身の腕時計に視線を落とす。
「それにあと2時間で連中が通達してきた時間だ」
それを聴き、白衣の女性は煙草を咥え直し、ニコチンとタールを肺に入れながら苦々しく表情を顰めた。女性の口から遠慮なしに吐き出された煙に、禁煙を成功させてから四半世紀の時が経つ白髪の男性は軽く咳き込んだ。
「残念です…。「あの日」から1カ月。ようやく対象との回線が回復したというのに…」
「むしろ老人たちはよく1月も待ってくれたと思うべきだ。あるいは君であれば途絶した対象とのコンタクトに掛かる時間を1月と踏んでいたのやもしれんな」
白髪の男性のその言葉に、鼻から細い紫煙をくゆらせる白衣の女性は、自嘲めいた笑みを零す。
「私たちは会ったこともない連中の思惑通りに動かされていた、ということでしょうか」
「君以外では対象とのコンタクトを成功させることはできなかったろうよ。あの老人たちにその才能を認められたのだ。誇ってよいだろう」
「喜ぶ気にはなれません」
白衣の女性の素っ気ない返事に、白髪の男性は切れ長の目をより細めた。
「いずれにしろ我々が去った後も、君は老人たちから厚遇を受けることができるだろう」
白衣の女性はコンソールの端に置かれた吸い殻が山盛りの灰皿に、咥えていた煙草を押し付けた。白髪の男性の顔を、正面から見据える。
「…副司令はやはり司令と…?」
自分の身を案じてくれているらしい白衣の女性の言葉に、白髪の男性は少しだけ表情を崩した。
「ここに留まっていては十中八九、首が飛ぶからな」
平然とした顔で言う白髪の男性は、言葉の最後にこう付け加える。
「これは比喩ではない」
『第2発令所より。外部との全ネット、情報回線が遮断されました』
天井にぶら下げられたスピーカーを睨む白髪の男性。
「やれやれ。初号機が完全に沈黙していると分かった途端これか。これでは事前通達の意味がないな」
肩を竦めながら、視線を白衣の女性に戻す。
「投降者は地底湖のドッグに集まっている。君たちもすぐに行きたまえ」
「…先輩」
コンソールの中央に座る女性が、不安を色濃く浮かべた表情で白衣の女性を見つめている。そんな年齢の割に顔に幼さが残る同僚に対して、隣に座る長髪の男性が声を掛けた。
「連中の主戦力は自衛隊らしいぞ。かつては轡を並べて戦った仲じゃないか。素直に降参する者の命までは奪わんだろうさ」
女性はいつでも脱出できるように準備していた手提げ鞄を胸に抱き締めながら、「本当に?」と今にも泣きそうな顔で長髪の男性を見つめている。
白衣の女性も脱出用のアタッシュケースを持った。
「副司令。くれぐれもお体に気を付けて」
「君たちもな…」
白衣の女性は白髪の男性と握手を交わすと、部下たちを連れて足早に扉から出ていった。
薄暗い部屋の中に一人残った白髪の男性。暫くエントリープラグ内を映し出したモニターを見つめた後、モニター室の前面にある窓ガラスへと近づき、視線をガラスの外へと向けた。ガラスの外には、六面体の大きな空間が広がっている。
白髪の男性が居るモニター室と同様、必要最低限の灯りしかない薄暗い空間。
空間の中央にあるのは、観察対象を拘束した巨大な檻。
檻の上では、紫色の甲冑を纏った巨人が顔を覗かせている。
その巨人の前に、痩躯の男性が立っていた。白髪の男性はその男の背中を見下ろす。
「初号機の中を目視で確認したぞ。全てはお前の計画通りだ」
この声が届くはずもないのに、まるで檻の前の男に語り掛けるように呟く。
「お前の息子は初号機に取り込まれ、コアと一体化している」
そして再び視線を大型モニターへと向けた。
半透明の黄色い液体の中の学生服。その学生服に寄り添うように漂う、白のプラグスーツ。
「第1の少女と一緒にな」
白髪の男性はコンソールの一部を操作し、サブモニター上に檻の中の監視カメラの映像を表示させる。モニター上に映し出されたのは、巨人の前に立つ痩躯の男性をほぼ正面から
捉えた姿。映像を拡大させる。モニター上を、顎髭を蓄えた男の顔が占拠する。男の口は微かに開閉しており、男が巨人に対して何かしら語り掛けていることが分かるが、音声までは拾えない。
「誰と話している…、碇…」
サブモニター上の痩躯の男を睨む白髪の男性。
「ユイくんか…」
サブモニターから、液体の中を漂う学生服を映し出す大型モニターへと視線を移す。
「お前の息子か…」
そして最後にガラス窓の外に見える巨人の顔を視線を移した。
「それとも…」
色付きの丸渕眼鏡を掛けた痩躯の男性、碇ゲンドウは巨人の顔を見上げていた。
何年も前からこうして巨人の顔を見上げることを日々のルーティンの中に組み込んでいたゲンドウ。この顔を見上げる時は決まって、彼の隣に立つべき人の名前で呼び掛けていたが、この日、彼の口から放たれた名前は、別の者の名前だった。
「レイ…」
ゲンドウの口から低い声で囁かれた名前。
「聴こえているか…。レイ…」
呼びかけを続ける。巨人は沈黙を保ったまま、何も語らない。
ゲンドウは構わず語り掛ける。
「よくやった、レイ。私たちの計画は順調に進んでいる。多少の誤差はあれど、全て修正可能範囲内だ」
彼にしては珍しい柔らかい声。労わりの言葉。
「レイ。お前は引き続きそこに居なさい」
右手の人差し指と中指で、眼鏡のブリッジを軽く押し上げる。
「私以外の者の手から、初号機を守るのだ」
巨人は何も語らない。
耳鳴りがするほどの静寂に包まれる檻の中。
空間の天井の方から、くぐもった低い爆発音が轟いた。
続けて、檻の中にスピーカー越しの音声が響き渡る。
『碇。敵の動きは物理的手段に移りつつある。これ以上お喋りを続ける猶予はないぞ』
ゲンドウは振り向き、巨大な檻の中を見渡せる位置にあるモニター室に視線を向けた。そのモニター室の窓ガラスからこちらを見下ろす人物、冬月コウゾウに対して深く頷き、そして視線をもとの位置に戻す。
視線の先には、一本角の鬼を模したような鎧兜を纏う巨人の顔。そんな巨人の顔を、愛しい我が子へ向けるような眼差しで見つめる。
「レイ。初号機を任せたぞ…」
巨人は何も語らない。
天井から次々と轟く爆発音。
ゲンドウは今一度眼鏡のブリッジを指で押し上げると、白い手袋をした両手をズボンのポケットに入れ、巨人に背を向ける。そして檻の出口へと向かって歩き始めた。
コツコツと、革靴の底でコンクリート製の床を叩く音が数回ほど響き。
ゲンドウはふと、歩みを止める。
巨人に背を向けたまま、ボソッと低い声で呟いた。
「シンジのことも、頼む…」
出口への歩みを再開する。
ゲンドウの背後では、やはり沈黙を守ったままの巨人。
その鎧兜の眼孔の奥に潜む目が、微かに光を宿した瞬間を見た者は、誰も居なかった。
巨大な檻から廊下へと出たゲンドウは手に持っていた小型の通信端末機に話し掛ける。
「冬月。やれ」
ゲンドウが通信端末機に話し掛けてから1分後。ゲンドウの背後で巨大な爆発音が鳴り響き、廊下の床が大きく揺れた。ゲンドウは衝撃で波打つ廊下を、背筋を伸ばしたまま悠然と歩いていく。
モニター室の窓ガラスから巨大な檻を見下ろす冬月。その手には手の平サイズのリモートコントローラーが握られており、彼の親指はコントローラーの真ん中にある赤いボタンを押し込んでいる。
檻の中のそこかしこで爆発が起き、天井や壁から落下する瓦礫が、檻の中央に鎮座する巨人の体を覆っていく。
「せめてもの、時間稼ぎか…」
冬月はコントローラーを床に投げ捨てると、椅子の上に置いてあった鞄を持ち、モニター室から出ていく。その直後、モニター室の天井も崩落し、全ての機器が瓦礫の下敷きとなった。